若い頃・デニーズ時代 56

休暇中は何とか気分を落ち着けようと、本を読んだりビデオを借りてきたりと色々工夫を試みたが、残念ながら事件の顛末や今後のことが日がな一日頭の中で回り続けた。
一時転職も考えたが、デニーズの仕事が嫌になったわけではないのでこれは除外。但、以前から感じていたDMを始めとする営業部に対する不信感はいかんともしがたく、モチベーションは落ちる一方だった。
高田馬場店へ赴任までは、< 異動 = チャレンジ >と捉え、不安よりは未知への期待感が上回り、闘志すら湧き出すこともあったが、悲しいかな今は少しもやる気が出てこない。

「あんた大丈夫なの。そんな怖い人たちが出入りする職場なんて」

これまで仕事には一切口出しをしなかった母親が、青タンだらけの顔を見てからというもの、< 会社辞めたらどうなの >を連発している。

「大丈夫だって。異動が決まったからさ」
「そっちの店にもいるかもしれないじゃない、変な人たち」
「それ言ったらきりないよ」

ところが、暴力団が係る事件は頻発していた。
高田馬場店の前任UMで、現在は吉祥寺店UMである利尻さんが大変なことになっていたのだ。
ある日のディナータイム。酔っぱらったやくざっぽい男が満席のフロントで、「遅い!」、「冷たい!」、「不味い!」とわけの分からないことをまくしたて、周囲のお客さんに対して迷惑以上の危険を感じた利尻UMがテーブルへ急行、何とか静かにしてくれないかと、両手をテーブルに着いたその瞬間、男が食事に使っていたステーキナイフをいきなり利尻UMの手の甲に突き刺したのだ。
このニュースはショックだった。やくざが一般人と根本的に違うところは、何をするか予測がつかないところ。これは正直恐い。久瀬一郎の時も、まさかマンションの3階から落とそうとするなど夢にも思わなかったし、何とか逃げられたから良かったが、本当に落とされたら恐らく命はなかっただろう。
今回で学んだことは、やくざやわけの分からない輩に対しては、とにかく慎重に接することだ。

怪我の痛みも消え、青タンも徐々に薄くなってくると、新天地である小金井南店へ目が向きだした。
小金井南店は甲州街道のバイパスとも言われる東八道路に面していて、東へ500mも行くと、運転免許証の更新で知られる府中運転免許試験場があり、道路を渡った向かい側は広大な敷地を有する都立多磨霊園になる。よってお彼岸になれば朝から大勢の墓参り客が押し寄せ、多摩地区屈指の日販を叩き出すのだ。
年商規模は近隣の調布店とほぼ同等だったが、店の特徴として常連さんにタクシーの運転手が多く、その関係もあってかモーニングの売上はかなり以前より地区トップを維持している。
高田馬場店で残務処理と引継ぎを済ませた日、午後から小金井南店へと向かった。

「中ノ森さん、色々迷惑かけちゃってすみませんでした」
「なに言ってんの、小金井南へ行っても頑張ってくださいよ」

少々ガラッパチなところもある中ノ森さんだが、実はとても優しい人なのだ。
売上規模が高く、慣れない高田馬場店のオペレーションを幾度となく支えてくれた彼には、心の底から感謝しているし、いつかどこかでまた一緒に仕事ができれば最高だろう。

小金井南店へは午後3時過ぎに到着。ちょうどアイドルタイムとなった店内は、3組ほどの入客だけでひっそりとしていた。生真面目そうなBHが窓ふきに精を出している。
小金井北店と同タイプの106型店舗はストレートにアメリカをイメージさせるデザインで、競合他社の店舗と比較すればユニークこの上ない。店内はオレンジを基調色とした明るくアットホームな雰囲気を醸し出し、堅苦しいイメージがないところが好ましい。

「おはようございます。木代さん、ですよね」
「はい、そうですよ。これからよろしくお願いしますね」
「マネージャーを呼んできますので、そちらでお待ちください」

身長は150cmに満たない小柄なMDだが、目がクリっとしていて笑顔が抜群にいい。
言葉遣いもはきはきしていているところから、相当なベテランと見た。彼女目当ての馴染み客は多い筈だ。

「お疲れさん」
「久しぶりだね」

鼻が高く銀縁メガネが良く似合う現UMの北村は、同期入社組だ。これまでの実績を買われて、つい先日、全店売上第2位にのし上がった世田谷区の千歳船橋店UMに抜擢されたのだ。そう、彼と私はまさに正反対の立場となったわけである。
初の失脚、都落ちと言うところか、正直、北村の奴がやけに光って見え、自分が情けなくてしょうがない。
しかし、落ち着いて考えれば、やはり自分のレベルで高田馬場店の運営は無理があったように思う。
余裕のなさは日々自覚していたから、あのような事件が勃発すると他のことにはまったく目が行かなくなってしまう。もともとふたつのことを同時にやれないたちなので、身の丈に合った売上レベルの店で丁寧な仕事を進める方が合っているのかもしれない。自分に正直に生きなければ、またどこかでつまづくだけだ。

「先ずは栄転おめでとう」
「からかうなよ」

むむ?! 意外や目が真剣。

「木代だって分かってるだろ。俺たちはさ、パッチか捨て駒ってところだ。とにかくいいように使われてんだよ」

北村からこんな話が飛び出てくるとは驚きである。

「けっこう言うね。もっとあっち側のやつかと思ってたよ」
「最初は皆そうだろう。だけど次第に化けの皮が剥がれてきたってことさ」
「かもな。同期生の離職率だって惨憺たるものだ」
「早めに見切った連中は先見の目があったのかもしれないぜ」

日頃から感じていたもやもやは、自分だけではなかったようだ。それにしても営業部からうけのいい北村が何かしらの鬱憤を抱えていたのには驚いた。DMとのやり取りが苦手な自分と違って、はたから見ても彼は上手に営業部の面々とコミュニケーションをとっていたように思っていたからだ。

「そもそも俺たちってさ、つぶしがきかないよな」
「言えてる。頭ん中はうちだけで使えるマニュアルだけだからな」

入社以来、馬車馬の如く突っ走り続け、それ相応の社内経験は積んできたが、一社会人として客観的に己を見つめれば、何とも薄っぺらい男しか見えてこない。

「だけど、続けるんだろ、この仕事」
「わからん。でも嫌いじゃないからな」

これも私と同じようだ。担当職の頃から仕事自体が嫌だと思ったことはない。寧ろ、デニーズの仕事は好きだったからこれまで頑張れたのだと思う。
引継ぎは大凡1時間で終了。やはりモーニングからランチにかけての売り上げ比重が高いとのことで、それについての人員配置やらデイリー発注についての説明が中心だった。
北村がしっかりと管理してきたおかげで、アルバイトの充足度は完璧と言って良いもの。特にデイタイムには2年越えのベテランMDが3名いて、更に独身の若いフリーのMDが2名いるゴージャスぶり。しかもフリーだからディナータイムや週末のシフトにも組み込める。先ほどの小柄なMDがその1人で、名前は曽我美智恵。キャリアは3年目に入るベテランで、北村に言わせれば、彼女は最も頼りになるアルバイトだそうだ。
そしてこの翌日から小金井南店での生活が始まった。
先ずは通勤が楽になったことで気持ちにゆとりが出た。高田馬場店まで車で行けば最低1時間弱はかかるが、小金井南店ならその半分以下である。しかも距離が短いから、渋滞ポイントを把握しやすく、出勤時刻にムラが出ないというメリットもある。

「おはようございます。つい三日前にAMに昇格した長岡です」
「あっ、君が、そりゃおめでとう。今日からよろしくお願いね」
「ました!」

長岡はUMITからここでやっているので、店の内情には詳しいだろう。

「そうだ、マネージャー」
「ん?」
「午後に海田DMが寄るそうです」
「わかった」

急に頭が痛くなったきた。ただでさえDMは苦手なのに、あの“有名な”海田さんが上司になるとは、、、
まっ、会社組織、上司は選べない。それより早いとこ事件のことは忘れて、新しい職場に慣れなければ。


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