2018年・夏 金峰山 ~ 三島

夏の天気は悩ましい。
昨年の東北行で大いに興味を引かれた鳥海山。日本海側から眺めたその姿は美しく且つ雄大であり、富士山とはまた異なる威圧感を覚えたものだ。
今年は“花の山”とも呼ばれるその美しい稜線を歩いてみようと、登山口に近い象潟に宿をとり、指折り数えて待っていた。
ところがだ。1週間前から突如として怪しい天気予報に変わってしまい、更には回復の見込みが難しい状況となってきた。
諦めきれずにぎりぎりまで様子を見たが、秋田県という遠方の地を考慮して、泣く泣く4日前に宿をキャンセル、鳥海山歩きを断念した。
既に夏休み直前となっていたが、急遽計画を白紙から練り直し、悩んだ挙句に選んだのが奥秩父連峰の“金峰山”。
以前、瑞牆山を歩いた時に<次はここだ!>と決めていた山である。そしてせっかくの長期連休なので、登山の翌日には静岡県三島の湧水群を、夏というフィルターを通して眺めてみたいと、撮影行を盛り込んだ。
宿は甲府市内にビジネスホテルを予約、後は好天を祈るばかり。

金峰山へのルートはいくつかある。今回選んだのは最も短く手軽に入れる大弛峠だ。ここは山梨県と長野県の境にある峠で、標高は既に2,360mもあり、車が通行できる日本最高所の峠となっている。20台収容の駐車場やトイレも完備されているが、トレッキングファンには人気の場所だけに、シーズンや週末になると満車状態が続き、駐車場のだいぶ手前から路肩駐車の長い列ができるらしい。

8月15日(水)。自宅を4時半に出発すると、中央自動車道の勝沼ICを目指した。早朝だったからか、旧盆渋滞はなく、交通量は平日並みかそれ以下だ。インターを降りてからは、フルーツラインをひたすら北へ向かった。
ある方のブログを読むと、大弛峠駐車場が混んでいて、致し方なく下方の路肩へ車を停め、そこから登山口まで歩いて20分以上もかかってしまったと記してあり、今回は旧盆休みの真っ最中であり、しかも天気上々という好条件が揃っていたので、さぞかし峠は大混乱かと、少なからず心配していたのだが、結果、駐車場のしかも登山口に近い絶好のポジションへ停められたのである。

確かに峠周辺は多くの車が群れていた。長い列はなかったが、確かに路肩駐車の車も5~6台はいて、上が駄目だった時はどこへ停めようかと、スピードを落として路肩をチェックしながら慎重に進んだ。
駐車場の手前はロータリーになっていて、今きた方向へ楽に転回できるようになっている。その先も道は続くが、未舗装の完全な林道だ。
そしてその未舗装路の手前まで行ってみると、な、なんと1台分空いているではないか。あまりにもラッキーなので、登山口への通路になっているのではと疑ったほどだ。無事に車を入れるとすぐさま準備に取り掛かった。
車の外気温度計は15.4℃を示している。上着は半袖を考えていたが、やはり車外に出るとかなり寒い。これでは歩き続けても長袖がベストだろう。水分も水3L、ポカリ1Lを用意したが余りそうだ。しかし水分だけは若しもの事態を考え全てザックへ押し込む。人間、何はなくとも水があれば数日間は生き永らえる。

スタート直後からぬかるんだ上りが続いたが、そのうち歩きやすい尾根道へと変わった。原生林の隙間から周囲の山々が見通せ、初っ端から気分がいい。ダケカンバに岩と苔が織りなす森は北八ヶ岳と似たところがあり、よく歩く奥多摩の山々とは異なり新鮮だ。
山道には難しい箇所や急登連続もないので、疲労度はそれほど大きくないが、アップダウンを繰り返しながら頂上を目指すというパターンは慣れていないので、どうもペースが掴みかねる。

― おいおい、また上りかよ、、、

こんな感じで、気分的に疲れてしまうのだ。
特に朝日岳からの急降下は、帰りの辛さがはっきりと分かり萎えた。
しかしこの後さらに萎えることが勃発し、頭を抱えてしまう。
下りに差し掛かったところに、金峰山の頂上が見えるちょっとしたピューポイントがあり、早速V2を取り出して撮影を行おうとすると、

ー あれ? これ、超ハイキーなんだけど?!

露出調整の画面でダイヤルを回すと、フラッシュ選択の画面へ飛んでしまうのだ。露出は+∞で固定になってしまい、撮影は既に不可能である。一旦レンズを外したり、電源のオンオフを繰り返しもしたが、直る気配はない。
こんな絶景を目の前にして、今日の撮影手段はスマホだけかと思うと、さすがにショックである。V2は殆ど山用に使ってきたので、いろいろなところへ何度もぶつけたり、汗まみれになったりと、相当ヘビーな環境下で酷使されてきただけに、一度は点検へ出しておくべきだったのだ。これほどコンパクトなのに高い撮影性能を持つ機種は早々に見当たらないので、修理の上、この先もガンガン使っていこうと思っている。

下り終えたところで再び上りが始まった。カメラショックのせいか、肉体疲労に精神疲労が加わり、いまいちガッツが出ない。己に鞭を打ち、逆にややペースを上げてみた。そして顎が出始めたころ、一気に視界が開いた。頂上手前の広場“サイの河原”である。右手には瑞牆山、その先には雲が半分掛かっているが、八ヶ岳がはっきりと見渡せる。
本日一の絶景登場である。
多くのハイカーが休憩を取っていて、皆絶景をバックに記念撮影を行っている。私も年配女性グループを撮ってあげたり、また撮ってもらったりと、暫しこの場所で寛いだ。ここまで膝の調子に何ら問題は出ず、嬉しいほどの絶好調。事前に奥多摩で足慣らしをした成果だろう。

15分ほど休憩した後、目と鼻の先にある金峰山頂上を目指した。
頂上周辺は蓼科山と同様に岩だらけで、落ち着いて休憩できる場所はない。但し先ほどの広場よりさらに高い位置から周囲を見渡せるので、その解放感は絶大だった。富士山こそ見えなかったが、適度な雲海を従える周囲の山々は美しく、ここまで登って来なければ決して味わうことのできない感動に浸るのであった。

下山を始めると、徐々に雲が増え始めた。今週は天候が下降気味なので、この晴天がいつまで続くか不安である。
恐らく急変はないと思うが、山歩きは既に十分堪能したので、早いとこ甲府まで降りて、冷たいビールをやりたいものだ。
朝日峠まで一気に下りて休憩。ザックの水を確認すると丸々2L残っている。やはり20℃を切る気温では、それほど喉が渇かない。二週間前に足慣らしで歩いた奥多摩とは大違いである。

無事駐車場まで辿り着き、登山靴やトレポを洗い、着替えも済ませて車に乗り込んだ。

― おっ、雨だ。

あっぱれな晴れ男ぶりは、一体いつまで続くのやら。

予約しておいた“甲府ワシントンホテルプラザ”へ到着すると、すぐにバスタブへ湯を張り、一服付けた。
駅からやや距離があったが、居酒屋探しには問題なさそうだ。
ホテルの無線LANに接続したPCで、明日の三島地方の天気を確認する。
西から天気は崩れ気味で、清水、三島、伊豆はどこも午前中から降雨率50%である。これは微妙だ。
しかしせっかくここまで来たのだから、行くだけは行ってみようと思っている。

5時半には繁華街で適当な飲み屋を見つけ、先ずは生ビールを呷った。
次は冷酒を注文。ゴルゴ13を読み耽りながら好物の“たこわさ”をつまむ。
こいつはご機嫌なひと時だ。
ミニボトル2本を開ける頃には、結構な酔いが回ってきたので、そろそろホテルへ戻ることにした。
途中、美味そうなラーメン屋を発見したので、締めの一杯をいただいた。
それにしても夏休み、こんな歳になっても楽しいものだ。

翌日は6時半に朝食を取り、チェックアウトした。朝の天気予報によると、三島地方は午後になると更に悪くなるという。となると撮影は午前中に済まさなければならない。
甲府市内からR358で精進湖へ、そこからR139で一気に富士市へと南下。昨日が山なら今日は海だ。

気持ちだけは盛り上がっていくが、それを打ち消すように、バイパスへ出る4~5km手前からついに雨が降り出した。
雨脚はそれほどでもなかったが、黒い雲が垂れ込み風も出てきて、どうみても短時間で回復する感じではない。しかしここまできたら行くところまで行くしかないので、どうしても駄目だったらそのまま帰路へ着けばいい。ここからだと三島も東京も進む方向は同じである。
バイパスを左へ折れ、三島繁華街へと向かう。途中、伊豆箱根鉄道の踏切を渡ると、何と道路沿いに出店がずらり。どうやらお祭りらしい。
そして晴れ男もお祭りパワーをもらったようだ。雨は徐々に小降りとなり、僅かだが晴れ間も見えてきた。これなら傘はいらないだろう。
コインパーキングに車を置き、D600を片手に駅前へ出た。すると盆踊りのやぐらと多数の提灯、それに太鼓が置かれている。よく見ると周囲にあるのぼりに“三島大祭”と書かれてあるではないか。
その時。バチを持った男三人女二人がいきなり飛び出てきて、太鼓を打ち始めた。被写体を探していた矢先だったので、これはラッキーと撮影に掛かる。女性二人が何ともいい表情をしていて、シャッターを切る指に力が入った。
気が付くと私の周りにも同じく一眼レフを持った数人が、必死にファインダーを覗いているではないか。

この後足を運んだのが、目的でもある“源兵衛川”だ。二年前の年末撮影会の際に立ち寄ってみると、妙に心に残り、桜の頃、バイガモの頃、そして子供たちが水遊びする真夏の頃にはどのような光景が広がっているのかと、想像は大きく膨らんだ。
下り坂の途中から楽寿園の南側路地へ入ると、先回とは明らかに違う気配が漂っていた。
そう、ここが目的地の“源兵衛川”である。

― いるいる、子供たちが、、、

見れば3組のファミリーが、それぞれの楽しみ方で流れる水と戯れている。

「あっ!いる魚!そこそこ!」
「冷めてぇ~」
「うわぁ、びしょびしょ」

日本の田舎、夏の原風景と呼んで憚らないシーンに心がほぐれる。
川には飛び石が並んでいるので、足を滑らせないよう慎重に歩を進めたが、先回よりだいぶ増水しているため、前方の飛び石5~6個が水没している。そして流れもずいぶんと強くなっているので、ここは引き返すほかない。
裸足になって子供達と一緒に川へ入ってもいいが、つまずいてD600もろとも水の中へは洒落にならないので、今回は止めた。
一旦道路まで上がり、迂回してこの先にある橋を目指す。

それまで賑わう川音で気が付かなかったが、太鼓や鐘の音がすぐそこまできていた。町全体がお祭り一色で、何だかこっちも浮き立ってしまう。
音の方向へ歩いていくと、やはり山車が出ていた。
小学生くらいだろうか、法被姿の女の子達が、山車の上で元気良く鐘を鳴らしている姿がとても可愛らしく、暫し追いかけながらシャッターを切りまくった。
昨日の風景撮影から今日は一転してスナップだが、慣れていないこともあり、シャッターチャンスのタイミングがうまく掴めず四苦八苦。構図やアングルも然りだが、刻々と変わる人物の表情を捉えるのが何とも難儀。
万能レンズとして愛用しているNikkorの24-120㎜。今回もこれ一本で三島の町を撮ってみた。よく使う焦点距離に手振れ補正と、シャッターチャンスには滅法強い性能なのだが、駅前の太鼓演奏の時などは、こちらの立ち位置に限界があるので、テレ側をもうちょっと欲しいなと思うシーンが何度かあった。手持ちのレンズはこの上になるとSIGMAの400㎜だけなので、いささかスナップでは使い辛い。予算があるならNikkorの70-200㎜辺りを手に入れたいところだ。
機材に頼るのも何だが、レンズの入手は写道楽の醍醐味であり、それだけで夢も広がるというもの。

私にとって沼津・三島は第二の故郷。
小学4年から中学2年という最も感受性が高い年頃に、海や山で思いっきり遊んだ経験は正しく人生の宝であり、その後の人格形成に大きな影響を与えたと思う。
そんな三島でシャッターを切っていると、ふと遠くを見ているような、気の抜ける瞬間を何度か覚えたのだ。
ここが本来の居場所なのかなと思ったり、何となく心が休まる気がしたり、はたまた川沿いでも、公園でも、駅前でも、そして歓楽街を歩いていても、何故か空気が柔らかいと感じてしまったり、摩訶不思議である。

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滴る汗 本日の水分消費量

空気が沸騰した8月2日(木)。
夏登山の体慣らしを兼ねて、いつもの御岳/日の出コースを歩いてきた。
熱中症で毎日多くの人が倒れる昨今であるが、奥多摩エリアの最高気温は地元武蔵野市と比べて絶えず3~4℃は低いので、この程度なら問題なく歩けるだろうと決行した。

鳩ノ巣駐車場へ到着したのは7時40分。
車の外気温センサーは28.5℃を示し、これはリチャードを連れての早朝散歩時とほぼ同じレベルだ。但、最近雨が降ったのか、湿度が高く、着替えていると見る見るうちに首回りや腕がべたついていく。
それにしても駐車場が空いている。うちのを入れて4台とは何とも寂しい。この猛暑では出かける人も少ないのだろうか。
持参したおニューのミズノ速乾シャツに着替え、軽い準備体操を行った後に出発した。

鳩ノ巣まできても、熱を目一杯に吸い込んだアスファルトの照り返しはさすがに熱かったが、山道へ入ると辺りは一変。日光を遮る木々と、僅かな湿り気を発する地表が、快適な空間を作り上げていたのだ。
これも山歩きの醍醐味だと思うと、瞬く間に気持ちがリフレッシュする。

大楢峠に近づくにつれ傾斜は増していく。一カ所ちょっとした岩場があるのだが、そこを超えるあたりから一気に汗が噴き出してきた。今年の猛暑パワーは日陰の樹林帯であっても30℃近くまで上げているのだろう、額の汗が頬を伝って地面へと滴り落ちる。こうなると速乾性のシャツなど全く用を足さない。既に濡れ雑巾と化したシャツの裾を思いっきり絞ると、汗が音を立てて地表へ落ちた。
二俣尾のセブンで総量2.5Lの水分を購入したが、予想以上に水分が失われ、ここまでにポカリと水を合わせて1Lを消費。このペースだと確実に足りなくなるが、幸い御岳山には自販機があるので、そこで補給することにした。

何遍通ったか分からぬ馴染みのルートだが、山道のコンディションや景観は毎回変わるから面白い。
今回は台風の影響で折れた木の枝が山道のいたるところに散乱し、引っかかったり滑ったりと非常に歩き辛い。足元に気を取られると、歩行のリズムが狂って疲れやすくなる。こんな時は意識して呼吸を深くすることが肝心だ。
次回歩こうと考えている、大楢峠~鍋割山ルートの入り口をしっかりと確認し、そのまま裏参道を進んだ。

徐々に風が出てきて、ムシムシ感はだいぶ和らいできた。それでもまだまだ汗は噴き出るので、こまめな水分補給が肝心だ。
それにしても新緑が終わった後の夏枯れであろうか、森全体が疲弊しているように感じてならない。花もほとんど見かけず、寂しい限りだ。
一方、いつもより幾分大きい川音が届いてくるのは、水量が増している証。御岳山までに4本ある小さなせせらぎが、珍しくその全部が威勢のいい流れに変わり、その清涼感が火照った体を包み込んだ。
間もなくして御岳山に到着。鳩ノ巣からここまで人っ子一人見かけなかったのは実に珍しいことだ。

メインストリートの急坂を登りつめると、お目当ての自販機が現れた。これぞ砂漠にオアシス。良く冷えて美味そうなやつが並んでいて目移りするが、最後はオランジーナに落ち着きボタンを押した。

― くぅぅぅ、、、うまい

生温くなったザックのポカリとは月とスッポンの刺激的清涼感。大袈裟のようだが、世の中にこれほどうまい飲み物があったのかと感心する。冷たさと炭酸はやはり絶大なのだ。
ベンチに腰掛け、何気に通行人へ目をやっていると、犬を連れたハイカーカップルがやってきた。
ここ数年、犬連れハイカーを時々見かけるようになったが、あれは如何なものだろう。日常生活を離れ、大自然を求めて歩いてきた人達にとって、よほどの犬好きでもない限り、山中で飼犬を目の当たりにすることは必ずしもウェルカムではないと思うし、犬自身も太古の野生犬ではなく、人と同じ生活に改良順応してきた“ペット”なので、特に今年のような酷暑の山歩きに連れ出されたら、それこそいい迷惑。発汗のない犬は、寧ろ人間より熱中症にかかりやすいのだ。

12時30分、日の出山山頂に到着。早速残った小さなおにぎり二個を食しようとしたが、これまで大量の水分を取り続けてきたせいか、あまり食欲が湧かない。一個を喉に通すだけで精いっぱいだ。ひどく疲れているわけでもないし、どこか具合が悪いわけでもない。とにかく胃が水分以外のものを受けつけない。
東屋を独占していたので、甘んじてベンチに仰向けになり、帽子を顔に被せて目を瞑ってみた。
山頂を通過する風が体を適度に冷やしてくれ、なんとも心地よい。腹回りや袖口にしみ込んだ汗が冷たく感じてくると、一気に睡魔が襲ってきた。

ちょっとの間眠ってしまったようだ、人が近づいてくる気配で目が覚めた。
到着した時は、女性ハイカーが一人だけだったが、見回すと、年配夫婦一組と4名の若者グループが加わっている。ここはいつ訪れても賑わいがある。
あまり休んでいると疲れが出てくるので、早々に荷物をまとめて出発した。

それにしても今回は足の調子がこの上なく良かった。梅ノ木峠を超えても左膝は快調で、筋肉疲労はあっても腸脛靭帯炎の前兆である“張り”が出てこないのだ。この一点だけで山歩きは楽しくなるし、また自信も付く。
先回の山歩きから結構な間があるのに、これは日々行っているストレッチの賜物かもしれない。
腸脛靭帯炎でお悩みの方々、ぜひ日々のストレッチをお試しあれ!

本日の水分消費量:4.5L
鳩ノ巣駐車場到着:15時40分

自分にお疲れさん☆☆☆

奥多摩小屋

奥多摩小屋が平成31年3月31日をもって閉鎖となる。そして同時にテントサイトも使用不可に なるとのことだ。
どうやら老朽化が進み、安全が確保できなくなったようだ。何しろ初めてのテン泊がここだったので、このニュースが耳に入った時、正直なところ寂しい思いがした。

東京都の最高峰「雲取山」へ向かうメインルートにある石尾根。この終盤に位置する奥多摩小屋は、周囲の山々を広く眺望できる文句なしのロケーションにある。
宿泊に使うのもいいだろうが、それよりも雲取山登山の休憩地点としての存在価値が光る。
何故ならこの先には雲取山山頂に至る最後の急登が待っているからだ。小屋の前にはちょっとしたベンチとテーブルがあって、いつ訪れてもその周辺には必ず人の姿やザック等々が見受けられる。
景色を楽しみながらの一服はとてもリラックスできて、“あとひと踏ん張り!”へ向けての準備にはもってこいなのだ。
しかしこの奥多摩小屋、確かに一見廃屋と見間違うほど朽ち果てたムードが漂っていて、これまでに宿泊客を見たのは一度きり。一方、広いテントサイトはいつも賑わいがあり、奥多摩テン泊の一大スポットになっている。なにしろ防火帯である岩尾根に位置するので、その解放感は奥多摩唯一。陽が落ちると富士山登山者の連なる明かりがはっきりと確認でき、それを肴にビールをやればこの上ないアウトドア気分に浸れるのだ。

こうなると、初のテン泊を思い出す……

そもそもキャンプというもの、遊び心に溢れていてテントの設営からして面白い。
しかし、たまにしかやらないことだけに、組み上げの順番はいつもうろ覚え。四苦八苦の末、何とかフライシートを被せ終えると、<マイホーム完成!>と暫し眺めてしまう。
森の中に溶け込むようなこの小さなテント。この中で一夜を過ごすと思うと無性にワクワクするのだ。
続いて夕飯の準備。

「ご飯炊いてみましょうよ」

初テン泊のパートナーは山友のMさん。
その彼から頼もしい一言が発せられた。これまでは日帰り登山だったから、ストーブを使ってもお湯を沸かしてカップ麺が精々。ところがテン泊は帰りの心配がいらないからじっくりと調理に時間を掛けられる。

「いいね。でもちゃんと炊けるの?!」
「大丈夫だと思いますよ」

やや心配だったが、持参したヒートパックのおかずでも、炊き立てのご飯があれば最高のディナーになる筈だ。

「OK。じゃ、俺が水汲んでくる」

奥多摩小屋の水場は、尾根道から南へ少々下ったところにあり、これまでの山歩きで疲れた足腰にはやや辛い距離感である。
先客2名が汲み終えた後、先ずはプラティパスに詰め込む前に手ですくって飲んでみた。
<うまい!>
そもそも奥多摩山系の水はうまい。獅子口、雲取山山荘、そしてここ奥多摩小屋の水場、どれも甲乙つけ難いふくよかな味がする。
今回はウィスキーを持参していたので、さっそく戻って水割りだ。

結局炊きあがったご飯は芯ありだったが、よく噛めば甘みも出てきて問題には及ばず、寧ろこの不完全さがキャンプの醍醐味へと繋がるのだから笑えてしまう。
他愛ない会話が延々と続いたが、この上ない解放感が否応なしに場を盛り上げた。

一時間も経っただろうか、普段の山歩きより大きく重い荷物を背負ってきただけに、疲労は確実に蓄積したようで、水割りを3杯開けたところで、瞼が急に重くなってきた。時計を見たらまだ19時前だったが、そろそろ寝袋に潜り込みたい感じである。
テントでちゃんと眠れるかと、最初は少々不安であったが、疲れのおかげで結果は超爆睡。日が変わる頃に一度尿意で目が覚めたものの、その後は鳥のさえずり と共に朝を迎えるまで、夢を見る間もなく眠り続けたのである。
この時の爽快な目覚めは今でもよく覚えている。