殆ど見逃すことのないNHK朝の連続テレビ小説。
今は女優・高畑充希が主人公の小橋常子を演じる【とと姉ちゃん】が絶賛放映中である。
一話15分という小気味の良いテンポは、観る人を画面へ釘付けにし、ひとたび劇中に吸い込まれれば瞬く間に“続き”となってしまう冴え渡る演出がなんともGoo。
今回は戦前、戦中、戦後を生き抜いた登場人物達のセリフに心を動かされることが屡々ある。
唐沢寿明が演じる花山伊佐次のひと言は奥が深かった。
「守るべきことは毎日の暮らしだ」
昨今の平和な日本。毎日の暮らしを意識することはなく、況してそのありがたみを感じることは殆どないと思うが、誰しもそれを失えば、空いた穴の大きさに愕然とする筈だ。
但、日々を精一杯に生きていても、対岸の花火の火の粉が突如我が身へ降り注いでくることだってある。
そんな時は、いかに平静をもって対処できるかが大きなポイントになると思うし、それ以前に火の粉に対する耐性を普段から確認することも必要であろう。
<君子危うきに近寄らず>
少々ニュアンスは異なるが、このことわざも暮らしの防御に役立つ。
そう、君子は地雷を踏まない。
危険な香りのするエリアには足を踏み入れないことが第一だが、なかなかそうはいかないのが世の常。そんな時は冷静になって周囲の空気を読み、仮に地雷を踏んでしまったら全て自己責任になることを十分念頭に置き、臨むことが肝心だ。
それから小橋常子の父親・小橋竹蔵が放った言葉もなかなか。
「当たり前にある毎日でも、それはとっても大切な一瞬の積み重ねだと思っています。そしてそれは、いつ失うことになるか分からない。明日かも知れないし、一年後かも知れない。」
私も含め普通の人だったら、誰一人として日々の生活が突如激変してしまうことなど夢にも思わないだろう。しかし、まさかと思われる病気、けが、事故、事件等々は、日常の隣り合わせにあることは明白なので、やはり平凡な毎日を大切に過ごそうとする意識は必要ではなかろうか。
この頃頓に感ずることがある。
それは「昨日は二度と来ない」という一節が発するもの。そいつが頭の中に居座り、私の行動のすべてを制御しているように思えてならないのだ。これまで幾度も書いてきたが、これには老化という誠に厄介な要素が関わっている。
先ずは体力。
悲しいかな加齢するほどにパワーの減退は免れない。
既に10年以上も続けている自転車通勤。往復16Kmは完璧に常態化していて、これまでしんどいと感じたことは正直ない。出勤時に雨でもない限り必ず乗って出かけるし、休日でも武蔵境や吉祥寺へ出るときの足として使っている。通勤の稼働日が週4日としても、16Km×4日×53週×10年で累積走行距離は34,000Kmにも及ぶ。これはオリンピックが行われるブラジルまでの往復距離と等しい。
おかげで運動不足解消には幾分貢献していると思うのだが、
「どうしようかな、今日は車で行こうかな…」
と、この頃理由もないのに心の中でつぶやいてしまうことが多々ある。
まあ、つぶやいても結果的には跨いで漕ぎ出し、いつものようにストレスなく職場へと行きつくわけなのだが、昨年まではこんな“つぶやき”など一度もなかった。
疲れが取れないのか、基本的なパワーダウンなのか、はたまた操縦の危険を感じているのか…
いずれにしてもどこかが変わったことは確かだろう。
そう、好きな山歩きにも影響は出てきた。
森の中を行けば気分が良くなることは十二分に分かっている。しかし起床時、「もう少し寝たい」が勝ってしまい、絶好の登山日和なのに部屋で読書なんてことが屡々。窓を開けて青空を見上げれば、ため息の連発になる。以前の山歩きは殆ど連れがいたので、少々眠くても起きなければならなかったが、最近の体たらくは、そのこととは別次元のような気がしてならない。
先ほど突発的な事由による厄は、いつも生活の隣り合わせにあるので、毎日を大切に過ごそうとする意識が必要と述べてみたが、真綿で首を締めるごとく襲い掛かかってくる体と生活環境の変化にも大いに目を向けるべきだ。
ー 2年前の赤岳登頂は楽しかった♪またトライしてみたい!
これが意気揚々として今年に再現できるかは、甚だ疑問。
― 山はテン泊だ!
重い装備を背負ったうえで、アウトドアを満喫できるのか?!
― 今日も1Km泳ぐぞ!
疲れが残ると明日の仕事がきついかな…
こんな胸の内は紛れもない事実である。
何でもやり始めたらそこそこ楽しいのだろうが、実際は何かが邪魔して積極的になれなくなっているのだ。仮にこれをストレスのせいで気分が落ち込んでいると解釈すれば、ここ1~2年ずっとストレスは溜まる一方であり、少しも解消していないことになる。
一杯飲んで、元気出していこうぜ!!なんて自分に言い聞かせて行動的になれるとしたら、80歳になっても90歳になっても赤岳を満喫できるはずだ。
そうそう、80歳になったら確実に親は亡くなっている。もしかしたら女房も先に逝っているかもしれない。弟や友人たちも同じことだ。仮に新し友人ができたとしても、周囲の環境は今とずいぶん異なり、人は環境が変われば、それに伴い価値観も変わってしまうものだ。
今やれるべきこと、今楽しむことのできること。これにはしっかと目を向けるべき。
今やらなければ、もしかして来年はやれないかもしれない。
心身ともに100%で、人生上り調子だった二十歳の頃とは何もかもが違うのだ。