春の西伊豆

春、桜と来れば、やはり西伊豆だ。
海、川、青空、そして富士山と絡む桜が見たくて、休日と好天がうまく合えば必ずと言って足を運んでいる。
今年は4月2日(火)に休みが取れ、天候も上々とのことで、手持ちのカメラ3台をPOLOに積み込み、午前5時に自宅を出発した。暗いうちから出かけるのは久しぶりなので、それだけで気分は高揚、ワクワクしてくる。
井の頭通りから環八へ出て東名高速に乗ると、ひたすら走って裾野で降りた。三島のデニーズで朝食をとるのはいつも通りだが、6時40分に到着できたのは珍しい。

車の多くなった下田街道から伊豆長岡三津線へ入って暫くすると、お気に入りの桜ポイント“小坂清水池”が見えた。東屋のすぐ脇に咲く一本桜は、池と周囲の常緑樹をバックに存在感を打ち出している。咲きっぷりも悪くなく、小休止を兼ねて本日一発目の撮影を行った。
カメラバッグはいつも助手席に置くようにしているので、気にかかるロケーションを見つけた時には、すぐに取り出すことができる。ここはD600+Nikkor24-120mmで決めてみた。スタンダードズームはファインダーを覗いてから構図を決められるので、使い勝手はこの上ない。近い将来、懐の具合と相談しながら、評判のSIGMA 24-105mm Artあたりを手に入れたいものである。

坂を下りきると待ってましたの内浦湾だ。
この海を見るだけでも、ここへ来て良かったなと思う。やはり子供のころに親しんだ駿河湾と伊豆は、生涯変わることのない心象風景だし、大海原越しにそびえる富士山の姿は、和みの極致と言っていいだろう。

シーパラダイスのトンネルを抜けた後、先回の年末撮影会で初トライした長井崎をぐるりと回った。
ここは内浦湾に突き出たヘソのような岬なので、視界が開けるところへ立てば、眼下には湾内の養殖生簀や長浜ヨットハーバー等々を一望でき、ワイド感ある景観を楽しむことができる。
長井崎で一番高いところにあるのが長井崎中学校。その中学校へ至る急坂を上り始めると、海側が桜並木となっていた。正に桜坂である。
校舎の脇を通った時、フェンスの隙間から中を覗き込むと、それほど広くはない校庭に体育の授業中だろうか、ジャージ姿の生徒達がたむろっているのが見えた。地元東京の中学校と較べれば何とも羨ましい環境である。
学校を一周する道路上では、7~8人の生徒たちが必死な形相でジョギングをしているが、ハーハーゼーゼーやったって、ここなら肺に入り込むのは潮風だけ。その点、皇居の周りを走っているランナー達は不憫である。何せ思いっきり濃い目の排気ガスを吸い込んでいるのだから。

抜けるような青空のもと、POLOは県道17号を軽快に走り続けた。
E46と較べるとロールが大きいので、クイックなコーナリングこそ望めないが、1200ccのくせにスポーツ性能はなかなかどうして侮れない。さすがWRCのベースマシーンだけのことはある。
標高が上がって、駿河湾越しの富士山が大きく姿を現すと同時に、右サイドに桜の木が目に入った。
急遽路肩に車を停めて辺りを見回すと、既に先客が3名ほどいるではないか。
早速NikkorにPLフィルターを装着し、道路を横断して海側へ移った。
ガードレールに乗るのは少々危険だったが、どうしても高さが足りないので恐々と足を掛けた。若しも海側へ落ちたなら、十中八九あの世行になりそうだ。
富士山で発生する雲が刻一刻と変化する中、大凡20枚を撮影。車へ戻ると一路松崎を目指した。

それにしてもこの県道17号線、これまでに一体どれだけ走ったことだろう。東京から離れた一区間としては異例の頻度ではなかろうか。この道から眺める全ての景色は完璧と言っていいくらい記憶されているし、訪れるたびに安堵を覚え、また、去る時には寂しさに包まれるという、私にとって特別なシーサイドロードになっているのだ。

松崎の街に入り、とりあえず那賀川の桜並木を眺めてみようと、宮の前橋を左折した。桜のピンクと菜の花の黄色は、いかにも春らしいコントラストを見せるものだ。更に道路を挟んだ北側には広大な花畑が広がっていて、山吹色、青、紫、白と、色彩の乱舞を見ることができるのだ。

― おっ? 桜、だめじゃんか。

遠目からも様子がおかしかったが、近くに来てみれば桜並木の開花はかなり遅れていて、どう見ても七分咲きと言ったところだ。疎らな開花では並木として絵にならない。それではと花畑へ目を移すと、こちらもがっかり。なぜか植え付け面積がこれまでと較べて極端に小さくなっていて、広大とはとても言い難い。
こんな状況で駐車代500円を払うのも悔しいので、見切りをつけて港へと向かった。

相変わらず静かで人通りも殆どなく、典型的な田舎の街並みといった様相はいつも通り。
D600を肩に掛け、那賀川の河口付近からスナップを開始した。特に那賀川河口周辺はポイントが多いので、念を入れて歩き回ったが、やはりここの桜も開花は八分止まりで、満開でしか見られない豊かな表情は乏しく、正攻法の撮り方では画になりそうになかった。但、空気感は十分春だったので、その辺を捕らえようと、更に目を凝らして被写体を求め歩いた。
まあ、できの良し悪しは別としても、こうして松崎の街を歩くのはとても楽しく、何度訪れても一つや二つほどの発見があるところが何ともGooである。
今回も那賀川と岩科川の合流近くに小さな祠を見つけたのだが、その脇にある桜の木が覆い被さるように枝を伸ばしていて、いかにも漁港松崎らしい雰囲気を放っているのだ。町内には漁の安全を願って建てられた祠が数多くみられるが、次回をそのような生活と一体化している様々なものを追ってみるのも面白いと思った。
そして松崎は“なまこ壁”が有名だが、これをうまく撮影するのは意外と難しいものだ。
相手が壁だけに、単純に撮るとベタな感じになってしまうし、昼間では漆喰の露出が難しく、ややもすると白飛びがちになり、被写体のディテールがうまく表現できなかったりする。ところが、あそび島(キャンプ場)の隣にあるなまこ壁の立派な屋敷の脇を通りかかると、対岸の一本桜が目に留まり、一瞬でコラボができると直感、趣のある一枚をゲットできたのだ。
こんなことがあるから散歩スナップはやめられない。

ふと腕時計を見ると13時を回っていた。
いつものことだが、撮影に夢中になると空腹すら忘れてしまう。
こんな楽しい一日、また探していこう。

墓参り

3月21日(木)。彼岸の中日ということで、墓参りへ行ってきた。
墓参りはいつも親父と二人でいくのがここ数年の常だったが、親父も御年94歳となって、体のいたるところにガタが出始めてきた。特に膝の具合が一年ほど前から悪化していて、近所の形成外科に通ってはいるものの、歳のせいだろうか今一歩結果が出てこない。
境内の駐車スペースから墓地までは上り坂になっていて、無理をして転んでもしたらそれこそ命取りになることもあり得るので、正直なところ一人で行った方が気は楽だ。但、これまで少々の不調を抱えていても、頑固一徹に「行くぞ!」と意気込んできた親父なのに、元気のかけらもない表情で、「行って来てくれるか」と頼まれた時には、時の流れは残酷なものだとつくづく感じた。
老化は万人に訪れる不可避なもの。しかし実際に衰えていく親を目の当たりにすれば、気分はどうしたって萎えるものだ。

墓は菩提寺である八王子の大仙寺にある。
目と鼻の先には有名な上川霊園があるが、そことは正反対の静けさと歴史を感じさせる趣が特徴だ。初めて訪れた時に、「秋には栗がいっぱい拾えるぞ」と親父が誇らしげに言っていたのを思い出す。
今回は一人なので、久々にじっくりと掃除を行ってみた。うちの墓は墓地の鳥羽口にあるので、手入れが悪いとやたらと目立ってしまうのだ。
春はそれほどでもないが、秋の彼岸は骨が折れる。夏の間に増殖した雑草をむしり取るだけで結構な時間が掛かるし、作業を邪魔する無数の蚊には心底辟易する。

花を差し替え、線香をあげた後に、持参したV2を持って境内と周辺を少しばかり歩いてみた。
国道から100m山間に入っただけだが、喧騒とは無縁の静けさに包まれる。旗日でもそれは変わることがなく、雲の合間から射す柔らかい日差しが春の訪れを感じさせた。
親父には何とか良くなってもらい、秋の彼岸には再び一緒に訪れたいものだ。

開花は季節そのもの

寒さの中にも春近しの空気を感じるようになり、リチャードの散歩も徐々に行動半径が広がっていった。
そう、花を探しているのだ。
開花は季節そのものであり、見て歩き回るだけで気分は高揚してくる。
町内の数か所で梅が満開となり、玉川上水では早咲きの“河津桜”が可憐な色合いで出迎えてくれた。
遊歩道に入り三鷹駅方面へ暫く歩くと、知った桜の木が見えてくる。それに気が付いただけで周囲がパッと明るく感じるから凄い。冬枯れした景色に馴染んだ目には、桜や梅の開花は取り分け新鮮に映るのだ。

それと今日の朝、自宅の庭に一輪のタンポポを発見。庭を占拠するドクダミの青い茎や葉の中にあって、タンポポの黄色は良く映え、桜の派手さはないとしても、“春の使い”としてのインパクトは中々のもの。
こうして春は開花から始まり、朝の散歩に防寒ジャケットが不要になったら、あっという間に初夏の香りが漂い始める。

一方、この季節は花粉が厄介だ。2月はまだおとなしいが、3月に入ると平均気温がグッと上昇、それに乗じて大量のスギ花粉が飛来してくる。
慢性鼻炎持ちの私は、季節を問わず鼻の調子が悪いので、花粉の存在はそれほど苦にならないが、目は駄目。
通勤に自転車を利用しているから、多い日にはダイレクトに反応して辛い。
家を出ると、西久保公園の脇から桜通りに出るが、決まってこの辺から目の周囲が痒くなり始め、中央線の高架下を通過する頃には我慢の限界を超える。掻きたくて掻きたくどうしようもなくなるが、ここで掻いたら終わりである。
一度でも掻いてしまえば痒みは増幅され、顔に傷が残るまで掻き続けてしまう。
悶えながらも耐えに耐え、人見街道まで来ると峠を越え、野川を渡る頃にはそれまでの痒みが嘘のように消えてなくなる。
それにしても、この痒み、若い頃には全くなかったこと。
鼻にしろ目にしろ、一体何が原因でこんな症状が出るようになったのだろう。
よく聞く話は、食品添加物や大気汚染の影響で体がアレルギー体質へと変化するとのことだが、もしそれが真実なら恐ろしい社会問題だと思う。