― 小学生の頃、夏がよかった。
耳をすますと、裏の林から沸き立つ蝉時雨の中に、微かだが千本松原を超えてとどく波音が混じり、それは優しい旋律となって体を包み込む。こんな一瞬、東京から遠く離れて暮らしているのだと改めて感じ、同時に言いようのない安堵がこみあげてくる。
体をゆっくりと起こし、玄関脇の釣り道具を抱えると表へ出た。沼津へ来て覚えた魚釣り。これほど嵌るものとは思わなかった。
針に餌をつけ、思いっきり竿を振って遠くへ飛ばす。あとはパクッと来るのを待つだけだが、この一連の作業を経て、あわよく魚を釣り上げた時の嬉しさったらない。
傾き始めた午後の陽光を頬に感じると、不意に急かされた気分になり、釣り場へと向かう足取りが速くなる。
子持川を渡り、豪奢な屋敷町を抜ければそこが千本浜。西へ延々と富士川まで、20kmにも及ぶ大アーチの海岸線は眺めるだけで気分爽快になれる。これに愛鷹山とその背後に富士山の姿が現れればもう言うことなしだ。誰だってこの特上な景色には胸を打たれることだろう。
千本浜の東端からは防波堤が沖へと延びていて、その先端には真っ赤な灯台が立つ。
ここからでも5~6人の釣り人が適度な間隔をおいて糸を垂れているのが分かった。
その防波堤へ入る手前の右角に小さな釣具屋があり、餌はいつもここで調達した。
「ゴカイください。それに源氏パイふたつ」
自分だけの楽しみ。それは甘い源氏パイを頬張りながら糸を垂らすこと。
小さく割ってはゆっくりと口の中で溶かしていくその無意識に近い行為が、浮きを見つめる緊迫感に僅かな緩さを加味してくれるのだ。
堤防から真下に目をやると、水深5メートルはあると思われる底がくっきりと見えた。海の色はちょうどラムネの瓶と同じ青緑で、小魚が群れなす様も手に取るように分かる。たまに大きな魚がゆらりと現れ、見ているだけでも飽くことはない。
堤防で釣れる魚はベラとコチが主だ。たまに地元民がヤマノカミと称するカサゴ系も釣れることがある。一方、千本浜で投げ釣りをやれば、型は小さいがシロギスも2~3匹だったらコンスタントにゲットできた。
釣れた魚はとにかくすべて自宅へ持ち帰り、おふくろに渡した。
「なにこれ、色が気持ち悪いけど、食べられるの?」
「大丈夫だってみんな言ってた」
赤や緑の線が入ったベラなどは、海なし県出身のおふくろにとってかなり手強い対象だったかもしれない。
「焼くしかできないよ」
「いいよそれで」
釣った魚は皆小さい。それを焼けばさらに小さくなり、到底ご飯のおかずにはなりえない量になってしまう。しかしそんなことはどうでもよかった。
ひたすら焦げた皮を剥いでは、その下の僅かな肉をつまんでは口へと運んだ。
賞味するというレベルには程遠かったが、決してまずくはなく、噛みしめるとしっかりとしたうま味さえ感じ取れた。
「食べてみたら」
「お母さんはいいわ」
いつものやり取りは永遠に変わらない。