
ハーレー契約騒動の少し前、バイク業界に激震ともいうべき出来事が走った。大型二輪免許の限定解除が、なんと自動車教習所での受講で可能になったのだ。
これまでは全国の運転免許試験場で行われる実技試験に合格する必要があったが、教習所にて12時間の実技カリキュラムを経て、卒業検定に合格すれば、あとは試験場で書換えを行うだけでOKなのだ。購入資金さえあれば、誰でも憧れのオーバーナナハンを手にれることができるのだ。これはTVのニュースや新聞でも大々的に紹介され、各教習所は大型二輪教習コースを設定するための許認可準備におおあらわとなった。
準備内容としては、公安委員会の定めた大型二輪用のコースを新設したり、二輪車運転シミュレーター導入等々であるが、これだけではなく、実際に教習生へ対して要求する運転スキルを身につけさせることができるかどうか、技術をマスターさせた教習生に運転試験場で実技試験を受けさせ、決められた期間内に同じ教習所から一発合格者を10名出すことも条件の一つなのだ。
教習所認定の情報が明らかになるにつれ、入校希望者が動き出した。東京近郊では和光市の“レインボーモータースクルール”が認定一番乗りを果たし、入校手続きをスタート。待ってたかのように入校者が押し寄せ、教習開始が2か月後になるという異例の状況になった。地元では尾久自動車教習所が比較的早く認定が取れたので、さっそくうちの常連客が申込みに行ってみると、現在120名が入校待ちだと告げられ、やはり初回の教習には2か月以上かかるとのことだった。
オーバーナナハンの需要がこれほどまでに高まっていた事実にも驚いたが、ハーレービジネスへトライした大崎社長の判断はまさにタイムリー。あとからわかった話だが、この教習所で大型二輪免許を取得できるようになった背景には、HDJの敏腕社長、奥村氏の働きがあった。ハーレーのラインナップはすべて排気量が750cc以上なので、購入するには中型二輪の限定解除が必要になる。しかし限定解除の実地試験はあまりにも高い壁。これを解決するために奥村氏は米国政府の“外圧”を利用したのだ。まずはハーレー本社へ「免許制度を変更できるなら、売上を今の倍にできる」と進言。これは見逃せないと、ハーレー本社はこの話を米国政府へ伝えると、あれよあれよという間に目論見通りとなり、事実ハーレーはこの免許制度の変更以降、国内4メーカーが総じてぶったまげるほどの快進撃をスタートさせたのだ。ちなみに続くビッグニュース、“二輪車高速道路二人乗り解禁”も、奥村氏の手腕によるものである。

これを機にモト・ギャルソンのスタッフたちも、次々に大型二輪免許を取り始めた。女性営業マンの代々木里佳子(りかさん)は、免許取得と同じころに、注文済みだったBUELL・S1が納車になり、休みになれば箱根や奥多摩へと走りに出かけていた。そんな彼女が、
「部長、みんなでツーリングいきませんか。三波くんや美紀さんも来ますよ」
三波くんとはハーレー要員として新たに採用した元気もりもりの21歳。
「免許取れたらハーレーを買うことになってるんで、インパルス最後のツーリングにしたいそうです。それと梶原さんもぜひ参加したいそうです」
梶原君江さんは、三波くんと同様にハーレー要員として採用が決まっている女性営業マンだが、元々はうちの顧客である。大型免許は取得済みで、やはり入社後はハーレーを購入予定とのこと。山田美紀さんも手に入れたCBR900RRにやっと慣れてきたようだ。ふたを開ければ総勢5名のスタッフが集まっていた。

一方、BUELLの売上は順調に推移し、年度途中にて目的であったハーレーの販売権を獲得、会社一丸となった販売活動が実ったのだ。しかもBUELL販売台数日本一を達成し、“ペガサスアワード”をハーレー本社よりいただいた。全国ディーラーミーティングにて表彰された際には、販売責任者の俺が自らトロフィーを受け取って実にいい気分。面白いもので、雑誌広告にこの賞の詳細を載せると効果てきめん。これまでの広告とは比較にならないほどの大反響を得られたのだ。
そして1998年度限定モデルとして、S1のスープアップバージョン“S1W”が発表されると、BUELLへの注目度は格段に上昇した。日本人は限定というフレーズに弱いと聞くが、日本国内には200台ほどの割り当てしかなく、発表から2週間少々で全国的に完売。しかも単に限定ということだけではなく、エンジンにかなりなレベルで手を加えていたことも人気に拍車をかけた。エンジンは基本的にS1と同じだが、ヘッドをチューニングしたことによって最高出力が91馬力から101馬力へと大幅アップ。黒の結晶塗装を施されたヘッドと、大型化されたフューエルタンクが目を引いた。予想を超える反響にこたえ、およそ半年後にはオールブラック仕様の“S1WB”を追加発表。これも瞬く間に完売になった。


「ハーレーの店舗が決まりそうだよ」
本店の売上はこれまでにない好調を推移していた。BUELLだけでなく、免許制度の改定でリッターバイクの商談もこれまでになく多く、売上アップに貢献。今日の役員会議でも社長は終始満面の笑顔である。
「どこです?」
「YSP調布が閉めるみたいなんだ」
京王線の飛田給駅近くにあるYSP調布とは、イタリアのバイクメーカー“アプリリア”の業販関係で付き合いがあった。
「売上もイマイチのところに、番頭が退職するみたいで、決心がついたようだ」
「YSPならいいじゃないですか、居ぬきで」
「そうなんだよ。HDJに申請中だけど、おそらく今週中にも許可が出るんじゃないかな」
ハーレー専業店を出店するには、いくつかのルールに留意しなければならない。各ディーラーには責任販売エリア、つまりは“縄張り”が決められていて、基本的に他ディーラーがエリア内へ出店することはNGである。だから店を探すにも、他店の縄張りを確認しつつとなるので簡単には進まない。たとえばモト・ギャルソン本店をハーレーディーラーに変更しようとしても却下される。なぜなら田無の新青梅街道沿いにあるハーレーパルコが近いからだ。本店からハーレーパルコまでは直線距離で5km弱。東京郊外の場合は店からおおよそ10km圏内が縄張りなのだ。YSP調布だったら10km弱あるので、このハードルはクリアする。
「それで肝心なスタッフは?」
「店長は武井くん、営業に山田美紀さん、そしてメカはとりあえず吉本くんにやってもらうことにした」
人選の進捗に関しては、前々から話は聞いていた。一度は俺にもどうかと声がかかったが、“ハーレーダビッドソン”というブランドには少なからずの抵抗感があった。バイクが好きで入った会社ではあるが、バイクにも好みがあって、俺はスポーツバイク一途。決してハーレーが嫌いなわけではないが、ハーレーを取り巻く世界に身をおき、販売そしてアフター作りに情熱をかけられるかと問われれば、難しいと言わざるを得ない。
「武井くんが休みの日には、木代くんや江藤くんに順番でフォローしてもらうよ」
「じゃあ、ハーレーの勉強もしなきゃな~」
「そうだね。なにからなにまで国産メーカーとはやり方が違うし、メンバーの三人はHDJが行う研修参加が必須になってるんだ」
ハーレーは教育プログラムがしっかり準備されていて、歴史も含めて徹底的なレクチャーが行われる。特にメカニックは技術プログラムの受講が盛りだくさんで、店の運営にも影響が出そうなほどだ。
「店の名称はハーレーダビッドソン調布ですか?」
この問いには大崎社長から苦笑いが出た。
「厳しいんだよね~HDJは」
“ハーレーダビッドソン〇〇”という屋号は、HDJが定めた業績を一定期間持続したうえで稟議にかけられ、承諾が出れば使えるもの。それまでは正規ディーラーではなく、販売協力店という立場に留まり、LTR調布(レターショップ調布)の屋号を使って、指定される親ディーラーの配下で運営しなければならない。モト・ギャルソンの“親”はハーレーパルコ。車両や部品等々は直接HDJからではなく、ハーレーパルコから仕入れることになる。よってマージンの一部はパルコへ落ちるわけで、想定していた利益には届かず、悔しさと不満を伴う船出になるのだ。
「なんとか頑張って、はやいとこディーラーに昇格したいもんだ」