竜ヶ岳

 まだ五月なのに最高気温が三十度越えするとは、いやはや世も末だ。
 温暖化の弊害は一体どこまで拡大するのだろうか。気温の変化に体がついていかず、体調を崩している人が多いというが、わかる気がする。
 実は私の鼻、スギ花粉の季節が終わっても一向に調子が良くならない。アレルギー鼻炎と共に、通年性の鼻過敏症でもあるので、真夏でも銀行のように冷房が強くきいたところへ足を踏み入れると、たちまち鼻がムズムズしてきてくしゃみが連発する。つまり環境や気温の変化にとてつもなく敏感なので、今年のように暑くなったり寒くなったりが続くと体調が不安定になるのだろう。

 ビールを飲みながらNHKの天気予報を見ていたら、明日は更に気温が上がるので、熱中症対策は更に万全にと、警告を発していた。しかし、昨今のバカ高い電気料金を考えれば、冷風の気持ちよさを素直には感じられるわけもなく、だったら、我が身を涼しいところへ置けばいいかと、以前から気になっていた、富士五湖は本栖湖の背後にそびえる“竜ヶ岳”へ登ってみることにした。何と言っても富士五湖地方は避暑地だから。

 五月十七日(水)、午前六時。登山口のある本栖湖キャンプ場へ向けて出発。早朝から半袖シャツ一枚でちょうどいい空気感。見上げれば雲一つない青空が広がっている。
 調布ICから中央道へ乗ってしばらく行くと、富士山が見えるポイントがあるが、西の方面全体を霞が包み込み、富士山はおろか、山並みがぼやけて見渡せない。ちょっと不安になったが、今日の富士五湖地方には快晴の予報が出ているので、到着するころには靄も消え去っているはずだ。案の定、河口湖線へ入ると、ややガスってはいたものの、ド、ド~~ンと、いつもの迫力ある富士山が姿を現し一安心。

 何年ぶりだろう。本栖湖の回りをぐるりと一周できる湖畔道路へ入ると、言い知れぬ懐かしさがこみあげてきた。二十数年前。バイク初心者を対象とする、“ビギナーツーリング”と称するイベントを考案し、ひよっこライダーたちを引き連れては、何度となくこの湖畔道路を走ったものだ。空を映しこむ真っ青な湖面と新緑の森は昔も今も変わらない。湖畔で寛ぐ人たち、多くの車が入り込んだキャンプ場等々、本栖湖は既に夏の匂いがプンプンだ。

 竜ヶ岳登山口駐車場にPOLOを停め、準備が終えると、森永インゼリーを一本飲んでいざ出発。頂上までのルートは、富士山の眺めが素晴らしいという“石仏コース”を選んだ。
 キャンプ場を突っ切るように進んで行くと、登山口はすぐに見つかった。山道へ入るといきなり登りが始まったが、道がよく整備されているので歩きやすく、それほどきつさは感じない。たまに右手に湖が見え隠れし、少しづつ標高を稼いでいくのがわかる。
 間もなくすると左手が開け、雪をかぶった大きな富士山が現れた。ベンチが備えられていて、年配夫婦が休憩中だ。
「こんにちは。いい天気ですね」
「ほんとですね。それにしても富士山がよく見えてびっくりですよ」
 ちょっと話をしたら、今回はご主人にとって大病快気後の最初の登山だと言う。頑張って体力を取り戻し、再び夫婦そろっての登山を楽しみたいとのこと。お二人の輝く笑顔を見ていると、元気が出てくるし、なんだか無性に嬉しくなる。

 樹林帯が終わると、絶えず富士山を左手にしての山道が続く。眺めはいいが、遮蔽物がないので直射日光が否応なしに降りそそぎ、両腕は既に赤くなり始めた。しばらくすると、前方に東屋が見え、近づくと見晴らし台のようだ。その隣には小さな祠があり、中を覗くと二体の石仏が祀ってあった。これが石仏コース名付けの由来か。
 直射を遮てくれる東屋は実に快適。眼前にはパノラマが広がるし、そよ吹く風は眠気を誘うほど気持ちがいい。ここで最初の休憩を取ることにした。行動食にと持参した山崎のアンパンがやけに旨く感じた。
 それにしても、樹海と富士山のコラボは息をのむほどの大迫力。これまでの十二景と違って、富士山までの距離が極めて近いことと、間に挟む山々も一切ないから、スケール感が桁外れに大きいのだ。
 東屋からの登りでは、日射がさらに強さを増し、ついに額から汗がふき始める。たまらずタオルをほっかぶった。いやはや、暑さを避けるために遥々本栖湖までやってきたが、ここも負けずに暑い。

 竜ヶ岳の頂上はかなり広く、いくつかテーブルも備えられていた。お椀を逆さにしたような山容だが、広場からの展望は西側と南側のみ。
 休憩中のハイカーは、私を含めた単独男性四名、先ほどの年配夫婦、若いカップル、男性二人組、女性三人組と賑やかだ。なるほど、評判通りの人気の山だ。

 下山は自然林の中を行く“湖畔コース”をたどった。富士山は見えないが、その代わりに緑萌える自然林が続き、木々が直射日光を遮ってくれるので、ぐっと涼しく、足取りも軽くなる。暫く行くと、下方から太鼓やお囃子が聞こえてきた。湖畔のどこかでお祭りが催されているのだろう。
 数か所丸太の階段が壊れていたが、石仏コースも湖畔コースも山道の整備が行き届いているので、快適で安全なトレッキングを堪能できた。

 湖畔道路に出たら、再び強い日射の攻撃に晒された。首回りも日焼けしたようで、ちょっとヒリヒリするが、空気が乾燥しているので、汗をかいてもべとつきが小さく、不快感はない。さすが避暑地と言ったところか。
 スタート時は気がつかなかったが、キャンプ場には、奥の奥までとても平日とは思えないほどの多くのテントやタープが張り巡らされ、アウトドアブーム真っ盛りが手に取るようにわかる。山で出会ったご夫婦のテントも、あの中のいずれかなのだろう。

雁ヶ腹摺山・姥子山

 秀麗富嶽十二景を巡る山旅は、今回で三回目になる。
 一回目は七番山頂・百蔵山と六番山頂・扇山。二回目は十一番山頂の高川山。そして今回は、真木小金沢林道の冬期閉鎖を確認せず、登山口を目前にして引き返すしかなかった、一番山頂である雁ヶ腹摺山ならびに姥子山のリベンジ登山だ。
 その引き返した地点から更に7.8Km進んだところにあるのが大峠。駐車場は十台ほど入るスペースがあるはずだったので、GWも終わった平日ならまさか満車はないだろうと向かったが、到着してみれば空きは一台分。ラッキーと言えばラッキーだが、想像を超える人気にびっくりである。

 五月十日(水)、七時四十二分。POLOから降りると、雲一つない青空の下、富士山がその雄姿を見せてくれた。単に富士山を愛でたいのであれば、わざわざ山へ登らなくとも、車で容易にアクセスできる、ここ大峠駐車場で十分だ。
 ブーツの紐を締めなおし、YAMAPをセットすると、道路右手にある雁ヶ腹摺山方面登山口へと向かった。

 森に分け入ると、それまでの十二景とは異なる空気感に包まれる。
 周囲は杉の樹林帯のような作られた森ではなく、小さな渓流もある原生林だ。しかも岩と苔がうまい具合に配置され、どこに目をやっても自然の造形美を十分に味わえる。だから歩いていても単調にはならず、大腿筋がきしんでもテンションは上がる一方だ。

 鎖場もある急登が暫し続き、息を整えながら慎重に登っていくと、突如坂が終わり、叢が広がった。そこから少し進んだところが雁ヶ腹摺山の山頂である。旧五百円札に印刷されている富士山は、この山頂から撮影されたものだそうだ。
 腰かけるにはちょうどいい岩がごろごろしているので、小休止にした。それにしても大峠の駐車場にあれだけ多くの車が停まっていたのに、これまでの山道にもこの山頂にも誰一人として見かけない。みんなどこへ行ったのか……
 カロリーメイトをワンブロックと水分を補給。左へ分ける山道を行けば、次の目的地である姥子山に至る。

 雁ヶ腹摺山の東側斜面を下っていくと、ここもきれいな森が続いた。それを飾るように、白や黄色の小さな花が至る所に開花していて、まさに初夏の歌声が聞こえそうである。
 巨大な巌が乱立する一帯を過ぎたころ、とレポを使ってゆっくりと上がてくる、本日初のハイカーが目に入った。上下黒づくめの四十代手前と思しき男性だ。
「こんにちは。今日はいい天気ですね」
「こんにちは。これからどちらへ」
「姥子山まで行ってこようかと」
「いい眺めでしたよ」
 期待が膨らんだ。
 この後、同年代らしき単独男性、年配夫婦、若い男性二人組と続けざまにすれ違った。どうやら皆さん、私より一~二時間スタートが早かったようだ。

 順調に歩を進めていることは疑いもしなかった。ところが山道は徐々に踏み跡が少なくなり、しまいにはロストだと気がついた。YAMAPで調べると、大幅な方向ミスではなさそうだ。歩きやすいところを選んで藪漕ぎしていけば、正規のルートへ戻れると勝手に決めつけ、暫し下ったり上がったりの奮闘を続けた。
 ところが突如斜面がきつくなり、これ以上無理して進めば、戻れなくなる危険性があると感じ始め、やむなくUターン。なんだかんだで三十分強ほどの貴重な時間を無駄にしてしまった。
 それにしても、道を間違えた地点まで戻ってきたとき、なるほどなと思った。
 正規のルートを大きな倒木が覆い隠しているのだ。目線をその先まで飛ばせば、続く山道を確認できるが、目先の情報だけで進んでいくと、この過ちに気がつかない。

 下りの最後で林道に突き当たる。これを横断し、今度は姥子山の登りにかかる。
 頂上へと近づくにつれ、岩場が多くなり、傾斜もきつくなっていく。高度感を覚えるところもあり、ゆっくりと慎重に上がっていく。ここで踏み外したらジ・エンドだ。雁ヶ腹摺山とは隣同士になるが、趣は異なる。

 やがて空が大きく見え始め、最後の岩をよじ登ると、ついに頂上だ。岩だらけの山頂は狭いが、文句なしの絶景が待ち構えていた。富士山の美しさは無論だが、それ以上に大菩薩山稜の雄大さを肌で感じる眺めであり、これまでの十二景より標高が高いせいか、山の懐に抱かれているという感慨深さは、これまでになく大きい。
 岩と岩との間にそっと花開く“イワカガミ”を発見。体の安全ホールドを確認したのち、シャッターを切った。

 雁ヶ腹摺山の東側側斜面の上り返しはきつかった。疲労の蓄積だけではなく、昼近くになって気温が急激に上がってきたのだ。顔から汗が吹き出し始めたので、ザックからタオルを取り出し首にかけた。
 徐々に足も重くなっていき、呼吸も荒くなってきた。何度も立ち休みを繰り返し、亀の速度で登っていく。

 中盤に差し掛かったころ、上方から賑やかな声が降ってきた。何種類かの声質が飛び交っているということは複数のハイカーだろう。だんだんと距離が近づいてくると、なんと彼らが歩いてきた先は、さきほどロストした際のミスコースではないか。
「すみませ~ん。姥子山から上がってきたのですか」
 私と同じミスをした人たちから声が飛んできた。全員年配者で女性が八名いただが、声をかけてきたのは唯一の男性。
「ははは、さては道を間違えましたね」
「おっしゃる通りです」
「実はさっき、私もここで間違えました。ほら、正しい道はその倒木の向こう側です」
「おおっ、ほんとだ。これは見間違えますね」
「それじゃ、気をつけて」
「ありがとうございます」
 遭難するほどの危険はないとしても、もう少々目印のリボンを増やすなどの工夫が欲しかった。

 戻ってきた雁ヶ腹摺山の山頂で、昼食を兼ねての長めな昼食を取った。少しだが雲も出始め、富士山にはガスもかかってきたが、天候が悪化することはないだろう。
 カレーメシを平らげ、菓子パンを頬張っていると、次から次へと三名の単独男性が大峠側から上がってきた。時刻的にやや遅いとは思われるが、皆さん合わせるように、一服した後は姥子山方面へ向かっていった。
 その中の一人の方は、どう見ても私より年配者。歩みは見るからに遅く、これでは大峠へ戻るころには、日も陰り始めているのではと、他人事だが心配になる。

 素晴らしい森に出会えた、三回目の十二景。同じ富士山を眺めても、周囲の森は別世界。これも十二景の楽しみではなかろうか。

青梅丘陵ハイキングコース

 登山を始めてそろそろ二十年がたつが、GWに山へ入ったのは初の出来事である。
 自然の懐へ分け入り、静かな時を楽しむのが山歩きの目的なので、頂上や山道にハイカーがわんさかいるであろうGWはタイミングとしてよろしくないのだ。ただ、翌日の奥多摩方面の天気予報をチェックすると、降雨率10%、最高気温22℃、風速1~2mと、これ以上ない登山日和。そんな日に、山中を想像しながら一日中自宅にいれば、間違いなくストレスが溜まるだろう。よって最近山づいていることも手伝って、「軽くいってみるか」という気持ちが急速に膨れ上がったのだ。

 五月三日(水)。目指したのは“青梅丘陵ハイキングコース”。このハイキングコースという名称から、ちょっと歩くには程よい感じがしたし、そもそもこのコースは前々から視野に入っていた。
 これまでに何度も歩いた馴染みの高水三山。ここへ登る際は必ず青梅丘陵ハイキングコースの道標を見ることになり、気持ちの中で漠然とした興味があったのだろう。
 もちろん大まかだが下調べもした。ハイキングコースと言えども、全長9.81Km、累積標高差は上り下り共々1400mを超えるという、数値的に見れば一般的な登山コースと何ら変わらない。単に平均標高の低い山々を歩き進むというだけなのだ。全長こそ似たようなものだが、奥多摩駅から出発する著名なハイキングコース“奥多摩むかし道”とは少々様相が異なるはず。尤も、青梅線五駅分の距離を山中の道を使って走破するのだから、どう転んでも楽なはずはない。

 三鷹駅六時五十九分発“特別快速ホリデー快速おくたま1号・青梅行”に乗り込む。休日のみの臨時列車は、いかにもGW真っ最中という感じがして、少しウキウキする。予測していた通り、普段の三倍越えのハイカー達が、色とりどりのザックで休日をアピールしていた。
 青梅に到着すると更に休日色が拡大する。ホームは乗り換え待ちのハイカーでごった返しである。それと、ウィークデーでは大半が年配ハイカーで占めるが、GWとあって、見回すと半分以上が若い人たちだ。この光景、なんだかとても新鮮に映った。

 八時二十分、軍畑駅に到着。トイレを済ませ、出発したのは三十分ジャスト。先ずは成木街道を北へと進む。
 前方に九名、後ろに四名と、普段なら人子一人見当たらないのに、さすが休日である。ところが、高水三山登山口と青梅丘陵ハイキングコース入口の分岐を過ぎると、前後の人影は消え去った。思惑通りである。これで静かな山中を楽しめるというもの。

 駅から約三十分で、登山口にあたる榎峠の道標が目に入る。細い山道に入ると、いきなり階段付きの急登が待っていた。十分も歩くと汗ばんできたので、上着を脱いで半袖になった。冷たい空気が上腕を包み、気持ちがいい。やはり歩き出しからハイキングコースとはやや趣が異なった。
 登り始めから三十分もしないうちに、コース上の最高峰“雷電山(494m)”へ到着。静かな山歩きと思っていたら、七名ものハイカーが休憩中ではないか。その後も二名上がってきて、瞬く間に狭い頂上は混みだし始める。カロリーメイトを一本食して、早々に出発する。

 雷電山は一番高い山だから、後は下る一方。大局的には間違ってないが、少々甘かった。この後、細かなアップダウンが数えきれないほど巡ってくるのだ。今日は体調が良かったので、苦にはならなかったが、山歩きに慣れてない人が、“ハイキング”を期待して訪れたなら、間違いなく堪えるだろう。
 雷電山も含めて、その後に続く辛垣山、三方山等々、どの頂上も展望はない。道中随所で青梅の町並みを見下ろせるポイントが現れるので、そこで小休止を取った。
 山中の湿度は低く、休憩をしていると半袖ではやや寒いと感じるほど。ただ、このくらいの空気感が山歩きには最高である。そんな条件も手伝って、ほとんど疲れを感じることなく、終始リズムに乗って山歩きが楽しめた。

 後半戦に入ると道は広くなり、徐々に街に近づいていることがわかる。同時に青梅側から登ってくる人が増え、賑やかさが増してきた。それと特記すべきことは、このコースがトレランの人気練習場ではないかということだ。実際、一日を通してハイカーとほぼ同人数のトレールランナーを見かけた。大概は若い人たちだが、中には五十代後半と思しき女性もいて、びっくりするほどのスピードで坂を下っていくのだ。大切なのは日ごろの鍛錬か。

 木々の間から見え隠れする景色で、そろそろゴールかなと感じた頃、下手の方から太鼓やお囃子の鳴り響く音が届くようになった。GWに合わせてお祭りが開催されているのだろう。下っていくほどに音は大きくなり、喧騒が伝わってくる。
 左手に鉄道公園が見えた。あとはひたすら舗装路を青梅の駅まで歩けばいい。今回はゴールが青梅駅ということで、食料はあまり持ってこなかった。一口パンとカロリーメイトという行動食のみだ。よって腹はペコペコである。
 住宅街の坂を下っていくと、正面に小さな踏切があって、渡ったその先の大通りが見える。

 通りに出ると、その騒然とした状況にびっくり。このお祭り、並大抵の規模ではない。周囲に目をやると“青梅大祭”とのポスターが目に留まった。あとで調べると、コロナ禍のために四年間開催できなかった、この地区最大の祭りとのこと。人波の凄さは、初詣の浅草寺に勝るとも劣らないレベルで、飲食店を探すどころか、前に向かって歩くことさえままならない。そんな中、祭りいで立ちの色っぽいお姉さんたちの姿を眺めると、一瞬ではあるが、疲れを忘れた。

 本来なら通りに出てから青梅駅まで十分もかからないところを、疲れた足を引きずりながらその倍以上の時間を要し、体クタクタ腹ペコペコは言うまでもなかったが、待ち時間なしで青梅特快東京行きへ乗り込めたのは幸いだった。
 最後の最後で大どんでん返しのような羽目に陥ったが、これもまた記憶に残る一ページ。後から振り返れば、間違いなく語れる思い出になるはずだ。