耐用年数

二カ月間近く咳が止まらず、しかも治る気配も見えてこないので、これは一度医者に診てもらう必要があると判断した。
思い起こせばちょうど2年前。夜も眠れないほどの連続する咳に苦しみ、掛かり付けの“じょういち医院”へ駆けつけると、即座に“喘息”と診断され大ショック。目の下にクマをつくってゼイゼイヒューヒュー、そして発作が起こらないように常時吸入剤を携行するというのが喘息持ちの印象であり、いくら強い咳が連発したにせよ、その喘息とは根本的に違うのではと先生に言い寄ってみたが、“これも喘息!”と一蹴された。
その時と較べれば咳自体は軽く重篤な感じはしないが、忘れかけた頃にぶり返すという、やたらとしつこく慢性的な症状には辛いものがあり、一日でも早く治さなければと只今格闘中だ。
処方された薬は咳止めに【フスコデ配合錠】、そして喘息のことも考慮したか、気管支拡張剤の【テオフィリン徐放U錠】の二種類である。以前にも服用したことのある馴染みの薬だが、今回はやたらと副作用が出て、四六時中ボーッとするのがいただけない。症状に対しては良く効いているので文句はないが、仕事や車の運転には結構気を遣うレベルなのが気にかかる。
私の場合、こうして何かしらの体調不良が始まると、決まって後からひとつふたつとトラブルが重なっていく。
今回のもう一つは重い“寝ちがい”だ。若い頃だったら精々3~4日もすれば快方へ向かったものだが、最近では加齢のせいか、2週間経ってもスッキリと治らないことが多く、おまけに痛みは首だけに留まらず頭痛まで起こってくるから憂鬱だ。
こうした悪い展開は、恐らく老化による体各部の強度低下が少なからず影響しているのではないかと思う。
昨年年末にやられた酷い腰痛が未だにすっきりしないのも、また、左膝の鈍痛が日常化してしまったのも、部品としての耐用年数が近づきつつある証拠に他ならない。
冒険心は忘れたくないが、これからは無理のない行動計画が全てに対してのポイントになるのだ。

庭の花々

花々

我が家の庭にドクダミの若葉がわさわさと顔を出し始める頃、同じくして可憐な色彩をアピールする花々が続々と開花する。
これまでなぜか隔年でしか開花しなっかったモッコウバラが、昨年に引き続き今年も見事な開花ぶりを見せ、玄関回りを明るくしてくれた。
薄紫色の花弁にすらりと伸びた緑の茎がとてもキュートなのは、親戚からいただいたラベンダー。仄かな香りが心を和ませる。
ドクダミの葉の間から顔を出すタンポポは、その鮮やかな黄色に大きな活力を窺え、眺めているだけで元気をもらえそうだ。
そしてお後に控えるのは、昨年鉢植えから直に庭へ植えなおした、その名もお洒落なアジサイ・ダンスパーティー。既に小さな蕾がスタンバイしていて、今から開花が楽しみである。

人生確かに一度きり

4月4日から放映がスタートした、NHK連続テレビ小説『とと姉ちゃん』。ここでは早くも父親の竹蔵さんが放つ数々の名言が話題となっている。
中でも、

「当たり前にある毎日でも、それはとっても大切な一瞬の積み重ねだと思っています。そしてそれは、いつ失うことになるか分からない。明日かも知れないし、一年後かも知れない。」

胸にジーンとくる台詞である。
ひと昔前だったら恐らく何も感じない一節だろうが、昨今では、「今日の後に今日はなし」、「歳月人を待たず」、「光陰矢の如し」等々の意味合いに対し、妙に過敏になる自分がいるのだ。
治る気配のない右手甲の打撲痛。年始から引きずる腰痛。右目の違和感。軽い筋トレにも喘ぐ体。不調の続く鼻…
緊急を要する怪我や疾病はないものの、加齢による体全体のへたりは明らかに進行しており、昨年歩き回った山々を思い出しては、今年も同様に楽しめるのか?!などと、しょうもない不安に駆られることもあり、
情けないが、これまでの人生には存在しなかった“初の変化”に対し、真摯な姿勢で対峙する時がきたと感じている。

【人生一度】
祖父の放った一言だ。
初孫だった所為か、とても可愛がられていたので、晩年になっても二人で良く会話を楽しんだものだが、その中で彼は「人生は一度しかないから、好きなようにやった方がいい」と幾たびも語っていたことを思い出す。
但、若い頃はそんな重みのある言葉も右から左で、心に留まるようなことはなく、寧ろ老人の回顧に浸るつぶやき程度にしか感じなかった。ところが若かった私も歳を重ね、こうして体力の衰えがはっきりと自覚できる年齢になると、何の抵抗もなくその意味合いが体に入ってくるのだ。

ー そう、人生確かに一度きり。

と。
今時の還暦はまだまだ若造。何にだってトライできるし、必要最低限の体力も残されている。しかし人生のピリオドが現実味を持って視野に入ってくるのもこの頃なのだ。