黒川鶏冠山・病み上がり登山

 思いもかけなかったコロナ罹患。ひどい喉の痛み以外には、それほど深刻な症状は現れず、37℃台の熱にやられたのも二日間だけ。幸いなことに食欲が落ちず、三度三度たっぷり食べられたのが、早い回復のポイントだったように思う。
 ちなみに今回のコロナの判定は、市販の抗体検査キットによるもので、病院での検査は行ってない。よって専用の治療薬は一切服用せず、熱が急に上がり始めた夜に一度だけロキソニンを服用しただけだ。
 コロナは罹患判定日から数えて五日間が外出禁止となる。三日間ほどは喉が痛くて、おとなしくしていたものの、その後は体がなまってしょうがない。

 そんな中、週間天気予報を見ると、九日(木)までは文句なしの晴れと出ている。コロナで弱りきった己の肺に、きれいで新鮮な空気を思いっきり吸い込ませるチャンスということか。病み上がり登山の行き先は、黒川鶏冠山。大菩薩嶺の北側に位置し、ルートは柳沢峠からのピストンである。

 十一月八日(水)。午前八時過ぎに柳沢峠無料駐車場へ到着。標高が1,472mあるので、ドアを開けると冷たい空気にぶるっとくる。POLOの外気温度計は6.5℃を示していた。
 登山口は道路を隔てた反対側。階段を上りきると、きれいな森が広がった。ブナやミズナラが中心となる原生林で、途中まではハイキングコースにも指定されているようで、山道はきちっと整備が施され、とても歩きやすい。ただ、紅葉のタイミングはすでに過ぎ去り、冬枯れに近い景色が延々と続いた。それでも途中何カ所か大小の岩が露出しているところがあり、どこも岩はコケに覆われ、森の景観のアクセントになっている。

 六本木峠を通過。ここを南へ折れると、丸山峠を経て大菩薩嶺へとつながる。
 相変わらず歩きやすい道が続く。それにしてのこのルート、これから登山を始めてみたい方には最適だろう。ほど良いアップダウン、しっかりとした道標等々、初心者でもストレスらしいストレスはほぼ感じないはずだ。ただ、尾根道がないので、景観の変化が少なく、やや単調な歩行になるのは否めない。

 黒川山が近づいてくると、それまでになかった登りが連続し、やっと“登山”を感じることができた。上がりきったところの道標から“見晴台”へ向かおうとしたとき、年配夫婦が下ってきた。
「こんにちは」
「こんにちは。富士山が見えましたよ」
「そりゃいい。私もこれから行ってみます」
「岩場がちょっとスリリングですけど、鶏冠山の方もなかなかの眺めでした」
「ありがとうございます。気をつけて」
 ちなみに、これから行く見晴台という地点が、1,710mある黒川鶏冠山の頂上とのことらしい。見晴台からは西側、おそらく三窪高原だろうが、広々とした眺めを楽しめた。本日初となる展望だ。その後、もう一つの展望カ所である鶏冠神社へと向かった。

 鶏冠神社は岩山の頂上に祀られていて、その直下からは結構な岩登りを強いられる。それほど危険は感じないが、岩場の基本である三点支持は守らなければならない。登りきると先ほどの見晴台とは逆方向の展望が、ダイナミックに広がった。
 実はこの岩登りの最中に、ちょっとしたアクシデントが起きた。たすき掛けにしたカメラバッグから、な、なんとα6500が零れ落ちたのだ。
「やばっ!!!」
 この時は冷えた。岩場の途中でありながら、カメラを拾い上げると外観をチェック。レンズにもボディにも大きな傷が見当たらないことを確認すると、祠の前の平らなところで、順を追って作動テストを行った。普通に撮れ、普通にモニターできることを確認すると、ホッとして気が抜けた。
 これまでバッグの蓋は開けっ放しで何ら問題はなかった。ところが岩場をよじ登る際に、左膝でバッグの底をやや強くついてしまい、その勢いで飛び出てしまったのだ。今後のことを考えればいい勉強だった。

 病み上がり登山としてはほど良い負荷で、気持ちのいい山歩きを楽しめた。これで紅葉が見られたら文句はなかったが、それはまた来年以降の楽しみとしよう。

鷹ノ巣山・奥多摩の紅葉

 満六十九歳となった翌日の二十五日(水)。奥多摩の紅葉を見たくて、ちょうど十年ぶりになる“鷹ノ巣山”へ登ってみた。鷹ノ巣山は石尾根の中間地点にそびえ、標高は1,737m、頂上から南側が大きく開け、壮大な山岳風景を楽しめる人気の山だ。これまで二度登頂したことがあるが、いずれも東日原から稲村尾根を歩くコースで、ここは数年前に起きた登山道崩落により、現在も通行禁止が続いている。よって、今回は反対側の奥多摩湖よりアクセスすることにした。初となる浅間尾根を歩くのだ。

 登山口は奥多摩湖北側の留浦にある。峰谷川に沿って6Kmほど上がって行くと、どん詰まり手前に鷹ノ巣山への道標を確認、その前後の路肩に乗用車三~四台分の駐車可能スペースがあったので、そこへPOLOを停めた。他に車は見当たらない。
 周辺はかなり山深いところだが、集落が点在していて、生活感もしっかりと感じられた。

 スタートからいきなりきつい登りが始まる。石尾根に接続する山道の特徴だ。こんな時は意識してペースを落とす。
 気温は先回登った浅間山よりも低く感じられ、汗もそれほどかかずに快適ではあったが、気になったのが空模様。日差しを遮る黒い雲が、見る見るうちに広がってきたのだ。

 きつい登りもシイタケ畑が見え始めると一時緩む。傍らの倒木へ腰かけ、右側の靴を脱いだ。数回使ったことのある登山靴なのに、なぜか踵に靴擦れを起こしたのだ。傷バンを四枚貼り付けたが、それでもまだ痛い。頑張って頂上を踏めば、あとは下るだけなので、患部がこれ以上強く靴にあたることはないだろうとあきらめた。
 水場を過ぎると避難小屋が見えてきた。やっと石尾根へ出たのだ。
 小屋の脇にあるベンチで休憩をとることにした。それにしてもこの鷹ノ巣山避難小屋、内観外観共々とてもきれいだ。よく管理されているとは察するが、おそらく築は雲取山避難小屋と同時期だろう。デザイン等々もよく似ている。 

 石尾根に出ると周囲が開け、すばらしい山々の景観が飛び込んできた。それまでが樹林帯歩きだったから、この解放感は感動ものだ。
 初めて石尾根を歩いた時、「奥多摩にもこんなところがあるんだ!」とびっくりしたことを思い出す。
 紅葉はかなり進んでいて、色づいた山々はすでに冬を向える準備に入ったようだ。相変わらずどんよりとした空模様だったが、嬉しいことに、頭だけだが富士山を眺めることができた。これを見られると見られないとでは山行の充実感に大きな違いが出る。
 誰一人いない山頂で、湯を沸かし、ランチの準備にかかる。今回はカレーメシとコロッケパン。食後にはコーヒーを入れ、久々に時間をたっぷり使い寛いだ。怪しい空模様も何とか持ちそうだ。

 下山は来た道をひたすら戻った。
 浅間尾根は傾斜が急なので、下りは腿や膝に厳しいところだ。適時立ち休みを取りながら、一歩一歩慎重に歩を進めた。中盤を過ぎるころになると、踏ん張りがかなり衰えはじめ、加齢を恨む。たいがいの転倒や滑落事故が下山時に発生するのは、このような状況下に置かれるからだ。
 なんとか無事に登山口まで戻ってくると、ホッとすると同時に、明日は久々の筋肉痛にやられそうだと溜息が出た。

十年前の五月。鷹ノ巣山山頂にて。

 余談だが、久々の鷹ノ巣山で目に留まったのは山頂標識。十年前の写真を確認すると、その差は歴然。丸太を立たせ、そこに住所表示板のようなものに“鷹ノ巣山”と記し、張り付けてある至極単純なもの。
 今のは立派すぎ?

浅間山

 十月十二日(木)。今年の紅葉登山は、初となる浅間山外輪山を歩いてきた。
 きれいな紅葉の山々は、サイトをググれば選ぶのに苦労するほど見つかるが、この浅間山は抜きんでて目を引いた。浅間山単体では無機質な火山と言った体だが、外輪山を含む全体像は極めて個性的であり、まさに自然が作り出す造形美の好例だ。

 思えば昨年の大菩薩峠が感動的だった。木々の色づき方をはじめ、天候も紅葉撮影にこれ以上ない好条件に恵まれ、唐松尾根の上りでは何度も立ち止まってはその絶景に息をのんだ。よって今年もいい絵を収めようと勢いづくのは無理もない。

 自宅を五時半に出発。途中、上信越道のPAで一服つけ、登山口のある車坂峠には八時四十五分に到着。風もなく気温も9℃と絶好の登山日和だったが、気になったのはガス。ぐるりと一帯を覆いつくしている。
 支度を終え、登山口とトイレはどこかと探し始めると、坂の上から体格のいい若い男性が下りてきたので、聞いてみた。
「すみません。トイレってこの辺にありますか」
「ぼくも今行ってきたんですよ。そこを上がって右へ折れるとあります」
「ついでに教えて欲しいんですが、登山口はどこですかね」
「その建物の向こう側です。看板地図もありました」
「ありがとうございます。助かります」
 何とも感じのいい青年だ。おそらく彼もこれから登るのだろう。

 計画通り、表コースからスタート。最初はなだらかだった道が、徐々に勾配を増しはじめ、大腿筋が目覚めた。もっともどこの山を登っても概ね同じ流れであり、登山とは一途にタフな行為なのだ。
 汗をかき、息を弾ませ、歯を食いしばりながら一歩一歩頂上を目指す。
 「なんでそんな辛いことを」と冷笑される向きも多々あるが、大自然の懐で誰の助けも借りずに、己の精神と体力のみで得られる景観と経験は、何事にも代えられないピュアな幸せ。これを一度でも知れば、そう簡単に登山を断ち切ることはできない。

 右側の展望が開けてきた頃、前方の大きな岩に腰掛けた、年配夫婦と思しき二人が目についた。近づいていくと、
「こんにちは。いい天気ですね」
「風もなくて、暑いくらいです」
 ここでザックを下ろし、Mountain Hardwearのジャケットを脱いだ。すでに汗をかき始めたのだ。ネルシャツ一枚でちょうどいい。
「私たち年寄りなんで、休み休みですよ」
「失礼ですが、おいくつですか?」
「同い年で七十七歳」
 今回のコースはそれほどハードではないが、れっきとした登山には違いない。この後会話が弾み、なんとLINEの交換まで進んでしまう。Eご夫婦は、赤城山の麓にお住いのアウトドア好きで、普段は地元群馬の山を歩いているという。

 一つだけぽつんとたたずむシェルターを過ぎると、最初の景勝ポイント“槍ヶ鞘”が見えてくる。ところが残念なことに、ここも濃いガスに覆われて、ほとんど視界が利かない。ガスが途切れるのを少し待つかと、周囲を見回すと、右手にいた男性が振り返った。
「おっ、駐車場の時の」
「どうも。残念ですね、ここは」
 あの感じのいい男性である。
「こればっかりはね。ここは何度か?」
「いや、地元なんですが初めてです」
 話をすると、彼は嬬恋村に住む三十四歳。もともとアウトドアが好きだったが、登山歴はまだ二年とのことだ。彼は会話のあと、早々に槍ヶ鞘を出発したが、さすが若者、“トーミの頭”へと上がっていく後ろ姿と足の運びは軽快だ。
 私も遅れてトーミの頭へ到着すると、ガスがうまいことに南へと流れ、浅間山の全容があらわになった。幾人かのハイカーが皆口をそろえて、「すごいね~~」、「絶景だ」の連発である。
 ここで最初の休憩をとった。カロリーメイト二本をポカリで流し込む。
 先回の木曽駒ケ岳に続いて、息をのむ絶景を目の当たりにすると、当たり前だが、来てよかったとシンプルに感じた。
 ナイスガイの後を追って、次のポイント“黒斑山”へと向かう。

 一旦は樹林帯歩きになったが、時々右側が切れると大きく広がる外輪が見え、ついつい立ち止まってはレンズを向ける。それだけ魅力的なのだ。
 黒斑山へ到着すると、ナイスガイが休憩中だった。
「またガスが出始めましたね」
「でも、ぼくのような写真好きには、景色に変化が出て、ウェルカムってな場合もあるんですよ」
「ぼくはこれ、スマホ」
「でもね、最近のスマホはきれいに撮れて侮れないですよ」
 事実、最近のスマホは撮像エンジンが高性能化していて、まるでPhotoshopのベテランが加工したような画が飛び出てくるから驚きだ。
「ぼくはこの先の蛇骨岳までいきます」
「同じく休憩してから後を追いますよ」
 当初の計画では、いい画がたくさん撮れれば、黒斑山でUターンと決めていたが、青空も出始めたし、時間もまだ十分残っていたので、この先の景色に期待して、ナイスガイと同じく蛇骨岳まで足をのばすことにした。
 結果は大正解。北に進むほどガスは消え去り、また雲も減ってきて、鋸岳からその先まで続く迫力ある外輪をこれでもかと眺めることができたのだ。

 下山はトーミの頭から中コースを下っていった。展望はないが、車坂峠に戻る最短コースだ。
 紅葉狩りとしてはややタイミングが早すぎたが、休憩を含めても五時間弱と体に負担が少ない山行だったし、外輪と言う他では見ることのできない超個性的な絶景を心行くまで堪能できたのは予想を超える収穫だった。
 また今回はEご夫婦やナイスガイとのやり取りをはじめ、数名のハイカーと話ができたのも、楽しい思い出として脳裏に焼き付いた。
 冬が来る前に、もう一座、登ってみようかな。