若い頃・デニーズ時代 7

飲食業には元々興味があって、薄々自分に向いている仕事ではないかと思っていた。

学生時代に色々とやったアルバイトの中でも、喫茶店のウェイターと洋食屋の厨房へは自然に入り込むことができたし、難しさの中にも楽しさを見いだせ、けっこう積極的にやれたよう記憶している。
反面、吉祥寺の東急デパート建設工事やTRC流通センターでの仕事はひとつも面白味を感じられず、単なる銭稼ぎの手段として割り切っていた。
肉体労働や単純反復的な作業等は、どうも私には向いてないようである。

こんな背景があった為か、デニーズでの生活には入社早々からフィット感を覚え、新しいことを教わった際も、スムーズに理解できたように思う。
そしてもうひとつ。
デニーズには如何にもアメリカ生まれらしいシステマチックなキッチンシステムが備えられていて、これはアルバイト時代の洋食屋の厨房とは抜本的に異なるものだった。
高品質な料理を短時間且つ大量にサービスできる様は単純に驚きだったし、一日でも早くこれを駆使できるようになりたいと、非常に前向きな気持ちになれたのだ。
とにかく徹底した作業動線の追求は見事だった。
生産性の高い仕事を行う為に、キッチン内の調理器具、食材、プレートなどを絶妙な位置に配置し、クックは体の向き変えだけで殆どの作業が事足りるようにできている。

キッチンでのクックの立ち位置(ポジション)は基本的に3ヵ所あり、それは“グリル板”、“センター”、“フライヤー”だ。ちゃんとした準備と一人前のクックが3名いれば、1時間で客席が1.5回転から2回転するランチライムでも支障なく料理を提供することができるのだ。

先ずはグリル板。
その名のように、このポジションには大きな鉄板が配置され、パンケーキ、フレンチトースト、ホットサンド、生姜焼き、グリルサーモン等々を調理する。そこから180度振り向くと、下側が冷蔵庫になっていて、食材を常時冷たく保存するコールドテーブルがあり、ここでは主にサラダ、サンドイッチなどを作る。コールドテーブルに並べられた大小のステンレス角形容器(インサート)には、トスサラダ、ホワイトアスパラ、トマトスライス、サラダ菜、サニーレタス、スイートコーン等々が整然と並び、それぞれは腕を伸ばす範囲にあってスピーディーに調理を進められる。

次はフライヤー。
全自動のフライヤーが3機配置され、フレンチフライ、オニオンリング、エビフライ、ホタテフライ、フィッシュフライ等を揚げていく。
反対側は大きな“湯せん装置”であるホットテーブルになっていて、コールドテーブルと同様にインサートで仕切られており、そこにはミートソース、ドミグラスソース、カレーソース等が並んでいる。
因みにフライヤーの隣にはピザオーブンがあり、その先には並んでリーチイン型冷蔵庫が配置され、プリパレーション(下ごしらえ)されたピザやクレオールを保存してある。扉を開いてサッとピザを取りだし、隣のオーブンへ入れるのは瞬時である。

最後はセンター。
このポジションにはクッキングをひととおりマスターした者が立ち、ライスをよそう傍ら、両サイドをフォローし、ワンチェックのディッシュアップが同時にできるようコントロールするするのがメインの仕事になっている。
“できるセンター”がいるとピーク時の回転率が大幅にアップし、質の向上並びに売上の向上が得られる。もちろん両サイドのクックの生産性は限りなく高まるのだ。

「オーダー入ります」
「はい!!」
「ワンピザ、ワンシェフ、ワン丸ワ、ワンPジンジャー」
「はい!!」
「FF、落としすぎるなよ」
「スピナッチあおって」
「それからライスオン、終わったらトスサラやっといて」
「はい!!!」
「それから堀口君、テンプレ、キュープレ、補充よろしく」
「ました☆」
「三沢さん、そのスープといっしょにサラダもね」
「はいありがとう!」

業界用語だらけで、よく分からないと思うが、こんな感じでてきぱきとテンポ良く、センターは両サイドのみならず、フロントメンバーであるMDやバスヘルプにも的確な指示を出していくのだ。
既に気持ちだけは一端のデニーズマンとなっていた私は、濱村さんの華麗なセンター業務を見てうっとりするばかり。
一日でも早くセンターのできるクックになりたいと、日々の業務に力が入っていくのであった。

かゆみ止め

かゆみ止め

私は肌が弱く、また、敏感でもある。
Tシャツのタグには鋭敏に反応してしまいチクチクヒリヒリ。その内に肌は赤くなって痒みが走る。
汗っかきでもあるから、夏中、汗疹に苛まれる。
更に蚊にはとても好かれるタイプのようで、傍にいる人が刺されなくても、ねらい打ちの如く私だけに襲いかかってくる。血が美味いかどうかは定かでないが、鬱陶しいことこの上ない。

こんな私にとって唯一の救いが、ス~ッと冷たく染み込んでいく液体痒み止めだ。もっぱらの愛用品は近江兄弟社の【メンターム ペンソールSP】。一夏で55ml入りを最低4本は購入する。常時身近に置いておき、ちょっとでも痒みを感じたら空かさずこれを塗る。
特に首回りの汗疹には素晴らしい効き目を発揮してくれる。ス~ッときた直後にじわっと染み入る痛みが結構強烈で、思わずしかめっ面になるほど。
ところがこの痛みが癖になる。正直言うと、快感だ。
開封後の薬効成分がビンビンの時などは、痛みを通り越して息が止まるほどの電流が走ってしまう。

35℃を越える酷暑の夏も、ペンソールSPがあれば何とか乗り切れる。

夏山・大菩薩峠

唐松尾根

今年の夏休みはT君と北八ヶ岳の湖巡りを計画し、甲府にビジネスホテルの予約まで入れて万全の準備を整えていたが、残念なことに前日になると八ヶ岳・夏沢峠の天気予報が急転し、午前から夕方まで霧または雨との予報に変ってしまったのだ。
一昨年の縞枯山では濃霧にやられてどこの山へ登ったかも分からないほどだったし、昨年の天狗岳では、早朝から降り始めた雨が、何と東京へ引き返すしかないほどの強力な降りになってしまい、悲しいかな八ヶ岳とは悪い相性が続いている。

「こうなったら宿はキャンセルして、明後日の14日(金)に大菩薩を日帰りで歩こう」
「いいかも」

ドタキャンで空いてしまった13日(木)は、女房とふたりで山梨県は小菅村にある『小菅の湯』で一日まったりした。大きな桶を湯船にしている“露天イベント風呂”は、週替わりでハーブの香りと効能を楽しめる大のお気に入りで、その温めの湯は長い時間浸かることができ、心身共にリフレッシュできる。
たまたまだが、この温泉から西へ直線距離で約8km行ったところに大菩薩峠がそびえ立つ。

「明日は何時出発にします?」
「近いから6時でいいよ」
「了解」

大菩薩は4年前にも歩いたことがある。その時は初心者向けの日帰り登山ガイドブックを参照した為に、歩行距離が短く、素直に呆気ないと感じる山行となってしまったが、ここの尾根道には奥多摩のような樹林帯では決して見ることのできない開放的なBig Viewが連続して現れるところから、今回はもうちょっと時間を使って尾根道界隈をじっくり堪能したいと考え、あらかじめプラスαのルートを設定しておいた。もちろんM君のコンディションに合わせてというお題目もある。
先回はロッジ長兵衛から林道を使って福ちゃん荘へ至り、そこからは唐松尾根で雷岩へと上がった。一応目と鼻の先にある大菩薩嶺をチェックした後は、尾根歩きで大菩薩峠へ。下山はここから最短コースを使った。
それに対し今回は大菩薩峠までは同じでも、すぐには下山せずに西南へと足を延ばして石丸峠経由で出発地点へ戻ることにした。プラス1時間ほどの行程となったが、結果は大正解。途中、熊沢山から見下ろす石丸峠と上日川湖、そしてきれいな稜線を見せる小金沢山は山岳美の典型であり、写真好きには堪らない景色が満載する好ルートだったのだ。

石丸峠

「いやぁ~、開けた~」
「この辺までくると、さすがにハイカーも少ないね」

雷岩では溢れんばかりいたハイカー達も、恐らくその多くは大菩薩峠から下山したのだろう。

「おっ、あそこの尾根、ハイカー二人が歩いているよ」
「ほんとだ! あそこからの眺めもいいだろうな~」
「行ってみたいけど、今日は時間がない」

小金沢山へ至る尾根道だろうか、一面をクマザサに覆われ、緑一色に染まった山の斜面は思わず見とれてしまう。
この緑も素晴らしいが、紅葉時期になればまた違った魅力を醸し出してくれるのだろう。
再度山地図をチェックし、縦走を含めたアレンジルートを考えてみる価値は充分ありと思った。
長く続いた尾根道はここで終り、この後はひんやりとした樹林帯へ入って出発地点を目指す。

「もう下りか、つまんね~」
「また来りゃいいさ」

登り始めはやや多めのガスが山全体を覆っていて、ここ大菩薩でもツキに見放されたかと思ったが、雷岩の直下までくると、雲の流れが速くなりだし、小さいが時々雲の合間から青空も見えるようになってきた。10時過ぎと、昼食にはかなり早い時間帯だったが、おにぎりを食しながらここで晴れ上がるのを待つことにした。
一時間ほど休憩しただろうか、この判断は見事的中し、大菩薩峠、そして石丸峠へ至るまでの尾根道では、痛快な青空の下を楽しむことができたのだ。
後半戦はT君も連発してシャッターを切っていたし、そう言う私も被写体探しに足元が疎かになるほど熱中したものだ。

三度目にしてようやく夏山を味わえた。
熱中症に脅かされる昨今の夏に、この上なく爽やかな空気感に包まれる尾根歩きは、もはや別世界の趣があり、忘れかけていた夏だけが持つリラクゼーションを全身で感じることができるのだ。

写真好きな中年男の独り言