エレキバンド・その7・新しいロック

Cream1夏休みや年末で東京へ戻った時には、必ず幼友達で同級生の“カズちゃん”と遊んだ。
何といっても、互いの家が又隣だから行き来が楽ちんなのだ。
カズちゃんは私に負けず劣らずの音楽好きで、羨ましいほどのレコードコレクションと立派なステレオセットを持っていた。
そう、ギターも弾いた。
よく二人でレコードを聴きながら音楽談義を楽しんだものだが、彼の好む音楽ジャンルは私と少々違っていた。
共通の好みはビートルズだけで、私がこの他に、ベンチャーズ、加山雄三、グループサウンズといったところに対して、カズちゃんはクリーム、ブルーチアー、ブルースブレイカーズ、キャンドヒート、キングクリムゾンと、当時流行始めたブルースを基盤とするロックミュージックを好んで聴いていたのだ。
ポリドールレコードでは“アートロック”、CBSソニーレコードでは“ニューロック”と称していたジャンルである。
中でもクリームの2枚組アルバム『Wheels of Fire』がお気に入りのようで、ちょくちょく聴かされた。
しかしこのアルバムは正直なところやや難解であり取っ付きにくかった。
JAZZの世界では当たり前であるアドリブを多く取り入れた“大人”の演奏だったのだ。特にライブ版はなかなか馴染むことができず、カズちゃんがきらきら光るアルバムを棚から取り出すたびに、

― またか、、、

と、消沈したものだ。
ところが面白いことに、何度も聴いていると次第にエリック・クラプトンのギターが耳に入ってくるようになり、いつの間にかライブ版の『Crossroads』は積極的にリクエストするほど聴きたい曲になっていた。
ライナーノーツを開くと屡々“スリリングな演奏”という言葉が出てくるが、Crossroadsのアドリブに聞き入れば、その意味が痛いほど分かる。
ブルースロックに俄然興味を持った私は、当時の人気音楽誌『ミュージックライフ』を読みあさった。カズちゃんがこの雑誌のバックナンバーをたくさん所有していたのだ。
ちゃっかりしっかりおんぶにだっこで、カズちゃんには感謝感謝である。

ロックシーンに明るくなってくると、当然のように聴いてみたいアーティストが次から次へと出てくる。
マイケル・ブルームフィールド、ピーター・グリーンと興味は尽きない。
今ならYouTubeがあるから、即座にムービーも含めてチェックすることができるが、もちろん当時は大枚をはたいてレコード盤を買わなければならない。
毎月の小遣い、お年玉は、将来エレキギターを購入する為にしっかりと貯めていたから、これは本当に悩ましい毎日であった。

エレキバンド・その6・壁

jh1沼津市立第二中学校では全員クラブ活動が原則となっていたので、取りあえず親友のKが入部したバスケット部へ籍をおくことにした。
ある程度覚悟はしていたが、シゴキとも称される中学校運動クラブの練習メニューは相当にHeavyなもので、入部当初は、翌日に起きる強烈な筋肉痛に苛まれ、歩行するにも苦労するほどだった。但、ひと月が過ぎるとだいぶ体力がついてきて、苦しさは殆ど気にならなくなっていた。ところがだ、汗ばむ季節がやってきた頃、一部の上級生によるいじめが常態化され、ただでさえ厳しい練習をこなさなければならないというのに、それに重ねて余計な重圧がひとつ増え、自覚できるほどに精神ストレスが溜まってきて、これには正直辟易した。
部活は急にしらけた景色に見え始め、練習に費やす時間が無性に意味のないものに思えてきた。

ー 部活をやるくらいなら、ギターを弾いていたい。

膨れあがる逃避願望は、さぼりの回数を日に日に増やしていく。
反面、ギターへ対する傾倒はこれまで以上の高まりをみせ、コードを弾きながら歌うだけでは既に物足りなくなり、次のターゲットを、ビートルズ、ジョージ・ハリスンが格好良く奏でるギターパートに向けたのだ。
流れとしては、何度も同じ曲を聴いて少しずつフレーズを覚えていき、それをギターで表現するという作業を繰り返す。
但、言葉では簡単でも、やってみるとこれが難しい。人が歌ったメロディーは自然と頭に張り付くものだが、ギターが発する音は、奏法、エフェクト等のアレンジが入っていることが多い為、肝心な音階自体が掴みづらい。
仮に音階を頭に入れても、それをギターで表現しようとすると、奏法が分からないのでオリジナルの雰囲気が全く出ない。これでは到底コピーとは言えず、何とか表現しようと様々なことを試してみたが、なかなか前へ進むことはできなかった。そう、ついにギターを弾き出して初となる壁にぶち当たったのだ。
余談だが、昨今、ギターを志す方々は本当に恵まれている思う。当時は憧れのアーティストが実際に演奏しているシーンを映像で見るなどという機会は滅多にないことであった。ミュージックライフなどの音楽雑誌を開けば写真は幾らでも見ることができたが、ギターの弾き方をその写真から見出すことは殆ど不可能に近い。
その点、現代には“YouTube”がある。いつでもどこでも過去から現在までのミュージシャンの動画を無料で見ることができるのだ。昔の状況を考えれば、まるで夢のようだ。
今から思えば、あの壁にぶち当たった時も、ジョージの左手の動きをこの目で見ることができたなら、挫折して1年以上もギターから離れることはなかったかもしれない。
弦の張りが強烈に強く、また弦高の高いマイギターから、“チョーキング”という奏法にたどり着く為のきっかけやヒントは出てくるはずもない。

 

「東京へ戻るよ」

中学2年の夏休み前。何となく予感はしていたが、帰宅した親父の口から引っ越しの一言が飛び出した時、複雑な気持ちが胸一杯に広がった。
沼津への転勤は4~5年といっていたから、もうそろそろではないかと、中学へ進学した頃から常々意識はしていた。地元東京へ帰ることができるのだから、基本的には嬉しい筈だが、沼津で過ごした幼少期の4年間は心躍る様々な経験や、最高に愉快で優しい友人達との出会い等々、まさに夢のような日々の連続であり、自分としてはこの時点ではっきりと沼津を第二の故郷と断言できていた。
夏休みに行なわれる林間学校が最後の行事になると分かった時、流れる涙は止められなかった。

エレキバンド・その5・“入門者泣かせ”

SSHBHCNH1母に買ってもらったマイギターは、響きの良いポップな音が自慢だった。
実は手に入れた後、早々に弦の交換を行ったのだ。
元々はガットギターなので、標準で張ってあったのはナイロン弦。これはこれでとても良い音色がするが、私が求めているポピュラーサウンドにはやや向いていない。
本来ならばエレキを手に入れ、ピックで格好良くジャラーンとやりたいところなので、せめて弦だけでもスチール製に交換してソリッドな音色を出したかったのだ。
ギターの一般常識からすれば、これは邪道であり、肝心のギター本体にも悪影響を与えてしまうらしいが、あの頃の自分には、上手になろう! 楽しもう! しか頭になかったし、何より若さならではの勢いがあった。

中学生の小遣いでも買えるギター弦。しかし、この交換は価格以上の結果を生んだ。
好きなポップスのコードを鳴らせば、より本物に近い音色が出るようになり、ベンチャーズのメロディーをリードで刻めば、けっこうなエレキ風サウンドも楽しめる。
そしてスチール弦への変更は、ギターピック選びにも拘りを与えたようで、形状、材質、固さによって弾き具合が変わり、同時に発する音も違ってくることが興味深かった。
ピックは弦より更に安い買い物なので、これぞと思うものは見逃すことなく買って試してみた。

「ほら、持ってきたよ」

クラスメイトのOが、兄貴から譲ってもらったというフォークギターを家まで持ってきてくれた。
色々な友達とギターの話をしてみると、意外や兄弟や親父さんあたりが所有しているケースが多く、楽器屋での試し弾きは年齢的に敷居が高かったし、買わないのが分かっていてあれもこれもと頼めないから、こうして友達頼みで弾かせて貰えることはとても嬉しいのだ。
そしてここでも色々な発見があった。
早速Oのギターを持ってみると、

ー ずいぶんとネックが細いし、弦高も低くて弾きやすい!

まったく驚きである。

「え~、、ガビンのギター、えらく弾き辛いな~」

互いのギターを交換して弾いていたOから率直な感想が飛び出した。
マイギターはネックが蒲鉾断面で恐ろしく太く、指板も幅が広く弦高は激高だ。“キング・オブ・入門者泣かせ”のタフな楽器なのだ。
しかしこれで練習したおかげで、どんなギターを抱えても素早く確実にコードを押さえられ、指は踊るように動かすことができる。もちろんマイギターにも長所はあった。それは音色が抜群に良いこと。これほど広がりが良くて豊かな音が出るギターには、ここまでの段階でお目に掛かったことはない。これで5,000円なのだから、ギターの価値は実に微妙である。

Oのギターを弾いているうちに、その弾きやすさを醸し出している新たなポイントに気が付いた。
指板がマイギターのように真っ平らではなく、僅かだが弧を描いているのだ。
単純にネックを細くすれば弦間が狭くなるだけで、指を立て気味にしないと隣の弦に当たりやすくなる。その点、指板を弧にすれば握りは細くても、指板の面積を大きくすることが可能なわけだ。
さすがにポピュラー音楽の根底を支えている楽器だけあって、長い音楽史の中、数々のプレヤーやビルダーによって正道正常な進化を遂げている。
この形状だとハイポジションが握りやすく、コードも確実に押さえられ容易に音が出せる。
なんとすばらしいことか!