2017年・年末撮影会

テレビ東京で放映中の人気番組【出没!アド街ック天国】。
昨年の12月9日放送分で西伊豆が紹介された時、自他ともに認める伊豆好きの私が画面へくぎ付けになったことは言うまでもない。
様々な情報の中で特に興味を引かれたのが、“イカ様丼”と“棚田”だった。
幾度となく通ったことのあるR136から、ちょっと入った仁科漁港に、飛び切り美味いイカを食わせる“沖あがり食堂”の存在を知ったことは、<即チェック!>の興奮である。星の数ほどある海の幸の中で、イカはダントツの好みなのだ。
そして“石部の棚田”は、これまでになかった伊豆の被写体として大いに期待が膨らんだ。
これをさっそく写真仲間のTくんへ伝えると、

「それ、行きましょう!」

と即断である。

12月30日(土)。
恒例年末撮影会の直前に入手した情報で、いつも以上に期待が膨らんだ我々は、意気揚々と西伊豆を目指した。
天気予報では二日目の31日が雨と出ていたので、“いか様丼”と“棚田”だけは是非とも初日にクリアしておこうと決めた。但、若干時間に余裕があったので、三島の柿田川公園へ寄り道することにした。
ここは富士の湧水で知られた観光スポットであり、これまで幾度か訪れたことはあるが、冬場は初めてだ。
しかし予想はしていたものの、緑は少なく花もなく、おまけに渇水状態ということで、これまで見てきた美しさや感激度は半分にも満たなかった。それと、明らかに少ないと思われる水量はどうしたことだろう。季節によって湧水の量は変わるのだろうか。

「しかしいい天気だね、明日雨になるとは思えないな」
「まったくだ」

快調な走りを見せるジムニー。右手には湖のように静かな内浦湾、そしてその先には薄化粧をした富士山が姿を見せていた。
さすがに西伊豆は暖かく、暖房は入れず、更にウィンドを1センチほど下げておくと、車内はちょうどいい温度に保たれた。堤防で釣り糸を垂れる人達も、今日は気持ちがよさそうだ。

堂ヶ島遊覧船乗り場を通過すると、間もなく左手に仁科漁港が見えてくる。漁協の向かいにある“沖あがり食堂”は、午後1時というのにウェイティング客が店外まで溢れかえっていた。恐らくアド街ック天の放映が効いているのだろう。

「何名様ですか」
「2名だけど、どれほど待ちます?」
「15分くらいでしょうか」

眼鏡をかけた若い男性がレジ周りを仕切っている。
店内は右半分が土産物コーナー、左半分が食堂、そして真正面が厨房になっていて、当然ながら人いきれが凄い。家族連れが中心だが、若いカップルも2組ほどいた。
席が空くと先ずはレジ前で注文を告げ、会計を済ませる。すると番号カードと注文票を渡されるので、注文票の方を厨房前にある受付箱へ入れる。すると大凡10分から15分で料理が出来上がり、番号を呼ばれるという流れだ。高速道路のサービスエリアにある、セルフサービス形式といっしょである。
我々が注文したのは、もちろんスルメイカの刺身と漬が半々に乗った“イカ様丼”だ。

「45番の方~」

よっしゃ!
艶のある新鮮なイカがたっぷりと乗っている。真ん中に落としてある卵黄がなんとも食欲をそそる。

「これ、マジうまい!」

Tくん、痛く感激の様子である。
彼の気持ちは分かる。本当にうまいのだ。
滑らかさ、弾力性、そして甘み。文句ない食感と味わいであり、これまでに生のイカを食して、これほどの舌鼓を打った記憶はない。
二人ともあっという間に平らげた。

「もう一杯いけるな」

うまいものにはリミッターが効かないTくんであった。
見ればウェイティング客が増える一方だったので、さっさと席を立つことにした。
店の真ん前が漁港なので、ぶらり一回りしようと船着き場へ向かうと、タイミングよく漁船が入ってきた。すると漁協の人だろうか、市場の方から若い男性が走ってきて、手際よく船のロープをビットに固定、次に大きな樹脂容器を乗せた台車を船の脇につけた。
すると船に乗っていた年配の漁師が大きなタモを生簀へ突っ込んだ。

「おおっ!イカだよ!」

凄い量である。タモ3杯分が容器へ入ると満杯になってイカが飛び出しそうだ。
次はこれを市場まで押していき、大きな水槽へと移したのだ。
この作業は3回繰り返された。
なるほど。これほど新鮮なスルメイカを使うのだから、ここのイカ様丼はうまいわけである。
満腹でやや眠気も出てきたが、もう一つの目的地“棚田”へと車を走らせた。

棚田の正確な名称は“石部棚田”。松崎町の南に位置し、東日本では珍しい石積みの棚田とのこと。眼下に駿河湾を一望でき、晴れれば富士山・南アルプスを望むことができる絶景の棚田なのだ。
標識に従いマーガレットラインから山間部へ入っていくと、棚田を望む展望台が見えた。
車を降り、上ってみると、

「いい眺めだね」
「この辺りへ来る時は、いつも海ばっかりだからな」

今日は天気が頗るいいので、真っ青な海の上には富士山が浮かんでいる。
訪れる観光客も少なく、静かなひと時を味わうにはもってこいの場所かもしれない。今来た道路をそのまま進めば、棚田をぐるりと回って石部温泉に出られるが、幅員が恐ろしく狭くなるので、注意が必要だ。

今宵の宿【シーサイド堂ヶ島】へ到着したのは、午後4時を回った頃。
部屋へ通されるといつものようにアルコールで乾杯。早朝に出発した体には瞬時に染み渡った。
色々なつまみを広げて、3杯目に掛かろうとすると、

「なんだか夕暮れっぽくなってきたな」

と、窓の方を見てつぶやいたTくんの一言にハッとした。
そう、つるべ落ちなのだ。

「ヤバ!夕陽夕陽、出かけよう!」

実は“堂ヶ島夕陽マップ”なるものまで準備していたのである。ご存知、西伊豆は夕陽の景勝地であり、特に今回の堂ヶ島や、町全体が真っ赤に染まる戸田は著名である。

「どこでやる?!」
「どこも何も時間がない。ここで撮ろう」

シーサイド堂ヶ島が遊覧船乗り場のすぐ隣だったので、何とかぎりぎり間に合ったが、いろいろなポジションから撮る為にはアクションが遅すぎた。
乗船券売り場の屋上からは、天窓洞のある堂ヶ島と蛇島が望めたが、既に強い夕陽を浴びて影絵となっている。
アングルを変え必死になってシャッターを切るものの、陽はあっという間に海へと落ちてしまった。

「やっぱりどんよりしてるな」
「まだ降ってないから良しとしなきゃ」

翌日は昼から雨降りとの予報が出ていたので、午前中に久しぶりとなる松崎の港周辺をスナップし、昼食を取ったら早々と東京へ戻ることにした。
結果的にこの計画は正解だった。持ち時間2時間半をそれぞれの場所できっちりと撮影を楽しんだ後、集合時刻の12時に港まで戻ってくると、ポツリポツリと落ち始めたのだ。
古民家、なまこ壁、そして港と那珂川が織りなす風情ある街並み。Tくんとも何度となく訪れた松崎だが、その度に発見があるからやめられない。
但、漁協の裏手の商店街に建設された津波避難施設を見上げた時は、寒々しい思いが走った。

「どうだい、いいの撮れた」
「3~4枚かな」

カメラを構えて2時間以上も歩き回れば、さすがに疲れを感じる。しかし裏腹、被写体探しは楽しいもの。ノッてくれば、この先はこの先はと突き進んでしまう。しかもここでのスナップが今回最後のイベントとなるので気合も入っていたのだ。

「それじゃそろそろ帰るとするか」

こうして恒例の二日間は瞬く間に過ぎようとしていた。

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高水三山

11月29日(水)。
山の紅葉を楽しもうと、奥多摩の人気トレッキングコース【高水三山】を歩いてきた。
高水三山とは、高水山(759m)、岩茸石山(793m)、惣岳山(756m)の三山の総称だが、6年前の同じ11月に、やはり紅葉を愛でようと棒ノ折山(969m)へ登った際、その下山路に当たる岩茸石山と惣岳山は巡ったことがあったので、今回は残りの高水山頂上に立ち、三山を制覇しようという意図も含まれた。
ルートはJR青梅線の軍畑駅から出発し、三山を巡って御嶽駅へ降りるというもの。スタート後は何の変哲もない一般道を淡々と歩くが、段々と山が眼前に迫ってくる過程は、山歩きへの期待を膨らませる。
右手に高源寺が見えてくると、その脇に登山口があり、ここから本格的な山道へとスイッチする。

登山を開始すると待ったなしの上り坂が続いた。初心者コースと言えども、奥多摩は何処を歩いても急峻であり、それが為に下りは細心の注意が必要。特にこの季節は落ち葉が多く、堆積した土面は濡れてとても滑りやすい。
30分も歩かないうちにウィンドブレーカーを脱いだ。今日は晴れて気温も高く、既にアンダーシャツは汗まみれである。こうなると水分補給は夏と同じ要領で行いたい。一度に大量にではなく、歩きながら頻繁に補給して、のどの渇きが起きないようにするのがポイント。そうすることで後半戦までスタミナを温存することができるのだ。

高水山手前にあるのが常福院。ここでトイレタイム兼がね一服することにした。
高水三山は奥多摩登山の入門コースと言われているが、ここまでの連続した上りは結構きつい。難しい箇所は一つもないが、ペース配分の分からない初心者にとって、高低差400mはちょっとしたハードルになると思う。
社の裏手にあるトイレへ向かうと、スタートから一緒だった年配夫婦のご主人が用を足して出てきたところだった。

「お疲れさん」
「山へは良く行かれるんですか」
「定年してからやることないんで、1年ほど前からちょくちょくです」

このご夫婦、奥さんの方が健脚だ。年齢はそれほど離れてないようだが、常に奥さんが10mほど先行し、時々振り返ってはご主人の様子を窺っていた。

「最後になる惣岳山ですがね、頂上手前の坂は凄いですよ。<ここ登るのかよ!>って一瞬引きましたから」

はいはい、思い出した。あの3点支持無くしては登れない岩場のことだ。確かにそれまでの山道とは状況が一変するが、区間は短いのでそれほどのことはない。しかし一応巻き道もあるので、年寄りは避けた方が無難である。それにしてもこの常福院という古刹、紅葉に囲まれ、なかなかの趣がある。暫し散策と撮影に集中した。

高水山の頂上は余り眺望がきかなかったのでスルー。それより大きく広がる絶景で人気を博す岩茸石山へと急いだ。
ここからは軽快な尾根歩きが続き、山の清々しさを十二分に堪能。今更だが、アウトドア万歳!!である。

頂上直下の急登をクリアすると、まさしく大パノラマが待っていた。
二度目となる岩茸石山山頂だが、今回は好天のせいか、その開放感は先回のイメージを上回った。景観は棒ノ折山のそれと似ていて、奥多摩秩父の広大さを改めて実感。ここが東京都とは恐れ入る。
空腹が頂点に達していたので、何はともあれおにぎりを頬張った。いなり寿司の甘さが疲れた体に染み渡るようだ。
人気スポットのお昼時とあって、山頂はざっと20数名のハイカーで賑わっていた。見れば先ほどのご夫婦も弁当を広げている。苦労して登ってきた者だけが味わえる贅沢なランチタイムだ。

真後ろのベンチを陣取って、山の話やら食べ物の話やらで大いに盛り上がっていた年配女性8人組がそろそろ出発のようである。
腕時計に目をやれば、30分近くも経過していたので、私もそろそろ出発の準備をすることにした。まだ13時前なのに陽光は斜めに射し、山々の斜面にコントラストを作り始めていた。

岩茸石山からは急降下が続いた。膝と大腿筋に最もストレスが押し寄せるステージの始まりである。
先々回、そして先回も左膝は絶好調だっただけに今回も期待が掛かるが、この時点で症状らしきものは全く感じず、下山速度も幾分上がった。
暫くの間、人の気配のない山行が続いた。こうなると山は本当に静かである。今日は風がないから尚更だ。こんな時は必ずと言って鼻歌が出てくる。今日は「BE MY BABY」。もちろんCOMPLEXである。

愛しているのさ 狂おしいほど
会えない時間が 教えてくれたよ
もう離さない 君がすべてさ
BE MY BABY
BE MY BABY

ところがその静かな山歩きもそれほど長くは続かなかった。前方から賑やかな喋り声が聞こえ始めたのだ。
間違いなく先に出発した、あのおばさん8人組だろう。見る見るうちに最後尾が近づいてきた。

「しんどい人は巻き道を行って、先で待っててくださいね」

追いつくとそこは惣岳山頂上直下。リーダーらしき女性がてきぱきとアドバイスを出して、登頂組と巻き道組に分けている。見たところ最年長で年齢は70歳手前か、、、
その彼女と目が合った。

「どうぞお先に。私たちゆっくりなんで」

お言葉に甘え、岩に取り付いた。
ところが暫くすると、ぴたりと背中に張り付くような気配を感じ、振り向いてみたら、なんとリーダーが。
どうぞお先にと言ったくせに、全然“ゆっくり”ではない。寧ろ<煽るのかよ?!>である。
ここの岩登りは険しいというほどではないが、一気に登りつめるには推進力、つまり腕と脚の筋力が必要だ。果たしてこの年齢のご婦人が、どのような登り方を披露してくれるのか、ちょっと興味が湧いてきた。
岩場はいたるところに頑強な木の根が露出していて、それをしっかりと掴めば、力任せの直登も可能だが、安全且つ体力を消耗しないルートを選びながら歩を進めれば、リーダーはこれでもかと追従してくる。しかも余裕さえ感じる。だったら直登に切り替えようと一気にペースを上げると、さすがに距離が開いた。そのまま速度を落とさず頂上まで登りつめ、眼前にあった丸太のベンチが空いていたので、ザックを置いて腰掛けた。
すると間もなくしてリーダーが現れ、続いて3名のメンバーが上がってきた。意外や皆余力はありそうだ。同年代の女性がこれほど頑張れるのだから、私などまだまだ修行不足。
<山の体は山でしか作ることができない>
これを肝に銘じ、更に山へと入ろうか。

ゴールの御嶽駅までは、ずっと下り坂が続いた。おまけに最後の最後にきて三度のアップダウンが待ち受けた。疲労が溜まった下肢には辛い場面だが、今回も膝に痛みが出なかったので、気持ちは終始前向きでいられた。やはり山歩きに於てコンディションは最低条件であり、これが揃わなければ山は楽しむどころか苦痛でしかないのだ。

餃子フェス 昭和記念公園

11月23日(木) 勤労感謝の日

「ねえパパ。お昼ご飯、餃子にしない?」
「いいけど、どこで?」
「昭和記念公園」
「えっ?!」

どうやって調べたのか、昨日から昭和記念公園で【餃子フェス】なるイベントが開催されているようで、リチャードの散歩も兼ねてどうしても行こうと言うのだ。
旗日なので混雑が予想されたが、昼前から雨もやみ、西方には青空も見えてきたので、渋々だが出かけてみることにした。
リチャードは車に乗り込むと、いつものようにアームレストに前足をのせ、らんらんとした眼差しで前方を注視している。
車の中では暴れることもなく、また吠えることもないいい子なのだ。

お初となる昭和記念公園は、四季折々の景観や数々のアミューズメントを売りにしている人気のスポットである。しかも写真愛好達には格好の場所らしく、この日もデジイチを手にした年配カメラマンを幾人も目にした。

大きな池に最も近い“西立川駐車場”に到着すると、ゲートで駐車料金820円を徴収された。結構いい値段である。更には車を降りて入場口まで進むと、

「なに、ここって入園料を取るのね」
「井の頭公園とは違うみたいだな」

大人一人:410円。犬がいる場合は申請書も提出しなければならない。よくある市民憩いの場所とは異なる印象だ。一方、そんなことはお構いなしのリチャード。ぴょんぴょん飛び跳ね嬉しそうである。広々とした園内に入れば、人間だって気分爽快になるのだから、犬なら尚更かもしれない。
紅葉のピークはやや過ぎていたが、葉が落ちた木々は、初冬の凜とした空気感をこの上なく演出していた。
それにしても、さっきから止めどなく響き渡る「バラバラバラバラバラバラバラ」とう騒音が耳障りでしょうがない。これ以上音量が上がったら、リチャードは怖がって一歩も歩けなくなるほどだ。
と、その時。左前方から突如大型ヘリが姿を現した。恐らく先ほどからホバリングの訓練中だったのだろう。そう、隣接しているのは陸上自衛隊の立川駐屯地である。しかしこのような訓練、なにも人の集まる祝日にやらなくてもいいのにと思う。
銀杏並木まで来ると、下り坂の先に幾棟もある白いテント群が見えてきた。それも公園の外だ。

「あれが餃子の会場みたいね」
「ほんとだ。一度出なきゃ」

入口の係員に訊くと、再入園は可とのこと。

「それじゃ、手を出して下さい」

再入園時の印として手の甲にハンコを押された。ブラックライトに反応するインクを使っているのだろう。専用のペンライトを当てると文字が浮き上がる。

会場へ近づくにつれ、嫌な予感が膨らんだ。
ブースの合間から恐ろしいほどの人波が見えたからだ。それと、こちらに向かって女性スタッフ近づいてきたので、ペットの入場について訊いてみると、

「大丈夫です。ワンちゃんいっぱい来てますよ!」

まずは一安心して入場口へ向かったが、案の定、それは凄いことになっていた。会場の左手に餃子店15店、スイーツ&ドリンクの 店5店、総計20ブースがずらりと並び、それぞれに20~30人の客が列をなしているのだ。これはもう壮観である。
その反対側には広々とした飲食コーナーになってるが、ざっと見回しても満席だ。

「どこでもいいから並んじゃおう」

最も手前が“赤坂GYOZA365”だったので迷わずそこへ並んだ。女房は隣の隣、“近江肉餃子包王”に並んだ。
おりこうさんのリチャードは、女房の足元でおとなしくしている。
今回のイベント、現金で買えるのはスイーツ&ドリンクだけで、メインの餃子は食券またはSuicaなどの電子マネーでしか買えない。どこの店も一皿600円と割高なイベント価格だが、そんなことは物ともせずの大盛況である。

さて、並んだまでは良かったが、この列、一向に進まない。10分が過ぎた辺りから少々イライラしてきた。
周りを見ても、女房の列を含めてどこの列も動きがない。
待つこと更に10分。既にあきらめの境地である。
いつになったら食べられるのだろう…
しかもこれだけ待って600円もの高い餃子が不味かったら…
不安がこれでもかとぐるぐる回り出す。
そして並んで30分が経とうとした時、気合を入れて量産し始めたか、列に動きが出始めた。
女房を見ると、殆ど最前列まで進んだようで、間もなく餃子を手にするところだろう。

余りに待ちすぎて食欲は半減していたが、熱々の餃子は素直に美味かった。肉汁が口いっぱいに広がると、条件反射でビールが欲しくなる。

「パパの美味しいね」
「肉がけっこう入ってるからな」

リチャードが欲しそうにしているが、餃子はちょっとあげられない。
気が付けば会場を抜ける風にも冷たさが加わり、斜光がすでに夕暮れの様相を見せていた。

「食べたら帰ろうか」

会場を出ると、再び西立川口へ至る坂を上がっていった。
ここが気に入ったか、リチャードが嬉しそうに右や左へ向きを変え、グングンとリードを引っ張り続ける。

池まで来ると、壺焼きの焼き芋屋が店を出していたので、ここでまた一休み。
とても甘い焼き芋をちょっとづつリチャードへあげると、それはすごい食べっぷり!

「おなか減ってたんだな」
「餃子は私達だけだからね」

駐車場を出る頃には、立川の街に明かりが灯りはじめた。
国立を抜けて五日市街道へ出た時、ふと車内が静かだと後部座席へ目をやると、
寝てる寝てる、二人とも。

写真好きな中年男の独り言