春の息吹・吾妻山

 “早咲きの菜の花”。
 朝起きてスマホのニュースをスクロールしていたら、こんなキャッチが目に留まった。冬本番はこれからというタイミングに、春を想起させる文言に出会うと、途端に体の中で小さな暖が生まれた。
 文を追っていくと、神奈川県の二宮町にある吾妻山公園にて、【吾妻山 菜の花ウォッチング2024】と称するイベントが開催中で、公園の主体である、標高136.2mの吾妻山山頂部分の菜の花畑が見頃を迎えているようだ。しかも山頂は三六五度の展望があり、富士山や丹沢の山々、そして相模湾へ目を向ければ、海に浮かぶ伊豆諸島の島々が見渡せるとのこと。

 一月二十六日(金)九時。小田原厚木道路を使えば、現地まで一時間半だろうと、遅い朝食を済ますと、すでに充電済みのα6500をバッグに入れ、POLOに乗り込んだ。ウェザーニュースから快晴且つ微風との予報が出ていたので、急遽撮影へ出かけることにした。


  サイトに記載のあった、ラディアン花の丘公園脇の無料駐車場に到着。周囲を見回すと、目の前に小高い丘、右手には散策路の入口を指す標識を見つけた。
―ここなのかな。
 イベントを行っている割には辺りが静かだし、駐車場にも自分のPOLOを含めて五台のみ。
―平日はこんなもんだろう。
 いつもの悪い癖は自覚しつつ、脚は勝手に散策路へと向かっている。


 結果から述べると、吾妻山とは全く異なる丘へ足を踏み入れてしまったのだ。それほど考えなくても、“ラディアン花の丘公園脇の無料駐車場”に車を止めたのだから、その裏手にある丘は吾妻山ではなく、ラディアン花の丘だと普通の人だったら分かるはず。
 ここでも“山のロスト王”は健在だった。

「ちょっとお尋ねしますが、吾妻山の登山口っておわかりですか?」
 丘を一周して一般道へ降りおりると、右手から四十代と思しき女性が坂を下ってきたところだった。
「駅の方になりますね」
「駅って、二宮の?」
「そうそう。ここから十五分くらい歩きますけど、途中までご一緒しましょうか」
「ありがとうございます。助かります」


 国道七十一号線が二宮の町を東西に分けているが、ラディアン花の丘は東側、肝心な吾妻山は西側だったのだ。無料駐車場のマップコードをカーナビに入れるだけではなく、サイトに載っていた地図も確認しておけば、こんな無駄足はなかったのだ。生まれ持っての早とちり癖は中々治らない。

 吾妻山の登山口は三カ所あったが、ロスタイムが出ていたので、最短で頂上へアクセスできる梅沢口を選んだ。低山でも相変わらず右膝の痛みが解消してなかったので、カタツムリの如くゆっくりと歩を進めたが、それでもズキズキくるから、いささか腹が立つ。症状が出て、すでに二か月が経とうとしているのに……


 頂上広場へ到着すると、サイトに記載されていたとおりのワイドな眺望と、平日とは思えない大活況にびっくり。小学校低学年の遠足から、観光ツアーと思しき二十数名の高齢者団体まで、ざっと見まわして百名以上がうごめいている。さすが“関東の冨士見百景”に選ばれるだけのことはある。


 頂上での撮影がひととおり終えると、下山は駅近くへ出られる役場コースを選んだ。周囲には菜の花だけでなく、梅やスイセンも開花していて、まるで山全体が春の息吹に満たされたかのようだ。

伊豆山稜線歩道

達磨山山頂直下

 一月十一日は新月だった。ウェザーニュースで事前に調べると、当日は伊豆半島全域で快晴と出た。今年は星空撮影にトライしようと思っていたので、どうせなら南伊豆のユウスゲ公園まで足をのばし、迫力満点の一枚を狙うのもいい。もちろん旅程は一泊。翌日は久々の山歩きを楽しもうと、痛めた膝に優しそうな伊豆山稜線歩道を選んでみた。だるま山高原レストハウスから、金冠山~戸田峠~小達磨山~達磨山のピストンになる。

 途中、立ち寄りは考えなかったので、出発は昼前とのんびり。馴染みの宿【らいずや】へ到着したのは十六時だ。D600はあらかじめ星空撮影用にセッティング済みにしておいたので、あとは頃合いを見てユウスゲ公園へ向かえばいいのだが、空模様が全く変わらず、気になってしょうがない。予報では夕方までが曇りで、その後は晴れになるはず。ところが頭上の雲は暑く広がっていて、切れ間が出てくる気配は微塵も感じられない。待つしかないが、車を使うからビールは飲めない。

“らいずや”の前より

―しょうがねえ、ゴルゴ13でも読むか、、、
 ところがゴルゴ13は時を忘れさせる面白さがあった。ふと窓へ目を向けたとき、すでに夜のとばりが落ち始めているではないか。
―んっ?夕陽か?
 西の空がちょっと赤みを帯びている感じがしたが、窓の向きから確認できない。階段を駆け下り外へ出てみると、見事な夕焼けだ。一方、頭上は相変わらず雲に覆われ、目を凝らしても星は見えない。こうなったら星空撮影は諦めて、夕陽撮影にチェンジするかと、車に乗り込んだ。
 秋の日ではないが、冬の日もつるべ落としに変わりはない。県道十六号を疾走するPOLOはWRC並みに飛ばした。が、蓑掛岩が見えるころには、すでに陽は水平線の向こう側。とりあえずユウスゲ公園まで行ってはみたが、時すでに遅しである。

金冠山頂上

 翌日は五時過ぎに起床。カーテンを開けると、悔しいことにきれいな星空が広がっている。ただ、もう間もなくすれば陽が顔を出す。

 伊豆の自然や景観を壊すので、縦貫道建設は基本的に反対だったが、E70区間ができあがり、下田から修善寺方面へ至る際、タイトなつづら折りが連続する河津のR414を通らなくて済むようになり、ずいぶんと便利になった。

金冠山を目指し、広い山道を登っていく

 縦貫道を降りて、温泉街から修善寺戸田線へと右折する。標高が上がるにつれ気温が落ちていき、伊豆国際の手前で氷点下を切った。風もかなり強そうだ。
 レストハウスには八時前に到着。車から降りようとノブを引くと、強風でドアが持っていかれそうになった。風速は8m以上ありそうだ。反面、大空を仰げば見事な快晴が広がっている。
 
 まずは金冠山を目指して出発。危惧していた膝痛だが、トレポをうまく使って、加重を低減させると、それほどの痛みは起こらず、これならなんとか回ってこられそうだと一安心。
 樹林帯を抜け、道が開けてきたとき、後方から話声が近づいてきた。
「こんにちは」
 四〇代前半と思しき女性二人組だ。装いはハイキング。ザックもトレランレベルの小さいもので、いかにも身軽そう。だからか歩きも軽快そのもので、追い抜かれるとあっという間に後ろ姿が小さくなっていく。まっ、膝痛持ちの高齢者はマイペースが肝心なのだ。

眼下には戸田の町並み

 金冠山の頂上に着くと、先ほどの彼女二人と、ソロの中年女性が寛いでいた。何気に聞き耳を立てると、皆さん地元の方のようだ。こんな素晴らしい展望を気軽に味わえるなんて、何とも羨ましい。景観はまさにパノラマで、富士山はもちろんのこと、右手には静浦、内浦、淡島が、正面には沼津の市街地が広がり、左手には戸田を手前にして、清水、静岡と遠州灘が望め、その背後には南アルプスの山々までがくっきりと見渡せるゴージャスさである。
 ここで思った。次の星空撮影の候補地は、金冠山がいいのでは。

達磨山を見上げる

 分岐から戸田峠までは舗装路を下っていく。馴染みの西伊豆カイラインの入口を左に見て、再び山道へ入る。ここが伊豆山稜線歩道の北端であり、南端の天城峠までは延々42Kmの道のりだ。
 地味な階段が繰り返し現れ、徐々に標高を上げて行く。右手はずっと駿河湾なので、撮影ポイントは無数にあるが、どこも強風が吹き荒れ、手振れが起きそうだ。小達磨山を越えて、達磨山へ取りつく手前に、数十メートルだけ西伊豆スカイラインの路肩を歩くことになるが、この区間は左右が広く開けているため、強烈な突風が襲いかかってくる。風速は軽く15mを越えるだろう。一瞬だが、よろけてガードロープにつかまること二回。冷や汗をかいた。
 達磨山頂上までは、膝にこたえる階段と強風にさいなまれたが、三百六十度の広がりを見せる頂上からの眺めは息をのむほど。先ほどの金冠山の景観を、ぐぐっと南へ引いてから俯瞰する感じで、大迫力はこの上ないものだ。

達磨山頂上から南を望む

 下山後、膝の具合がどうなるか恐ろしかったが、若干の痛みは残ったものの、翌日には平常に戻った。尤も、平常ということは、治ったわけではない。
 素人の希望的観測だが、月日が流れ、もう少々気温が上がってくる春先になれば、症状は低減してくるのではなかろうか。そのタイミングで改善の兆しが見えなかったら、抜本的に医師へ相談しようと思ってる。

黒川鶏冠山・病み上がり登山

 思いもかけなかったコロナ罹患。ひどい喉の痛み以外には、それほど深刻な症状は現れず、37℃台の熱にやられたのも二日間だけ。幸いなことに食欲が落ちず、三度三度たっぷり食べられたのが、早い回復のポイントだったように思う。
 ちなみに今回のコロナの判定は、市販の抗体検査キットによるもので、病院での検査は行ってない。よって専用の治療薬は一切服用せず、熱が急に上がり始めた夜に一度だけロキソニンを服用しただけだ。
 コロナは罹患判定日から数えて五日間が外出禁止となる。三日間ほどは喉が痛くて、おとなしくしていたものの、その後は体がなまってしょうがない。

 そんな中、週間天気予報を見ると、九日(木)までは文句なしの晴れと出ている。コロナで弱りきった己の肺に、きれいで新鮮な空気を思いっきり吸い込ませるチャンスということか。病み上がり登山の行き先は、黒川鶏冠山。大菩薩嶺の北側に位置し、ルートは柳沢峠からのピストンである。

 十一月八日(水)。午前八時過ぎに柳沢峠無料駐車場へ到着。標高が1,472mあるので、ドアを開けると冷たい空気にぶるっとくる。POLOの外気温度計は6.5℃を示していた。
 登山口は道路を隔てた反対側。階段を上りきると、きれいな森が広がった。ブナやミズナラが中心となる原生林で、途中まではハイキングコースにも指定されているようで、山道はきちっと整備が施され、とても歩きやすい。ただ、紅葉のタイミングはすでに過ぎ去り、冬枯れに近い景色が延々と続いた。それでも途中何カ所か大小の岩が露出しているところがあり、どこも岩はコケに覆われ、森の景観のアクセントになっている。

 六本木峠を通過。ここを南へ折れると、丸山峠を経て大菩薩嶺へとつながる。
 相変わらず歩きやすい道が続く。それにしてのこのルート、これから登山を始めてみたい方には最適だろう。ほど良いアップダウン、しっかりとした道標等々、初心者でもストレスらしいストレスはほぼ感じないはずだ。ただ、尾根道がないので、景観の変化が少なく、やや単調な歩行になるのは否めない。

 黒川山が近づいてくると、それまでになかった登りが連続し、やっと“登山”を感じることができた。上がりきったところの道標から“見晴台”へ向かおうとしたとき、年配夫婦が下ってきた。
「こんにちは」
「こんにちは。富士山が見えましたよ」
「そりゃいい。私もこれから行ってみます」
「岩場がちょっとスリリングですけど、鶏冠山の方もなかなかの眺めでした」
「ありがとうございます。気をつけて」
 ちなみに、これから行く見晴台という地点が、1,710mある黒川鶏冠山の頂上とのことらしい。見晴台からは西側、おそらく三窪高原だろうが、広々とした眺めを楽しめた。本日初となる展望だ。その後、もう一つの展望カ所である鶏冠神社へと向かった。

 鶏冠神社は岩山の頂上に祀られていて、その直下からは結構な岩登りを強いられる。それほど危険は感じないが、岩場の基本である三点支持は守らなければならない。登りきると先ほどの見晴台とは逆方向の展望が、ダイナミックに広がった。
 実はこの岩登りの最中に、ちょっとしたアクシデントが起きた。たすき掛けにしたカメラバッグから、な、なんとα6500が零れ落ちたのだ。
「やばっ!!!」
 この時は冷えた。岩場の途中でありながら、カメラを拾い上げると外観をチェック。レンズにもボディにも大きな傷が見当たらないことを確認すると、祠の前の平らなところで、順を追って作動テストを行った。普通に撮れ、普通にモニターできることを確認すると、ホッとして気が抜けた。
 これまでバッグの蓋は開けっ放しで何ら問題はなかった。ところが岩場をよじ登る際に、左膝でバッグの底をやや強くついてしまい、その勢いで飛び出てしまったのだ。今後のことを考えればいい勉強だった。

 病み上がり登山としてはほど良い負荷で、気持ちのいい山歩きを楽しめた。これで紅葉が見られたら文句はなかったが、それはまた来年以降の楽しみとしよう。