
甲州街道を挟んでHD調布の真ん前にあるのが“ロイヤルホスト・味の素スタジアム店”。午後一時過ぎ、テーブルを囲むのは、俺、大崎社長、下山専務の三人。
「冷めちゃうから、先に食べちゃおう」
話があるということで、店長会議終了の後、ここへ来ていた。

鼻っから空気は重かった。げっそりとくる内容なのだろう。美味しそうなハンバーグランチも、味わって食する気にはなれない。
ほとんど会話もなく、黙々と食事が進み、ナプキンで口元を拭く。
「なんです、今回は?」
そう問うと、専務の目線が社長を急かした。
「うん。そろそろね、ドゥカティは若いメンバーに任せて、木代くんはハーレー部門の営業統括をやってもらいたいんだ」
なるほどね。薄々感じていたが、やはり人減らし第一号は収入からして俺になるわけだ。しかし正直言えばハーレーは避けたい。大好きなスポーツバイクと比べ、商品としてのハーレーにはほとんど魅力を感じないのだ。もっとも社長からやれと言われたら従うしかない。断れば首が飛ぶだけだ。ただ、今のモチベーションを維持できるかは微妙である。入社以来、好みのスポーツバイクを扱い、そこへ集まるお客さんと共に切磋琢磨してきたこれまでの日々を、まずは強引な意志により抹消する必要がある。組織に生きるには好きも嫌いもない。これまでが本当にラッキーだったのだ。

「杉並店は今のところで続行ですか?」
「あそこは家賃が高いから無理だな。柳井と奥留は調布へ異動させて、ドゥカティ用に新しい店舗を探しているよ」
「じゃ、大杉とハラシ、坂上でやるわけだ」
「今のドゥカティの売上が半分になってもやっていけそうなところがあればいいが」
重要な案件なので、その後大崎社長は杉並店メンバー一人一人と面接を行った。そこで一つ問題が発覚、ここへきてハラシが会社を辞めたいと言い出したのだ。彼と話をすると、理由はとても明快だった。
「人事評価が不公平で、やる気が萎えました」
「なるほどな」
「だっておかしいでしょ。ハーレーの営業の誰よりも僕の方が台数を売っているのに、まったく評価してくれないんですよ。給料を上げろとまでは言いませんが、せめて全体会議の席上で、『販売台数は二カ月連続で原島くんがトップだね、おめでとう!』くらい言ってくれてもいいんじゃないですか」
張り切りボーイのハラシにとっては、耐えがたいことなのだ。
「これからのことについても聞きました。ドゥカティは今でも大好きですけど、縮小方向にある部門で働く気はありません」
就活は既にひと月前から始めていたようで、米国の医療器具メーカーの日本現地法人に当たりをつけているようだ。給料の少ないバイク業界は外し、あえてノルマの厳しい成果報酬型の企業を目指すとのこと。
ギラリと光るハラシの目を見て羨ましいと思った。まだ若く、猪突猛進な性格をもって、怖いものなしに自分の道を切り開いていく様は、今の俺にはまったく失せたものだ。

難航していたドゥカティの新店舗探しだが、おあつらえ向きなところが見つかった。京王線の桜上水から徒歩数分の甲州街道沿いで、整備作業はショールームで行うしかないという小さな店だが、家賃が安く、ちょっと踏ん張れば利益も出そうだ。名残惜しさは多々あるが、こうして思い出多きモト・ギャルソン杉並店を閉店とし、俺、柳井、奥留の三人はHD調布へ異動、そして大杉店長、坂上メカニックの二人が、新モト・ギャルソン杉並店を始動させることになった。
HD調布では、慣れない職場、慣れない商品と、最初の一カ月はドタバタの繰り返し。武蔵野市本店の頃でもハーレーは扱っていたが、それからずいぶんと月日がたち、エンジンもシャーシも何もかも変わっていたので、商品知識の勉強は殆ど白紙の状態からである。しかもハーレーはオプションパーツが星の数ほどあり、掌握するのは並大抵のことではない。商談の際、すぐに壁にぶつかる。
「ちょっとハンドルを上げたいんだよね」

ドゥカティの商談では絶対にありえない注文だ。ハンドルを上げたいと言っても、ライザーで上げるのか、ハンドルバー自体を交換するのか、それにほとんどの場合、上げた分、ブレーキホースやクラッチケーブル等々の長さが足りなくなり、要交換となることが多い。純正パーツならP&Aブックに
メカニックに聞いても、
「これっすか? どうかな、ノーマルでも行けそうな気もするけど、、、」
この段階では正確な見積もりが立てられず、お客さんへは調べたうえで後日伝えるということになる。面倒くさいことこの上ない。
「木代くん、そんなのはこっちで決めちゃえばいいんだよ。『この純正ハンドルが当店のおすすめで、これならホースとケーブル、工賃込々で十万八千円になります』てな感じでさ」
大崎社長はさも簡単そうに言うが、そんなことは重々分かっている。
実はこっちが懸命におすすめしても、
「やっぱりこっちのメーカーの方がいいな~」
とくることが殆ど。一台売るにも、国産バイクやドゥカティと較べれば十倍の労力と手間がいる。まっ、こんな荒波に揉まれて三カ月も経つ頃には、そこそこの商品知識も身についてくるが、非効率なことには変わりなく、あまりに複雑な注文を押し付けてくると、
「当店では基本的に純正パーツの取付けまでしか行っておりません。お力になれず残念です」
と、正直に伝えるようにしている。実際、半数以上のディーラーが“カスタムは純正パーツまで”としている。ただ、ハーレー部門の高収益率は、こうしたカスタムパーツから得られるところが大きく、ケースバイケースとしているのが現状だ。新車、中古車に関わらず、成約すれば100%に近い確率でカスタムの依頼が入り、車両利益にプラスして10万円から60万円ほどの売り上げが得られるのだ。これはハーレーならではのドでかいメリット。
一か月を過ぎると、仕事もそうだが、スタッフたちの特徴や店内人間模様、そして渦巻く不満等々がだいぶ掌握できるようになってくる。
例えば不透明な人事評価への不満は、ハラシだけが感じていたことではなく、モト・ギャルソンの主流派であるハーレー部門にも同様の不満が渦巻いていたのだ。もちろん不満の原因は多岐にわたり、最も深刻と思われるのは、営業とサービスの確執。杉並店にはなかった問題だけに、目の当たりにしたときは愕然とした。
例えば営業のAくんが在庫車両のFXDLを売ったとしよう。成約から納車までには様々なステップを踏まなければならなく、まずは営業サイドで、お客さんからいただいた住民票をもとに、登録書類(新規登録、中古新規、名義変更等々)を作成する。前述のようにハーレーの場合はカスタムパーツの取付け依頼が多々あるので、パーツの発注も行わねばならない。そして一番大事なのは、成約した車両を整備するために納車整備依頼書を作成し、いち早くメカニックに頼むのだ。そして買っていただいたお客さんの関心事No1は当然“納車日”。
「在庫のFXDLですけど、いつ頃整備上がります?」
と、担当メカに聞くわけだ。すると、
「今色々抱えてるから、やってみないとわからないな」
お客さんに納期を伝えられず、営業マンはほとほと困ってしまう。
「大体でいいんですけど」
「だったら一か月ちょっとって言っといてよ」
「一か月っすか…」
こんなやり取りは日常茶飯事であり、ほとんどの営業スタッフが経験し不満を感じていたのだ。ただし、すべてのメカニックがこのような身もふたもない返答をするわけではない。よく観察するとこの傾向はベテランメカに顕著だった。そしてこの問題を追求していくと、メカニックがどうの、営業マンがどうのではなく、組織には絶対にあってはならない深刻な構造が明らかになってきたのだ。