奥多摩小屋

奥多摩小屋が平成31年3月31日をもって閉鎖となる。そして同時にテントサイトも使用不可に なるとのことだ。
どうやら老朽化が進み、安全が確保できなくなったようだ。何しろ初めてのテン泊がここだったので、このニュースが耳に入った時、正直なところ寂しい思いがした。

東京都の最高峰「雲取山」へ向かうメインルートにある石尾根。この終盤に位置する奥多摩小屋は、周囲の山々を広く眺望できる文句なしのロケーションにある。
宿泊に使うのもいいだろうが、それよりも雲取山登山の休憩地点としての存在価値が光る。
何故ならこの先には雲取山山頂に至る最後の急登が待っているからだ。小屋の前にはちょっとしたベンチとテーブルがあって、いつ訪れてもその周辺には必ず人の姿やザック等々が見受けられる。
景色を楽しみながらの一服はとてもリラックスできて、“あとひと踏ん張り!”へ向けての準備にはもってこいなのだ。
しかしこの奥多摩小屋、確かに一見廃屋と見間違うほど朽ち果てたムードが漂っていて、これまでに宿泊客を見たのは一度きり。一方、広いテントサイトはいつも賑わいがあり、奥多摩テン泊の一大スポットになっている。なにしろ防火帯である岩尾根に位置するので、その解放感は奥多摩唯一。陽が落ちると富士山登山者の連なる明かりがはっきりと確認でき、それを肴にビールをやればこの上ないアウトドア気分に浸れるのだ。

こうなると、初のテン泊を思い出す……

そもそもキャンプというもの、遊び心に溢れていてテントの設営からして面白い。
しかし、たまにしかやらないことだけに、組み上げの順番はいつもうろ覚え。四苦八苦の末、何とかフライシートを被せ終えると、<マイホーム完成!>と暫し眺めてしまう。
森の中に溶け込むようなこの小さなテント。この中で一夜を過ごすと思うと無性にワクワクするのだ。
続いて夕飯の準備。

「ご飯炊いてみましょうよ」

初テン泊のパートナーは山友のMさん。
その彼から頼もしい一言が発せられた。これまでは日帰り登山だったから、ストーブを使ってもお湯を沸かしてカップ麺が精々。ところがテン泊は帰りの心配がいらないからじっくりと調理に時間を掛けられる。

「いいね。でもちゃんと炊けるの?!」
「大丈夫だと思いますよ」

やや心配だったが、持参したヒートパックのおかずでも、炊き立てのご飯があれば最高のディナーになる筈だ。

「OK。じゃ、俺が水汲んでくる」

奥多摩小屋の水場は、尾根道から南へ少々下ったところにあり、これまでの山歩きで疲れた足腰にはやや辛い距離感である。
先客2名が汲み終えた後、先ずはプラティパスに詰め込む前に手ですくって飲んでみた。
<うまい!>
そもそも奥多摩山系の水はうまい。獅子口、雲取山山荘、そしてここ奥多摩小屋の水場、どれも甲乙つけ難いふくよかな味がする。
今回はウィスキーを持参していたので、さっそく戻って水割りだ。

結局炊きあがったご飯は芯ありだったが、よく噛めば甘みも出てきて問題には及ばず、寧ろこの不完全さがキャンプの醍醐味へと繋がるのだから笑えてしまう。
他愛ない会話が延々と続いたが、この上ない解放感が否応なしに場を盛り上げた。

一時間も経っただろうか、普段の山歩きより大きく重い荷物を背負ってきただけに、疲労は確実に蓄積したようで、水割りを3杯開けたところで、瞼が急に重くなってきた。時計を見たらまだ19時前だったが、そろそろ寝袋に潜り込みたい感じである。
テントでちゃんと眠れるかと、最初は少々不安であったが、疲れのおかげで結果は超爆睡。日が変わる頃に一度尿意で目が覚めたものの、その後は鳥のさえずり と共に朝を迎えるまで、夢を見る間もなく眠り続けたのである。
この時の爽快な目覚めは今でもよく覚えている。

初っ端 2018

五日市小学校

4月19日(木)。二連休の初日は快晴との予報がでた。今シーズン初っ端の足慣らしにはもってこいと、急遽山行を計画。もちろんコースは馴染みの御岳山である。
先回は鳩ノ巣~城山コースを使ったので、今回は久々に古里から大塚山経由で登ってみることにした。

毎度のことだが、初っ端は足ができていないので、膝痛との戦いになる。持病の腸脛靭帯炎だ。少しでもこれを和らげようと、日々ストレッチングにいそしんではいるが、それがどれほどの効果を得られるか、今回の山歩きには期待が掛かっていた。
鳩ノ巣駐車場へは8時半に到着。青梅街道の流れが頗る良く、予定より30分も早く着けたので、余裕をもって青梅線8:54の上りに乗ることができた。ちょうど通学時間帯なのか、小学生7名が一緒に乗り込み、また同じく古里で下車した。ということは鳩ノ巣に小学校はないのだろうか。
準備運動を終え、古里の御岳山登山口を出発したのは9:15。快晴で風もなく、地元よりやや肌寒い気温は、山歩きを快適にさせてくれそうだ。

久々の山は例外なく手厳しい。
歩き出しから上りの連続で、どうにもこうにも息が乱れ、一気に汗が噴き出してきた。30分もすると何とか体が慣れ始めたが、悲しいかな、負荷から遠ざかっていた体を再び山慣れさせるのは、年々難しくなってきたようだ。
出発から1時間弱で大塚山へ到着。いつ訪れても賑やかな山頂なのに、今日は人っ子一人いない。それではと、一番きれいで日当たりのいいテーブルを独り占めにし、セブンイレブンの新商品“ソースが決め手!コロッケパン”を取り出し早速いただく。パンはややパサついていたが、ソースがよくきいたコロッケとの相性はGoo。パッケージには“温めて美味しい”と書いてあったので、まあ、パサつきはしょうがないところか。
風が出てくると急激に汗が冷やされ、寒さを感じる。
大凡15分の休憩で出発。日の出山を目指す。

今回は己に厳しくいこうと、常用グッズのトレポは終始使わないと決めていた。弱った足腰はとかくバランスを失いがちだが、そんな時トレポはとても役に立つ。しかし、裏返せばごまかしがきいて、本来のバランス感覚が戻りにくくなるという弊害もある。
更に今回は“歩き方”にも工夫を入れた。膝に負担がかからないよう、なるべく足をまっすぐ前へ出す歩き方だ。私の歩き癖はつま先を外側に向ける外股だが、一方方向へしか動かない膝関節にとってこれはやや重荷。360度方向、つまりピロボールのような動き方をする肩関節とは構造的に異なり、一方方向以外への動きに対しては、股関節がそれを補っているのだ。肘と肩、膝と股間という関係である。

日の出山山頂直下まで来ると、何やら上の方から子供の声が聞こえてきた。
歩きづらい石段を一気に上がると、そこには大勢の子供たちがいるではないか。すぐに座りたかったので、あちらこちらのベンチを見回したが、一番手前にはおじさん三人組が、そして東屋の向こう側は全て子供たちに占拠されていた。ところが東屋には引率の先生らしき男性一人しかいなかったようなので、手前のベンチに腰掛けた。

「こんにちは」
「遠足ですか」
「はい、五日市小です」

ざっと見まわして生徒40名、引率の先生5名といったところか。今日はとりわけ人影に乏しい山中だったから、この賑やかさは新鮮である。

「何年生ですか」
「6年生です」

6年生と言っても、5年生が進級したばかりなので、皆小柄で幼く見える。特に男の子は顕著で、どちらかと言えば女の子の方が平均して体格がいいのでは。

「これから金毘羅尾根を下って帰るんです」
「へーっ、結構距離ありますよね」
「8kmくらいですか」

その時、一番年かさのいっている先生が近づいてきて、

「そのカメラ、ニコンなんですね」

見ればその先生、バッテリーグリップを装着したニコンD7200を首にかけている。聞けば、D800も所有している根っからのニコンファンらしく、フィルム時代は色々なところへ出かけては撮影を楽しんだそうだ。しかしこの頃の被写体はもっぱら生徒達らしい。

「これNikon1のV2ですけど、すでに販売は終わってます」
「私、手が小さいので、これしっくりくるな~」

この先生、かなり機械ものが好きなようだ。細かく観察しているし、目が真剣である。

「山歩きにはもってこいですね」

そう来ると思った。もはや山歩きにV2は欠かせないのだ。

歩き方に工夫をしつつここまで来たが、そのせいか、下半身の疲労度はいつもの“初っ端”より低いような気がした。但し、残念ながら左膝には相変わらずの違和感が発生していたが、全体としては上々だと思うし、少なからず日頃のストレッチング、そして歩き方の工夫による効果が表れたのだろう。

下山にかかると、日の出山の東側は再び人影がなくなり、先ほどまでの喧騒が嘘のような静けさに包まれた。
実は私、こんな樹林帯歩きが好きだ。植林だろうが自然林だろうが構わない。木々に覆われ日差しが届きにくい樹林帯には、真夏でも爽やかで冷っとする空気が必ず流れていて、それが体にまとわりつく感触がたまらないのだ。
こんな一瞬、山へ来て良かったと思う。

この後、いつもなら愛宕尾根を下って二俣尾に出るのだが、今回は吉野梅園を通り、日向和田へ出るルートを選んでみた。距離感的にはほぼ同じだが、こちらは一般道へ出てから駅までの距離が長く、幸か不幸か、カンカン照りに見舞われたことが体に響いた。やっと町へ出たというのに、汗が噴き出して止まらない。たまらずザックから最後の500mlリットルミネラルウォーターを取り出し、グビグビと流し込む。

「ふ~~、生きかえる」

多摩川に反射する西日がやけに眩しく、それは山行の終わりを告げていた。

高水三山

11月29日(水)。
山の紅葉を楽しもうと、奥多摩の人気トレッキングコース【高水三山】を歩いてきた。
高水三山とは、高水山(759m)、岩茸石山(793m)、惣岳山(756m)の三山の総称だが、6年前の同じ11月に、やはり紅葉を愛でようと棒ノ折山(969m)へ登った際、その下山路に当たる岩茸石山と惣岳山は巡ったことがあったので、今回は残りの高水山頂上に立ち、三山を制覇しようという意図も含まれた。
ルートはJR青梅線の軍畑駅から出発し、三山を巡って御嶽駅へ降りるというもの。スタート後は何の変哲もない一般道を淡々と歩くが、段々と山が眼前に迫ってくる過程は、山歩きへの期待を膨らませる。
右手に高源寺が見えてくると、その脇に登山口があり、ここから本格的な山道へとスイッチする。

登山を開始すると待ったなしの上り坂が続いた。初心者コースと言えども、奥多摩は何処を歩いても急峻であり、それが為に下りは細心の注意が必要。特にこの季節は落ち葉が多く、堆積した土面は濡れてとても滑りやすい。
30分も歩かないうちにウィンドブレーカーを脱いだ。今日は晴れて気温も高く、既にアンダーシャツは汗まみれである。こうなると水分補給は夏と同じ要領で行いたい。一度に大量にではなく、歩きながら頻繁に補給して、のどの渇きが起きないようにするのがポイント。そうすることで後半戦までスタミナを温存することができるのだ。

高水山手前にあるのが常福院。ここでトイレタイム兼がね一服することにした。
高水三山は奥多摩登山の入門コースと言われているが、ここまでの連続した上りは結構きつい。難しい箇所は一つもないが、ペース配分の分からない初心者にとって、高低差400mはちょっとしたハードルになると思う。
社の裏手にあるトイレへ向かうと、スタートから一緒だった年配夫婦のご主人が用を足して出てきたところだった。

「お疲れさん」
「山へは良く行かれるんですか」
「定年してからやることないんで、1年ほど前からちょくちょくです」

このご夫婦、奥さんの方が健脚だ。年齢はそれほど離れてないようだが、常に奥さんが10mほど先行し、時々振り返ってはご主人の様子を窺っていた。

「最後になる惣岳山ですがね、頂上手前の坂は凄いですよ。<ここ登るのかよ!>って一瞬引きましたから」

はいはい、思い出した。あの3点支持無くしては登れない岩場のことだ。確かにそれまでの山道とは状況が一変するが、区間は短いのでそれほどのことはない。しかし一応巻き道もあるので、年寄りは避けた方が無難である。それにしてもこの常福院という古刹、紅葉に囲まれ、なかなかの趣がある。暫し散策と撮影に集中した。

高水山の頂上は余り眺望がきかなかったのでスルー。それより大きく広がる絶景で人気を博す岩茸石山へと急いだ。
ここからは軽快な尾根歩きが続き、山の清々しさを十二分に堪能。今更だが、アウトドア万歳!!である。

頂上直下の急登をクリアすると、まさしく大パノラマが待っていた。
二度目となる岩茸石山山頂だが、今回は好天のせいか、その開放感は先回のイメージを上回った。景観は棒ノ折山のそれと似ていて、奥多摩秩父の広大さを改めて実感。ここが東京都とは恐れ入る。
空腹が頂点に達していたので、何はともあれおにぎりを頬張った。いなり寿司の甘さが疲れた体に染み渡るようだ。
人気スポットのお昼時とあって、山頂はざっと20数名のハイカーで賑わっていた。見れば先ほどのご夫婦も弁当を広げている。苦労して登ってきた者だけが味わえる贅沢なランチタイムだ。

真後ろのベンチを陣取って、山の話やら食べ物の話やらで大いに盛り上がっていた年配女性8人組がそろそろ出発のようである。
腕時計に目をやれば、30分近くも経過していたので、私もそろそろ出発の準備をすることにした。まだ13時前なのに陽光は斜めに射し、山々の斜面にコントラストを作り始めていた。

岩茸石山からは急降下が続いた。膝と大腿筋に最もストレスが押し寄せるステージの始まりである。
先々回、そして先回も左膝は絶好調だっただけに今回も期待が掛かるが、この時点で症状らしきものは全く感じず、下山速度も幾分上がった。
暫くの間、人の気配のない山行が続いた。こうなると山は本当に静かである。今日は風がないから尚更だ。こんな時は必ずと言って鼻歌が出てくる。今日は「BE MY BABY」。もちろんCOMPLEXである。

愛しているのさ 狂おしいほど
会えない時間が 教えてくれたよ
もう離さない 君がすべてさ
BE MY BABY
BE MY BABY

ところがその静かな山歩きもそれほど長くは続かなかった。前方から賑やかな喋り声が聞こえ始めたのだ。
間違いなく先に出発した、あのおばさん8人組だろう。見る見るうちに最後尾が近づいてきた。

「しんどい人は巻き道を行って、先で待っててくださいね」

追いつくとそこは惣岳山頂上直下。リーダーらしき女性がてきぱきとアドバイスを出して、登頂組と巻き道組に分けている。見たところ最年長で年齢は70歳手前か、、、
その彼女と目が合った。

「どうぞお先に。私たちゆっくりなんで」

お言葉に甘え、岩に取り付いた。
ところが暫くすると、ぴたりと背中に張り付くような気配を感じ、振り向いてみたら、なんとリーダーが。
どうぞお先にと言ったくせに、全然“ゆっくり”ではない。寧ろ<煽るのかよ?!>である。
ここの岩登りは険しいというほどではないが、一気に登りつめるには推進力、つまり腕と脚の筋力が必要だ。果たしてこの年齢のご婦人が、どのような登り方を披露してくれるのか、ちょっと興味が湧いてきた。
岩場はいたるところに頑強な木の根が露出していて、それをしっかりと掴めば、力任せの直登も可能だが、安全且つ体力を消耗しないルートを選びながら歩を進めれば、リーダーはこれでもかと追従してくる。しかも余裕さえ感じる。だったら直登に切り替えようと一気にペースを上げると、さすがに距離が開いた。そのまま速度を落とさず頂上まで登りつめ、眼前にあった丸太のベンチが空いていたので、ザックを置いて腰掛けた。
すると間もなくしてリーダーが現れ、続いて3名のメンバーが上がってきた。意外や皆余力はありそうだ。同年代の女性がこれほど頑張れるのだから、私などまだまだ修行不足。
<山の体は山でしか作ることができない>
これを肝に銘じ、更に山へと入ろうか。

ゴールの御嶽駅までは、ずっと下り坂が続いた。おまけに最後の最後にきて三度のアップダウンが待ち受けた。疲労が溜まった下肢には辛い場面だが、今回も膝に痛みが出なかったので、気持ちは終始前向きでいられた。やはり山歩きに於てコンディションは最低条件であり、これが揃わなければ山は楽しむどころか苦痛でしかないのだ。