
バイクが好きで入った職場なので、仕事といえどもバイク関連の新たな情報や知識を得られたときは素直に嬉しかった。当たり前だが、これまでは趣味の範囲であった。車両やメカニズムについての知識は、所有のRZ250やTZR250関連に限られていたし、それも氷山の一角である。
つい先日、勤め先の上司を紹介してくれた常連の高田くんが、所有のSRX400(3NV)をパワーアップしたいとメカニックへ相談を持ちかけた。希望は排気量アップと吸排気のチューンだったので、無難と思われるヨシムラのパーツを中心に組むことを勧めた。排気量アップにはヨシムラ640CCキット、マフラーはヨシムラ・サンパー、キャブはミクニTMRである。問屋へ在庫を問い合わせるとすべてありだったので、入荷並びに作業はスムーズに進んだ。おおよそボルトオンだったこともあり、セッティングを含めて約二週間で仕上がった。

「店長、乗ってくれば」
なにやら含み笑いの大杉くん。
納車前の最終試乗はほとんど俺が行った。排気量なら50ccからリッターまで、エンジン形式は2サイクル、4サイクル、シングル、ツイン、マルチ、おまけに四メーカーの新車・中古車とジャンル問わず。日々様々なモデルの傾向や特徴を経験して行くと、それぞれにはそれぞれの魅力がしっかりあるのだと感心させられた。これが仕事、これで給料がもらえると思うと、改めて嬉しくなった。以前は「やっぱさ、2サイクルだったら250ccツイン、4サイクルだったらマルチだよな~」などとうそぶいていた自分が恥ずかしい。
エンジンをかけた瞬間に別物と気がつく。発進してスロットルを開ければ、ふわっとフロント荷重が抜け、半端ではないトルクに緊張感が走った。いつもは女子大コーナーへ向かうが、青梅街道まで出て、加速がどんなものかを味わいたかった。桃井四丁目を左折。西へ向かう。
スピードの乗りはノーマルSRX400の比ではない。そもそもSRX400はとてもバランスのいいスポーツシングルで、同社シングルのSR400とは方向性が違った。デニーズの沼津インター店に勤めていたころ、アルバイトのKくんが発売直後のSRX400を購入した際、ちょっとだけ貸してもらったことがある。気持ちのいい走りをするなが第一印象ではあったが、パワー不足は否めなかった。
西へ進み、ロイヤルホストの交差点で赤信号待ちをしていると、後方からパンチのきいた排気音が近づいてきた。横に並んだのはシルバーの同じSRX400である。マフラーは最近流行りのスーパートラップで、音だけはさまになっているがその他はノーマルっぽい。やれたライダースを着た彼、しげしげと俺の乗るSRXに視線を這わせている。これはちょっと遊んでやる必要がありそうだ。スロットルをふかすと彼も同じようにふかし、目線を信号に貼り付けた。青に変わった瞬間二人そろって飛び出す。予想はついていたが、二速へ入ったときにはすでに決着はついた。圧倒的である。大トルクで前へと押し出すシングルの加速はあまりに獰猛で、マルチの伸びとはまた違った快感である。いやはや楽しい!!
「面白くなかった?」
「癖になりそう」
大杉くんの含み笑いはこのことだったのだ。
シングルバイクの醍醐味がわかってきた頃、続けざまに興味深い経験をした。
とある日。俺と同世代と思しき男性が来店すると、
「こちらでジレラは買えますか?」
ジレラとはピアジオの傘下にあるイタリアのバイクメーカー。つい最近日本の伊藤忠商事とコラボして、スポーツシングル“ジレラ・サトゥルーノ”と称するニューモデルを発表、設計者が日本人ということで、そこそこ話題には上がっていた。標準モデルのサトゥルーノの上位機種に、マン島TTへ参戦したレーサーサトゥルーノのレプリカモデル“サトゥルーノIOM”があり、これをメインとして売り出したのだ。IOMとはマン島を表した“Isle of Man”の略。前後のサスにチェリアーニやマルゾッキのハイグレード版を採用している。
「大丈夫です、扱えます」

仕入れルートは某並行輸入業者経由で確認済みだった。
この男性客は辰巳さんといって、住まいは善福寺、仕事は建築設計。一見物静かな方だが、バイクの話を始めると熱くなって止まらなくなり、特に海外レースの知識はかなりなもの。どうやらマン島TTがらみでサトゥルーノ350IOMに注目するようになったようだ。
無事に納車が済み、辰巳さんは週末になるとツーリングへ出かけ、日曜の午後にはたいがい店に顔を出してくれた。
「お疲れさん」
「やっと前傾に慣れてきましたよ」
「そりゃよかった」
こうやって話しているときも、走り好きの常連たちは、入り口脇に停めたサトゥルーノを眺めている。シングルレーサー然としたスタイリングはどうしたって目を引く。
「すごく気に入ってるんですけど、もう少しエンジンにメリハリがあればな~」
俺も納車前に乗ってみて、エンジンフィーリングはヤマハに近く、ホンダのGBシリーズのようなパルス感はやや乏しいと思った。
「メリハリ、出せますよ」
工場長の吉本くんがカウンターで車検の整備伝票を作成しながら聞き耳を立てていたのだ。彼の話によると、エンジン自体はいじらずに、レーシングキャブレター(ケイヒン・FCR)への交換と、マフラーの加工で格段に良くなるとのこと。ただし、インテークマニホールドをワンオフで作る必要があるという。
ひと通りの説明を聞くと、
「お願いします」
即断するには難しい作業見積もりだったが、すでに辰巳さんの目はらんらんと輝いていた。
予期せぬ問題が勃発し、セッティングにも予想以上に時間がかかってしまったが、完成したサトゥルーノはこれぞシングルレーサー!と言ってはばからない、素晴らしいフィーリングを発揮した。トルクは体感で二倍近く膨らんだように思えたし、ちょっとうるさいが排気音がたまらなくシングル。FCRに交換してもそれほどパワーバンドは狭くならず、煮詰めたセッティングのおかげで、街中でもフレキシブルな走りを楽しめた。辰巳さんも大いに満足してくれ、「違うバイクみたい!」とそれはそれは喜んでくれた。
この頃からか、これまであまり興味のなかったツインとかシングルのエンジンフィーリングが、やけに気になり始めたのだ。