2023年春 桜・下田~青野川

 三月三十日(木)、三十一日(金)の二日間を使い、毎春の恒例である、伊豆の桜撮影に出かけてきた。今回で三年連続となったが、この季節は天候が不順であることが多く、満開に合わせた休日が撮影に適したコンディションになることは意外や稀なのだ。それに二年前から嘱託社員になったので、給料が下がった分、休日は多く取れるという強みがあり、天候に合わせて取得することも以前ほどは難しくなくなった。

 同じ桜でも、河津桜とソメイヨシノの撮影では、若干だが季節的環境が異なる。今年は暖かくなるのが早いとは言っても、やはり一カ月前ではまだまだ冬の名残を感じるものだ。その点伊豆の山々に白い斑点、つまり山桜が一斉に開花する今頃になると、明らかに緑が鮮やかになり、ファインダーを覗いても嬉しくなるほどコントラストが高くなる。道端には小さな花々が顔を出し、燦燦と降りそそぐ陽光には初夏さえ感じられるのだ。

 三島で早い昼食を取った後、一気に下田まで歩を進めた。下田公園の北側駐車場が空いていたので、まずは開国記念広場へ向かって遊歩道を上がる。あと二か月もすれば周囲はアジサイだらけになり、また違った眺めが広がるのだろう。

 そもそも下田公園は、静岡県下の桜の名所には数えられてない。
 公園自体は標高69mの小高い丘になっていて、周囲に海を見渡せるビューポイントが何か所かあり、下田の市街地が一望できるという好立地なのだ。植えられている桜の本数は少ないが、開花すると、もともと美しい下田公園にそれこそ花を添えてくれる。
 下田城址での撮影が終え、遊歩道を南側へ下ろうとすると、首からカメラを提げた年配男性が正面から上がってきた。
「こんにちは」
「こんにちは。いや~今日は実にいい天気ですね」
 男性は満面の笑顔で近づいてきた。

「失礼ですがご主人、地元の方ですか」
「いいえ、千葉から来ました。二泊三日で南伊豆を観光しようと思って」
「そうですか。私も東京からで、一泊ですが、伊豆の桜を撮りにきているんです」
 互いに話し好きということで、いきなり会話は盛り上がった。

 千葉からやってきたこちらの男性、今は完全に悠々自適の毎日だそうだ。一見、とても溌溂としていて元気いっぱいに見えるが、一年半前に前立腺がんを患い、それが膀胱へ転移し、現在治療中とのこと。幸いなことに制癌剤の副作用が軽く、食欲は殆ど落ちないので、三食きちっと食べて、体力に関しては問題ないと言う。ただ、数年前に軽症だったが、脳梗塞も起こしていて、それからはいつ何時動けない体になるかもしれないと考えるようになり、体力があるうちは、いろいろなところを歩き回ってみようと、月に二度から三度も旅行を楽しんでいるらしい。そして、数年前に奥様が癌で先立たれたことが、今の行動の大きなきっかけになっていると言う。

「明日はね、レンタカーで石廊崎の方へ行ってみようと思うんです」
「へ~、私は弓ヶ浜に宿を取ってるんで、同じく明日は石廊崎の周辺で撮影しようかと考えてるんですよ」
「それじゃまたお会いできるかもしれませんね」
「ほんとですね。お互い気をつけて楽しみましょう」
 志太ヶ浦展望台で大海原を眺めながらおしゃべりは続いた。
 この後、彼は水族館方面へと向かい、私は車へ戻った。
 いつも感じるが、こうした人との出会いは、旅を思い出深くするものだ。
 千葉からやってきた男性。御年七六歳。

 宿泊先は先回も利用した、セルフ形式の宿“らいずや”。スタッフが常駐しない気軽さと、本格的な温泉に惹かれたのだ。伊豆での撮影行にはこれからも利用していきたいと思っている。ただ、セルフなので、夕飯に関しては外食をせねばならず、食べログ等々を使って下田市街から南方面の良さそうな店を探してみたが、土地柄、それほど多くは見つからない。前回は宿泊先からすぐ近くの食事処“斉”で、無難にミックスフライ定食をいただいた。可もなく不可もない味と接客だが、お手軽価格で海鮮ものをといった旨にはちょうどいいかもしれない。同じところはつまらないので、これもらいずやのすぐ近くにあった中華料理の“南京亭”へ行ってみた。

 この店、初めて暖簾をくぐる人だったら、誰でも多少の気おくれを感じると思う。“ザ・昭和”と言わんばかりのレトロな佇まいは、そんじょそこらでお目にかかれるレベルではない。
 意を決して店内に入れば、四〇代と思しきおかみさんが、丁寧なあいさつで迎えてくれた。左端のテーブルに腰かけると、そのすぐ隣がプライベートな部屋になっていて、お子さんであろうか、小学校低学年ほどの男の子がひょこっと顔を出した。
 店は外観だけでなく、中身もウルトラ級の昭和なのだ。
「ラーメンと餃子、それとビールください」

 注文した段階ではそれほど期待はしていなかった。ところが厨房で忙しく動いている恐らくご主人、実に手際がいいのだ。リズムに乗ってテンポよく料理を上げる人は、殆どの場合腕達者。味が悪いことはないはず。
「おまたせしました」
 目の前に置かれたラーメンから、懐かしい香りが漂ってきた。餃子には店で作ったタレが添えられている。さっそくつまんでみると、ニンニクに重点を置いた昔ながらの味が広がった。続いてラーメンを食すると、これまた昭和。子供のころ大好きだった“支那そば”に近い味なのだ。

 久々のヒットである。これから何度も利用するであろうらいずやの近くにあることが、特に嬉しい。次回来店した時は、隣の若い男性がうまそうに食しているチャーハンを注文してみよう。
 ちょっと話はそれるが、今回の撮影行では、新たに手に入れた折りたたみ自転車を車に積んできていた。メーカーはキャプテンスタッグのYG-0229というシングルギアタイプ。価格も三万円+αで手頃だった。

 徒歩では行動範囲を広く取れないし、車を使うとそのスピードから被写体を見逃しがちになる。その点自転車は都合がいい。周囲を観察できるスピードを保ち、徒歩では厳しい広範囲も回ることが可能だ。おまけにどこでも停車できるメリットは大きな強み。
 先ずは昨年と同様に、青野川の河口付近で撮影を行った。昨年と似たような画にならぬよう、今回は午後の遅い時間から被写体探しを始めることにした。

 海辺の町の一日で、もっとも静かな空気が流れる夕暮れ時。曇り空の中にわずかな赤みが溶け込むと、不思議な安堵感を覚え、これこそが旅情なのだろうと、カメラを構えながら納得する。

 翌朝は八時前にチェックアウト。けっこう飲んだ割には体調も悪くない。折り畳み自転車を積み込み出発した。

 最初に向かったのは、何度か訪れたことのある奥石廊崎のユウスゲ公園。三六〇度の眺めはいつもながら壮観だ。薄曇りだったが、珍しく風もなく穏やかで、沖合の漁船も海面を滑るように航行している。ここでも桜が単調な丘に華やかさをプラスしていた。
 しばらく撮影に集中していると、女性のやたらにでかい話声が聞こえてきたので振り向くと、年配夫婦が若い男性と何やらやり取りしながら近づいてきた。
「うわー、すごい!」
「見るの初めて!」
「これなんだ、へー」
 会話の内容から、若い男性がこれからドローンを飛ばすらしいのだ。実際に見るのは始めてなので、俄然興味が湧いてきた。
 シャーとヒューンが混ざり合ったような音を発しながら、想像よりスピーディーで機敏な動きのドローンにびっくり。しかも無線の届く距離もけっこう広く、海へ向かって飛んでいったらと思ったら、今度は急旋回して北側の山の方まで一気に飛んで行く。ドローンの飛行性能には感心するが、これは男性の手慣れた操縦技術によるものも大きいと思う。

 今回、松崎はパスしようと考えていた。ところがR136から見下ろす那賀川の河口に桜が見え始めると、吸い込まれるように港へ向かってハンドルを切っていた。
 河口付近の景観は松崎ならではの素朴な魅力をたたえているが、そこに開花した桜が加われば、一枚の絵にもなりうる色気が湧きたつ。
 桜の名所は数あれど、そこがすべての人に感慨を与えるかと言えば、ちょっと違う。個々の人たちにとって、美しいと感じる桜はそれこそ千差万別。私はこの那賀川河口にひっそりと咲く桜が大好きだ。
 この後に続く、戸田や沼津の観音川も然り。

 いつもと違う桜を撮ろうと懸命になったり、下田公園で出会った男性との盛り上がる会話等々、旅をしながら写真撮影を行うという心躍る楽しみを、久しぶりに味わえた二日間であった。


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