花粉は辛いが、日々春めいた陽気を感じるようになると、気持ちは西の方角、そう、奥多摩の山々へと向かい始める。
森の生気を感じながら汗をかくのは実に心地の良いもので、山行はシンドイと分かっていても、それを上回る快感が全てをプラス思考へと導いてくれる。
先日TVのスイッチを入れたら、アコンカグア登頂を断念した三浦雄一郎氏が出演していて、<登山は一番の老化防止>と語っていた。これは大いに頷ける。
嵌ってしまえば、足腰の力、バランス感覚、判断力等々、全ての人々が加齢で失っていくものを補えるからだ。
目的が老化防止だけだったら続けるのは難しいかもしれない。しかし山の魅力を少しでも感じることができ、また歩いてみたいと思うようになったらGoo。楽しみながら体はどんどんと強化されていく筈だ。
脚力や心肺機能が高まってきた時の感激ったらない。
もう14~15年前の話になるが、白州町にある尾白川渓谷での滝巡りで、初めて山歩きらしきものを体験した。
D100を手に入れて様々な被写体にトライしていた頃に、滝と渓谷美、そして白州という言葉に魅力を感じ、下調べもそこそこに先ずは現地へ行ってみようと車を走らせた。ところが渓谷道と称された道は意外と険しく、おまけに結構危ない箇所もあったりで、撮影に集中する時間は殆ど取れなかった。確かに尾白川渓谷の滝や流れは一見の価値があると思うが、下山路では膝痛まで出てくる始末で、正直なところ撮影を楽しむどころではなかった。
案の定、その翌日は筋肉痛に苛まれ、仕事にも差支えが出てしまった。
まだ50歳手前だというのにこれはまずいと猛省、そして一念発起。山と自転車を使って、だらけきった体に鞭を打つことに決めたのだ。
ところが尾白川レベルで筋肉痛になる軟弱な体は、都民の森から回る三頭山でも流れ落ちる汗と悲鳴を上げる膝で、終始グロッキー状態。もっと楽なコースじゃないと駄目かなと、次は月夜見駐車場からスタートする御前山にトライ。すると、きついことには変わらなかったが、先回にはなかったゆとりを感じ、ちょっぴり気分が上向いた。
そして次に歩いたのは大丹波川上流から辿る川苔山だ。距離は短かいが、渓谷から頂上直下まで一気に上がる階段では何度も立ち休みを繰り返し、必死の思いで登り切ったのだが、頂上にあるベンチに座り込むと、体の奥底から嬉しさが込み上げてきたのだ。嬉しさを覚えるということは、心身共にゆとりが出てきたことの証。
そしてゆとりが出てきたということは、確実に体力と山の経験値が上がったということに他ならない。
景色を眺め、ゆっくりとランチを楽しみ、横になって空を仰げば、山を独り占めしているかのような爽快な気分に浸れたのだ。この感覚が癖になって、その後は大岳山、高水三山、そして鷹ノ巣山と徐々にレベルを上げっていくのだった。
月一のペースをキープすれば、体力が落ちることもなく、快適な山歩きが楽しめることが分かったのは収穫だ。
さっ、今年の一発目はどこを歩こうか。