餃子フェス 昭和記念公園

11月23日(木) 勤労感謝の日

「ねえパパ。お昼ご飯、餃子にしない?」
「いいけど、どこで?」
「昭和記念公園」
「えっ?!」

どうやって調べたのか、昨日から昭和記念公園で【餃子フェス】なるイベントが開催されているようで、リチャードの散歩も兼ねてどうしても行こうと言うのだ。
旗日なので混雑が予想されたが、昼前から雨もやみ、西方には青空も見えてきたので、渋々だが出かけてみることにした。
リチャードは車に乗り込むと、いつものようにアームレストに前足をのせ、らんらんとした眼差しで前方を注視している。
車の中では暴れることもなく、また吠えることもないいい子なのだ。

お初となる昭和記念公園は、四季折々の景観や数々のアミューズメントを売りにしている人気のスポットである。しかも写真愛好達には格好の場所らしく、この日もデジイチを手にした年配カメラマンを幾人も目にした。

大きな池に最も近い“西立川駐車場”に到着すると、ゲートで駐車料金820円を徴収された。結構いい値段である。更には車を降りて入場口まで進むと、

「なに、ここって入園料を取るのね」
「井の頭公園とは違うみたいだな」

大人一人:410円。犬がいる場合は申請書も提出しなければならない。よくある市民憩いの場所とは異なる印象だ。一方、そんなことはお構いなしのリチャード。ぴょんぴょん飛び跳ね嬉しそうである。広々とした園内に入れば、人間だって気分爽快になるのだから、犬なら尚更かもしれない。
紅葉のピークはやや過ぎていたが、葉が落ちた木々は、初冬の凜とした空気感をこの上なく演出していた。
それにしても、さっきから止めどなく響き渡る「バラバラバラバラバラバラバラ」とう騒音が耳障りでしょうがない。これ以上音量が上がったら、リチャードは怖がって一歩も歩けなくなるほどだ。
と、その時。左前方から突如大型ヘリが姿を現した。恐らく先ほどからホバリングの訓練中だったのだろう。そう、隣接しているのは陸上自衛隊の立川駐屯地である。しかしこのような訓練、なにも人の集まる祝日にやらなくてもいいのにと思う。
銀杏並木まで来ると、下り坂の先に幾棟もある白いテント群が見えてきた。それも公園の外だ。

「あれが餃子の会場みたいね」
「ほんとだ。一度出なきゃ」

入口の係員に訊くと、再入園は可とのこと。

「それじゃ、手を出して下さい」

再入園時の印として手の甲にハンコを押された。ブラックライトに反応するインクを使っているのだろう。専用のペンライトを当てると文字が浮き上がる。

会場へ近づくにつれ、嫌な予感が膨らんだ。
ブースの合間から恐ろしいほどの人波が見えたからだ。それと、こちらに向かって女性スタッフ近づいてきたので、ペットの入場について訊いてみると、

「大丈夫です。ワンちゃんいっぱい来てますよ!」

まずは一安心して入場口へ向かったが、案の定、それは凄いことになっていた。会場の左手に餃子店15店、スイーツ&ドリンクの 店5店、総計20ブースがずらりと並び、それぞれに20~30人の客が列をなしているのだ。これはもう壮観である。
その反対側には広々とした飲食コーナーになってるが、ざっと見回しても満席だ。

「どこでもいいから並んじゃおう」

最も手前が“赤坂GYOZA365”だったので迷わずそこへ並んだ。女房は隣の隣、“近江肉餃子包王”に並んだ。
おりこうさんのリチャードは、女房の足元でおとなしくしている。
今回のイベント、現金で買えるのはスイーツ&ドリンクだけで、メインの餃子は食券またはSuicaなどの電子マネーでしか買えない。どこの店も一皿600円と割高なイベント価格だが、そんなことは物ともせずの大盛況である。

さて、並んだまでは良かったが、この列、一向に進まない。10分が過ぎた辺りから少々イライラしてきた。
周りを見ても、女房の列を含めてどこの列も動きがない。
待つこと更に10分。既にあきらめの境地である。
いつになったら食べられるのだろう…
しかもこれだけ待って600円もの高い餃子が不味かったら…
不安がこれでもかとぐるぐる回り出す。
そして並んで30分が経とうとした時、気合を入れて量産し始めたか、列に動きが出始めた。
女房を見ると、殆ど最前列まで進んだようで、間もなく餃子を手にするところだろう。

余りに待ちすぎて食欲は半減していたが、熱々の餃子は素直に美味かった。肉汁が口いっぱいに広がると、条件反射でビールが欲しくなる。

「パパの美味しいね」
「肉がけっこう入ってるからな」

リチャードが欲しそうにしているが、餃子はちょっとあげられない。
気が付けば会場を抜ける風にも冷たさが加わり、斜光がすでに夕暮れの様相を見せていた。

「食べたら帰ろうか」

会場を出ると、再び西立川口へ至る坂を上がっていった。
ここが気に入ったか、リチャードが嬉しそうに右や左へ向きを変え、グングンとリードを引っ張り続ける。

池まで来ると、壺焼きの焼き芋屋が店を出していたので、ここでまた一休み。
とても甘い焼き芋をちょっとづつリチャードへあげると、それはすごい食べっぷり!

「おなか減ってたんだな」
「餃子は私達だけだからね」

駐車場を出る頃には、立川の街に明かりが灯りはじめた。
国立を抜けて五日市街道へ出た時、ふと車内が静かだと後部座席へ目をやると、
寝てる寝てる、二人とも。

若い頃・デニーズ時代 33

「木代、まあ座れ」

橋田さん、機嫌がいいのかニヤケ顔がはじけている。
最近、売り上げも堅調に推移しているので、本部に対してずいぶんとおカブを上げているに違いない。

「なんでしょう」
「さっきさ、本田さんから電話があってね、」
「はい」
「次の通達で、“木代AM”が発表されるってよ!」
「ほんとっすか!!!」

きたか、ついに。
これで憧れの黄ジャケに袖を通せる。
因みに、デニーズジャパンの親会社でもあるイトーヨーカ堂も、マネージャー職は同じ黄ジャケが制服になっている。いつだったか、両替金が不足してしまい、イトーヨーカ堂の田無店へ助けを求めに行ったとき、フロアマネージャーがデニーズと同じ黄ジャケを着用していて、<俺もイトーヨーカ堂グループの一員なんだ>と、何だかこそばゆい気持ちになったことを覚えている。
AMに昇格しても、仕事内容はこれまでと何も変わらない。しかし、UMITと根本的に違うところは、UM昇格への発射台に立ったと言うこと。このままの出店ペースが続けば、1年以内に店を持てる可能性は大いにあり得るのだ。

「お前の同期でUMはいるの?」
「まだいないと思います」
「じゃ、一番、狙えるかもな」
「いやいや」

どうやら橋田さんのニヤケ顔がうつってしまったようだ。押さえても押さえても笑いがこみ上げてきて、苦しくてしょうがない。終いには、自分を中心に会社が回り出したように思えてくるから堪らない。
組織から評価を得ることは、サラリーマンにとって最上の喜びであり、また全てでもある。UMIT昇格の時も有頂天になったが、視界にUMの席がちらつき始めた今回の話しには、嬉しさの中にも重みがあった。
げんきんなもので、こんな話が持ち上がれば途端に気分が高揚し、やる気が出てくる。

「さてと、窓ふきでもやるか!」

普段は主にBHが行っている作業だが、なんだか急にやりたくなってきた。
ぐるりと3面、汚れをすっきり落としてやれば、店内は明るくなり気分がいい。
デニーズはもちろんのこと、どこのファミリーレストランでも、店舗の窓面積は非常に大きい。そこへ来て、ロードサイドに立地していること、そして当時は禁煙席など無かったこと等々で、外側も内側も短期間で汚れてしまうのだ。
その為、一週間に一度のサイクルで窓拭きを行う必要があった。
全ての窓ガラスがピッカピカの時と汚れている時では、店内の明るさと見栄えに天と地ほどの差が出てしまうので、窓ふきはルーティンワークの中でも最も重要な作業のひとつに数えられていた。
入社直後、そう、小金井北店では毎日のようにやらされていたので、そのコツは十分体に染みついている。

「おはようございます! 」

新入社員の武藤が遅番で出勤してきた。
今年度は彼と佐々木の二名が田無店へと配属されていた。

「おうっ、おはよう」
「珍しいですね、窓ふきなんて」
「マネージャーだってたまにはやらなきゃ」
「おっ! いいことあったみたいですね」

この顔を見れば、図星か…

「分かる?」
「そりゃ、分かりますよ」
「今度さ、黄ジャケを羽織ることになったよ」
「やったじゃないですか===!」

ちょっと大袈裟に喜んでくれた武藤だが、彼の眼は笑っていなかった。
同期生は無論のこと、先輩社員までもライバル視する出世意欲満々な彼にとって、私のAM昇格は心臓にチクンとくる出来事として捉えているに違いない。
思い起こせば、こんなファイト剥き出しの新入社員が目立ったのも、彼の世代までだったように思う。年を追う毎に視線に炎を感じる新人は減る一方で、それよりいつしか<出世より安泰>、<転勤より安住>という職場考が蔓延し、仕事に対して何を求めているのか分からない、摩訶不思議な社員ばかりが増えていくのだった。

「それにしても、みんな凄いですね~」
「えっ? みんなって」
「豊田さんもUMITに昇格らしいですよ。本人から聞きましたから」
「そうだったんだ」

豊田LCは中間社員だ。デニーズ社内では中途採用の社員を中間社員と称している。
プロパーの武藤にとって、私のAM昇格より豊田さんのUMIT昇格の方が何倍も衝撃であったに違いない。社内に漂うプロパーと中間社員との見えない確執は、彼のような出世第一の男こそが強く意識しているからだ。
そういう私も、入社して1年も経っていない豊田さんが、早々にUMITへ昇格する事実など、素直に受け止めることはできなかった。

夕方から風が出始め、早くなった雲の流れは、天候が崩れていく兆候だ。
今年初の台風上陸は、何と東京を直撃するらしい。
思い付きできれいにした窓も、明日には風雨にまみれてまた磨き直しか…

腸脛靭帯炎

先日の西沢渓谷で膝の調子に自信を持った私は、更に弾みをつけようと、翌々週の休日に、今度は奥多摩へと出掛けてみたのである。
山に入って一日中快調に歩けた時の喜びは大きい。これは膝痛持ちしか分からない“感動”と言って憚らないもので、激しく痛む左膝を庇いながらの下山になれば、精神的にも辛く、いったい何のために山へ入っているのかと、自問自答までが飛び出すことさえあるのだ。

25年程前まで、多少だがゴルフを嗜んでいた。学生時代にゴルフ場でアルバイトキャディーをやったり、体育の授業にゴルフがあったりと、若い頃から少なからずの関わりがあったので、それほど好きではなかったが、一応一通りの道具は揃えていた。
今の勤め先に入ると、社長が大のゴルフ好きということで、年に2~3回はスタッフコンペを楽しんだり、同業者のコンペに参加したりと、プレイの頻度は高まっていった。
そんなある日、あと2ホールを残すという頃、突如左膝に違和感が出始め、それは徐々に痛みへと変わり、終いには足を引きずるまでになってしまった。
クラブハウスで軽食を取り、それでは帰ろうかと下り階段に一歩踏み出すと、またもや痛みが走り、手すりを使わなければまともに下ることすらできないのだ。しかしそんな後でも平坦路では痛みらしい痛みは感じず、翌日になれば、昨日の膝はどうなっていたのだろうと、首を傾げるくらいに回復するのだった。
実はこれが【腸脛靭帯炎】の典型的な症状であり、こいつが山歩きを趣味にした時、大きな壁となって圧し掛かってきたのである。
そもそも腸脛靭帯炎とは、< 膝の屈伸運動を繰り返すことにより、腸脛靱帯が大腿骨外顆と接触(擦れる)して炎症(滑膜炎)を引き起こし、疼痛が発生する >というもので、これまでは予防策として、山に入る直前に膝脇のストレッチを行い、接触点周辺の張った靭帯の緊張を解してやったりと、そこそこに意識して続けてきたが、余り効果らしいものは得られなかった。
そこで更に詳しく調べ進めると、この腸脛靭帯は腰回りにある大腿筋膜張筋や臀部全体の筋肉と繋がっていて、その辺の張筋や筋肉も同時に柔らかくしなければ全く意味のないことが判明した。
特に日頃から行う大腿筋膜張筋のストレッチは重要なポイントらしく、それではと、毎朝夕に15分間ほど行うことにしたのだ。
まだ始めたばかりなので、どれほどの効果が出ているかは定かでないが、先日の西沢渓谷では、約4時間の歩行の間に一度の違和感も痛みも発生しなかった。

11月2日(木)。この上ない快晴に恵まれた奥多摩地方。体調はボチボチだったが、何より膝の調子が上向きだったので、馴染みのコースで様子を見てみようと、<鳩ノ巣駅⇒ 御岳山 ⇒ 日の出山 ⇒ 愛宕尾根 ⇒ 二俣尾駅>を選んだ。コンディションが整うと、心は自然と高揚してくるものである。
馴染みの鳩ノ巣無料駐車場へ車を停めると、すぐに出発。R411を横断して多摩川を渡った。

「なんだって、工事中?!」

補修工事の為にいつものルートは使えず、迂回ルートが指示されていた。読めば城山経由となっていて、距離は少々増えるようだが、初めての道は楽しみでもあった。一応山地図を開いて確認すると、なんとこの迂回路、載っていない。普段は余り人の入るところではないのだろう、すぐに荒れた道を想像する。

それまでの林道から右手となる山側に入ると、一気に高度を上げようとする巻き道が連続した。枯葉が積もった極端に狭い山道をトラバースしていくのは、結構な神経を使う。山側にホールドできる樹木があれば安心だが、全くないところを3m、5mと進むには、とにかく集中する以外ない。
何度かの急登をクリアすると、“鳩ノ巣城山”の道標が忽然と現れた。見晴らしは全くきかないが、頂は平らでそこそこの広さがあったので、ここで休憩を入れることにした。
切り株に腰掛け、菓子パンを頬張る。まだ歩き始めだが、疲れているのか、甘さが体に染み入っていくようだ。
予想以上に汗をかいていたので、パーカーを脱ぐと、木々を通り抜ける微風を感じられ、背中がヒヤッとした。
ここも奥多摩に多く見られる施業林だが、私は好きである。

大楢峠に到着すると、馴染みの山にいる安心感がこみ上げてきた。今回は計画通りに裏参道で御岳山へ向かうが、次回はここから鍋割山へ向かうルートにトライしてみようと思っている。
そう、この頃になって当たりが出てきた感のあるモンベル・ツオロミーブーツは、堅牢且つ非常に歩きやすいので、トレッキングブーツを検討している諸氏にはおすすめしたい。

御岳の集落に到着すると、いつもながらの活況が出迎えてくれた。改めてここは人気のスポットなのだとしみじみ感ずるところだ。
目抜き通りに入ると、どこかの女子高のハイキングらしく、山頂方面から数人単位のグループで次から次へと降りてきた。彼女達に疲労などないのだろう、皆黄色い声を発し、それは賑やかだ。ところが偉いもので、殆どの子達がすれ違いざまに、<こんにちは!>の一声を投げてくるのだ。これは先生方の指導の賜物だろう。

御岳から日の出山へ向かう道筋で、何と5名のハイカーに抜かされた。自分で言うのもなんだが、私の歩行速度は遅い。しかしこれは長年の山歩きで得た最適なペースであり、絶対に崩すことはない。
ところがだ、若い子や同年代の方々に抜かれも全く動揺はしないのだが、最後に抜いていった一人の男性は、どう見ても70歳代。背中が丸く顎も出ているのに、恐ろしくハイピッチなのだ。この時ばかりはいつもの自分を見失った。気が付くと男性の背後数メートルに付き、追尾を始めていたのだ。
男性は歩幅が極端に小さいのでハイピッチになるのだが、それにしても速度がある。急にそのペースに合わせた為に息が上がったが、今日は膝の調子が良いので構わずついていった。しかし正直なところ、この速度はきつかった。
300mほど追尾しただろうか、男性のペースは頑固なまでに落ちず、徐々にだがその背中が小さくなっていったのだ。

― あ~、馬鹿な真似はやめよう。

敗北である。男性は間違いなく山のベテランであり、そのキャリアは相当なものとみた。山が好きと言ってもたまにしか歩かない私では敵うわけがない。それより一時の感情でペースを崩したことが悔やまれてならず、伊豆スカイラインで峠ライダーをやっていた頃から少しも成長していない自分に気が付き、とてつもなく情けなくなってきた。

日の出山山頂に到着し、辺りを見回したが、あの男性の姿はなかった。
ここで休憩しないわけはないので、途中、五日市方面へ降りて行ったのだろう。全く恐れ入ったものだ。
オーバーペースでかなり疲労してしまったが、多少なりとも食欲はあったので、昼食にありつくことにした。
最高の天気で眺望は素晴らしく、西武ドームがくっきりと見える。更にはポカポカ陽気が山頂を覆っていたので、満腹になると眠気が襲ってきた。山の良さを感じる一瞬である。
若い女性の二人組、年配女性の二人組、カップル三組、単独女性一人、そして単独男性は私を入れて四名。いつもながらの賑やかさ。アクセスが良くこれだけの景色を眺められるのだから、人が集まるのも 頷ける。私自身、何度訪れたか分からない。

秋の夕陽はつるべ落とし。余りのんびりしていると愛宕尾根でヘッドライトを使う羽目になる。さっそく下山を開始した。

ここからが正念場である。腸脛靭帯炎、つまり膝痛は下り時に発症するからだ。
頂上からは急な下り階段が連続し、それは膝痛が起きる典型的な状況と言える。調子の悪いときは早くもこの階段で違和感が出てしまい、ゴール直前である愛宕尾根の急坂を、痛みに耐え、歯を食いしばりながら、亀のような速度で下っていくのだ。

― 今日はどうした?! なんだかいい感じだぞ~☆

それでも左膝を気にしながら歩を進めたが、あっという間に梅ノ木峠に到着し、最後の休憩に入った。
ここにはおあつらえ向きのベンチがあるので、どっしりと腰を据え、ストレッチを始めた。腰回りを伸ばしたら、次は膝外側の靭帯を伸ばす。これを3セット行うと下半身が幾分軽く感じるようになり、気分も落ち着いてきた。
東へ目を向けると、山間を縦横無尽に走る送電線に斜光が反射し、夕暮れの様相が濃くなりつつあるのが分かった。ザックを背負って水分補給を行うと、早々に出発した。

愛宕尾根でも膝は絶好調。結局、ゴールである愛宕神社に至るまで、違和感すら覚えることはなかった。
非常に嬉しいことではあるが、今後を考えれば、その要因を知りたいもの。
先回の西沢渓谷が足慣らしとなったのか、はたまた最近始めたストレッチの効果が出たのか、それともその二つの相乗効果によるものなのか。
山歩きも雪が降りだせば来春までお預けだが、その期間こそ膝を改善する大事なインターバルになる。
今後は更に研究を重ね、来春こそテン泊を復活させたいと思っている。

写真好きな中年男の独り言