バイク屋時代 37 モト・ギャルソン杉並店

 新店舗探しの進捗状況は相変わらず芳しくなく、本店の契約満了日だけが日一日と迫っていた。
「ここしかないかな」
「環八ですよね?」
 荻窪の四面道交差点から北へ300mのところにある、マンション一階部分のテナントが空いているのを、たまたま通りかかった社長が見つけたのだ。さっそく不動産屋を当たってみると、賃料がやや予算オーバーだったが、間口が広く、ショールームとしてはまあまあな条件がそろっていた。ただ、来店客用の駐車スペースが一台分しかなく、しかも交通量の多い環八からバックでの車庫入れを強いられることになり、利便性が良いとは言い難い。それと工場スペースはショールームの真裏になるが、車両の出し入れは正面入り口一カ所のみで、ショールームのど真ん中を突っ切らなければならない。この二点が気になるところだが、ほかにこれといった物件も見当たらず、社長の考えもほぼここで決まりのようだったし、俺も二度ほど現地を見に行ったが、理想を追いすぎてもタイミングを逃してしまうのではと考えるようになった。
「うん。悪くないと思うよ」
「この先見つかるとも限らないですよね。いっちゃいましょう、ここで」
「いくか」
 理想を追えばきりがないし、何より先に進めたい気持ちが膨らむばかりだった。

 賃貸契約が完了すると、翌日には東亜建設が入り、内装、外看板等々の打ち合わせが行われた。東亜建設の社長である長嶋さんは、かなり以前から大崎社長と懇意にしているようで、本店、ギャラツー、そして調布、東村山と、モト・ギャルソンの店舗建設はすべて任せていた。このような経緯があったため、東亜建設は業界の中でもバイク屋の店舗ノウハウが抜きんでて高くなり、親切な大崎社長は、同業者へその旨を含めて紹介し、この頃では東京エリアのハーレーディーラーとドゥカティディーラーの新店舗やリニュアル工事の大半を手掛けるようになっていた。
「ギャルソンさんへ足向けて寝られないですよ」
「ははは、だろ~。ところでさ、お願いがあるんだけど」
「なんでしょう」
「ドゥカティ大田をやったからわかっていると思うけど。今度のうちの店、ドゥカティストアのデザインをパクリでやって欲しいんだ」
「いいですけど、ジャパンの方は大丈夫なんですか?」
「関係ないね」
 さすが大崎社長。このような展開には有無を言わない即断力がある。
 ハーレーのディーラーやドゥカティのストアには、店舗の設計やリニューアルの際に、メーカー指定の店舗デザインに準じなければならないという決まりがあり、店側の勝手は許されない。しかもデザインだけでなく、内装などの部材もDJ指定のものを使わなければならず、コストは驚くほど膨らむ。ところが今回の杉並店はドゥカティストアではないし、また、ハーレーと違ってBUELLの正規ディーラーにはデザインの縛りがない。この隙間を使ったわけだ。まあ、完成の暁には間違いなくDJからクレームが出るだろうが、社長に言わせれば、
「作った者勝ちだよ」

 杉並店はフロアや工場スペースの形や大きさが、ドゥカティ大田にていると、DJ営業の新藤さんが言っていた。ショールームや部品スペースのレイアウトを考えるにあたり、大いに参考になると思い、アポを取って大田区は環七沿いにある同店へ見学に行ってみた。店長Aさんは以前からの顔見知りなので、いろいろと聞き出すつもりだ。

「どうも、ご無沙汰してます」
「いらっしゃい、ギャルソンさんもついにドゥカティ本腰ですね」
「いやいや、ストアじゃないから」
「でも、ビューエルといっしょにやるっての、いいかも」
 Aさん、ずいぶんと細かいところまでよく知っている。もっとも、うちの社長は“情報漏洩のプロ”だし、そもそもAさんが所属する㈱KのM社長とは特に仲がいいから無理もない。

現在のドゥカティ東京大田

 ドゥカティ大田のショールームは、言われたように杉並店と縦横寸法もほぼ同じであったが、工場と部品庫は“裏”ではなく、何と二階である。入口は北側になり、正面には大きく頑丈そうなリフトが備えられている。リフトのランニングコストと使い勝手は定かでないが、ショールームを突っ切るよりかはましかもしれない。そして参考になったのは部品棚。うちの本店やハーレー店でも使っている移動式のスチール棚だが、部品の整理の仕方が上手く、始めて見る者にでも、何がどこにどれほどストックしているのかが分かりやすい。本店のメカニック達にも見せてやりたいものだ。
「ここは何人でやってるんです?」
「僕入れて五名だけど、人件費の枠としてはぎりぎりかな。近いうちにメカを一名東名横浜へ持っていかれそうですよ」
 “ドゥカティ東名横浜”は㈱Kのいわば基幹店であり、その売上げは全国のドゥカティストア中トップである。
「そりゃたいへんだ。今日は忙しい中ありがとうございました」
「落ち着いたころに木代さんの店、遊びに行きますよ」
 帰路の車内では、様々なアイデアが浮かび上がっていた。

バイク屋時代 36 モンスターS4

 「こんちは~」
 入口に姿を現したのは、DJの担当営業マン“新藤さん”。
「どうです部長、ドカの反応は」
 短くカットした頭髪と、人を射るように見つめる大きな目。やや強引なところはあるが、洗練されている所作からは、“やり手”を窺える。
「まだ始めたばっかりじゃない、これからだよ」
「ところで、店探しはどうです、いいとこありました?」
「五日市街道沿いにまあまあな広さの物件があったんだけど、歩道からの段差が大きくて、バイク屋として使うには無理っぽいかな」
 ちなみに彼にもサーチの協力をお願いしている。

モト・ギャルソン本店 ドゥカティコーナー

「どうせならストアにしちゃいましょうよ」
「だめだめ、うちの社長、ドカ嫌いだから」
「えええ、そりゃないでしょう」
「口癖のように、“ドカはもうからない”って言うんだぜ」
「なんですかそれぇ~、今日はちゃんともうかる話、持ってきましたから」
 営業マンが持ってくる“もうかる話”ほど、もうからない話はない。
「そのまんま持って帰ってよ、聞きたくないから」
「まあまあまあ」
 話とはこうだ。
 SS900Darkを三台まとめて買ってくれと。買ってくれれば一台当たり15万円のマージンをプラスしますよと。一見、もうかりそうな話だ。

モト・ギャルソン本店店内 左:ドゥカティコーナー 右:ビューエルコーナー

 Darkはその名のとおり、車体色は黒、それも艶消し。普通のSSだったらアルミ製のパーツを使う部分も、Darkは廉価版ということでスチールに換えてコストを抑え、上代も10万円ほど安く設定してある。このマットブラック仕様のモデルはSS900の他にモンスター900もあり、本国並びにヨーロッパではそこそこの人気があるらしい。しかし、日本でドゥカティと言えば、やはりボディーカラー“赤”または“黄”が定番として通っている。だから価格が安くても、マットブラックではなかなか売れず、結局のところDJの倉庫を圧迫しているのだろう。それを解消したいために、営業マンが必死になって売りに来るのだ。
 マージンがプラス15万円もついているなら、そこそこ儲かりそうだと思うだろうが、正規販売店の上にはドゥカティストアがあり、当然ストアのほうがプラスマージンは大きい。仮に親であるTモータースと競合にでもなれば、価格では確実に負ける。無理な値引きをして成約を取ったとしても、儲けは雀の涙かそれ以下。
「Tモータースさんは近いから、競合になることが多いんだよ。ストアってさ、プラスマージンいくら出してんのよ?」
「そりゃ~、ギャルソンさんよりは多少…」
「多少じゃないでしょ、25万??」
「いやいやそんな」
 終わりのないやり取りだ。
 ただ、時には営業マンの立場も考えてあげなければ、大人の関係は保てない。“肉を切らせて骨を断つ”。折れることの裏には意味がある。
「しょうがないなぁ~」
「ありがとうございます」
「二台で同条件なら買うよ」
「えええええ」
「今月はハーレーの支払いがかなり多いんで、ない袖は振れないな」
「そこをなんとか…」
「なんとかなりませ~ん」
「わ、わかりました、それじゃ今回は二台15万ってことで」
 不毛なやり取りはちょくちょく起こる。

 2001年。ドゥカティの市場に活況をもたらすニューモデルが発売された。モンスターS4である。それまでのモンスターは、搭載エンジンが空冷で、伝統は継承しつつも、他社ネイキッドモデルと現実的なパフォーマンスの比較をすれば、一時代前と言わざるを得なかった。ところがS4は、スーパーバイク916の水冷エンジンを再チューンした上で搭載し、その官能的フィーリングはもちろん、スーパーバイク916に肉薄する走行性能を、ネイキッドバイクで楽しめるという触れ込みが反響を呼び、各バイク雑誌のメイン記事として取り上げられた。うちもさっそく試乗車を用意し、拡販に向けての準備を進めた。

 ドゥカティの水冷エンジンは以前からとても興味があったので、定休日に慣らしを兼ねて伊豆箱根を中心に走り込み、実際の魅力の程を探ってみた。
 東名高速は火が入ったばかりのエンジンを労わるために法定速度をキープ。御殿場ICで降り、箱スカ、芦スカと流していくと、空冷モンスターとは段違いな使いやすさに気がつく。これまでの900cc空冷エンジンは、「デスモってこんなもん??」と勘繰るほど高回転域に力がない。ところがS4は打って変わって伸びがスムーズ。4ストマルチのような爆発的なトルクは感じられないが、とにかく扱いやすく、伊豆スカへ入るころには、特性がわかってきたせいか、自然とペースが上がった。ただ、ハイスピードでコーナーへ侵入し、シフトダウンが甘かったりすると、エンジン回転と車速に差異が発生し、ホッピングという現象が簡単に起こり縮み上がる。こうなると曲がるどころではなく、下手すりゃガードレールへ激突だ。ホッピングはリアタイヤが路面をとらえられなくなり、スイングアームがポンポンポンと跳ね上がる現象であり、エンジンブレーキの利かない2ストでは基本起こらない。反面、4ストならどんな車両でも起きえるものだが、ドゥカティは抜きんでて顕著に出る。同じツインスポーツのビューエルでは、それほど気にすることはなかったので、ほんとびっくりした。尚、クラッチAssy.を“スリッパークラッチ”なるものへ交換すると、かなりなレベルで解消できる。
 
 一発で気に入ったS4。常連を皮切りに、新規来店客にも積極的に試乗を勧めたのは言うまでもない。
「どうでした?」
「いやぁ~~、エンスト、三回もしちゃいましたよ」
 そう、あまりにもレーシングライクに作られたドゥカティは、バイクライディングに不慣れな人、特に初心者は、違和感と手ごわさを訴えた。
 大きな要因は二つ。
 一つは“乾式クラッチ”。もう一つは低速でのぎくしゃく感。
 排気量が900cc以上のドゥカティは、全車乾式クラッチを採用している。ちなみに国産や他社のバイクのほとんどは湿式クラッチである。
 湿式はクラッチハウジングにオイルが入っていて、クラッチミートの際は滑らかにつながるが、乾式は何も入ってないので、クラッチ版が直接擦れ合い、繋がり方は唐突になりやすい。初心者でクラッチミートが苦手な人は苦戦すること間違いなし。半クラッチを多用すると、緩衝材であるオイルが入ってない関係上、クラッチ板だけでなく、ハウジングも想定以上に摩耗するという欠点がある。ではなぜドゥカティはわざわざ乾式を使うのか?
 これもレーシングライクに起因する。
 パワーを上げれば、それを受け止めるクラッチを大型化しなければならないが、当然重量が増える。その点、摩擦係数の高い乾式ならば、小型のままで使えるのだ。それと、注入されているオイルは、エンジン回転数が高まれば高まるほど、それ自体が抵抗となり、パワーダウンの一因となるのだ。
 低速走行時のぎくしゃく感については、もはや90度ツインの宿命。初心者にはやや抵抗があるだろう。4ストマルチのように、トップギヤホールドで、時速30kmからスムーズに加速するような芸当は逆立ちしても不可能だが、車速に対して絶えず適正なギアをチョイスできるようになれば、なんのこともない。
 このような諸々のマイナスイメージを感じつつも、ドゥカティならではのエンジンフィールに少しでも興味を持った方たちは、かなりな確率で成約してくれた。
「ちょっと手こずったけど、おもしろそう」
「加速の時の鼓動感がいいよ」
「ブレーキ、めっちゃ効くんですね」
 これまでドゥカティと言えば、かなりコアなファンのみの乗り物だったり、メーカーだったりしたが、モンスターS4は、少しでも多くのバイク好きにドゥカティの魅力をを知ってもらおうという、メーカーの意図がよく表れた会心のニューモデルなのだ。

バイク屋時代 35 ハーレーダビッドソン沖縄

 新しい店のサーチは思いのほか難航した。大崎社長は自称“店探しのプロ”?なので、不動産屋はもちろん、銀行、損保、組合と、広範囲に網を張っていたが、食指が動くような物件はなかなか出てこなかった。ただ、DJとの契約は完了していたので、モト・ギャルソン本店にはすでにイタリアンレッドのドゥカティが並んでいた。妥協してへんちくりんな店で苦戦するよりは遥かにマシである。
「それにしても996ってかっこいいですね~」
 常連の大田くんが、コーヒーカップ片手に深紅のボディをしげしげと眺めている。ビューエルコーナーの向かいにドゥカティコーナーを作り、とりあえずスーパーバイク996とモンスター900の二台を展示した。特に996はレーシングスタンドを使うと、そのレーサー然とした美しさが際立ち、俄然目を引く。モンスターもジャンル分けすればネイキッドなのだろうが、フレームを中心にバランスよく配置されたタンク、シート、サイレンサーは、傍に展示してあるヤマハのXJR400と比べると、どうしたって美的なまとまりは数段上だ。

「ドゥカティ、欲しいの?」
「ん~~、今はお金ないけど、一度は所有してみたいな」
 よく来店するスポーツバイク所有の常連客に、ビューエルやドゥカティの感想を聞いてみると、興味があるとないとでほぼ半々に分かれた。1992年にホンダCBR900RRが発売されてから、スーパースポーツ好きユーザーは、頂点性能を売り物にしている国産リッタースポーツへと視線が向いているのも改めてはっきりした。それこそ一昔前のGP500マシーンに迫るスペックは、難しいこと抜きに魅力的だ。ただ、ドゥカティのデザインについては、揃って「かっこいいね」が飛び出した。
 一方のビューエルも予想以上の健闘である。二年目に入ってからもモト・ギャルソンの販売台数は全国トップを継続し、週末に訪れる常連客の大半はビューエルオーナーと化していた。G GLIDEの会員数は二十名を超え、ツーリングのみならず、飲み会なども頻繁に行われるようになり、仲間の輪は着実に広がっていた。

南伊豆・奥石廊駐車場にて

「こんちわ~」
 春先に逆輸入車のホンダCBR1100XXを新車で購入してくれた原島くんだ。
「おうっ、ツーリングの帰りかい?」
「いやいや、ちょっとお話があって」
 彼はカスタムに興味があるから、マフラー交換の相談かもしれない。
「どこのマフラーにするか決まったんだ」
「違うんです。実は代替えしようと思って」
「えっ、ブラックバード買って半年ちょっとしかたってないじゃん」
 詳しく話を聞くと、先回のビッグツーリングへ参加した際に、刺激的なVツインサウンドを放つビューエルに一目惚れしてしまい、しかも愛車を囲み、和気あいあいとしたメンバー達を見ていたら、どうしてもビューエルが欲しくなり、つい最近発売したばかりのX1に買い替えたいとのこと。

 X1 LightningはS1の後継モデルで、発売は1998年9月。ハーレーでいうところの1999年度モデルである。フルモデルチェンジと称して憚らない内容は、エンジン本体がスポーツバイクであるビューエルに最適化された新設計になり、排ガス規制に対応するため、キャブレターからフューエルインジェクション(DDFI)へと変更になった等々、大幅な変更が図られた。実際に乗ってみると、エンジンマウントとフレームの強化によって、コーナリング中の安定感は格段に向上していた。
「ブラックバードみたいにはスピードでないよ」
「いいんですって。それともうひとつお願いがあるんですけど」
「なに?」
「入れてください、ギャルソンに」
 原島くん、学校を卒業してからも進むべく道が見つからず、アルバイトをしながらいろいろと考えていくうちに、好きなバイクを扱える仕事がいいのではと、つい最近決心が固まったようである。
「わかった。とにかく社長に話してみる」
「よろしくお願いします!」

 小太りで色白、くりっと目が大きく、いかにもいいところの家庭で育ったボンボン。そんな雰囲気剥き出しの彼。大崎社長の好きなタイプではなかったが、ビューエル&ドゥカティの新店要員として採用が決まり、一か月間の研修が調布店で始まった。
 調布から本店へ本配属されると、当初の予想を覆す頑張りをみせ、コンスタントに売り上げを伸ばしていった。
「原島くん、けっこう売るね」
「だめですよ。新店要員なんだから」
 社長も笑みが出る。もともと原島くんは俺のお客さんだったから、採用に際しては社長にやや無理を通してもらった。だから彼の働きぶりを見てひと安心である。販売に慣れてくると、今度はG GLIDEの世話係を買って出て、ツーリングコースの選定から飲み会の段取り等々、積極的に動いてくれた。いい意味でまだお客さん感覚が抜けていないから、このような仕事が楽しくてしょうがないのだろう。久々に頼りがいのあるスタッフが育ちつつあり、新店への展望が開けてきた思いだ。

 外車の色が濃くなるにつれ、当然のように国産ユーザーの店離れが進んだ。独立して修理メインの店を出した近江くんに連絡を入れると、アフターサービス等々を求めて来店してきたギャルソンのお客さんはそれほど多くなく、ほとんどの方たちは他店へ鞍替えしたと見るべきか。致し方ないとは言え、週末ごとに遊びに来てくれた国産ユーザーの面々が、ことごとく離れて行ってしまう現実を目の当たりにすると、言いようもなく寂しいものだ。
 そんなある日。社長からまたまたとてつもない話が飛び出した。
「木代くん、こんどね、ハーレーダビッドソン沖縄を出すことにしたよ」
 びっくりである。いくらハーレービジネスに勢いが付いてきたと言っても、こう立て続けでは、はたして人員体制やら資金やらが追い付いていくものなのか。三十坪のバイク屋を出すのとはわけが違う。しかも店名にハーレーダビッドソンを冠するということは、正規ディーラーである。
「ハーレーダビッドソンって、それ、LTRじゃなくて正規ディーラーなんですか」
「ふふ」

 HDJ社長の奥村さんと取引をしたのだそうだ。
 ハーレーネットワークは順調に全国へと広がり、今や都道府県下で正規販売店がないのは沖縄県のみ。これを何とかしたいのが奥村さん。そこで沖縄に明るい大崎社長へ白羽の矢が立ったわけだ。子会社のゴーランドが運営するダイビングショップ“ムーバ”が、一年前に沖縄でプレジャーボートを手に入れ、ダイビングツアーを始めており、開設まで至るに当たって、現地に多くの人脈を作っていた。そんな背景を考慮され、声がかかったのだ。
「でも社長、沖縄ですよ。遥かかなたの店をどうやって管理するんですか。そもそも開業資金は大丈夫なんですか?」
「まあまあ、これがね、いい条件付きなんだよ」

 沖縄に正規ディーラーを出店してくれれば、その見返りに調布と東村山の二店を同時にLTRから正規ディーラーへと昇格させるというのだ。新規獲得力や既納客の満足度などを考えれば、これはとてつもなく大きい。当然、HDJとは直接取引となるので、トータルマージンは増え、利益は大幅に増えるはず。しかも正規ディーラー三店舗体制でだ。資金さえ何とかなれば、またとないチャンスかもしれない。
「肝心のスタッフは、だれが?」
「茂雄がなんとかウンと言ってくれたよ」
 茂雄とは、大崎社長の長男である。俺が吉祥寺店担当になったころ、ちょくちょく店に遊びに来ていて、メカたちにアドバイスをもらっていたのを覚えている。彼はバイクいじりが大好きで、現在は練馬にある某ハーレーカスタムショップにメカニックとして勤めている。ただ、新店の店長ともなれば、当然バイクいじりだけでは済まされず、人をコントロールしての店舗運営が求められる。
「よかったじゃないですか。まっ、俺はドカとビューエルで頑張りますけど」
「なんだか冷たいね」
 冷たいと言われてもしょうがない。頭の中はドゥカティ&ビューエルでいっぱい。これこそ俺の進む道なのだ。