若い頃・デニーズ時代 50

ついに高田馬場店での生活が始まった。
道半ばで去らねばならなかった立川錦町店には多少の未練が残ったが、やはり激流のような高田馬場店に飛び込み、溺れまいと必死にもがいていれば、未練に浸る暇などあるはずもない。
予想したとおり、 年商4億店の迫力は桁外れだった。
平日でも朝は8時過ぎから来客に加速が付きだし、12時になった瞬間、ウェイティングが始まる。
ランチ客の半数は大正製薬の社員のようで、12時になると同時に、隣の本社ビルや上階のオフィスから一気に駆け込んでくるのだ。
よって強いピークは13時までだが、その後も14時過ぎまで勢いは止まらない。もちろん午後のアイドルタイムはあるが、17時を過ぎる頃からぽつりぽつりと来客が増えだし、19時になればほぼ満席になる。しかし驚くのはここから。この状態は日付が変わっても衰えることがなく、なんだかんだで落ち着きを見せるのは2時を過ぎてからなのだ。
恐らくこれは都心店特有の入客パーターンと思われる。
更には郊外店と比較して客単価が1,000円前後と高く、平日でも日に1,000人の来店客数があるので、一日の売り上げ金額は絶えず100万円前後をキープする。これが週末になると140~150万円とボリュームアップ。こうしてトータルすると年間売り上げは4億円に到達するわけだ。

どの時間帯もこれまでに経験したことのないレベルの入客があり、最初は戸惑った。
特に著しいのはランチ。先ほども述べたが、12時~13時の集中度が物凄い。よってスピードある確実なディッシュアップは必須で、滞れば売り上げが伸びないどころかクレームの嵐となる。
デニーズの調理は基本的にツーオーダーだが、馬鹿正直に準じていては高田馬場のランチをクリアすることは難しい。多く出るBランチ等はある程度の作り置きをしているが、回転が頗る良いので、作り置きだからと言って、冷えたり乾燥したりする心配は無用だ。
それにしても随時10枚以上並ぶチェックの壁は壮観。更にはオーダーホイールにも待ちのチェックが掛かっているのだ。12時と同時に一気に満席になるので、MDも受け持ちステーションのオーダーをすべて取ってからでないとキッチンへ行くことができない。だからチェックはまとめて入ることになり、キッチンは一瞬のうちに戦場と化すのだ。

「いくよー! 先ずはBラン10出して、次はチーズサンド2とコンボ2、そのあとカレー3にミート2、グリーンサラダ4は急ぎだよ」
「Bランのソテー、あと20いいですか」
「OK、いって!」

普通の店ではありえないオーダーの入り方である。しかしさすがに高田馬場のキッチンメンバーは慣れている。決して慌てないし、LCの横田の指示は冷静且つ的確だ。瞬く間にディッシュアップカウンターはプレートでぎっしりとなる。そしてここからも鮮やか。殆どのMDが左手に9プレ3枚とライス1枚、そして右手にライス2枚を同時に持てるので、2名配置されている各ステーションのMDが4往復もする頃には、ほぼすべてののテーブルで食事が始まっているのだ。これはお見事。
適正人員の管理がきちっとなされていること、そしてベテランスタッフが絶妙な割合で配置されていることが、この生産性の高さを維持しているのだ。
正直なところ、高田馬場への異動が決まってからというもの、不安ばかりが膨らんでいたが、実際に自ら運営してみると、いやはやどうして、諸先輩方が築き上げた基盤は実にしっかりしたもので、何をやるにもレールが敷かれており、安堵感どころか物足りなさも感じるほどなのだ。
しかしこれだけ完成度の高いオペレーションを崩さずに継続していくのは並大抵のことではないように思う。果たして自分にそれほどの運営能力があるのかどうか、また違った面での不安も出始めている。

「短い間でしたけど、お世話になりました」
「いやいや、こちらこそ。それより新しい勤め先で頑張ってな」

ちょっと疲れたような面持ちで現れたのは、このたび一身上の都合で退職することになったUMITの磯野くんだ。
彼とは2週間ほどしかいっしょに仕事をしていないが、昨今の若手社員の特徴が顕著に出ていて、例えば残業に関してはあからさまに避けたい態度を見せたり、休日は権利とばかりの発言も一度や二度ではない。
もちろん残業や休日出勤は避けなければならない基本的なことだが、残念ながら猛烈サラリーマンの名残が残る当時の世相からすれば、“使いづらい奴”といった印象が真っ先に出ていた。

「全然違う仕事なんで、一から出直しって感じですよ」
「それの方が逆に気が楽かもな」

実は親会社のヨーカ堂労組の指導により、我社にも労働組合を創設する運びとなった。もちろん時代の要求ではあるが、それに加えて“あの事件”も大きく影響しているに間違いない。
埼玉エリアでUMをやっていた同期入社のA氏が、なんと自宅で突然死に見舞われたのだ。噂によれば、A氏は優秀なだけに連続する新店オープンに駆り出され、2カ月の間、殆ど店に張り付いていたようだ。そしてやっと休みが取れて自宅で静養していたところ、眠るように亡くなっているA氏を奥様が発見したらしい。
労災事件には発展しなかったが、イトーヨーカ堂グループ会長・伊藤雅俊の逆鱗に触れ、デニーズの労働環境が徹底的に調査された。
慢性的な残業、休日出勤、通し勤務等々、これまで当たり前としてきた悪習にメスが入ったことは言うまでもない。
A氏ご夫婦には気の毒だったが、この一件で急速に労働環境見直しの動きが出てきたのだ。
労組のメンバーとして先ずはUMから若干名が選ばれることになり、UM以下が組合員、DM以上が非組合員となった。私見としてこの割り方は根本的に間違いだと思っている。労働環境を少しでも良くしたいという意志が会社にあれば、DMまでを組合員としたはずだ。社員一人一人の声を吸い上げ、それを上層部へ伝える役目はDM以外にできるはずもない。
労環改革の第一段階としては、それまで一律だった社員の取り扱いを、全国津々浦々まで異動OKの“ナショナル社員”と、住居から通える範囲内での異動のみとする“ローカル社員”の二通りに分けることが決まった。もちろんこれは個々の希望を優先したものだ。
ローカル社員になれば昇給昇格面で不利になってしまうが、家族持ちで転勤が難しい場合や、単身赴任NG等々の社員には受け入れられると思う。
一方、ナショナル社員は出世昇給第一、将来は幹部を目指すといった猛者にうってつけだ。
その他、リクレーション等も開催された。
パートアルバイトを含めて数店のスタッフが一堂に集まり、バーベキュー等々を楽しんだりと、エリアの親睦を図る試みである。
私も一度だけだが、東京サマーランドで開催したバーベキューパーティーに参加したことがある。

「これから店長、大変じゃないですか。僕の後釜は確か成りたてのUMITですってね」

そうなのだ。これは少々頭が痛い。
高田馬場店で一通りの業務ができるマネージャーが1名欠ける代わりに、新人UMIT2名を押し込まれたのだからたまらない。新人というだけで負担が大きいのに、DMの説明によれば、両人共々30歳代の水商売上がりだそうだ。どう考えても一癖二癖はあるだろう。

「大丈夫! 俺がビシビシやりますよぉ~」

中ノ森さんの発言は心強いが、果たしてこれからどうなることやら。


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