
「木代く~ん、ちょっといいかな」
振り返ると、社長が事務室の窓越しから手を振っている。営業報告書を作っていたので、まずは忘れないうちに保存ボタンを押す。おっちょこちょいの俺は、せっかく作った資料を上書き保存しなかったために、幾度となく泣いていた。
「はいはい、なんでしょう」
「昨日さ、ドカから電話があってね」
「えっ、ドカって、ドゥカティ?」
「そう」
最近仕入れた情報によると、ドゥカティも遂に日本現地法人“ドゥカティジャパン”を設立したようだ。これまでは新宿にある村山モータースが最大の輸入玄関口で、うちのお客さんがドゥカティを欲しいとなると、業販してもらっていた。つい先月も900SLを仕入れたばかりだ。
「で?」
「やらないかって、販売店を」

とにかくバイクは2ストかマルチだと、俺は若い頃から言い張っていた。トルクの盛り上がりが爆発的な2スト、心拍数を上げるマルチの伸び。刺激的な乗り物の最右翼であり続けるバイクにとって、搭載されるエンジンが生半可なインパクトでは許されない。ところがBUELLを知ってからツインの面白さに目覚めてしまい、自然な成り行きで、ツインスポーツの名門、イタリアのドゥカティへ目が行くようになった。90度L型ツインと独自のバルブ開閉機構“デスモドロミック”(Desmodromic)にこだわり、しかもその性能をレースによって証明し続ける企業姿勢からは、ただならぬ情熱がほとばしる。レースはもちろん、スポーツバイクが大好きな俺にとっては興味津々の対象だ。
きっかけの一つとして挙げられるのが、スーパーバイク世界選手権(SBK)。ドゥカティ851SPを駆るレイモン・ロッシュの活躍には目を見張った。

当時のロードレース世界選手権最上位クラスである、GP500の参戦マシーンを見ると一目瞭然だが、そのほとんどが日本メーカー製なのだ。エディー・ローソンはヤマハYZR500、ワイン・ガードナーはホンダNSR500、そしてスズキはRGVΓ500のケビン・シュワンツ等々である。つまり、速いマシーン、勝てるマシーンは日本製が当たり前の世界だった。そんな中、SBKが市販車ベースのレースとは言え、ホンダのRC30やヤマハOW01等々、強力なモデルが出揃う中、驚くなかれ、イタリアのバイクがトップを激走、チェッカーを受けているではないか。当然だが、ドゥカティというメーカーに興味がわき、製品開発の何たるかが徐々にわかってくると、それまで頑なに信じていた、高性能バイクには必須とされていた様々な要素が、ことごとく崩れていった。
レプリカ時代が始まり、スポーツバイクの高性能化が急速に進んで行く中、どこのメーカーも車体のフレームはクレードルタイプから強度の高いツインチューブへ移行していった。ところがドゥカティは伝統のトレリス型のパイプフレームを採用し続け、絶対強度よりも経験から得た“しなり”を重んじていた。

4サイクルエンジンに於ける高出力化には多気筒化が必須。これに対してもドゥカティは前面投影面積が小さく、冷却効果に優れたL型ツインを堅持した。
他にもある。1994年からカール・フォガティ―が駆り、連戦連勝を誇った916レーサーには、なぜかリアに片持ち型のスイングアームが採用されていた。耐久レースではタイヤ交換をクイックに行えるという利点はあるが、スプリントレースには何のメリットもないはず。ところがどっこい、なんとコーナーで日本製レーサーをことごとく突き放したのだ。コーナリングスピードは、フレーム性能を表すバロメーターとも言われているのに…

俺の愛車はカワサキ・ZXR750。だから米国MUZZYカワサキチームのスコット・ラッセルの大ファンだった。彼とZXR750Rは最高のマッチングで、1993年にSBKへ初挑戦すると、いきなり総合優勝をもぎ取った。続く1994年には、カール・フォガティ―のドゥカティ916と熾烈な優勝争いを展開、結果は二位に甘んじてしまったが、この年のバトルシーンを観ていくうちに、ドゥカティのとんでもない総合力を改めて知ることになり、なによりその美しい車体に魅了されてしまったのだ。

「やりましょう! ドゥカティ」
降って降りてきた願ってもないニュースに、ついつい声が大きくなった。
「木代くんがやりたいって言うなら、ちょっと考えがあるんだ」
その考えとは、これを機にもうすぐ開店から十年が経つモト・ギャルソン本店を閉めて、新たな店をビューエルとドゥカティのみを扱う正規店にするというもので、同時に国産バイクの扱いを完全に終わらせることになる。長らくご愛顧いただいた国産バイクのお客さんには申し訳ないが、二大ツインバイクを扱う正規販売店の話は大きく心を震わせた。
ドゥカティジャパン(DJ)へ返答する前に、本店スタッフへその旨を伝え、ドゥカティビジネスと新しい店の有りようへの同意をうながすと、大杉メカ、柳井メカ、そしてつい一か月前に入社したメカニック見習の坂上くんも、ぜひやってみたいと、前向きな姿勢を見せた。これをもって、正式にドゥカティ正規販売店参入願の申請をDJへ提出したのだ。
構成メンバーは、大杉くん、坂上くんがドゥカティメカニック、柳井くんはビューエルメカニック、俺は店長兼任の営業マンでだ。
そして一週間後、大崎社長が中目黒にオフィスのあるDJへ出向き、本契約並びに規約説明を受けた。
「変なところばっかりHDJの真似してさ、やりにくいし、メリット小さいよ」
本契約の翌日に行われた報告会での社長第一声である。これからの話なのに、社長は不満面だ。
「浮かない顔じゃないですか」
「浮くわけないよ」
取引形態がハーレーと良く似ていて、ハーレーダビッドソン〇〇と同じく、ドゥカティ○○という屋号は、正規ディーラーである“ドゥカティストア”にならないと使えないとのことで、そもそもドゥカティストアは専業店である。もっとも、うちはビューエルとドゥカティの二本柱の店をやりたかったので、それ自体に問題はなかった。ただ、ハーレー店を二店立て続けに出したうちの台所事情は甚だ厳しく、仮にドゥカティストアを立ち上げようとしても、到底無理な話だった。
「ドゥカティなんかさ、ハーレーのようには売れないって」
二言目にはこれが出た。そんなことは俺だってわかってる。が、スタッフに面と向かって言っちゃいけね~よな。うちの社長はこうゆうところが、ほんとわかってない。
仕入れについてもハーレーと同様、ストアでない販売店は、直接DJから卸してもらうのではなく、“親店”経由になり、当然マージンは抜かれる。しかも基本マージンがハーレーより少ないから、ビジネスとしてのうまみがあまりない。ちなみに親店になるのは東久留米にある【Tモータース】。これまで付き合いがまったくないのでちょっと不安だ。
まぁ、大崎社長の胸の内を察すれば、恐らく契約を白紙に戻したいところだろうが、スタッフの新店へ対するモチベーションが上がっている現況を鑑みれば無下にもできず、一縷の望みにかけた苦渋の決断なのだ。よって社長には絶対に迷惑をかけられない。まじめな話、< 失敗 = 玉砕 = 退職 >である。