1969年・京都

湯呑

写真にある湯呑は、私が中学3年生の時、修学旅行で京都へ行った時に清水寺で購入したものだ。
中学生の小遣いで手に入るレベルなので、品物自体はたかが知れているが、その作りの渋さと楷書の凄みに目が止まり、殆ど衝動買いだったことを思い出す。
清水寺のみやげ物通りは人いきれが凄く、その活気は多くの観光客を呑み込む勢いがあった。店頭に目をやれば、並ぶ様々な品物が煌びやかな光を放ち、幾度も歩を止めさせようと迫ってきた。

「お~い、木代!行っちゃうぞ!」
「あ、うん、わかった」

やはり百聞は一見にしかずである。訪れる先々にそびえる古い建築物の迫力は正に想定外。友人に呼ばれ、はっと気が付けば、一心に金閣寺を狙う自分がいるではないか。
そう、この修学旅行では、親父からカメラを借りて、生涯初となる写真撮影にトライするという心躍る副題があった。神社仏閣や古都の町並み、更にはそれをバックに、友達や好きだった女の子等々を被写体にしたらさぞかし楽しいだろうと期待は膨らんだ。

「フィルムの端をこの隙間に差し込んでさ、半周回したら蓋を閉じる。そしてこいつをちょっとだけ回してフィルムをピッと張るんだ」
「ふぅ~ん」
「空撮りを2回やったら準備OK」

カメラを手渡されるとき、親父からフィルムの装填と取り出し方を中心に色々と説明があった。
しかし話の最後の方は殆ど聞いておらず、とにかく操作をしたくて、居ても立ってもいられなくなったのだ。

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夢にまで見た清水の舞台。そこから眺める景観は想像してたものよりややしょぼかったが、古都の香りは十二分に伝わってきた。よっしゃ、ここで一枚撮るかと意気込んでファインダーを覗けば、肉眼で見た広がりはみじんも感じられず、がっかり。いきなり写真撮影の難しさにぶち当たってしまう。

「木代のカメラ、随分とマニアックだな」

振り向くといつの間にか写真部に所属している新藤が傍にいた。自他共に認める写真好きだけに、彼が首から下げているカメラは人気機種のミノルタである。

「よくわかんないけど、古いやつみたい」
「うんうん、そんな感じだ」

後から分かったことだが、親父から借りたカメラはレンジファインダー式で、当時すでに主流となっていた一眼レフが出現する以前の機種であり、恐らく私が生まれる前のものと思われた。しかし、新藤の持つのっぺりしたデザインのミノルタと較べると、いかにもカメラらしい雰囲気を放っており、そんなところがマニアックと言わせるポイントなのかもしれない。
そう、うちの親父、カメラのことは余り詳しくない。

「だいたいね、シャッター速度は1/250辺りでいいと思うよ」
「わかった、そこはいじらない」

こんなアバウトなやり取りだったが、私もカメラはちんぷんかんぷんだっただけに、操作方法はそんなものでいいと思った。それより被写体を見つけてシャッターさえ切れれば、それで充分満足なのだ。

この修学旅行を機にカメラや撮影に興味が向きだしたのは言うまでもない。
何枚撮りかは忘れたが、ネオパンSSを確か4~5本程用意し、それを全て撮り尽くし、期待に胸を膨らませて商店街にあった写真屋へ持っていった。


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