バイク屋時代 18 やるぜ限定解除!①

「兄貴さ、限定解除しなくていいの?」
 そうなのだ。バイク屋の店員がナナハンに乗れないなんて、全く話にならない。

 タイミングを見計らい、近々に限定解除へのトライを始めようと考えてはいるが、なんと言っても非常に難関な実施試験をパスしなければならないので、それなりの準備を行う必要があった。勢いだけで受験しても合格する見込みはほとんどない。府中自動車試験場での合格率は5~6%と言われており、しかも受験回数五回以内で合格するには、受験ノウハウを売りにしている限定解除練習所に通わないと、かなり厳しいというのが定説だ。
「お前は受けないの?」
「考えてる」
「そーなんだ、じゃ、いっしょに練習所探そうぜ」
 それにしても内向的な弟がここまでバイクに嵌るとは正直びっくり。
 さっそく通えそうなところを数校リストアップした。有名なところは“鬼のナカガワ”の異名をとる中川教習所だが、ここの印象はぼちぼちである。入社直後の話になるが、
「木代くん。トラックに検切れのCB750F積んであるから、限定解除の中川まで行って売り込んできてよ」
「あの過走行のおんぼろですか?」
「そうそう。所内でしか使わない教習車にはちょうどいいんだよ」
 なるほどね、そんな販路もあるんだと、半分感心しながら中川教習所へ向かった。到着して、車両担当と思しき人にその旨を伝えると、
「CBかぁ、、、いらないな」
「うちの社長、安くするって言ってますよ」
「CBって壊れやすいんだよ。特に電機系がね」
「へ~、じゃ、壊れにくいのは?」
「スズキかな。GSXなんか丈夫だよ」
 これはちょっと勉強になった。教習所という一般とは異なる使用環境になると、車両の評価も変わってくるのだ。
「わかりました。じゃ、またよろしくお願いします」
 せっかくなんで、所内をちょっと見まわしてみた。二名の生徒が狭いコース内で黙々とターンやスラローム等々の基本を繰り返し行っている。教官に教わるでもなく、ただ淡々とやっている。それにしても、教習料金を払ってこんな“自習”ばかりでは、入所する価値があるのだろうか。
「なんかさ、八王子に府中試験場とそっくりなコースを使うところがあるらしいよ」
「ああ、それモトテクニカだよ。だけど遠すぎて無理だな」
「でも一度見学の価値はあるかも」
「じゃ、次の休みに行ってみるか」

 河川敷に作られたコースはさすがに広大である。中川教習所や自宅近所の悪名高きRTCミタカとは比較にならないレベルだ。本番と似たようなコースで練習すれば、確かに合格率は上がるだろうが、やはり実際に訪れてみると遠すぎた。自宅へ戻って再度よさげなところを物色。すると、練馬にある都民自動車教習所で、限定解除の短期集中コースなるものを発見。教習は五回だけで、料金も他と比べて格段に安いのだ。
 さっそく弟と出かけてみると、他の教習所と比べて格段に生徒の数が多く、物凄い活気に溢れている。まずは受付で短期集中コースの説明を聞いた。府中攻略本なるものを見せてもらい、基本課題である、スラローム、波状路、狭路等々を五回に分けてみっちり体で覚えてもらい、最後に攻略本に沿って試験の際の留意点をレクチャーされるという流れだ。
「どうだよ?」
「いいね」
 その場で申し込み手続きを済ませ、次の休みから練習がスタートした。
 初っ端は威圧感のあったナナハンだが、少し慣れてくると、400ccクラスよりトルクがあるせいかスロットルコントロールが容易、すぐにリズムをつかめた。特にスラロームは格段に楽しい。スピードが乗ってくると倒しこみが深くなっていき、そのうちにステップを擦ってしまう。すると、
「無理するな!」
 と、メガホンから教官の大声が飛んでくる。
 教習は楽しく進み、あっという間に五回が終了、卒業となった。課題には自信がついたし、肝心な検定コースの注意ポイントもばっちりと頭の中へ入ったから、もう受験したくてしょうがない。
「いつ受ける?」
「兄貴は?」
「もう、申し込んだ」
「おっ!」
 教習の最終回が終了すると、その足で府中試験場まで行き、受験料三千三百円を収めてきたのだ。この際、初めて受験するものに対し事前審査なるものが課せられ、取り回しと引き起こしを行った。仕事で普段からバイクを扱っているから、なんのこともなかったが、使われたおんぼろのCB750Fのタンクの中には、ぎっしりと砂が詰め込まれていてかなり重かった。俺だからいいが、小柄な女性だったら悪戦苦闘間違いなし。
 試験の様子は外部からよく見渡せた。二輪専用コースと言っても道路の幅員はけっこうあり、全体も広々としている。西隣は四輪車の試験コースになる。ちょうど試験が始まったばかりのようで、待機している大勢の受験者は眼前を走る試験車両に釘付けだ。試験車両は四台で、ヤマハのFZX750が三台とホンダのCBX750ホライゾン。都民自動車教習所ではホンダCB750Fしかなかったので、その辺がやや不安だったが、いずれにしてもマルチエンジンだから特性はそれほど変わらないだろうと己に言い聞かせる。
 さあっ来週、勝負だ!

バイク屋時代 17 Vespa 2

 いぶかる社長に無理やり頼み込み、ふたたび怪しい業者へビンテージ第二弾を依頼。おおよそ一か月後に追加の三台が到着した。一度目の印象がよかったので、皆で意気揚々と開梱を始めたが、車体があらわになっていくにつれ、先回と様子が違うことに気がついた。上部がすべて開くと吉本くんの視線が“中身”に張りついた。
「やられたか……」
 木枠から出てきた車体には、ベスパに詳しい者ならすぐに気がつく異変があった。オリジナルにかなり手が加えられていたのだ。ラリーと称する車体のレッグシールドが5㎝以上も削り取られていて妙に幅が狭く、これではベスパの持つ美しいラインが台無しである。その他の二台も意味不明なところに穴が開いてたり、おそらくカンペだろうが、質の悪い塗装が施されていたりと、商品にするにはかなりな手間と費用がかかるのは一目瞭然である。
 事の顛末を社長へ報告すると、
「だから危ないって言ったんだよ……とにかく輸入業者へ連絡してなんとかクレームにしよう」
 返品こそ叶わなかったが、社長の強い押しで、仕入れ価格をかなり下げてもらうことには成功した。これで最低限の加修を施し、なんとか販売していくしかない。
「今後ビンテージの扱いは一切禁止。いいね!」
 吉本くん、今度ばかりは平身低頭である。

モト・ギャルソン吉祥寺店

 一方、バイク雑誌に掲載した【モト・ギャルソン コンプリートベスパ】の広告は予想以上の反響があった。当初はいくら改善改修した完璧なベスパを謳っても、メーカーの希望小売価格より高い販売価格などというものを、はたして消費者が受け入れるか不安だった。世の中、値引きなしでバイクを買うなんてことはありえない状況にあった。ところが、電話問い合わせや実際に来店してきたお客さんと話をすると、コンプリートベスパの高評価はもちろんだが、具体的な給油方法のレクチャーや、特に【乗り方教習実施しています】の文言に惹かれて興味が湧いたとの声が予想以上に多く、バイクに乗るのは初めて、または50ccのスクーターだったら乗ったことがある等々、大半が超初心者だった。
 運転操作について言えば、ベスパは一般の国産スクーターのようなオートマチックではなく、発進には半クラッチ、加減速には変速操作と、普通のバイクとまったく同じなので、排気量100cc以上のベスパ100やET3に乗るなら自動二輪免許保持者だから問題はないが、最も問い合わせの多かった50sは、実地試験不要の原付免許か普通乗用車免許があれば法規上は運転可なので、たいがいの人たちは二輪操作未経験だ。案の定、販売が始まってみると、50s購入のお客さんのほぼ全員が乗り方教習を希望した。“乗り方教習実施しています”のキャッチが当たったのは嬉しかったが、その分納車の際には恐ろしく手間がかかる。交通量の比較的少ない裏路地へ連れて行っての教習になるが、公道なのでまったく車が来ないなんてことはありえず、非常に神経を使う仕事になったのだ。
「そうそう、もっとゆっくり離してね」
 十六歳の女の子の顔は強張り続けている。
 おっと、またまたエンスト。
「じゃ、いったん路肩へ寄せてからエンジンかけよう」
「う、動きません、、、」
「さっきも言ったでしょう、ギアをニュートラへ入れなきゃ」
「は、入りません、、、」
「ちょっと前へ押し出す感じで、スナップきかせて」
 バイク操作を一から教えるのは容易でない。
 なんとか発進ができるようになっても、新たに冷や汗をかく。
 なにも指示しなければずっと一速で走り続けるのだ。だから並走しながら、
「二速へ上げて!」、「はい三速!!」ってな感じで指示を出さなければならない。
「はいはい、いいよいいよ、そのままそのまま!」
 三速まで入ったはいいが、眼前には早くも交差点が近づいてくる。
「ブレーキ!ブレーキだよぉ!」
 ベスピーノのブレーキ操作は独特だ。恐ろしいことだがフロントは殆ど効かないので、いかにリアを上手に使うかがポイントだ。
「OK、OK!」
 なんとか止まったところまではよかったが、またもやエンスト。
「止まる直前にクラッチ握って一速へもどさなきゃって言ったでしょ」
「は、はい、、、」
 こんなやり取りが、毎週末延々と続くのだった。
 しかし苦労のかいあってか、ベスパの売り上げは順調に推移し、新車販売台数は開始から一年を待たずして、全国で三番目に入るペースへと成長した。ちなみに一位は専業店のホノラリー、二位は神奈川県の丸富オートである。


 しかもこの空前のぺスパブームに乗るように、大手出版社であるBBC BOOKSより、ベスパのすべてを紹介する【VespaFILE】という本が刊行されることになり、その取材先のメインとしてモト・ギャルソン吉祥寺店が選ばれたのだ。スタンドのかけ方から簡単な操作法に関しては俺、メンテナンスに関しては吉本くんが担当した。取材と写真撮りに半日以上も要し、どのような本に仕上がるのかとワクワクである。
 この頃になると店の雰囲気にちょっとした変化が生じてきた。来店客にモッズ風が多くなり、峠帰りのつなぎ姿の常連さんとバッティングしたりすると、絵柄のアンマッチングが甚だしい。
 いったいこのバイク屋、なにをメインに売っているのか? 

バイク屋時代 16 Vespa 1

 Vespa(ベスパ)というバイクをご存じだろうか。1953年公開の映画“ローマの休日”では、オードリー・ヘップバーンとグレゴリー・ペックがベスパに乗ってローマの町を駆け抜け、そのシーンが話題となった。

 1979年に公開された映画“さらば青春の光”では、モッズスタイルの若者の象徴的な乗り物として強烈にアピール。そう、ベスパはイタリア生まれの“元祖スクーター”なのだ。
 ちなみに工場長の吉本くん、この映画“さらば青春の光”にかなり影響を受けたと思われる。

 社長に呼ばれたので仕事帰りに三鷹店へ寄ると、前置きなしに「吉祥寺店でベスパの取り扱いを始めようと思ってね」との一声。詳しく聞くと、なにやら吉本くんの押しの一手に社長が屈したようなのだ。店長である俺をスルーしての話なので、ちょっとカチンときたが、うちの会社はとにかく組織運営が希薄な社風なので、似たようなことには屡々遭遇する。ただ、どのような経緯があったにせよ、一従業員の趣味的な要望をビジネスとして受け入れたことは驚きだ。

 ベスパの取り扱いを始めるにあたり、目玉商品としてビンテージ車両を店頭へ並べることも決まっていた。そのために素性の知れない輸入業者から決して安価とはいいがたい、スタンダード、GS等々の人気ビンテージ車両を仕入れるとのこと。支払いはすでに済んでいるようだが、これが悪徳業者だったらどうするのか。これも社長得意の「スタッフの自主性を重んじた」ということだろうが、間違いなくリスクは大きい。
 一方、新車の仕入れ先になる銀座の成川商会とは、具体的な取引方法の打ち合わせを吉祥寺店で行った。

「はじめまして、成川商会の塚田です」
 40代後半と思しき担当営業マンの塚田さんは、親しみやすい笑顔が印象的だった。車体、部品、オプション品のマージンとそれぞれの発注方法、最後に車体クレーム時の対応等々の説明が順序よく行われた。
「ギャルソンさんのような販売力のある会社に扱ってもらえて、ほんと、期待してます」
 揉み手である。
「いやいや、流行にちょっと乗ってみようかなってね」
「またまたぁ~、実力が他とは違います」
「まあ、うちだけの売り方ってのも考えてますけど」
「えっ? それはどのような」
「企業秘密」
 成川商会を介して売ることになったベスパは、本国イタリアではとうの昔に発売終了となっているベスピーノというビンテージモデルが中心になる。なんとベスピーノは日本市場だけのために継続生産するというのだ。現行モデルはモダンなスタイルで、残念ながら日本国内での注目度は低い。


 ベスピーノは、映画“さらば青春の光”に出てくるビンテージベスパのディテールを承継する、いわゆる古き良き時代のデザイン。エンジンは2サイクルだが、給油の際、入れたガソリンの量に合わせて、その都度2サイクルオイルをガソリンタンクへ注ぎ入れる混合ガソリンタイプになる。日本国内の製品でこの方法を使っているのは、モトクロッサーなどの“コンペティションモデル”のみ。ホンダ・Dioやヤマハ・JOGなど一般的なスクーターを始め、市販2サイクルモデルは全て2サイクルオイルタンクを持つオートループタイプで、エンジンシステムが自動的にガソリンと2サイクルオイルを混ぜてくれるのだ。
「じゃ、とりあえず、50S、100、ET3を各一台ずつ入れますよ」
「ありがとうございます!」
 モデル名称の通り、50Sは50cc、100は100cc、そしてET3は125ccという排気量になる。
 塚田さんに豪語した“うちだけの売り方”。これに関しては、ベスパを十二分に研究していた吉本くんが秘策を持っていた。
 ベスピーノの発売は1960年代と非常に古く、設計はまさに前時代的なもの。それを日本からのオーダーにより、再び当時の仕様そのままで製造する。当然期待できる需要が見込まれたからこそ発生したプロジェクトであり、渋谷を中心に広まったモッズブームの影響はそれだけ大きかったと言えよう。その波は吉祥寺の町にも押し寄せ、“さらば青春の光”から飛び出てきたようなモッズパーカーを羽織り、首にはハルシオンのゴーグルを提げている若者達をあちこちで見かけるようになった。
 このブームに便乗し大きく飛躍したのがホノラリー(Honorary)と称するベスパ専門ショップ。噂によればその昔、渋谷のモッズ族にホノラリーというグループがあって、そこのメンバーがベスパビジネスを起業しようと、グループ名と同名のショップを立ち上げたらしいのだ。いずれにしても、<ベスパ=ホノラリー>という公式ができあがるほど東京界隈では有名になっていたので、後発となる我々モト・ギャルソンとしては当然“策”は必須だった。
 吉本くん考案の秘策とは、ベスパの前時代的な設計からくる数々の使いにくさやトラブルを全て改良し、誰でも安心して乗れるベスパを標榜するというもの。
 ベスピーノの主な問題点は以下である。
1. クラッチならびにシフトの操作が重く渋く、どちらもワイヤーが切れやすい。
2. ブレーキが甘い。
3. エンジンカバーが走行中に脱落する。
 以上を改良し、出来上がった車体を“モト・ギャルソンコンプリートベスパ”と称し、販売価格は新車価格に30,000円を上乗せする。
 そもそもベスパのワイヤー類は、現行他車に使われているものとは比較できないほどの低品質。鉄製でしなやかさがなく、また錆びやすいので、アウターとの抵抗が生じ、重いとか渋いとか、数々の問題が出てくるのだ。これを国産モトクロッサーに採用されているステンレス製をベスパの寸法に合わせて作ってもらい、交換&調整することにより数段滑らかな操作性を得るというもの。
 ワイヤーの試作品が納品されたので、さっそく組み付け操作してみると、驚いたことに別物へと変貌した。
「これ、全然違うね」
「でしょ」
 試乗すればさらに一目瞭然。とにかく操作系がスムーズ。まるで国産メーカーが作ったベスパ?のようである。軽く握れるクラッチ、前後に小気味よくカチッカチッと入るシフト、利かないブレーキもレバー&ペダルタッチが向上したためにコントロールが容易になった。この改良による“差”を多くのユーザーにアピールできれば、ホノラリーに対して一矢を報いることができるかもしれない。
 さっそく成川商会の塚田さんへその旨を伝えると、すごく興味を持ってくれ、
「すぐに広告掲載した方がいいですよ!」
と、逆にはっぱをかけられた。うちの雑誌広告を手掛けている広告代理店“アース企画”へは既にすでにその旨を伝えていて、打ち合わせのアポも取ってあった。
 この他、オリジナルワイヤーの正式発注や店内レイアウトの変更に追われ、あっという間にひと月が経とうとしていた。

「きたよビンテージが!」
 一刻も早くショールームに並べなきゃと、はやる気持ちを抑え、皆で木枠をトラックから降ろして開梱作業にかかった。
「おおっ、あんがいまともじゃん」
「これ、スタンダードだけど、まあまあオリジナルだね」
 配達された三台のコンディションはおおむね良好で、スタッフ一同胸をなでおろした。外国から仕入れるビンテージバイクなんてものは、博打以外の何物でもない。
「これだったらもっと欲しいな」
 ええっ?!、いいのかな、そんなに入れ込んで、、、
 実は、吉本くんのこの一言。余計だった。