河津桜と伊豆の山々

 なかなかすっきりと治らない右膝痛。発症当初よりは良くなっているが、その歩みはあまりに遅く、苛立ちを覚える。
 そんなことで、とりあえずどのあたりまで我が右膝は耐えられるのだろうかと、見切り発車を決断。そう、逆療法、荒療治である。症状が悪化したら下山して整形外科へ飛び込めばいいと、毎年恒例の河津桜撮影行へ、山歩きを二本組み入れてみたのだ。
 日程はいつも通りの一泊二日。宿は松崎伊東園ホテルに予約を取った。スケジュールは以下の通り。
 二月十三日(火):青野川で河津桜撮影。その後、高通山(標高519m)へ登頂。
 二月十四日(水):長九郎山(標高995.7m)登頂

 いいか悪いかは別として、伊豆縦貫道が拡張したことで、南伊豆は本当に身近になった。ひたすらハンドルを握り、前方に注視していれば、あっという間に下田の町に到着、疲労感も格段と小さくなった。
 昼飯は南京亭の炒飯と決めていたが、着いてみると駐車場は満杯。更には店頭にウェイティング客の姿もちらほら。時計を見れば午後一時。ランチピークは過ぎているはずだと、カチンときたが、飲食店を探している時間的余裕はなかった。致し方なくセブンで食料を調達した。
 はやる気持ちを抑え、“みなみの桜と菜の花まつり”の会場へと向った。他県ナンバーがやたらと目についていたので、ちょっと嫌な予感がしていたが、見事的中。平日なのにメインの駐車場三カ所はすべて満車。たまたまだが、最初の駐車場へ戻ってきたとき、満車の看板が見当たらなかったので、ウィンドウを下ろし、顔を突き出して声を放った。
「空いてます?」
「どうぞ!」
 平日なのにこの混雑ぶりはなに?!完全に想定外である。

 さんさんと降りそそぐ陽光に河津桜は眩いばかりに輝いていた。正真正銘の満開だ。ただ、近くに寄ると花弁はやや萎び始めていて、いいころ合いに来られたと胸をなでおろす。それにしても天気が良すぎるのか、気温が異常に高い。持参したウィンドブレーカの出番は最後までなかった。一時間弱で撮影を切り上げると、そのままR136を走り、高通山へ向かった。

 車が多かったのは下賀茂まで。その後は快調に飛ばし続け、三十分弱で登山口のある“雲見地区ふれあいパーク駐車場”に到着。さっそく出発準備にかかったが、はたして右膝は最後まで耐え続けられるのか。
 高通山は低山には違いないが、スタートから延々と階段が続き、しかも平らなところが殆どない急登の連続である。いきなりの高負荷は当然膝に厳しいが、同時に心臓も踊りだし息が荒くなる。鈍痛が早くも出てきて、こんな低山で!と、落胆。なるべく痛みを抑えるため、ペースを極端に落とし、特に右足を接地するときには優しく足の裏全体に体重をかけるよう集中した。
 中盤になると背中いっぱいが汗びしょになった。ただ、森の中なのにけっこう風が通っていて、フリースを脱げば今度は冷えすぎるはず。この辺のレイヤリングは難しい。
 頂上へ出ると案の定強い風が吹き荒れていた。ところがここも気温が高く、撮影中もウィンドブレーカーを着用することはなかった。楽しみにしていた富士山は、残念ながら雲に覆われていたが、広がる駿河湾と西伊豆の荒々しい海岸線は何度見てもいいものだ。
 一応予定どおりに下山までこぎつけ一安心。鈍い痛みは出ていても、酷くなった感じはなく、流れ的には快方へ向かっていると実感。明日の長九郎山もなんとかやれそうと、ホッとする。

「久々に行ってみるか」
 ホテルから歩いてすぐのところにある食事処“民芸茶房”は、これまでに何度も利用したことのある馴染みの店だが、夕飯時に訪れるのは十五年ぶりだ。
 なのに、
「ありゃ~、やってない」
 店内真っ暗。午後五時半でこれでは、臨時休業かもしれない。ここはそもそも定休日はなく、不定休となっていたので、たまたま当たってしまったのだ。刺身定食、食べたかったぁ~
 さて、猛烈な空腹にせかされ、急いでホテルへ戻ると、今度は車で仁科に向かった。歩いていけない距離でもないが、腹が減りすぎて脚に力が入らない。行先は大好きな“ぱぴよん”。この店の何の特徴もない、家庭で揚げたような豚カツが、実は旨い。ぱぴよんへ来たら、だいたい豚カツ定食か生姜焼き定食を注文する。

 翌日はホテルを七時過ぎに出発。昨日に引き続き、朝から青空が広がり、否応なしにテンションが上がった。
 R136から下田松崎線へ入り、しばらくして山へ向かって左折。延々6Kmほど曲がりくねった道を上がって行く。車止めが見えると左側が大きな駐車場になっていた。見回すと車はおろか人っ子一人いない。今日は貸し切りになりそうだ。
 ブーツに履き替え足踏みをする。調子は悪くない。宝蔵院へと上がる石段では多少の鈍痛が出たが、脚の運び方を工夫すれば、昨日より痛みは小さい。
 上りきると眼前に無数の苔むした石仏が並び、一気に写欲が湧きたった。一体一体の表情が無性に興味を引く。あとで調べると、ここは「伊豆横道三十三観音」の第七番霊場になっているとのこと。
 境内を抜けると、凛とした空気感のある森が待っていた。ちょっと奥多摩の鶏冠山のスタートに似ているところがあり、歩きやすく優しさを感じる森は好感度抜群。難しいこともなく、ひたすら歩くにはこの上ない。
 膝の具合はよく、なんだか気持ちが弾んでくる。
 小さなアップダウンを繰り返すと、新たな道標が見えてきた。
 <長九郎登山道・健脚コース>と記してあり、見上げると尾根に向かって道はいきなり急坂になっている。よっしゃぁ!と褌を締めなおしたが、歩き始めるとそれほどきつくない。やはりメンタルが上向きになっているからだ。
 三時間弱の行程を経て到着した長九郎山の山頂。傍らには頑丈そうな造りのスチール製鉄塔が十五年前を思い出させる。
 準備もろくにせず、なめてかかった低山での脱水症状。脚がどうにも重くなり、古い切り株へ腰かけて体力の回復を待とうと目をつむった。しばらくした時、ふと動物のうごめく気配を感じ、恐る恐る周囲を窺うと、突如谷側斜面から黒い物体が恐ろしいスピードで駆け上がってきたのだ。腰を抜かしたが、目線はそれを追っていた。正体は猪。まさに鼻先を通過し、山側斜面へと吸い込まれるように姿を消していったのだ。

 鉄塔からの眺めは言うことなしの百点満点。富士山の雄姿から始まり、伊豆の山々、南アルプス、大海原とダイナミックな光景が三六〇度から迫り、しばし見惚れた。これまでの疲れはすべて吹っ飛び、この二日間の素晴らしい締めとなった。右膝も大事に至らず、ホッとすると同時に、何とか今年も山歩きを楽しめそうだと思うと嬉しくて、昨今あまり耳にしない言葉を、富士山へ向かって思いっきり叫んでみたのだ。
「ヤッホォ~~~!!」

 腹がグーグーと鳴り響き、下山後はまっしぐらに仁科の“河津屋食堂”へと向かった。昨年末の恒例撮影会で、立ち寄った際に食したのが看板メニューの“肉丼”。こいつにやられた。ラーメンとのセットで千円(税込)はお値打ち感あり。個性的な若社長不在は残念だったが、女将さんが作ってくれた肉丼&ラーメンは変わらずの味わいで、箸が進んだ。どうもごちそうさん。

 逆療法、荒療治は、あながち間違いでもなさそうである。帰宅後、膝の動きに軽さが加味され、痛みも明らかに薄らいできたように感じる。これからは無理をせず、少しづつ様子を見ながらウォーキングの負荷を増していき、元の膝に戻れるよう努力したい。 

春の息吹・吾妻山

 “早咲きの菜の花”。
 朝起きてスマホのニュースをスクロールしていたら、こんなキャッチが目に留まった。冬本番はこれからというタイミングに、春を想起させる文言に出会うと、途端に体の中で小さな暖が生まれた。
 文を追っていくと、神奈川県の二宮町にある吾妻山公園にて、【吾妻山 菜の花ウォッチング2024】と称するイベントが開催中で、公園の主体である、標高136.2mの吾妻山山頂部分の菜の花畑が見頃を迎えているようだ。しかも山頂は三六五度の展望があり、富士山や丹沢の山々、そして相模湾へ目を向ければ、海に浮かぶ伊豆諸島の島々が見渡せるとのこと。

 一月二十六日(金)九時。小田原厚木道路を使えば、現地まで一時間半だろうと、遅い朝食を済ますと、すでに充電済みのα6500をバッグに入れ、POLOに乗り込んだ。ウェザーニュースから快晴且つ微風との予報が出ていたので、急遽撮影へ出かけることにした。


  サイトに記載のあった、ラディアン花の丘公園脇の無料駐車場に到着。周囲を見回すと、目の前に小高い丘、右手には散策路の入口を指す標識を見つけた。
―ここなのかな。
 イベントを行っている割には辺りが静かだし、駐車場にも自分のPOLOを含めて五台のみ。
―平日はこんなもんだろう。
 いつもの悪い癖は自覚しつつ、脚は勝手に散策路へと向かっている。


 結果から述べると、吾妻山とは全く異なる丘へ足を踏み入れてしまったのだ。それほど考えなくても、“ラディアン花の丘公園脇の無料駐車場”に車を止めたのだから、その裏手にある丘は吾妻山ではなく、ラディアン花の丘だと普通の人だったら分かるはず。
 ここでも“山のロスト王”は健在だった。

「ちょっとお尋ねしますが、吾妻山の登山口っておわかりですか?」
 丘を一周して一般道へ降りおりると、右手から四十代と思しき女性が坂を下ってきたところだった。
「駅の方になりますね」
「駅って、二宮の?」
「そうそう。ここから十五分くらい歩きますけど、途中までご一緒しましょうか」
「ありがとうございます。助かります」


 国道七十一号線が二宮の町を東西に分けているが、ラディアン花の丘は東側、肝心な吾妻山は西側だったのだ。無料駐車場のマップコードをカーナビに入れるだけではなく、サイトに載っていた地図も確認しておけば、こんな無駄足はなかったのだ。生まれ持っての早とちり癖は中々治らない。

 吾妻山の登山口は三カ所あったが、ロスタイムが出ていたので、最短で頂上へアクセスできる梅沢口を選んだ。低山でも相変わらず右膝の痛みが解消してなかったので、カタツムリの如くゆっくりと歩を進めたが、それでもズキズキくるから、いささか腹が立つ。症状が出て、すでに二か月が経とうとしているのに……


 頂上広場へ到着すると、サイトに記載されていたとおりのワイドな眺望と、平日とは思えない大活況にびっくり。小学校低学年の遠足から、観光ツアーと思しき二十数名の高齢者団体まで、ざっと見まわして百名以上がうごめいている。さすが“関東の冨士見百景”に選ばれるだけのことはある。


 頂上での撮影がひととおり終えると、下山は駅近くへ出られる役場コースを選んだ。周囲には菜の花だけでなく、梅やスイセンも開花していて、まるで山全体が春の息吹に満たされたかのようだ。

伊豆山稜線歩道

達磨山山頂直下

 一月十一日は新月だった。ウェザーニュースで事前に調べると、当日は伊豆半島全域で快晴と出た。今年は星空撮影にトライしようと思っていたので、どうせなら南伊豆のユウスゲ公園まで足をのばし、迫力満点の一枚を狙うのもいい。もちろん旅程は一泊。翌日は久々の山歩きを楽しもうと、痛めた膝に優しそうな伊豆山稜線歩道を選んでみた。だるま山高原レストハウスから、金冠山~戸田峠~小達磨山~達磨山のピストンになる。

 途中、立ち寄りは考えなかったので、出発は昼前とのんびり。馴染みの宿【らいずや】へ到着したのは十六時だ。D600はあらかじめ星空撮影用にセッティング済みにしておいたので、あとは頃合いを見てユウスゲ公園へ向かえばいいのだが、空模様が全く変わらず、気になってしょうがない。予報では夕方までが曇りで、その後は晴れになるはず。ところが頭上の雲は暑く広がっていて、切れ間が出てくる気配は微塵も感じられない。待つしかないが、車を使うからビールは飲めない。

“らいずや”の前より

―しょうがねえ、ゴルゴ13でも読むか、、、
 ところがゴルゴ13は時を忘れさせる面白さがあった。ふと窓へ目を向けたとき、すでに夜のとばりが落ち始めているではないか。
―んっ?夕陽か?
 西の空がちょっと赤みを帯びている感じがしたが、窓の向きから確認できない。階段を駆け下り外へ出てみると、見事な夕焼けだ。一方、頭上は相変わらず雲に覆われ、目を凝らしても星は見えない。こうなったら星空撮影は諦めて、夕陽撮影にチェンジするかと、車に乗り込んだ。
 秋の日ではないが、冬の日もつるべ落としに変わりはない。県道十六号を疾走するPOLOはWRC並みに飛ばした。が、蓑掛岩が見えるころには、すでに陽は水平線の向こう側。とりあえずユウスゲ公園まで行ってはみたが、時すでに遅しである。

金冠山頂上

 翌日は五時過ぎに起床。カーテンを開けると、悔しいことにきれいな星空が広がっている。ただ、もう間もなくすれば陽が顔を出す。

 伊豆の自然や景観を壊すので、縦貫道建設は基本的に反対だったが、E70区間ができあがり、下田から修善寺方面へ至る際、タイトなつづら折りが連続する河津のR414を通らなくて済むようになり、ずいぶんと便利になった。

金冠山を目指し、広い山道を登っていく

 縦貫道を降りて、温泉街から修善寺戸田線へと右折する。標高が上がるにつれ気温が落ちていき、伊豆国際の手前で氷点下を切った。風もかなり強そうだ。
 レストハウスには八時前に到着。車から降りようとノブを引くと、強風でドアが持っていかれそうになった。風速は8m以上ありそうだ。反面、大空を仰げば見事な快晴が広がっている。
 
 まずは金冠山を目指して出発。危惧していた膝痛だが、トレポをうまく使って、加重を低減させると、それほどの痛みは起こらず、これならなんとか回ってこられそうだと一安心。
 樹林帯を抜け、道が開けてきたとき、後方から話声が近づいてきた。
「こんにちは」
 四〇代前半と思しき女性二人組だ。装いはハイキング。ザックもトレランレベルの小さいもので、いかにも身軽そう。だからか歩きも軽快そのもので、追い抜かれるとあっという間に後ろ姿が小さくなっていく。まっ、膝痛持ちの高齢者はマイペースが肝心なのだ。

眼下には戸田の町並み

 金冠山の頂上に着くと、先ほどの彼女二人と、ソロの中年女性が寛いでいた。何気に聞き耳を立てると、皆さん地元の方のようだ。こんな素晴らしい展望を気軽に味わえるなんて、何とも羨ましい。景観はまさにパノラマで、富士山はもちろんのこと、右手には静浦、内浦、淡島が、正面には沼津の市街地が広がり、左手には戸田を手前にして、清水、静岡と遠州灘が望め、その背後には南アルプスの山々までがくっきりと見渡せるゴージャスさである。
 ここで思った。次の星空撮影の候補地は、金冠山がいいのでは。

達磨山を見上げる

 分岐から戸田峠までは舗装路を下っていく。馴染みの西伊豆カイラインの入口を左に見て、再び山道へ入る。ここが伊豆山稜線歩道の北端であり、南端の天城峠までは延々42Kmの道のりだ。
 地味な階段が繰り返し現れ、徐々に標高を上げて行く。右手はずっと駿河湾なので、撮影ポイントは無数にあるが、どこも強風が吹き荒れ、手振れが起きそうだ。小達磨山を越えて、達磨山へ取りつく手前に、数十メートルだけ西伊豆スカイラインの路肩を歩くことになるが、この区間は左右が広く開けているため、強烈な突風が襲いかかってくる。風速は軽く15mを越えるだろう。一瞬だが、よろけてガードロープにつかまること二回。冷や汗をかいた。
 達磨山頂上までは、膝にこたえる階段と強風にさいなまれたが、三百六十度の広がりを見せる頂上からの眺めは息をのむほど。先ほどの金冠山の景観を、ぐぐっと南へ引いてから俯瞰する感じで、大迫力はこの上ないものだ。

達磨山頂上から南を望む

 下山後、膝の具合がどうなるか恐ろしかったが、若干の痛みは残ったものの、翌日には平常に戻った。尤も、平常ということは、治ったわけではない。
 素人の希望的観測だが、月日が流れ、もう少々気温が上がってくる春先になれば、症状は低減してくるのではなかろうか。そのタイミングで改善の兆しが見えなかったら、抜本的に医師へ相談しようと思ってる。