バイク屋時代 8・ビッグツーリング下見

 ビッグツーリングの下見の日程が決まった。定休日の木曜を含む水曜~木曜一泊二日である。ところがこの下見、バイクの乗って実際にツーリングかと思っていたら、何台かの車に便乗していくのだという。せっかく店を臨時休業までするのに、これでは下見の意味が薄くなる。道なんてものは実際に自分で運転しなけりゃ覚えられないし、バイクから見る景色と、車の特に後部座席から見るそれとはニュアンスに大きな隔たりがある。これも社風の“ゆるさ”だろうか。
 下見の当日は、社長のアコード、武井くんのサニー、俺のセリカXX、松田店長のサーフ、そしてムーバ社用車のハイエースにそれぞれが便乗し出発。東名高速をひた走り、沼津ICを降りた後は駿河湾に沿って延びる県道十七号に入った。静浦からはオフロードチームの二人が乗るサーフだけが山側の林道へと消えていった。

 話はそれるが、青春時代の相棒であったセリカ1600GTVは、大きなトラブルもなく走行距離144,000Kmを走り切り、1983年の秋には同じトヨタのニューモデル、セリカXX2.0ターボへとバトンタッチを遂げていた。
 当時國學院大學の学生だった弟が、学校の帰りに渋谷のトヨタディーラーの前を通ったら、ショールームに発表したばかりのNewセリカXXが展示されていて、そのスタイリングに痛く感激。帰宅して俺の顔を見るなり、
「あれはかっこいいよぉ! ほんとロータスエスプリみたい」
 と放った。
 これが引き金になり、興味は加速的に膨れ上がった。それまでもカー雑誌のグラビアを眺めては、これまでの国産車にはなかったスポーティーなデザインに惹かれ、まだまだ走るが疲れが出始めていたGTVの代替タイミングをうかがっていたのだ。それとGTVの燃料には“有鉛ガソリン”を使うので、年を追うごとに扱うガソリンスタンドは減る一方。地方へドライブする際には有鉛添加剤を持参しないと不安があった。しかし引き締まったオリーブドラブの車体を眺めれば、なかなか手放す決心がつかず、優柔不断な性格も手伝って、不便を感じつつも通勤に遊びにと乗り続けていたのだ。
 それから一年半後、セリカXXに新ラインナップ追加のニュースを耳にするといてもたってもいられなくなり、一刻も早く販売価格を含めた詳細を知りたくて、何はともあれ北烏山のトヨタディーラーへ行ってみた。
「新しいターボは置いてないんですか?」
「発表直後で配車が追いつかないんですよ」
 今注文をもらっても納車は二か月後になるという。価格は諸費用等々含めて240万円。決して安くはないが、すでに心は決まっていた。さらに営業マンの話を聞けば、2.0ターボの車体色“白”は、オフホワイトやクリームの入ったマイルドな白ではなく、スマッシュホワイトと称するわずかに青が入った“見た目真っ白!”が売りとのこと。これは大いに気に入った。しかもちょうどこの頃、ドアミラー解禁直前というタイミングもあり、納車はドアミラー仕様だということも嬉しすぎた。

 残った四台は、ビッグツーリング恒例の“ラリー”と称するゲームが行われるコースを下見した。このラリーとは、一般公道上に設定した出発地点からゴールまでを、まずはモト・ギャルソンの女性スタッフに走らせて、その要した時間に最も近くなるように走りきるというシンプルなものだが、上位入賞者への景品は、ヘルメット、ジャケット、グローブ等々、バイク乗りだったら誰でも欲しがるグッズを毎回豊富に用意するので、参加者の熱の入り様は半端ではないという。

 ラリー候補と思しき林間の道は、中低速コーナーが連続しブラインドも多く、初心者には安全とは言い難かった。幅員が小さいのでわずかでも対向側へはみ出せば正面衝突は避けられないだろう。そんな中、先頭を走るアコードのペースが上がった。つられるように後続のサニーが速度を上げれば、必然的に俺のセリカも速度が上がる。気がつくと矢倉さんの運転するハイエースの姿は遥か後方で見え隠れしている。
「おぉぉー! この走りいいっすね~~」
 助手席の大杉くんは大はしゃぎ。しかし社長は何の意味があってこれほど飛ばすのだろう。それどころかペースはさらに上がっていった。コーナーではタイヤから悲鳴が上がりっぱなしだ。
「今テールが流れましたよね!」
 大杉くん、相当な好き者だ。
 ペースが落ちることはなくテールトゥーノーズは延々と続いた。たしか大崎社長は学生時代に四輪のジムカーナ選手権に出場したことがあると言っていたので、峠に入るとスイッチが入る質なのかもしれない。
 山間のワインディングがやっと終わり、開けた国道へ出ると、アコードが路肩へ寄せたので、後続もならって順に停めた。
「この道、危ないな」
 車から降りてきた社長の開口一番である。この道が危ないのではなく、あんたが危ない。
 この後も下見とは言い難い下見が続き、午後の遅い時間になってようやくこの日の宿のある河津七滝温泉郷に到着。夕食前に行ったミーティングでは、ラリーのコースについて再討議し、最終的にはサンセットリゾート近辺で交通量の少なく分かりやすいコースに決定。何よりお客さんの安全を重視したのである。
 二人ペアで行う各チェックポイントの係も同時に決めた。この他、宴会の出し物については、宴会係の五名のスタッフが後日企画をまとめたうえで報告ということでお開きになった。
 やはり自慢のビッグイベントだけあって、普段は緩いギャルソンでも、ことビッグツーリングとなると綿密な計画が立てられ、スタッフ総出で進めていく気合いが感じられる。ちょっと安心した?かな……

 開催日に向かって募集は順調に推移していた。参加者はゴールデンウィークが終わった時点で七十名を超えたが、まだまだ増えそうな勢いである。
「木代さん、女の子集まってます?」
 エクセルの集計表をにらんでいると、車検書類を作っているメカの西くんが声をかけてきた。
「今んとこ十四名かな」
「へー、けっこういるじゃないですか」
 男性スタッフたちにとってビッグツーリングの女性参加者は大いに気になるところ。お客さんとスタッフたちの平均年齢は共に二十歳代だ。となるとビッグツーリングは“大規模一泊合コン”と称してもおかしくない。既に結婚しているスタッフは、社長、江藤店長、松田店長、総務の矢倉くんそして俺。その他は男女ともに花の独身なのだ。そりゃ楽しみだろう。大崎社長の話によると、ビッグツーリングで知り合ったお客さん同士がめでたくゴールインしたのは、知っているだけでも十組近くあるという。話半分でも凄いことだ。今のところスタッフには寿な例はないようだが、今後の確率は決して「0」ではない。
「女性はまだ集まるよ。今月納車の三人が参加を前向きに考えてるみたい」
「先週VT250を買ってくれた子も?」
「うん。乗って自信が出てくれば参加するってさ」
「いいじゃないですか!」
 なるほどね、彼女のようなおとなしそうな子が西くんのタイプなんだ。
「でも彼女、バリバリの初心者だからグループはDだよ」
「社長にお願いして佐々さんと代わってもらおうかな~」
「勝手はダメ」
 参加者の最終集計は女性十七名、男性五十五名、合計七十二名と予想を上回った。このうち体験ダイビング希望者は十二名で、これも上々の結果ではなかろうか。

バイク屋時代 7・ビッグツーリング

「木代くんはバイクの運転、自信ある?」
 社長がいきなり聞いてきた。
「まあ、人並み以上はやれると思いますが」
「そうか。それならBをやってもらおうかな…」
 ますますわからないことを言う。戸惑っていると、ニヤッとした社長は説明を始めた。

 モト・ギャルソンのモットーは<遊べるバイク屋>。それを最も具現化しているイベントが、春と秋に開催される“ビッグツーリング”と称する大規模な一泊ツーリングだ。参加台数は七十~八十台にものぼるが、運転技量に合わせて五つのグループに振り分けることにより、すべての参加者が気持ちよくライディングを楽しめることを売りにしている。
 グループの内訳は、オーバーナナハンの限定解除組がAグループ、250ccから400ccの走り好きはBグループ、Cグループは一般ツーリングで、Dグループは初心者並びにのんびり派、そしてEグループはオフローダーだ。
 社長曰く、これほどの規模のツーリングイベントを行っているのはうちだけだそうで、最近になって評判を聞きつけた他のショップが真似し始めていると、にやけながら自慢していた。
「Bって、走り屋グループっぽいですね」
「そうね、レプリカが多いかな。先頭を走る時もその辺を考えてペースをつくるんだ」
「なんだかおもしろそうじゃないですか」
「誤解しないでな。あくまでもみんなが楽しめるレベルだから」
 いいね、いいじゃない。つまりはガソリン代と有料道路代を会社もちで峠を楽しめるってことだ。
「それとね、会社挙げてのイベントなんで、下見はスタッフ全員で行くよ」
 聞けば下見も本番と同様に一泊とするらしい。この力の入れようは本物。下見と本番で合計三日間も店を閉めることになり、売り上げにはそれなりに響くはず。大崎社長は太っ腹だ。そしてスタッフ達もこのイベントを心底楽しみにしているようだ。なぜなら開催日が近づくにつれ、スタッフ間の話題は圧倒的にビッグツーリング一色となるからだ。
「社長と組むとほんと大変だぜ。うしろのことなんかまるっきり考えてないから」
「いつものことじゃん」
「それよりさ、なんども行ってる伊豆なのに、下見の必要あんの」
「何回行っても道を覚えないやつが一人いるじゃない、ね」
「下見意味なし!」
「そういえば今回はムーバが一緒らしいぜ」
「へー、そうなの」

 ムーバというのは、大崎社長がモト・ギャルソンと並行して経営するスクーバダイビングショップの屋号。さすが大崎社長、儲かりそうだと思うと、すぐにビジネスにしてしまう行動力が半端でない。店舗は吉祥寺店のすぐ近くにあり、同じく女子大通り沿いだ。店長は下山専務の息子である孝彦くんが務めている。
 昨今徐々に人気を高めつつあるスクーバダイビング。そこにきて原田知世が主演する映画『彼女が水着にきがえたら』公開されると一気にブームの波が押し寄せた。この波はもちろんムーバにもやってきて、沖縄に支店を出すほどの活況に沸いていた。
「木代くん、ダイビングのライセンス取ったらどう。今なら社員特別価格だよ」
 鼻息を感じるほど近づいてきた社長のニヤリ顔が恐ろしい。
「ダイビングですか~、あんまり興味ないですね」
「つれないこと言わないでよ。メカの海藤くん、柳井くん、それに営業の佐々さんも取るってよ」
「はぁ~、そうですか……じゃ、、、おつきあいしますか」
 てなやり取りで、おおよそ一か月の間、貴重な休日はプールやら海やらで、お魚さんとお友達になる訓練に費やされることになった。
 講習の流れは、座学、プール講習、海洋講習と進む。
 ちなみに、湯河原にあるダイビングプールはやたらと水温が高く、これ温泉じゃないの?と疑うほどだった。何度か潜っているうちに湯あたりのような症状になり、ぐったり。翌週はダイビングプールの目の前に広がる琴ヶ浜でビーチエントリーの練習。ビーチエントリーとは海岸からそのまま海へと入っていく方法で、これに対しボートに乗って沖まで出て、そこから海へ飛び込むのがボートエントリー。重い機材を背負って波のある砂浜を沖へ向かって歩いていくのはけっこうな体力が必要だ。ただ、プールと違って海は水中に景色があったり魚がいたりとなかなか楽しい。
 卒業がかかった最終練習は、まだまだ寒さ厳しい三月の西伊豆・大瀬崎で行われた。当日は風が強く、沖には白波が立つ初心者には厳しい環境。ウエットスーツで水温14℃は過酷である。雰囲気は練習を飛び越し限りなく訓練に近く、海から上がると全員の唇は紫色に変わっていた。
 苦労の末ゲットしたライセンスは、BSAC(The British Sub Aqua Club)のノービス1ダイバー。

 しかし、その後社員旅行でグアムに行った際、ダイビングスポットとして有名なブルーホールとバラクーダロックの二本を経験したのを最後に、二度と潜ることはなかった。

「春のビッグツーリングの宿泊先が決まりました」
 閉店後、スタッフ全員が三鷹店に集まり、春のビッグツーリングの説明会が始まった。プレゼンは社長自らである。
「宿泊先は西伊豆の浮島海岸にあるサンセットリゾートで、ここはダイビングの拠点として有名なところです。目の前の海にはダイビングスポットがたくさんあるんで、今回のビッグツーリングはムーバと合同開催とし、ギャルソンのお客さんで希望者には体験ダイビングを楽しんでもらおうという特別企画にしました。よって帰路の引率にはダイビングチームを作りましたので、行きと帰りは若干引率メンバーの変更があります」
 一瞬、スタッフたちがざわめく。
 間髪をいれず吉祥寺店店長の今村くんが手を挙げた。
「じゃ、そのチーム担当はダイビングが終わるまで待ってなきゃならないってことですか」
 不満の色がありありと顔に出ている。なんともわかりやすい奴だ。
「レクチャーや終わった後の着替えがあるから、出発はだいたい二時間遅れになるかな。だから帰路のコースは最短で直帰だね」
 まだ不満顔である。
「ダイビングやる人の中にはベテランライダーもいるわけでしょ。そういうお客さんは現地解散でもいいと思うんですけど」
「そうだね、その考えもありだな。この件は一旦ペンディングにしよう」
 モト・ギャルソン得意の“ペンディング”である。
 続いて引率チームのメンバーが発表された。
 Aチーム:江藤、松本、武井
 Bチーム:今村、木代
 Cチーム:海藤、西、大杉
 Dチーム:大崎社長、矢倉、佐々
 オフロードチーム:松田、吉本
 ダイビングチーム(二日目):矢倉、松本、西
 トラック:柳井、下山専務
 というものだが、具体的に誰がどのような仕事をするかは今一つ不明。何しろ初めてのビッグツーリングだから。ただ、行先が伊豆ってのはラッキーだ。散々“詣”で走り込んでいたから、東伊豆の一部を除けば伊豆のほとんどの道は頭に入っている。それより大好きな伊豆スカイライン等々、ルートは俺好みに組めるってところがたまらない。

「ねえねえ、木代さんはどのグループ担当なの?」
 ものすごい圧迫感である。目の前には人の壁と言って憚らない巨体がどんと構えている。大常連である獣医大アメフト部の高松くんが、友人を連れて遊びに来ているのだ。顔の幅と首の幅がおんなじで、二の腕は俺の太ももほどあろうか。更には背丈もある。こんな奴に思いっきりタックルされたら、交通事故と何ら変わらないダメージを被りそうだ。隣にいる友人とやらも似たようなものだったから、息苦しいったらありゃしない。高松くんの愛車はGSX-R1100と大型のリッターバイクだが、彼が跨るとGSX-R250にしか見えないところが笑える。
「Bグループ」
「おれ、いつもAなんだけどさ、木代さんの走りを見たいから、社長に言って今回はBにしてもらうよ」
 ずいぶんとしゃらくさいことを言う。
「あはは、お手柔らかにね」
 高松くんは社長や専務、そして総務の矢倉さん等々、創業時からのメンバーと親しかったので、彼らが勤務している三鷹店にはよく遊びに来ていた。そんなことで、入社早々から彼とは話をするようになり、いち早く気の合う常連さんになっていた。
 獣医大アメフト部の“顔”のようは存在の彼は、バイクが欲しい新入部員を見つけると、その圧力?を使って半ば強引に連れてきて、すでに四~五台の成約を上げていた。モト・ギャルソンにとってはまさにオピニオンリーダー的な常連客なのだ。そんな彼もビッグツーリングをとても楽しみにしていて、やはり開催日が近づいてくるにつれ、話題はビッグツーリング一辺倒になっていた。
 お客さんからスタッフまで、皆が楽しみにしているビッグツーリング。なんだか俺もワクワクしてきた。

バイク屋時代 6・昔話の続き

 RZを手に入れたい欲求は日増しに大きくなっていったが、先ずは二輪の運転免許を取得しなければ始まらない。それには自動車教習所へ入校し、教習スケジュールに則って通学をする必要がある。しかし職場の労働環境は相変わらず問題だらけで、予定していた休日でもスタッフの人員不足などで急遽出勤なんてことがちょくちょく。とは言え、こんな時は勢いしかないと、次の休日に入校申し込みへ行こうと決めた。

「明後日さ、バイクの教習所へ行くぜ」
 この頃はまだ実家住まいだったので、同居の弟とはよくバイクの話をしていた。
 弟は小さいころから内向的な性格で、外で友達と遊ぶより家で一人でいることが多く、運動と名のつくことはすべてに興味がなく、また、強力な運動音痴でもあった。そんな彼が大学生になって三か月ほどたったころ、たまげたことにいきなり原付バイクを購入したのだ。あまりに彼らしからぬことなので詳しく聞いてみると、なんでも大学の友人が所有する原付バイクをキャンバスの構内で乗せてもらったら、一発でハマってしまったそうだ。50ccだとすでに取得している車の運転免許があれば乗ることができる。幼いころからずっと一緒に暮らしていて、彼がアクティブなことにこれほど夢中になった姿を見たのは初めてだった。
 俺も驚いたが、もっと驚いたのは両親。
「バイク、乗れるのか?!」
「やめなさいって、危ないわよ」
 なんとかやめさせようと説得はしたようだが、バイクの楽しさを知った弟の決心は鋼鉄のように固く、にっこり笑うと、
「やめないよ」

 弟が手に入れたバイクはヤマハ・TY50というオフロードタイプ。DT1の弟分のようなスタイルだ。ひと月ほどは近所で乗り回していたようだが、残暑厳しいある日のこと、早朝からバイクで出かけたきり夕方になっても戻ってこない。おふくろと一緒に心配していると、遠くからTY50らしき排気音が近づいてきた。玄関を出ると、ちょうどエンジンを切ってTY50を押して門から庭へ入ろうとしている弟がいた。日に焼けたのかはたまた排気ガスで汚れたのか、真っ黒になった顔から白い歯を見せると開口一番、
「三浦まで行ってきた」

「おっ、中免取るんだ!」
「やっぱさ、RZに乗りたいからな」
「じゃ、俺も行く」
 やっぱり。弟だっていつまでもTY50で我慢できるわけがない。
 住民票と申込金を確認し、向かったのは田無自動車教習所。自宅近隣にはいくつかの教習所があったが、教習料金の一番安いのがここだった。

 スタッフにはやや迷惑をかけてしまったが、半ば強引に仕事のスケジュールを調整し続け、無事に中型限定の二輪免許を取得。ところがその頃何かと入用がかさみ、資金が枯渇していたので即バイクの入手とはいかなかった。しかたがないので、バイク雑誌を買ってはニューモデルの記事に目を走らせたり、あれもいいこれもいいと自分なりの論評を楽しんでごまかしていたが、やはり最後は「RZ初期型だよ!」となってしまい、悶々とした日々が続くのだった。
 そんなある日。当時の配属店であるデニーズ小金井南店に、懐かしい男がやってきた。
「あれ、久しぶりだね」
「ん?」
「俺だよ、木代だよ」
「おうおう、ここで働いてんだ」
「まあね」
 中学三年の時クラスメイトだった柏だ。当時はそれほど親しい仲でもなかったが、こうして久しぶりに面と向うと、昔話や近況で盛り上がった。
「仕事中?」
「ああ。ちょっと抜け出して更新だよ、免許の」
 府中自動車試験場はデニーズ小金井南店の目と鼻の先である。よって免許証更新がらみのお客さんは多い。
 柏とは十数年ぶりになるが、太ってもいないし剥げてもいない。昔の面影そのままだ。七三に分けた髪型、やや疲れたダークスーツに革のブリーフケースと、おそらく奴の仕事は外回りの営業だろう。不況のご時世、しんどいことに違いない。そういえば柏は高校時代にバイクに乗っていたはず。
「高校のころはバイクに乗ってたよな」
「バイクはずっと乗っててさ、今も持ってるよ」
 こいつは驚き。
「へー、なに乗ってるの?」
「RZって知ってる?」
 まさかのまさか、ダブルの驚き。
「知ってるよぉ~、なに柏、RZ持ってんだ」
「お前、バイク興味あるの?」
「あるんだよ。高校の頃乗れなかったからな」
「じゃ、乗ってんだ」
「いいや、乗りたくてつい最近免許を取ったばかりだよ」
「だったら俺のRZ買わない?」
 えっ?えっ?えっ? きたきたきたぁ~~
「安くしてくれたら買ってもいいぜ」
「おっ、いいよ。最近仕事が忙しくて全然乗るひまなくてさ、手放そうと思ってたんだ」
 渡りに船とはこのこと。それにしてもいやらしいほどトントン拍子に話が進んでちょっと怖い。
 それから二週間後。名義変更を終えついにRZ250のオーナーとなった私は、休日が雨でなければ必ずRZを駆り、箱根・伊豆へと出かけた。ルートはいつも同じ。東名高速から御殿場IC~旧乙女~箱根スカイライン~芦ノ湖スカイラインと進み、伊豆スカイラインの冷川まで行って、そこで折り返し再び同じ道を戻る。
 平日の箱根・伊豆はどこを走っても本当に空いていて、特に有料道路は貸し切りサーキットと言っていいほど。いくらRZが高性能でも、伊豆スカイラインのストレートは長く、スロットルはトップギアで全開になる。この時のスピード感やエキゾーストノートはまんまGPレース。頭の芯まで痺れる強力な快感を生み、完全な病みつき状態に陥ってしまった。
 この箱根・伊豆詣が始まってから半年ほどたったころ、人事異動が発令された。辞令を見ると行先は小金井南店から遥か遠くの静岡県は沼津店である。日頃から直属上司には酷く嫌われていたので、この異動はつまりのこと“左遷”である。
 しかし俺にとっては大いにウェルカム。沼津へ引っ越したら、伊豆スカイラインは目と鼻の先。早番に入ってきっかり定時に上がればその足で“詣”が可能だ。
 そんなことで沼津店時代は本当によく走った。

 デニーズ沼津店は沼津駅北口にある大型ショッピングセンター・イシバシプラザ内にあるイトーヨーカ堂沼津店のインストア。そんなことで異動直後に催されたテナントの懇親会で、幾人かの知り合いができた。その中にホンダCB750Fを所有する松田さんがいた。彼は名古屋に本社のある大手シューズショップチェーンの沼津店店長。互いに管理者としての特権をうまいこと利用し、勤務スケジュールを合わせては二人で伊豆中を走りまくった。さらに松田さんの店には大学生のアルバイトで高品くんというバイク好きがいて、二回目の走りから仲間入りした。愛車は発売当初話題だったホンダ・CBX250RS。4サイクル単気筒の250ccなんて走るのかよ?と最初はやや冷ややかな目で見ていたが、高品くんの運転がうまいことも手伝い、特にタイトコーナーの下りでは煽られっぱなしとなった。人車共々侮れないレベルを感じたと同時に、箱根・伊豆詣の面白さは倍増した。 
「いや~、高品くん速いね!」
「木代さん、彼ね、前にジムカーナをかじってたんですよ」
「な~んだ、どうりで」
「たいしたもんじゃないっすよ」
「お手柔らかにね」
 “詣”の面白さは走りだけじゃない。休憩ごとのバイク談議は、いつも時を忘れるほど盛り上がった。今振り返れば、いやはや楽しさあふれる思い出だ。