夏の思い出・葛飾柴又

 十六年前は八月十一日(土)の話である。
 職場は旧盆休みに入り、二日後に出発する<黒部一人旅>の準備に勤しんでいた。着替えなどは適当に旅行バッグへ放り込めばいいが、撮影機材、特にレンズ選び、フィルター類や予備バッテリーの確認は、行った先で絶対に後悔しないよう、慎重に進める必要があった。
 ひと段落すると、おびただしく汗をかいていることに気がつく。機材を保管している二階の部屋にはエアコンがないのだ。冷たいもので一服つけようと居間へ降りていく。
「朝から汗かいた~~」
「夏バテしないよう、おいしいもの食べて精をつけなきゃ」
「そうくると、やっぱり鰻か」
 ここ数年の夏は異常に暑い云々の話をよく耳にするが、十六年前の東京を例に挙げると、八月一か月間の猛暑日(最高気温35℃以上)はそれでも五日あった。もっとも、このブログを書いている八月十日時点で、既に猛暑日は四日も発生しているので、年々夏が過熱してきているのは間違いなさそうだ。
「どうせ鰻を食べるんだったら、観光かねて柴又まで行ってみない」
 腕時計を見るとまだ十一時前。以前話に上がった、葛飾は柴又の老舗“川千屋”まで行ってみようということだ。川千屋は二百五十年の歴史を持つ川魚料理の専門店。一度くらいは味わってみたい。
 この日の最高気温は36.4℃と猛暑日。今なら外出と聞いただけで億劫になるが、やはり当時は夫婦共々若かったのだろう。意気揚々と三鷹駅へ向かった。


 柴又の駅を降りると、目に飛び込んでくるのがフーテンの寅像。厳しい炎天下の下、これじゃ寅さんもさぞかし暑かろう。
 それでも商店街は活気に満ち溢れていた。なるほど、これが下町ムードか。帝釈天へのお参りはさておき、まずはお目当ての川千屋の暖簾を潜った。物静かで清楚な印象を受ける店内は、凛とした空気を感じる。何と言っても冷房のかけ方が絶妙なのだ。これも老舗ならではか。店員が出くる僅かな間に、七十代と思しき老夫婦が入店してきた。それぞれ案内され、席に着く。
「さきに生ビールください」
 喉はもうカラカラである。待つことなくビールが運ばれてきたので、うな重・梅を二つ注文した。
 この柴又というところ。ちょっとした小旅行気分が味わえる。三鷹からだと一時間半弱ほどかかり、乗り換えも二度あるので、結構な距離感を覚える。そして町の印象は明らかに武蔵野市とは異なり、“異国情緒”に満ち溢れる。
「おまたせしました」
 すかさず重箱の蓋を開ける。目の前に現れた鰻、テリがよく何とも旨そうなこと。漬物をかじった後、さっそく箸を入れた。
 と、そのときだ。仲居さんが緊張の趣で近づいてくると、
「すみませんお客様。従業員の手違いで、梅ではなく松をお持ちしてしまったようです」
「そうなんだ。僕らは構いませんが…」
 恐らく、同時に入店した老夫婦の注文したものと取り違えたのだろう。
「お代は梅でやらせていただきますので」
「いいの?」
「もちろんです。すみませんでした」
 うな重・梅二千百円、これが松になると二千九百四十円である。因みに現在の川千屋のお値段を調べたら、梅四千円、松六千円なり。十六年の月日はやはりでかい。
「おいしかったねパパ!」
「ああ、最高だった」

 帝釈天参拝のあとは、これも計画していた甘味の老舗“高木屋老舗”へと向かう。
 店内へ足を踏み入れると、なるほど、フーテンの寅さんのワンシーンを思い出す。焼きだんご、草だんご、磯おとめがそれどれ一本乗った“お団子セット”をクリームソーダでいただく。シンプル且つ懐かしい昭和の味が炸裂した。そしてお土産用にと、忘れずに高木屋老舗名物の“草だんご”を買い求めた。
「賞味期限は本日いっぱいなので、お気をつけください」
 いやはや、今では珍しい添加物“0”の証ではないか。

『わたくし、生まれも育ちも東京葛飾柴又です。帝釈天で産湯を使い、 姓は車、名は寅次郎、人呼んで “フーテンの寅” と発します!』
な~んちゃってね。
いいところだ、柴又は。


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