
「明日のファーストツーリング、天気はよさそうだから楽しみですね」
ファーストツーリングとは、モト・ギャルソンで初めてハーレーを購入いただいたお客さんのみが参加できるイベント。常連客がわんさか集まるチャプターツーリングは、特に初心者の方には敷居が高く感じられるではと、大崎社長が考案したのだ。
「今からドキドキしてます」
一か月前に三鷹店でXL883Nを購入いただいたN海さんは、まだうら若いキュートな独身女性。練馬の自宅マンションはバイクの駐車がNGだったので、致し方なく実家に置いていた。しかし乗るたびに東村山の実家へ取りに行かねばならず、不便を感じていた。そんな矢先、うちのバイク預かりサービスがスタートすると、契約者第一号になってくれたのだ。
「さっきやってみたからわかると思うけど、コンテナから出すとき段差があるから気をつけてくださいね。とりあえず明日はツーリングに引率する長野くんに来てもらうよう言ってあるんで」
「よかった、それなら安心です」

そして翌日。
朝食にしようとコーヒーを入れていたら携帯が鳴った。手に取るとのぶちゃんからだ。
「はい、おはよう」
「大変です! コンテナにN海ちゃんのバイクが入ってないんです」
どうしたのだ、メカの二人には伝えていたはずだ。
「一番近い海藤さんへ連絡して、大至急店へ向かってもらってます」
コーヒーだけ飲むと、俺も早々に店へ向かった。
海藤くんが駆け付け、二階からN海ちゃんのXL883Nを降ろすと、バタバタしながらも長野くんが先導して、ツーリングチームを追いかけようとスタートした。
絶対にあってはならない不手際が起きてしまった。
朝礼を延長して、皆で事の顛末を検証すると、俺も含めて、他人任せの風潮が露見した。
誰がN海さんのバイクをコンテナい入れるかを具体的に決めておらず、とりあえずメカ二人に向けて頼んでおいたものの、店のスタッフ全員が「誰かがやってくれただろう」、「入れただろう」という意識でいたことが、このような結果を招いてしまったのだ。いずれにしても、夕礼時に確認をとっていればこんなことは起こらなかったはずだ。幸いなことにファーストツーリングは大成功に終わり、参加者の満足度も高く、N海さんも笑顔で戻ってきてくれた。しかし、この一件から店のほころびと俺自身の去就を意識するようになった。

満六十五歳を迎え、前期高齢者の仲間入りを果たすと、フィールドジャパンを定年退職。同時に嘱託社員としてモト・ギャルソンに再雇用となった。給料は大幅にダウンしたが、本年から年金支給が始まったので実入りは殆ど変わらず、おまけに勤務が週に四日ほどになったことで、生活に対する考え方が徐々に変わって行ったのだ。
そもそも数年前から、生活の比重を意識的に仕事とプライベートをイーブンにしたいという思いがあったが、新たな就業環境は、イーブンからプライベート重視へと一気に押し上げた。
休日はほぼ連休で取っていたので、一泊撮影旅行へ出かけても、写真編集に没頭できる日が丸々一日残る。このような状況下では、様々なプランが次から次へと浮かぶもの。ただ、行動には金がかかるので、やみくもに遠出はできないが、読書や山歩きに割ける時間は、これまでとは比較にならないほど増えた。
遊びばかりに興じているようだが、もちろん仕事は誠意をもって行っている。収益を上げ、お客さんには喜んでもらおうと、日々努力しているつもりだ。しかし、“片手間”という言葉はニュアンス的に好きではないが、どうもこの頃は、プライベートへ趣きが移りつつあり、仕事が片手間に思えてきているのは否めない。
考えてみれば、今の仕事に就いて三十年以上が経っている。俺は前々から大崎社長に言っていた。
「社長、俺は七十になる前に辞めます」
「木代くんが七十か、、、早いもんだね。俺もさ、あと一~二年で会長職に引き下がろうと思っますよ」
最近、社長からこのような黄昏話がよく出るようになった。ずっと脇で社長の仕事を見てきたから、その苦労の大きさはわかっているつもりなので、そろそろ好きなゴルフや、サックスの演奏三昧になってもいいのではと思っていた。入社以来、社長の人柄に惚れて頑張ってきた俺だから、感化されるように人生の最終章へ目が向いてしまうのだ。
府中店には店長職を置かない。形として大崎社長が代行しているが、リーダーシップは取らず、スタッフ各々の良心に委ねているのが実情だ。元々うちは組織ばった運営が苦手であり、“長”の名が付く役職の仕事ぶりを第三者が見れば、びっくりすると思う。府中店は良い意味でも悪い意味でも、自由奔放でいかにも“モト・ギャルソン”と感じる職場の臭いを放っている。反面教師ではないが、HD三鷹は、スタート時点からそれを是正しようと、店長の阿木が孤軍奮闘した。しかし周囲は組織の在り方をあまり理解していないスタッフで固められていたため、歪が生じ、挙句の果てには離職が出たり、はたまた真面目一本である阿木自身が胃潰瘍で倒れるなど、なかなか思うようには行ってない。
そんなほころびが出てきても、いつの間にか俺は他人事のように見るようになっていた。

ある日、社長に呼ばれた。
「三鷹の吉沢がね、バイクの営業をやりたいって店長に相談したらしいんだ」
「いいじゃないですか、前向きで」
“みきちゃん”こと吉沢美紀は、弱冠二十代のシングルマザー。アパレル担当を任されていて、十分な実績を残している。三鷹店では常連さんたちに絶大な人気を誇るアイドル的存在。
「でもバイクを売りだしたらアパレルまで手が回らなくなる」
ハーレーはアパレルの年間仕入れも厳しいノルマを設定してあり、達成できなければホールバックマージンに影響が出る。
「そこでさ、こっちの小田佳奈美と入れ替えにしようと思うんだ」
小田佳奈美、通称“かなちゃん”は、府中店で営業アシスタントをやっている。メイン業務は登録書類の作成だが、たまに経理の仕事もやらされている。童顔で愛想もいいが、売込みをするような押しはなく、おっとりとした性格の持ち主だ。
「じゃ、かなちゃんをアパレル選任に?」
「うん」
「できますかね~」
「彼女に聞いたら、意外や前向きで、一度やってみたいと思ってたそうだ」
そんなわけで早々に人事異動が行われた。
さっそくバイク営業のレクチャーを始めようと、みきちゃんを呼んで色々と話を始めたのだが、やや様子がおかしい。なぜバイクを売りたくなったのかを深堀していくと、意外な真相にぶち当たった。
「三鷹の雰囲気がどうにも合わないから、府中店に行かせてくださいって専務に談判したんです。そしたら翌日に社長が来て、真剣にバイクを売るならのんでもいいって言われたんです」
これには驚いた。何が合わないのかとさらに深堀したら、具体的な名前こそ出さなかったが、一~二名の男性スタッフの言動がどうにも我慢できなかったらしい。彼女はけっこう気が強いのだ。
それにしても三鷹店の職場環境には、いろいろと問題がありそうだ。