浅間尾根

 午前四時十五分起床。居間に降りるとすぐにTVのスイッチを入れた。
「うわっ!負けてる」
 ワールドカップ第三戦・日本×スペインである。
 ちらりちらりとTVに目をやりながら出かける準備をするから、思うように進まない。忘れ物がでそうで心配だが、試合は後半戦が始まると一気にヒートアップ。逆転を果たしたころには、装備や登山靴等々すべて玄関へ並べ、じっくりと観戦。アディショナルタイム七分が発表されたとき、後ろ髪をひかれつつもTVのスイッチを切り、三鷹駅へと向かった。JR武蔵五日市着七時十五分の電車に間に合わなくなるからだ。
 今回の登山ルートは浅間尾根。その東寄りにそびえる浅間嶺は二度ほど立った経験があるが、浅間嶺から西側は未体験ゾーン。歩きやすい季節だし、当日の天気予報もまずますだったので、これはチャンスと出かけることにしたのだ。三鷹駅に着くとさっそくYaHooニュースを確認。『勝ち』を知ると気分スッキリ。

 武蔵五日市駅前の数馬行バス乗り場には、どこから湧いて出てきたのか、十名ほどのハイカーが列に混ざり並んでいる。五日市線車内には一人も見かけなかったのに。
 全員乗り込むと、シートのほぼ八割が埋まった。途中、小学生やら中学生が通学のために十数人乗り込んできて一時満車状態となったが、払沢の滝停留所で彼らは全員降りた。車窓から中学校が見えたので、おそらく小学校も近くにあるのだろう。バスはここでUターン、南秋川へと入っていく。

 ハイカーはまだ誰一人降車していない。いったいどこへ行くのだろう。まさかみんな私と同じ“浅間尾根登山口”なのか。そんなどうでもいいことを考えていると、年配八人組(座席はバラバラだったがグループ)が柏木野で降りた。こんな辺鄙な場所からどこへ行くのだろうと、地図を取り出し広げてみると、生籐山へ至る登山口があるではないか。すっかりガラガラになった車内には、私も含めて男性ハイカーが五人が残った。

 武蔵五日市を出発して約一時間。浅間尾根登山口に降り立ったのは私一人。後の四人はまだ乗っている。靴ひもを締めなおし、秋川を渡って登山口へ向かう。

 山道は整備されていたが、落ち葉の量が物凄い。おまけに濡れているので非常に滑りやすい。ちょっと油断するとズルッとくるから、下りだったら厄介だ。
 数馬分岐からは快適な尾根道に変わった。巨岩である“猿石”を通過しても快適な道は続き、北側の山々がよく見えた。こんな素晴らしいルートならもっと早く来るべきだったと感心する。ところがこの先に問題が待ち受けていたのである。

 おそらくだが、一本松は抜けていたのであろう。地図によればこの快適な道はずっと続くはずだった。細くなった尾根を上がっていくと注意書きが目に留まる。ひどく汚れていて読みにくかったが、橋が崩落していているので迂回しろとの内容だ。先を見渡すと、それらしき崩落跡があったが、その右わきには先に進める道らしきものも見える。あとは杉が伐採された急坂だけだ。“それらしき道”は目の前の急坂に対する巻き道と判断し、とりあえずそこを選んだ。ところが徐々に踏み跡が少なくなり完全に道は消えてしまう。この時、迂回路は急坂の尾根だったのだと思い返したが、戻るのは面倒なので、やや危険を伴うものの、右急斜面を枝や幹をつかみながら這い上がることにした。
 なんとか尾根道らしきところまで出ると、
「おおっ」

 絶景が待ち受けていたではないか。何枚か写真を撮ったのち、まだ続く上り坂を、踏み跡を確認しながら慎重に歩を進めた。今から思えば、これが大ミスだったような気がする。方向的には人里峠のある南東へ進んでいたが、実際には南東よりさらに南寄りだったのだ。そしてついに恐ろしいほどの急斜面の下降に出くわした。ここにも濡れた落ち葉が絨毯のごとく積もりに積もっている。それでもわずかだが踏み跡は確認できたので、正規のルートと信じ、腰を落とし、つま先を横に向け、且つ木々の幹や枝をつかみながら、少しづつ少しづつ下って行った。
 どのくらい時間を要しただろう、前方に整地された林道らしきものが見えてくると同時に斜面が緩やかになってきた。一山超えたとはこんな感じか。
「おっ!なんだ、あれは」
 突然、林道の向こう側の斜面から黒くて大きな動物が飛び出てきた。一瞬熊か?!と縮み上がったが、目を凝らせば、な、なんとニホンカモシカである。普通のシカは幾度も遭遇したことがあるが、カモシカは初めて。抜き足差し足で距離を詰めシャッターを切る。さらに足を延ばした途端にスッと踵を返されたが、何とか一枚だけ撮ることができた。
 それにしても完全に道に迷ったようだ。林道まで下りてきて眼下に目をやると、そこは集落になっていた。かなり標高が落ちた証だ。そりゃそうである、あれだけの急坂を時間をかけて下ってきたのだから。

 さておき、道標をはじめ、踏み跡など、先を示すものを探すことにした。林道を挟んで下っていく踏み跡があったので、とりあえずそこを進んでみた。ところが急に竹林に突き当たり、竹の合間には民家の屋根が見え、道は終わった。仕方がないので、再び来た道を戻り、今度は集落へと下った。誰かに現在位置を聞くしかやりようがない。
 二つ目の民家の庭先を通り過ぎようとしたら、年配男性が何やら作業中。声をかけてみた。
「すいません。道に迷ったみたいなんですよ」
「あらあら。つい一週間ほど前もね、道に迷ったっていう六名の女性グループがきましたよ」
 ご主人に地図を見せ、ここがどこなのか聞いてみた。しばらく目を細めて地図を凝視していたご主人が、
「ほら、ここに人里って記してあるでしょ。ここはね、バス停があるんです。うちの前の道を下って檜原街道に出ると右角が西川橋のバス停で、逆にそこから左へしばらく歩くとこの人里ですよ」
 なるほど。目の前の川は秋川の支流なんだ。ということは地図にはない、ほとんど獣道のようなところを下ってきたことになる。一つ間違えれば遭難ってことにもなりかねない。
「どうもありがとうございます。助かりました」
「バスが来るの、待っても一時間くらいかな」
 再度お礼を言ってから下りだした。それにしても恐ろしいことだ。他にも道に迷った人たちがいたという事実が。何度思いここしても、どこでどうしてミスを犯したのかがわからなく、なんだかキツネにつつまれたようである。
 てなことを考えながら歩いていると、檜原街道へ出た。十分もたっていない。確かに右角がバス停になっていて、時刻表を見ると十一時五十九分に武蔵五日市行きがある。腕時計は十一時二十分過ぎを示していたから三十分ちょっと待てば楽して帰路につけるってことだ。
 ところが今日の私はがぜん体調がよかった。若干の股関節痛は残っていたが、気になるほどではなく、むしろこうして山行が中断されたことが悔しくてたまらない。もう一度地図を広げてつぶさに見ると、人里バス停から北に向かって、浅間尾根の人里峠へ通ずる山道が記してあるではないか。再び尾根まで登り直ししなければならないが、余力はある。これまでの私では考えつかない判断だが、気持ちがいけそうと言っているなら、素直に従った方が面白い。

 日に二度目。「0」からの登山の始まりである。急坂を延々と下ってきた疲れが大腿筋に出た。ペースが落ち、立ち休みの頻度も高まるが、不思議と気持ちは萎えてこない。あわよく浅間嶺へ十三時までに到着すれば、昼飯も取れ、日が落ちる前に本宿へたどり着ける。
 やっとのことで尾根にでると、道標が立っていて、浅間嶺を示していた。至極当然のことだが、それが何とも嬉しく感じた。
 北側の山々の斜面には午後の斜光による影ができて、一味違った景観を楽しめた。そして最後の小山を超えると、浅間嶺展望台への道標が現れる。木の階段を昇りつめ、ベンチにどさっと座り込んだ。見回せば人気のビューポイントなのに、いるのは私一人だけ。ここからゴールまではよく知った道だから、焦らずゆっくりと昼ごはんにありつける。お湯が沸くと、カレーメシとインスタントコーヒーに注いだ。


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