人生の正弦波

 五月二十七日(金)の読売新聞朝刊に、タレント高田純次の『幸福論』なるものが対談形式で掲載されていた。高田さんは私より七つ年上なので、同世代とはやや言い難いが、古希を過ぎた諸先輩方々が語る幸福論については大いに興味があるところだ。しかも私は以前から“テキトー男”をキャラとしている高田さんのファンであり、その素振りや振る舞いは何とも洒落ていて魅力的なのだ。

―好きな作家の新刊が出る時も、ちょっと幸せを感じますね。一週間に十冊くらい読むけど、最近は本を開くと、すぐ寝ちゃう。それもあれだね、幸せだから眠っちゃうんだろうね。

 幸せってのは、こんな日常に転がっているきわめて普通のことなのかもしれない。そもそも幸せという言葉は抽象的であり、捉え方は人それぞれ。高田さんの幸せは直感的且つ飾らないもので、大いに頷ける。
 ちなみに、コトバンクで“幸せ”を調べてみると、
 ①運がよいこと。また、そのさま。幸福。幸運。
 ②その人にとって望ましいこと。不満がないこと。また、そのさま。幸福。幸い。
 ③めぐり合わせ。運命。
 等々の記載があったが、やはり確固たる定義付けが容易くないことが伺える。ただ、②の“その人にとって望ましいこと”のくだりは最も幸せについて上手に表現していると思う。

 ◆人を幸せにしたいと思うことは?

―結局、幸せについて他人がどう感じるかわからない。だから、どうすれば幸せにできるのか、こちらもわからない。

 真理だ。人を幸せにしようとした行為が、知らず知らずのうちに真逆の結果を生み出していることだってあるのだ。
 大学卒業間近だったころ、生まれて此の方一度も彼女ができたことがない友人に、知り合いの女子大生を紹介した。うまい具合に意気投合したようで安心していたら、半年ほどたったある日、その友人から電話があった。最初からトーンが低かったので、さてはと思ったが、案の定つい最近彼女と別れてしまい、したたかに落ち込んでいると言う。理由を聞いても「いろいろね……」の繰り返しだったが、そのうちぽつりぽつりとしゃべり始めた。
 交際三か月ほどで体の関係まで進展し、それこそ幸せの絶頂をを迎えていた。ところが彼は極度の早漏だった。そもそも童貞だったから、最初はしょうがないと楽観していたが、それからなんべん体を重ねても挿入後数秒でイってしまい、気がつくと二人の間には微妙な空気が流れ始めてきたとのこと。最愛の彼女に満足を与えられない事実、そして男としての自信喪失が大きなプレッシャーとなり、もともとまじめな性格だった故に、考えた挙句、自ら身を引いたとのこと。この結果のせいだけではないと思いたいが、彼の良縁は四十代後半まで訪れなかった。

 ◆未来に望むことは?

―もう長いスパンでは物事を考えなくなりました。明日への希望……、うーん、「ロケで雨が降らなきゃいい」。それくらい。あとは、朝、目が覚めること。それは原点だと思う。寝たまま目覚めなかったら自分も気づかないから、それはそれでいいかもしれないけどね。

 自分の年齢や立場を考えると、この“長いスパンでは物事を考えなくなった”のくだりは、目が覚めるほどの気付きを与えてくれた。悲しいかな、人生この先それほど長くはないから、腰を据えて大きな目標をじっくりと狙っていくのは現実的に無理がある。頑張りはちょっとだけ。あとは楽して目先の先ほどの目標へ向かってゆっくりとやっていくのが一番。

 ◆幸せになりたいと思う人にアドバイスを

―漠然とした大きな全体を見ないで、部分部分を見て、感じ取るといいんじゃないかなあ。この高田の幸福論の記事を見つけたことも幸せと思わないと。「ほら、こんな人もいるんだ」って。話の内容はともかくね。

 小さな満足の積み重ねができれば、自ずと幸せ気分に包まれると思う。一発大きな満足を得られたとしても、意外や余韻は短いものだ。

 ◆座右の銘は?

―以前は「大器晩成」。無能な者を慰める、唯一の言葉。その言葉にずーっとすがってきました。今は「禍福はあざなえる縄のごとし」。幸せと不幸せは交互にやってくる。片方ばかりは続かない。結局、人生はバランス。

 六十七年と七カ月の人生から学び取った“人生の正弦波”。落ち込み始めると、底なしのように悪い方へと進んで行くが、少しでも快方が見えてくると、スイッチする如く身も心も頑強になっていき、これまでのことは何だったのかと思うほど上向いてくる。そしてちょっとした隙や油断をきっかけに、再び奈落の底へと落ちていく。人生はこの繰り返しに他ならない。


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