若い頃・デニーズ時代 10

デニーズへ入社した1978年は、すかいらーく、ロイヤルホストなど、競合他社も本格的な出店攻勢を掛け始めていた頃で、業績はどこもうなぎ登りであった。
デニーズは首都圏の地固めはもちろんのこと、北関東や東海地区までへも出店エリアを広げ、各社のドミナント戦争は凄まじい様相を呈していた。
春日が話していた新店オープンに伴う人事異動の話はいよいよ現実味を帯び、いつマネージャーに呼ばれるかと、気が気ではない日々が続いた。

そんなある日のこと、遅番で出勤してきた春日が含み笑いで私へ相づちを打つと、
いきなり放ったのである。

「俺の行き先、決まったようだ」
「異動か?!」
「ああ」

言い切った後の意気揚々とした表情が何だか眩しく感じた。

「どこ?」
「蒲生だ」

案の定、埼玉地区である。

「そりゃ寂しいな」
「おいおい、感傷に浸っている暇はないぜ。どのみちおまえもそろそろだ」
「まあね」

クックの仕事には大部自信が付いてきたので、その辺の心配はなかったが、新店という環境下、しかも未知のメンバーとうまくやっていけるかどうかは、大いに不安だった。
新店へ行けばトレーニーの立場はない。1クックとして構成され、大きな責務を背負うことになるのだ。

一週間後。社内メール便に春日の辞令が入っていた。

“蒲生店ショートオーダークックを命じる”

エンプロイエリアに張られた一枚の辞令は、緊迫感を発しながら私に語りかけてくる。

ー お前ももうすぐだってことね、、、

「木代さんも行っちゃうんですか」

食い入るように辞令を見ていたせいか、いつの間にか傍にいたMDの久光さんに気が付かなかった。

「びっくりした==!」
「そんなに驚かないで下さいよ」

口は半開き、茫然自失とした顔をしてたんだろうな、、、格好ワル、、、

「いなくなったら寂しい?」
「なにそれ!」

ちょっと鎌をかけてみたが、どうやら空回りだったらしい。

「そうなんだ、俺もそろそろ異動だよ」
「社員さんは大変ですね。でも頑張らなきゃ♪」

全くその通りである。
異動はしんどいが、新店ならば身につけた実力を発揮しやすいし、評価もされやすい。横一線で並んだ同期達に差をつける絶好のチャンスになるかもしれないのである 。但、この頃では夢の中にまで辞令がちらついてくる始末で、ともかく大きなプレッシャーになっていたことは間違いない。

春日の小金井北店での仕事が残り二日間と迫ったある日、突然キッチンへ入ってきた加瀬UMが皆に告げた。

「明日から中間社員が一人入ってきます。皆で良くフォローするように」

春日の後釜だろうか?!

「ました!」

中間社員とは中途採用の正社員のことである。
昨今の急激な出店ペースで絶対的な人員が不足しているのか、本部は中間社員を積極的に採用しているようだ。新人の私でさえ人手が足りないなと感じるほどだったので、全社的な状況は相当に切羽詰まっていたのだろう。
多くの中間社員には前職があり、しかも接客業や飲食業出身が多いから、入社後の戦力化には新卒ほど時間が掛からない。これは会社にとって大きなメリットになっただろうが、我々学卒組にとっては難儀の種でもあったのだ。
彼らの多くは年齢的に年上であり、レベルの大小こそあれ実社会経験を持っている。ところが加瀬UMは後輩として指導しろと言ってくるからやり辛い。

ー あ~、、どんな奴が入ってくるのやら、、、


「若い頃・デニーズ時代 10」への1件のフィードバック

  1. 私も、この時期に入社しました。

    わずか9ヶ月で、東海地区初出店の名古屋に転勤しました。

    店番99号店の山手通り店、店番100号店の平針店の2店舗同時開店でした。

    私は、山手通り店のクックとして転勤しました。

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