若い頃・デニーズ時代 8

デニーズのキッチンレイアウトは確かに良くできていたが、それを効率良く使いこなすには適正な仕込みと準備が不可欠だ。特にランチタイムのように短時間にオーダーが集中する場合は、これなくして戦えない。

どこのレストランでも必ず提供しているのがランチメニューだ。
デニーズも日替わりランチを中心に、お値打ち感あるランチセットを豊富に揃えている。
私も含めて一般的なサラリーマンだったら、お昼代に1,000円も2,000円も払えるわけはないので、注文の9割近くが最もリーズナブルな日替わりランチになり、決められた休憩時間にサッと食べられることもリピーターを作る大事なポイントになる。

「きょうの日替わりは“Pジンジャー”だから、10:30までにプリパレ終わらすように」
「ました!」

Pジンジャーとはポークジンジャーの略で、言わば豚の生姜焼きである。人気ランチメニューなので、仕込みの量は濱村さんから指示を仰がなければならない。

「30やっとけばいいよ」
「ました!」

先ずは解凍してあるバラ肉を一人前ずつトレイに並べていく。その後にジンジャーパウダーを適量振りかけて、ワックスペーパーで包めばOK。注文が入ればこれをグリル板でソテーして、最後に特製和風ソースをかければ出来上がりだ。ガロニ(付け合わせ)はフレンチフライとほうれん草のバターソテーなので、これも必要分の補充があるかしっかりと確認する。
仕上げは米とぎと炊飯。
レストランでライスを切らしたら、これはもう事件である。しかもランチピーク時に底をついたりすれば、クレームは免れないだろうし、加瀬UMから烈火のごとく叱咤されるに違いない。
米はといですぐには火にかけられない。美味しく炊くには吸水させてやることが必要だからだ。時間は約1時間。だからランチピークにライスが足りなくなっても、絶対に間に合わない。一度の準備量は米5㎏。これを11時前には炊き終わり、センター位置にあるライスウォーマーへと移しておく。

「昼飯済んだらプリン作るよ」
「ました!」
「材料、覚えているよね」
「大丈夫です」

この頃のデニーズでは、カスタードプリンをちゃんと焼いて作っていた。更には私達が入社する1年ほど前までは、何とローストビーフもオーブンで焼いていたのだ。
ファミレスは全て“チンッ”だと思っていたので、これには驚いた。
ハンバーグ、ビーフステーキ等々はグリル板若しくはチャーブロイラー(炭焼き風に調理できる、溝を切ってある鉄板)で焼き、パンケーキも1枚1枚丁寧に返しながら調理する、サラダは全て材料をカットする、ピザもベースのクラフトだけは冷凍だが、これを解凍してピザソース、サラミ、ピーマン、タマネギ等々の具材を載せ、チーズをもって焼き上げる。
どれも手間暇かかって“チンッ”どころではない。

昔のことでプリンミックスのレシピはうろ覚えだが、卵5個に対して牛乳600cc?、砂糖1oz、バニラエッセンス少々だったように思う。卵はといたあと裏ごしして牛乳と合わせ、人肌に加熱したら砂糖とバニラエッセンスをいれて良く合わせる。
キャラメルシロップはあらかじめ作っておく。
砂糖と適量の水を合わせ、中火で加熱し続け、鮮やかな琥珀色が現れたらすぐに火から下ろし少々の水を入れ馴染ませる。加熱が長すぎると焦げて苦みが出てしまい、風味も損なわれるので注意が必要だ。
耐熱グラスの底を覆う程度のキャラメルシロップを入れ、その上にプリンミックスを7分ほど注ぎ入れる。これを10個ほど作って、水を張った大型のインサートに並べる。全体を覆うようにアルミホイルを被せたら、オーブンに入れて焼き上げる。
説明だと簡単そうだが、実はこのプリン焼き、意外と難しい。

「もうそろそろかな?」
「うん、いいかもしれない」

春日の眼差しが真剣だ。

火傷に注意しながら、慎重にインサートをオーブンから出す。
時間が足りなければ中まで火が通らず“生”だし、入れすぎるとプリン全体に多数のスが入ってしまい、これも商品にはならない。ちょうどいいのは細かいスが僅かに入り出した頃だ。キャラメルシロップと良く馴染んで、甘くほろ苦いカスタードプリンが出来上がる。

「あちゃー、ちょっと焦げすぎかな」

アルミホイルを剥がすと、プリンの表面が真っ黒く焦げているのが3つ4つある。そっと持ち上げると表面は穴だらけ。残念だがスが入りすぎてこれは使えない。
このやり取りを見て濱村さんが近付いてきた。

「駄目だなこれは。使えるのは3つくらいだ」
「すみません」
「最初だからしょうがないけど、もう一度マニュアルを確認して、オーブンの設定温度と焼く時間を頭にたたき込めよ」
「ました」

残念だったが勉強にもなった。
デニーズでの作業はその殆どがマニュアル化しているが、マニュアル通りにやれば全てがうまくいくとは限らず、やはり経験と勘所は不可欠になる。

春日と私は、作業を分担して早番の〆を始めた。
インサート交換、フライヤー清掃、グリル板とチャーブロイラーの磨き、スノコ磨き、そして食材や食器の補充等々だ。
一連の作業をしっかりやることによって、スムーズに遅番へとバトンタッチができる。

インサートを洗っていた春日が何気にこちらへ振り向いた、

「なあ木代、知ってる?」
「何が?」
「今、埼玉じゃ出店ペースが凄い勢いだそうだ」

東京のベッドタウンとして、浦和、大宮辺りは急激な人口流入があり、ファミレスのマーケットとしては最適だと聞いていた。

「そうだよな、この近辺じゃ新店情報なんか全然聞かないもん」
「俺たちも遅かれ早かれ、最前線送りになるんじゃないの」
「そんな風に感じる?」
「ああ」

入社してまだ2ヶ月。やっと小金井北店にも馴染んできたところで、こんな情報が流れてくると気分は微妙だ。
しかし仕事に対する欲はあった。新店メンバーになれば力を思う存分発揮できそうだし、新規のキッチンヘルプを使って、自分なりの仕事もできそうだ。
春日共々、近頃では、ウィークデーなら濱村さんの力を借りずとも、仕込みからピークタイムのディッシュアップまで、キッチンヘルプと組んで一通りやれるようになっていた。そして全てに対しもう少しスピードが付いてくれば、ほぼ一人前にやれると自負できた。この辺は努力もあったが、学生時代に飲食のアルバイトをやっていたことが大いに役立っていた。

若い頃・デニーズ時代 7

飲食業には元々興味があって、薄々自分に向いている仕事ではないかと思っていた。

学生時代に色々とやったアルバイトの中でも、喫茶店のウェイターと洋食屋の厨房へは自然に入り込むことができたし、難しさの中にも楽しさを見いだせ、けっこう積極的にやれたよう記憶している。
反面、吉祥寺の東急デパート建設工事やTRC流通センターでの仕事はひとつも面白味を感じられず、単なる銭稼ぎの手段として割り切っていた。
肉体労働や単純反復的な作業等は、どうも私には向いてないようである。

こんな背景があった為か、デニーズでの生活には入社早々からフィット感を覚え、新しいことを教わった際も、スムーズに理解できたように思う。
そしてもうひとつ。
デニーズには如何にもアメリカ生まれらしいシステマチックなキッチンシステムが備えられていて、これはアルバイト時代の洋食屋の厨房とは抜本的に異なるものだった。
高品質な料理を短時間且つ大量にサービスできる様は単純に驚きだったし、一日でも早くこれを駆使できるようになりたいと、非常に前向きな気持ちになれたのだ。
とにかく徹底した作業動線の追求は見事だった。
生産性の高い仕事を行う為に、キッチン内の調理器具、食材、プレートなどを絶妙な位置に配置し、クックは体の向き変えだけで殆どの作業が事足りるようにできている。

キッチンでのクックの立ち位置(ポジション)は基本的に3ヵ所あり、それは“グリル板”、“センター”、“フライヤー”だ。ちゃんとした準備と一人前のクックが3名いれば、1時間で客席が1.5回転から2回転するランチライムでも支障なく料理を提供することができるのだ。

先ずはグリル板。
その名のように、このポジションには大きな鉄板が配置され、パンケーキ、フレンチトースト、ホットサンド、生姜焼き、グリルサーモン等々を調理する。そこから180度振り向くと、下側が冷蔵庫になっていて、食材を常時冷たく保存するコールドテーブルがあり、ここでは主にサラダ、サンドイッチなどを作る。コールドテーブルに並べられた大小のステンレス角形容器(インサート)には、トスサラダ、ホワイトアスパラ、トマトスライス、サラダ菜、サニーレタス、スイートコーン等々が整然と並び、それぞれは腕を伸ばす範囲にあってスピーディーに調理を進められる。

次はフライヤー。
全自動のフライヤーが3機配置され、フレンチフライ、オニオンリング、エビフライ、ホタテフライ、フィッシュフライ等を揚げていく。
反対側は大きな“湯せん装置”であるホットテーブルになっていて、コールドテーブルと同様にインサートで仕切られており、そこにはミートソース、ドミグラスソース、カレーソース等が並んでいる。
因みにフライヤーの隣にはピザオーブンがあり、その先には並んでリーチイン型冷蔵庫が配置され、プリパレーション(下ごしらえ)されたピザやクレオールを保存してある。扉を開いてサッとピザを取りだし、隣のオーブンへ入れるのは瞬時である。

最後はセンター。
このポジションにはクッキングをひととおりマスターした者が立ち、ライスをよそう傍ら、両サイドをフォローし、ワンチェックのディッシュアップが同時にできるようコントロールするするのがメインの仕事になっている。
“できるセンター”がいるとピーク時の回転率が大幅にアップし、質の向上並びに売上の向上が得られる。もちろん両サイドのクックの生産性は限りなく高まるのだ。

「オーダー入ります」
「はい!!」
「ワンピザ、ワンシェフ、ワン丸ワ、ワンPジンジャー」
「はい!!」
「FF、落としすぎるなよ」
「スピナッチあおって」
「それからライスオン、終わったらトスサラやっといて」
「はい!!!」
「それから堀口君、テンプレ、キュープレ、補充よろしく」
「ました☆」
「三沢さん、そのスープといっしょにサラダもね」
「はいありがとう!」

業界用語だらけで、よく分からないと思うが、こんな感じでてきぱきとテンポ良く、センターは両サイドのみならず、フロントメンバーであるMDやバスヘルプにも的確な指示を出していくのだ。
既に気持ちだけは一端のデニーズマンとなっていた私は、濱村さんの華麗なセンター業務を見てうっとりするばかり。
一日でも早くセンターのできるクックになりたいと、日々の業務に力が入っていくのであった。

若い頃・デニーズ時代 6

デニーズの勤務時間帯は大きく分けて早番と遅番がある。早番は朝6時30分から午後の3時30分、遅番が午後2時30分から午後11時30分までだ。
クックの仕事を早番でスタートしてからというもの、そのあまりの慌ただしさに目が回り、いよいよデニーズでの仕事も核心に近づいてきたのだと実感した。
当時の一般的な店舗の営業時間帯は午前7時から午後11時までだから、早番で6時30分に出勤したら、僅か30分間で開店準備を済ませなければならない。
店に到着すると、先ずはSPアラームというセキュリティーシステムを解除し、バックヤード通用口から店内に入る。着替えを済ませたらキッチンに入ってソース類の再沸騰を行う。デミグラスソース、ミートソース、カレーソース等々だ。
並行してモーニングメニューで使うベーコン、ソーセージ、ハッシュブラウン、そしてパンケーキミックスのストック量を確認していき、温まった各ソース類をスチームテーブルへ配置すれば後は開店を待つばかりである。

「それじゃお店開けま~す」

早朝に相応しい爽やかな声が店内に響き渡った。MDの三沢さんは主婦だがまだ新婚ほやほやである。とてもキュートな彼女はMDのユニフォームがとてもよく似合う。小金井北店はオープンキッチンタイプなので、フロントでMDが動き回る様子は手に取るように分かるのだ。

「こら、MDのケツばっかり見てちゃ駄目だよ」
「は、はい、、ました」

見てないようで濱村さんは鋭く我々を観察している。

「いらっしゃいませ、デニーズへようこそ!」

開店と同時に常連客が3人、4人と入ってきた。多いのはタクシーの運転手だ。
その中の一人がカウンター5番に座った。ちょうどキッチンの目の前である。
三沢さんが素早く水とおしぼりを持っていく。

「いつものね」
「はい、ありがとうございます」

その時だ、おしぼりで手を拭くお客さんが何気にキッチンへ顔を向けた時、私と目があった。

「おっ、あの彼、出世して今日からコックかい」

三沢さんに話しかけている。

「そうなんです」

踵を返した三沢さんが満面の笑みでディッシュアップカウンターへと近付いてきた。
チェックをオーダーリングへ挟むと、勢い良く回す。

「お願いします!頑張ってね♪」
「は、はい」

初めてのオーダーである。卵料理は充分に練習を重ねてきたので自信はあったが、モーニングといえども、実際にお客さんへ提供するとなると、正直緊張する。

「木代、ツーアップ、ツーベーコン」
「春日、ワントースト、ワンパンケーキ」

濱村さんから指示が飛んだ。

「ました!!」

開店後は当然ながらモーニングセットに注文が集中する。Aセットは、トースト、卵、ベーコンに、おかわり自由なデニーズアメリカンコーヒーが付いて380円とリーズナブル。480円のBセットになると、これにハッシュブラウンとジュースがプラスされる。
そしてデニーズの特長は何といっても卵料理にあった。一人前に使う2個の卵をお客さんの好みで調理するのだ。
片面目玉焼き(サニーサイドアップ)、スクランブルエッグ、落とし卵(ポーチドエッグ)、ゆで卵、そして新人には手強い両面目玉焼き(オーバーイージー)等がある。
大概のお客さんはサニーサイドアップかスクランブルエッグで注文してくるが、たまにオーバーイージーが入ると非常に緊張した。何せ両面焼くにはひっくり返さなければならないが、デニーズではこれにヘラを使わず、フライパンを持った手にスナップを利かせてターンさせるのだ。
うまくいかなければ当然潰れて商品にはならなくなる。

「“Aトー”アップ!」

“Aトー”とはトーストAセットの略だ。Aセット、Bセット、どちらもトーストかパンケーキのセットがあって、付け合わせもベーコンまたはポークリンクソーセージのどちらかを選ぶことができる。

ー ピンポーン。

ファミレスの店内で良く耳にする音は“ウェイトレスコール”といって、オーダーした料理ができあがったことをMDに知らせる為にある。

「はーい、ありがとう」

ウェイトレスコールを聞いて三沢さんが足早にディッシュアップカウンターへと近づいてきた。

「AトーとAパンです」
「美味しそうにできてるわね」

照れるやら嬉しいやらで、なんだか落ち着かない。

「そ、そうですか」

料理はすぐにカウンターのお客さんへ運ばれた。どうしても気になってしまい、作業を進めながらもカウンターへと目が動いてしまう。
と、その時だ、
トーストを口に運びながら何気に顔を上げたお客さんが私の方へ向きなおすと、優しい笑顔を投げかけてくれたのである。

ー ありがとうございます!

思わず心の中でスパークする何かがあった。ディッシュアップカウンター越しだが、感謝の意を会釈で返すと、これまでに感じたことのない嬉しさがこみ上げてくるのだった。
自分が作った料理を、実際のお客さんが食べているこの事実は、紛れもない仕事であり責任でもある。
手際よくサラダをアップさせていた春日と目が合うと、

「木代、良かったじゃん」

さすが春日。作業中でもこの顛末を何気に観察していたのだ。しかも彼は自分のことのように喜んでくれている。
ナイスガイだが同時に最大のライバル。彼となら良い意味で切磋琢磨できそうだ。