























五月十一日(日)から三泊四日の日程で行ってきたのは、下北半島の恐山。十五年前に津軽半島の竜飛崎を訪れたとき、陸奥湾を経た対面にある下北半島にも大いに興味をそそられたが、日程の関係でそこまで回る時間的余裕がなく、いつかはゆっくりと訪れたいと思っていた。
白い砂浜に風車、神秘的な宇曽利湖とその背後に鎮座するようにたたずむ大尽山と、これほど霊場感満点なところは他に見当たらないないし、なにより本州最北端の地というSituationは旅心を誘った。
今回は意を決してPOLOで出かけた。自宅からむつ市内にあるホテルまで、距離にして770km、所要時間は十時間半。これほど長い時間にわたり車を運転し続けたのは人生初である。最も痺れたのは、延々と続いた自動車専用道がやっと終わり、一般道へ出て最初の交差点へ入ったとき、“むつ市まで105km”の看板が目に留まったのだ。とどめを刺された思いである。いくら田舎の道といえども、ここからさらに一般道で100km近くを走るのは辛すぎた。まっ、これについては実になさけない理由が影響した。POLOに搭載されたナビ情報が古く、新設された自動車道である天間林道路に乗れなかったため、太平洋側のR338をひたすら走ることになり、大幅に時間を食ってしまったのだ。やはり未知の地ではGoogle mapの併用が必要かもしれない。とほほ…..
まずはシャワーで気分転換後、あまりにも疲れたのでちょっとひと眠り。目覚めると、町へ繰り出すにはちょうどいい頃合いである。腹も減ったし、適当な居酒屋か食事処でもないかとでかけてみた。
さすがに最果ての町である、チェーン系の居酒屋やファミレス等々はいっさい見当たらず、反面、田舎にありがちなスナックやBARが驚くほど乱立している。ところが見まわしても営業しているのは二割にも満たない。日曜なので定休日ということもあるだろうが、とにかく寂れたムードは否めない。数少ない営業中の店から、“居酒屋・遊”の暖簾をくぐってみた。




「いらっしゃいませ」
正面は四脚あるカウンター席。右端には常連客と思しき年配男性が腰を据えていたので、左端の席についた。店員はママひとりのようだ。居酒屋とはうたっているものの、店内はずばりスナック。生ビールをたのんだ後、手作り風のメニューを開くと、やはり普通の居酒屋にありがちな品はほとんどない。
「ソーセージの盛り合わせをください」
当たりはずれのないところをチョイス。この後、右端の客の仲間が二人やってきて、隣は大いに盛り上がる。雰囲気のいいママと予想を裏切るソーセージのうまさで、ビールをお代わり。気がつけば一時間近く長居をしてしまった。
ホテルに戻ってユニットバスに身を沈めると、途端に眠気が襲ってくる。髪の毛も乾かさずにベッドに横になると、そのまま爆睡。朝はあっという間にやってきた。
7時30分。宇曽利湖湖畔の空き地に到着するが、車も人影もなし。ここにPOLOを置いて行っていいものか、悩みながら出発準備を進める。気温は12℃とやや肌寒いので、ひとまずウィンドブレーカーを着込んだ。
登山口へとつながる湖畔の道はミズバショウの大群生地。ブナの緑と相まって、すばらしいプロムナードを作り上げている。ここを歩くだけでも来たかいがあるというもの。そして無数の小さな沢が道を横切り湖へと注いでいるところから、森の貯水量の豊かさが想像できる。
一時間ほどで道は登山道へと代わり、少しづつ標高を上げていく。すぐに体が火照り始め、ウィンドブレーカーはここでお役目終了。少々疲れがたまってきたが、原生林のすばらしさに見入れば足取りも軽い。
T字路に突き当たると、左方向“大尽山”と示す小さな看板があった。そしてここから先が頂上直下になり、急登が待っていたのだ。どこの山へ登っても頂上間近から急登となり、最後は歯を食いしばることになるが、ここは急坂にプラスして登山道に雪が残っていた。慎重に進んでいくと、お次はロープ場である。変化に富んでいて飽きさせないが、大腿筋と右膝はすでに悲鳴寸前である。
最後のひと踏ん張りで頂上へ出ると、360度の絶景が疲れを忘れさせた。大きな岩があり、そこへ立つと宇曽利湖及び恐山が見渡せ、ずいぶんと長い道のりを上がってきたもんだと、感心してしまう。天気が良ければ、津軽半島、はたまた北海道まで見渡せたはずだ。
POLOまでもう少しのところから雨が降り出した。車内で小降りになるまで三十分ほど待機、その後はお目当てだった恐山に向かった。
入山料700円を支払い、順路に沿って歩を進める。溶岩帯を超えると、漂う強い硫化水素の臭いと湖畔の白い砂浜が、異次元世界へと誘ってくる。恐山はその昔、慈覚大師円仁(じかくだいし えんにん)が開いたとされるが、一帯は霊場という場所にふさわしい無二無三の雰囲気を醸し出している故に、おそらく“彼”も圧倒されてニンマリしたに違いない。


疲れた体で一気に東京まで帰るのは、安全運転的にやや問題がありそうなので、途中、気仙沼に宿を取ることにした。せっかく寄るのだから、プチ観光として、日本一のツツジの群生地として知られる、標高711mの“徳仙丈山”へ出かけてみた。山とは言っても、群生地まで車で行けるので、体力云々は心配ご無用だ。ただ、残念なことに開花が遅れていて、見回せばまだほとんどがつぼみ。しかしこれでも景色として十分耐えられるレベルなので、開花のあかつきには、とんでもない光景が広がることだろう。残念だ。
せっかく悠々自適な毎日を送れる立場にいるのだから、旅を楽しみながら見聞を広げていこうと、まずは“広島・桜巡り”からスタートしたが、実際にその土地に立ったうえで歴史や文化を考えてみると、当たり前かもしれないが、リアリティに格段の違いを感じる。
原爆ドームのわきに立ち、破壊された細部を仰ぎ見れば、これまで感じたこともない重い感情が胸に広がった。
気仙沼の街を車で流していると、いたるところに【過去の津波浸水区間ここまで】と書かれた看板を目にするが、岩井崎に到着して何気に“龍の松”を眺めていると、楽しそうに犬を連れて散歩をしている人の背後にも、想像を絶する歴史が張り付いているのではと、ついつい想像してしまう。
動ける範囲内でこれからも様々な土地へと赴き、そこでしか得られないリアリティを、ゆっくりと時間をかけて味わえれば幸いである。
四日間の総走行距離:1,673km