
誰よりも早く出勤し、誰よりも遅くまで店にいる大崎社長。まるで仕事が趣味のように見えるが、実は心底好きな遊びがあった。それはゴルフ。入れ込みようは半端でない。
昨今ではバイク屋の社長でも普通にゴルフを楽しむ時代になった。それを反映し、バイクメーカー販社や損保などが、定期的にゴルフコンペを開催するようになり、販売店同士の中心的な親睦の場となっていた。もちろん大崎社長にとっては、この上ない楽しみであることは言うまでもない。今日はホンダゴルフ会、明後日はスズキゴルフ会、そして来週は商工会議所のゴルフコンペ、てな感じで、日焼けした顔が元に戻ることはなかった。
「木代くんはゴルフできるんだろ。近々にお客さんを交えてのギャルソンコンペをやろうと思ってさ」
“できる”というレベルにはほど遠いが、まあ、なんとか回れる。
「東京海上が支援してくれるってさ」
「場所はどこです?」
「小淵沢」
「うっひょ~~、寒そ~」
11月末の話である。

これがきっかけになり、年に3~4回ほどスタッフ中心のゴルフコンペを行うようになった。レギュラーメンバーは大崎社長、下山専務、江藤さん、メカの柳井くん、そして俺。これに営業の吉岡くんとか、常連さん、そして計理士事務所の方がたまに加わった。
毎年開催される海外社員旅行でも、スタッフコンペは必ず行われた。打つたびに重い土がフェイスにこびりついたグァム、開放感あふれるオワフ等々を思い出す。
社長が好きでやっていることなので、口は挟まないが、スタッフコンペに加えて、ホンダ、スズキ、ヤマハのゴルフ会、商工会議所、ロータリークラブの定例コンペと、これらすべてに参加するのだから、ベストシーズンともなれば、週に1~2日は店を留守にする。
「ははは、やばいね~、今度はカワサキゴルフ会にも誘われたよ」
「うお、この上にですか」
「もう目一杯なんで、カワサキは木代くんに任せた」
おいおいおい、なんだって俺なの?
ゴルフは好きじゃないんだよね。

実は俺、学生時代に地元の“小金井カントリー倶楽部”というゴルフ場でアルバイトキャディーをやっていた経歴がある。勤務スケジュールなどは一切なく、気が向いた時に行けば九割方仕事がもらえるというナイスな職場だった。給与は日給制で、仕事を終えるとその都度支給され、なんと紙幣も硬貨もすべて“新品”。格式の高いゴルフ場だから、客との金銭のやり取りを考慮したのだろう。さらにGooだったのは食事。従業員食堂では定食が120円。学食並みの値段だが味は別格だった。
本物の“田中角栄”や“三波春夫”を目の当たりにしたのもここ。客のほとんどが政財界の著名人なのだ。最も印象に残っているのは、巨人軍の王貞治にあの“一本足打法”を指導した荒川コーチ。背が低く、ちょろちょろと小忙しく動き回る、やたらと元気な人で、それに付け加えて口が達者だった。毎回部下と思しき若い男を二人連れてプレイするのだが、さすが名コーチ。終始「握りがダメだ」、「ちゃんと振りぬけ」、「すでに向きが違う」などと、指導しながらのラウンドになる。さぞかし連れの二人はしんどいだろうと、気の毒になるほどだ。彼らとは二度ほど回った。

ここのバイトを二年間もやると、客とのやり取りが自然と身についた。
「おはようございます! 一日よろしくお願いします」
「おおっ! いいね、今日は学生さんだ」
夏休みなどは週に3~4日ほど働いていたので、色白の自分が驚くほど絶えず日に焼けていた。だからお客さんからすれば、一見、大学のゴルフ部、もしくは研修生だと思ってしまうのだろう。ラウンドが始まると早々に、
「キャディーさん、ここからだったら何番がいいかな」
「そうですね、7番で軽く振ってください。真正面の一本松の左側です」
「OK!」
こんなアドバイスをすると、気分が楽になるのか、その気になるのか、十中八九うまく飛ぶ。
「ナイショォ!! いい感じですねぇ~」
「いや~~、今日は勉強になるなぁ~」
実は俺、ラウンドはおろか、打ちっぱなしにも行ったことがなかった。そう、口八丁手八丁のみでお客さんに対応していたのだ。ただ、半年もこの仕事を続けていれば、クラブの選択くらいならほぼ間違いなく行えるようになっていたし、当然コースのことは隅々まで熟知していた。
「じゃっかん左に傾斜しているんで、カップ一つ分右でお願いします」
「了解!」
なんてね。
カワサキゴルフ会に参加するようになって一年ほどたったころ、突如その事件は起きた。普段からパワー全開の大崎社長が体調不調を口にしたのだ。風邪をひいて熱があっても必ず出社したし、たとえ病院に立ち寄るほどの症状があっても、そのまま休むことなど一度もなかった。
「だるさと関節の痛みがとれないんだよ」
と、電話があり、これから総合病院で検査があるという。
「こっちは大丈夫なんで、しっかり診てもらってください」
その日の午後、再度社長から電話があって、なんと入院する旨を聞かされびっくり仰天。詳しい事情は下山専務から皆へ伝えられた。
病状はリウマチのようだが、検査結果だけでは断定できないという。入院先は杏林大学病院。見舞いは可なので、営業部長の俺とサービス部長の松田さんの二人は、適時運営報告書を持参するようにとのことだった。この時点では1~2週間ほどで退院できるのではと高を括っていたが、なんと入院は二か月以上におよび、大崎社長は最大の楽しみであるゴルフを、相当の間諦めなければならないという最悪の展開になってしまったのだ。