若い頃・デニーズ時代 26

「おはようございます! 今度お世話になります、立川店の木代です」
「あっ、こんにちは。それじゃ事務所へどうぞ、マネージャーいますよ」

デニーズ田無店は新青梅街道の上り線沿いに位置する、小金井北店と同様の106型店舗である。
このタイプの特徴は何と言ってもオープンキッチンにある。キッチンメンバーの動きを客席から眺めることができ、そのビジュアル効果は普通のレストランにはない躍動感を作り上げるのだ。しかも当時主流となっていた149型と違って、ウェイトレスステーションがないので、店内は明るく開放感に溢れている。但、クックにとっては、調理をしている眼前に、常連客が並ぶカウンター席がこちらを向いているのだから、ディッシュアップに時間が掛かったときなどは、お客さんから発する厳しい目線をもろに受けなければならない。

今日は休日だったが、異動前の挨拶で田無店を訪れてみたのだ。
迷惑にならぬようアイドルタイムを狙ってきたが、窓ふきをするBHや、テーブルにワックス掛けをするMD達を目にすると、田無店の教育状況が分かるというもの。それぞれやるべきことをやるべき時間帯にやっている。マネージャーの努力が実を結んでいる証拠である。
しかしバックへと案内してくれたMDの髪の毛の色は、ちょっと、、、
せっかく感じがいいのに、まんま水商売と思しき茶髪では、デニーズのイメージにそぐわない。
ディッシュの脇をとおると、UMだろうか、黄ジャケを着た人がエンプロイテーブルでカレーを食していた。

「おはようございます!」
「おっ、木代か?!」
「はい。ご挨拶に伺いました」
「そうか、今飯食ってるから、5番でコーヒーでも飲んでろ」
「ました」
「今日は橋田もいるから、話しでもしてな」

これまで一緒にやってきた何れのマネージャーとも異なる強い個性を放っている。上西UMの第一印象はそれほどインパクトのあるものだった。
とにかく顔が怖い。パンチを当ててるし、目つきも“その筋”って感じだ。
バンカラ?!、子供大人?!、ヤンキー?!
どれともつかない特異な雰囲気だが、何れにしても、IYグループのイメージからは完璧に逸脱している。

「木代君? 橋田です」
「はじめまして。よろしくお願いします」

がっちりとした体つきの男性が、いつの間にか傍に立っていた。
私が田無店に異動すると同時にAMへと昇格する現UMITの橋田さんだ。上西UMとは180度違う第一印象が素直に笑える。彼らがペアを組んで田無店のオペレーションに励んでるなど、どの角度からみても想像がつかない。

「一緒に頑張ろう」
「ありがとうございます」
「だけど最初は“通し”だから大変だぞ」
「はい。覚悟しています」

そう、新米UMITには通しという洗礼が待っている。
デニーズの基本営業時間は7時から23時までの16時間だが、基本的にその16時間を早番(6時30分~15時30分)と遅番(14時30分~23時30分)の2シフトでカバーしている。ところがマネージャー職に成り立ての頃は、その業務をいち早く身につけようと、6時30分~23時30分、拘束17時間というを超長時間労働を、約1週間立て続けに行なうことが暗黙の習わしとなっていた。体力的にも精神的にもハードなことは言うまでもないが、皆、マネージャーヘ昇格した直後の気合を持っていたので、これも未来への布石と言わんばかりに取り組んだのだ。
昨今ではブラック企業なるものが大きくクローズアップされ、劣悪な労働環境が日本の社会に深く浸透している現況が明らかになってきたが、当時は「猛烈サラリーマン」なる言葉のニュアンスが多少なりともまかり通る傾向が残っていて、デニーズ社内でも、仕事は絶えずプライベートの上にあり、先ずは仕事ができなければ!の精神が当たり前のように通っていた。前述した早番、遅番も実は名ばかりで、早番の退社はディナーの準備を整え、且つ遅番の食事を済ませた後になるから、大体17時から18時。遅番も然りで、出社はランチピークのフォローと称して12時なのだ。よって各シフトは名目上拘束9時間実働8時間だが、実際は拘束12時間が毎日続いていた。
但、恐ろしいこポイントは、それがあたかも常態のように捉えられているところだ。
どんなにガッツのある者でも長時間労働が続けば、本人も気づかぬうちにやる気は減退していく。

ペーパーナプキンで口を拭きながら上西UMがバックから出てきた。

「いつからだっけ」
「3月1日からです」
「そうか、じゃまず1週間の通しから始めるか」
「ました。よろしくお願いします」
「家が近いから多少は楽かもな」

帰宅したら速攻で風呂へ入り寝るようだ。そうすればなんとか4~5時間は睡眠時間を確保できるだろう。

「橋田」
「はい」
「一日だけ、通し、付き合ってやれや」
「ました」
「すみません、よろしくお願いします」

この後、田無店へ届いている赤ジャケのサイズ確認をし、出勤しているアルバイトひとりひとりへ挨拶してから 失礼したが、これまでの異動とは明らかに異なる雰囲気に身は引き締まり、これからの仕事の大きさと責任の重さを反芻するのであった。
しかしそれは脇に置いても、茶髪のMD、まんまヤンキーのKH、そして上西UMから発するオーラが気になってしょうがない。
胸の内には不思議な印象が張り付いて、最初は小さかった不安の粒が、徐々に大きくなっていくのだった。

若い頃・デニーズ時代 25

入社して1年が経とうとしていたが、相変わらず外食産業の活況ぶりに衰えはなく、デニーズはもとより競合他社の出店ペースもこれまでにない高水準を推移していた。この状況を維持向上させる為には、計画に則った「採用」と「教育」が必須であり、先ずは、正社員、アルバイト問わず、必要最低限の頭数を確保することが大前提となっていた。
私の同期入社は大卒80名、高卒20名の計100名。ところが新年度、つまり次年度の定期入社の予想数はその倍近くまで膨れあがっていると聞き、近々に発表されるであろう、大規模な出店計画とそれに伴う人事異動が容易に予測できた。
しかし、この流れに最も注視すべきことは、浦和太田窪店のような、新店に頻発する【劣悪な職場環境】である。
オープンから大凡一ヶ月間は本部や近隣店舗から応援が出るので、不慣れの中にも店としての体裁を守れるが、その間にアルバイトスタッフの採用と教育が滞ってしまったら、それは一大事だ。
サービスレベルの低下で客足は遠のき、スタッフ達には適正生産性以上の仕事を強いるので、いとも簡単に離職へと繋がってしまう。
特にキッチンヘルプの育成は重要なポイントだ。フロントスタッフと違って、厨房内で一端の仕事をマスターするまでには多くの時間を要するので、新店スタート時点で、モーニング~ランチ要員2名、ディナー要員で3名ほどの人員確保は不可欠だ。但、仮に確保ができたとしても、スケジュールに乗っ取ったトレーニングや、不足のないコミュニケーション等々を心掛け、皆が気持ちよく働けるキッチン作りに励まなければ、やはり離職続出の危険性が出てくる。

「木代さ~ん、マネージャーが事務所へ来てくれって言ってました」
「ほい、ありがとう」

水谷智子が寒さに顔をしかめながら、バックドアから身を乗り出している。
春まだ遠く寒さは厳しいが、スノコ磨きをしているとうっすら汗ばんでくる。

クック帽を棚に置き事務所へ出向くと、先客がいた。何と槇さんだ。
二人呼ばれて何の話しだろうか。少々緊張した。

「先ずは木代。来月から田無店でUMITだ」

きた、きた、きた、きた、ついにきたぁ===!
マネージャー昇格だ。
憧れの“赤ジャケ”を羽織れる!
こぼれる笑顔を押さえることができない。
しかも自宅から近い田無店とは、なんてラッキーなんだ。

「嬉しいです、頑張ります!」

デニーズではマネージャー職からユニフォームはブレザーとなり、UMとAMが黄色、そしてUMITは赤である。ネクタイは指定のものを使うが、シャツとズボンは自前というところが、担当職とはひと味違う大人びた感じになり、グッとくる。

「しかしさ、UMは上西さんといって怖い人だから大変かもよ~」
「当たって砕けろです」

そんなことはどうでもいい。マネージャへと昇格できるその事実だけで十二分なのだ。

「木代、やったじゃん」
「ありがとうございます。ところで槇さんは?」
「俺は“新店”だよ」
「そりゃ凄い! おめでとうございます」

槇さん、新店メンバーなんだ、、、
悔しいけど結構評価されているのだろう。

「どこですか、その新店とは?」
「碑文谷だ」

噂に出ていた都心店である。予測年商も3億を超え、千歳船橋や髙田馬場と肩を並べる店として注目を浴びている。そこへ抜擢されることは名誉であるが、人員確保とトレーニングが思うように進まなかったときは、壮絶な地獄と化すだろう。

「おおっ、やりましたね」
「まっ、やりがいはありそうだ。お前も頑張れよな」

槇さんが立川店へ赴任してきた当時、私を狙い打ちするかのような横柄な態度に我慢ができず、誰が見てもわざとらしいほどに彼を避けてきたのだが、私がマネージャー試験に合格すると、何故か手のひらを返すように、今度は槇さんが私を敬遠するようになったのだ。
しかしこれによって、互いの間に絶妙な距離感を作ることができ、若干だが連携にもスムーズさが加味されたように思う。
考えてみれば、もともとウマの合わない二人だから致し方ないが、誰であっても多くの仕事仲間と切磋琢磨すれば摩擦は起こりえるものだし、単純な好き嫌いをいちいち気にしていたら平穏な日々など訪れてくる筈もない。

キッチンへ戻ってプリパレを始めても、ニヤケが止まらない。こんな時は怪我に注意だ。マネージャー試験に合格したときも、浮かれすぎて作業に集中できず、レモンカットの際にペティーナイフの刃先で左人差し指を刺してしまったのだ。

「さっきの、聞きましたよ」

いつの間にかシンク脇に水谷智子が立っていた。

「もうエンプロイで広まってま~す」
「おいおい、早いねそれは」

悪い気はしない、今回は特に。
知っている同期生の中でも、二人、三人とUMIT昇格の情報が入っていたので、正直なところ気持ちに焦りはあった。そんなタイミングでの昇格話だから嬉しさもひとしおなのだ。

「社員の人はすぐにいなくなっちゃうんだから」

水谷智子が放ったこの一言が、今のデニーズを如実に表している。
社員は落ち着く暇もなく、次から次へと店を渡り歩かなければならない。連発する新店オープンは会社成長への布石であり、それ自体、社員であれば受け入れるべきことなのだろうが、その身を劣悪極まる労働環境へ置けば、よほどの志を持っている者でさえ何度も心が折れてしまうのだ。
如何にしてマネージャーとしてのMotivationを保ち続けるか?!
新たな挑戦が始まろうとしていた。

若い頃・デニーズ時代 24

人事部・本田さんによる面接試験を経て、めでたくマネージャー昇格試験を通過した私は、あまりの浮かれ気分に、槇のことなど、もうどうでもよくなっていた。
そんな中、やっこさん、場の雰囲気を察して、近い将来同じ職位に追いつかれるとでも思ったのだろう、私への態度が急に素っ気なくなってきた。
何かにつけて「俺とお前が組んだら…」と始まる、あの嫌みったらしい馬鹿話しが、手の平を返すように出なくなり、話しかけてくる内容も事務的なものばかりへと変わった。

ー まっ、その内お前を使ってやるさ。

UMITへの目処が立つと、仕事への目線は益々マネージャー寄りに動いた。
UM(ユニットマネージャー・店長)にとって売り上げ目標の達成は当然の使命だが、店独自の広告宣伝や他業種とのタイアップ等々は当然ながら全て御法度である。
では売上はどの様に管理していくのか?
それは新入社員研修で勉強した【チェーンストア理論】の中に答えがあった。
列記すると、
< 事業戦略、商品開発、調達、人事・財務・管理などの中枢的機能を本部へ集中させ、店舗現場はオペレーションに専念することで最大の運営効率を挙げ、同時にコストダウンを可能とする考え方である。これを可能ならしめているのは3Sの手法である。3Sとは、標準化(standardization), 単純化(simplification),専門化又は分業化(specialization)の3つのSを指す。>
となる。
3Sのひとつ標準化はマニュアル化を意味し、デニーズに於る全ての作業を分かり易く明文化してある。また、食材原価の要であるポーションコントロールに必要な盛り付け量は、付け合わせに使うほうれん草ソテーやフレンチフライドポテトに至るまで数値化がなされている。

「卵料理にはカットバターを使うんだよ」
「あ、はい、わかりました」

新人のキッチンヘルプが、フライパンへ溶かしバターを入れようとしている。
溶かしバターはトースト用、調理にはカットバターを用いなければならない。
ハンバーグを例に挙げれば、解凍時間、片面焼き時間、調理器具チャーブロイラーの温度、マイクロウェーブオーブン(略して“マイクロ” ⇒ 電子レンジ)の加熱時間、そして最後にかけるソースの量等々、誰が調理しても同じ味が出せるようにマニュアル化されている。
もちろんフロント業務にも徹底した“決まり”がある。
お客様が来店したら「いらっしゃいませデニーズへようこそ」とお迎えし、お帰りになるときは「ありがとうございました。またお越し下さい」と言わなければならない。この他にも「はい、かしこまりました」、「少々お待ち下さい」と挨拶(グリーティング)も統一されている。単純な「いらっしゃいませ」、「ありがとうございました」や、「わかりました」、「ちょっとお待ち下さい」などの既定外は全てNGだ。
こうしたありとあらゆる行為に対する手引きがマニュアル化されていて、これを順守することにより、デニーズのブランドを訴求することができ、必然的に売上が上がっていくというわけだ。

「木代さ~ん」

んっ、岡田久美子か。

「はいはい、今行くよ」
「検品お願いしま~す」

八百屋がレタスを持ってきたのだろう。
午前の納品時、検品してみるとレタスが痩せてスカスカだったのだ。同じ段ボール1ケースでも、使える部分に大きな差が出てしまい、これがフードコスト(食材原価)に跳ね返る。酷いときには品切れが起きることさえあるのだ。

「どうもすんませんね」

新たな箱を開けると、ずっしりと重くみずみずしいレタスがぎっしりと詰まっている。

「最初からこのレベルを持ってきてくれなきゃ」
「へへっ、今、露地物に頼っちゃってんで難しいんですよ」

検品の他、フードコストコントロールに必要なのがトラッシュカン(ゴミ箱)チェックだ。
安全期間を過ぎて破棄した食材、オーダーミス、野菜カットの状況等々、クック達が出している無駄のレベルを常時観察することにより、個々の仕事へのアドバイスが進み、同時に正常なコストへ持っていくことができるのだ。

全てのマネージャーは常に実務を勉強し続け、それを全てのスタッフへ伝え、正確に実行させるために尽力しなければならない。
デニーズジャパンが嘱望するマネージメントレベルとは、“多くの優れたスタッフを育てられる者”に尽きるのだ。