バイク屋時代 38 MH900e エボリツォーネ

 ドゥカティ関連のトピックスをひとつ。
 二〇〇〇年の元旦に、web注文のみという、これまでにない販売方法と共に全世界へ発表された限定モデル【MH900eエボリツォーネ】。そもそもこのMH900e、一年前のモーターショーで、コンセプトモデルとして出品されたのだが、あまりの反響の大きさにドゥカティが市販化を公言したのだ。

 一般的に車でもバイクでも、コンセプトモデルはデザインの制約なしに作られるので、たいがい“カッコいい”。ところが市販化すると、保安部品やら実用性やらを加味しなければならず、結果、当初のインパクトは消え去り、普通の乗り物と化してしまうことがほとんど。だから世の中はMH900eへ対しても、それほど大きな期待はしていなかった。ところがどっこい、イタリアンデザインここにあり!と言って憚らない、スタイリッシュ且つアートな雰囲気を醸し出すボディーは、モーターショーへ出品された時の形をほとんど崩していなかった。このあっぱれに、ドゥカティへの興味は格段と深まっていったのだ。

「木代さん、ちょっと教えてください」
「どうしました?」
「MH900eをどうしても欲しいんですけど、パソコン持ってない場合はどうすればいいんですか?」
 当時はパソコンを持ってない人もそこそこいた。よってこのようなケースは大いにありえる。すぐにDJへ問い合わせると、MH900eの注文は極めてイレギュラーであり、特設サイトもイタリアで運営していて、今回、現地法人は一切間に入らないので、DJ輸入枠はなく、あくまでも特設サイトと個人ユーザーとのやり取りに終始するらしい。
 その旨を伝えると、
「木代さん、もしパソコンをお持ちなら、僕の代わりに落としてもらえないでしょうか」
 ということは、せっかくの年末年始休みの、しかも元旦の午前九時からスタートるす一斉注文にトライしろってことだ。一瞬考えたが、納車店はうちになるし、一台ご成約だ。当然利益も入る。
 たびたびあることじゃないし…
「一肌脱ぎましょう!」

 言ってしまったので、やらないわけにはいかない。全世界でどれだけMH900eを欲しがっている人がいるのか想像もつかないが、二〇〇〇台という限定数はどう考えてもかなりなバトルになるはず。
 新年を迎えた朝。だるい体に鞭を入れ、ベッドから這い出ると特設サイトを開いた。せっかくの正月なので、とっておきの冷酒をグラスに注いだ。
 時計を見ながらカウントダウン。九時ジャストにマウスをクリック!
 ピーーガーー、ツーーータラ、ツツーーータラ、ピーーガーー、ツーツーーータラと、耳障りな音と共にアクセスを待つ。ところがまるで繋がる気配がない。そう、この時代には光回線どころか、ADSLだってありゃしない。俺のネット環境は、激遅のダイヤルアップである。アクセスが集中しているうえに、遅い回線ではどうにもこうにも歯が立たない。何度トライしたのか忘れてしまったが、繋がったのは、なんと昼飯後の午後三時過ぎである。時給八百円換算で、少なくとも五千円ほどの賃金はいただきたいところだ。
 まっ、とにもかくにも責任は果たしたので、肩の荷は下りた。もし再びこんな機会が巡ってきたなら、たとえ依頼者が常連さんでも、きっぱりお断りである。

 年末年始休みに入る前、本店に集まってくる常連さんの話題はもっぱらMH900eだった。会社経営者のTさんは、知り合いの分も含めて二台注文を入れると言っていたが、他の方々はどうだったのか。ギャルソンを納車店に指定した人はどれほどいるのだろう。楽しみで仕方がない。
 そして年明け早々にDJから届いた納車予定者リストによると、合計八台とまずまず。ただ既納客は四台とやや寂しい。特に外車にありがちだが、愛車を正規店ではなく、個人店でアフターを行っているユーザーは意外に多く、手に入れるためにweb申し込みを行い、その際の納車店を“自宅から近い”という理由で、モト・ギャルソンに指定したと話してくれたお客さんが二人いた。

 待ちに待った入荷第一便は、web申し込みからおおよそ一年後の、二〇〇一年三月末。三台だったが、その内二台は常連のTさん分。彼の話によると、元旦にサイトへアクセスする際、最も効率よく行える手法を使ったとのこと。彼の経営している会社はコンピューターソフトを扱っているから、裏の手でも使ったのだろう。
「部長、ちょっと跨ってみてよ」
 箱出しを終えた大杉くんがニヤついている。
 かなりな前傾姿勢を強いられそうだ。
「つんつんだよ」
 俺の身長は180cm。日本人男性では高い方だ。それなのに両脚のつま先がかろうじて接地している状況。おまけに高いシート高に対してハンドル位置が低く、跨っていると頭に血がのぼりそうだ。Tさんの友人はそれほど背が高くないが、大丈夫だろうか。
 まだまだあった。ドゥカティ車全体に言えることだが、このMH900eも恐ろしくクラッチが硬い。ただせさえきつい前傾で両手に負担がかかるので、クラッチレリーズピストンの交換はもはや必須だ。デザイン重視の設計は大いにウェルカムだが、バックミラーの大きさと位置には首をかしげる。後方がほとんど見えないのだ。これでよく運輸省の認可が取れたもんだ。やはり商品化には幾多の無理があったのだろうが、それでも美しさは格別なものがあり、オーナーの満足度は大きいものに違いない。
「これ、けっこう手直ししないと走りにくいんじゃないの」
「試乗に出かけるのが怖いですよ」
 MH900eに搭載される904ccの空冷デスモエンジンは設計が古く、一九九一年に発売された900SSにも搭載されていた。当然ながら燃料供給装置は現行車やMH900eで使っているFI(電子制御フューエルインジェクション)ではなくキャブレターだ。それが排ガス対策のために、一九九八年からマレリのFIに代わったのだ。
 何を言いたいか…
 904ccの空冷デスモは、元々キャブレターで調整されたエンジンであり、雰囲気の違いは実際に乗り比べてみると明らかである。まずは“味”が違う。MH900eはきついライディングポジションと、味を出し切れていないエンジンが醸し出す、ちぐはぐなところが気になってしまう。これがキャブだったらとついつい考えてしまうのは、俺だけではないはず。
 入荷第一便は二〇〇一年三月末と前述したが、二便は二か月後の五月だった。実はこの入荷時期に大きな意味が含まれている。
 二輪車に対する新たな段階の排ガス規制が二〇〇一年四月から施行され、該当車は継続車検の際に排ガス検査を受けなければならない。
 手に入れたMH900eに“味”を求めたいとなると、最終的にはFIからキャブレターへの交換になると思うが、二便以降に入荷してきたMH900eは、排ガス規制該当となっているので、もしもキャブレターへ交換したなら、そのまま継続車検を通すことはできない。これに対し、一便で入ってきた三台は該当にあたらずなので、キャブレターに交換しても、FIのチューンを行っても、その他の検査項目がOKならば車検は通る。
 このラッキーを利用して、Tさんの友人はミクニのTMRキャブレターに交換。フィーリングの激変に驚いたとのこと。俺も一度試乗させてもらったが、体感パワーだけでも20%以上は向上したように感じた。
 排ガス規制は環境保全という、ゆるぎないお題目に守られているので、今後はさらなる締め付けも考えられるが、四輪車に追従するような厳しい規制を、バイクにも適応させるのはあまりに手厳しすぎると思うし、その前に、バイクの排ガスが世界環境に与える影響を、もっと現実的にシミュレーションしてもらいたいものだ。


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