三山巡り

 今年は山歩きに弾みがついた。梅雨の合間だったろうか、久々に未踏のエリアへ足を踏み込んだことで、発見やら感慨などを覚えたのが引き金だった。つくづく思うが、やはり趣味にも変化や刺激が必要なのだ。刺激がなければマンネリ化するし、次第に興味も萎む。ローカットシューズを履いて入山しただけで、いつもの森が新鮮に見えてくるから笑ってしまう。
これまで山歩きといえば全て車を利用していた。そもそも登山口というもの、公共交通を使うと不便極まりない場所に多く、電車やバスの時刻に縛られたりとか、待ち時間が長くてイライラしたりとかで、本題を楽しむには、七面倒なことを踏む必要がある。私はこのパターンが苦手だ。
何時ごろに登山を開始し、何時ごろに下山するか、、、おおよその山行計画を立てたら、見合う時刻に車で出かける。だから登山口近辺に駐車場がないところには行かないし、行けない。ただ、これに関して少々不便を感じることもあった。
奥多摩で好きな登山コースの一つに、古里の丹三郎登山口からスタートする、三山巡り(大塚山~御岳山~日出山~愛宕神社)があるが、これを歩くには先ず鳩ノ巣駐車場へ車を入れて、そこから登山口のある隣駅の古里まで電車で行く。ここで問題なのは青梅線のダイヤの少なさだ。例えば午前九時に登山を開始するには、鳩ノ巣発八時五十三分の青梅線に乗らなければならない。これに遅れると、次に来るのはだいぶ先になる。さらに途中食料と水の入手時間も考慮しなければならず、まとめれば自宅を六時半前に出発する必要がある。もう一つ、下山地点である愛宕神社の最寄りの駅は二俣尾なので、そこから六つ目になる鳩ノ巣まで電車で戻らなければならない。ここでもダイヤの少なさがクローズアップされ、疲れた脚で多摩川を渡り、坂を上ってやっと二俣尾の駅が見えたときに、ちょうど下り電車が出発するところだったら、確実に疲れは倍増する。
だったら一度は試しで、最初から車を使わずに電車で行ってみようと、今回初めて電車に乗って登山へ向かったのだ。

 二〇二一年十二月九日(木)。
三鷹発七時三十五分。通勤時間帯だけど下りなので空いているだろうは読み間違い。結局立川まで立ったままだった。さすがに青梅線へ乗り換える際は楽に席を確保でき、次の青梅での乗り換えではさらに乗客数が減った。いつものことだが、車窓に広がる景色はとても東京都とは思えないもの。

 十二月の山歩きってのはいいかもしれない。歩き始めて少々経っても気温が低いから汗はそれほどかかないし、なにより暑さバテがないから足取りも軽い。ただ、山道はどこも深く落葉に覆われ、足元への注意は必須だ。木の根に躓いたり、小さな岩に足をとられて足首を挫きそうになること屡々である。昨晩は大雨だったから、下りになると濡れた落葉でつるっと足をとられることがあり、その度に緊張感が走った。
御岳の集落を抜け、日の出山方面へ入ると、正面に立ち止まって話をしている年配男女の姿が目に入った。男性の方が地図を片手に、ああだこうだと女性に向けて喋っているようだ。その脇を通ろうとすると、
「すみません。日の出山はどっちですか?」
やはり道に迷っていたようだ。
「これをまっすぐ。一本道だから迷うこともないですね」
「そうですか。ありがとうございます」
「じゃ、僕も同じく日の出山なんで、先に行ってます」

 さすがに十二月か、いつもは賑やかなこの尾根道だが、今日は人もまばらである。春先だったら挨拶をするのが面倒なくらいに日の出山方面から多数のハイカーが降りてくる。年が明けて雪でも降れば、さらに寂しくなるのだろう。景色がいいわけでもなく、単純な植林帯の中を歩くだけなのに、実は不思議とこの道が好きだ。
ここでもお気に入りのローカットシューズは相変わらず軽くて履き心地がよかった。シューズと足の一体感をもうちょと欲しかったので、試しにソフソールというメーカーのインソールを入れてみたが、これは正解だった。ソールのダイレクト感がやや希薄になるが、その代わりに衝撃を明らかに緩和してくれる。
日の出山へ到着する頃には、腹ペコが限界にきた。いつもの東屋を陣取って、ザックの中身を出した。お湯が沸くまでの間におにぎりを完食。今回はチキンラーメンではなく、セブンオリジナルの醤油ラーメン。やはり寒い日にはカップ麺がありがたい。スープが美味しくて一滴残らず飲み干した。
人が上がってくる気配を感じ、ふと目をやると、先ほど道を聞いてきた年配男女だ。
「おつかれさん!」
「どうもどうも」
同じテーブルに腰を据えると、彼らも昼食タイムらしく、すぐにザックからおにぎりを出した。
「歩いた後の食事はうまいですな」
男性はさっきから笑顔が絶えない。
「この後はどちらへ?」
「つるつる温泉へ行こうかと思って」
「それだったら、真後ろの坂道を下っていくだけです。それにしてもご夫婦で山歩きなんていいですね」
「私たち学生時代の同級生同士で、友達なんです」
「そーなんだ」
「ところであなたはどちらからいらっしゃったんですか?」
「中央線の吉祥寺です」
とたんに女性の目が丸くなった。
「あら、地元同士。私も吉祥寺ですよ」
山へ来るといろいろな人たちと出会うが、地元同士だったのは今回が初めて。山の情報交換でもやりましょうとメールアドレスを交換した。山はこんな出会いもあるから面白い。

 今回、久々に三山巡りを選んだのは、ちょっとしたわけがあった。結婚十年目を迎える娘夫婦が子宝に恵まれず、苦労を重ねていた。親といっても静観するしかなかったが、せめて神頼みということで、山歩きからツツジや桜の撮影等々でよく立ち寄る二俣尾の愛宕神社で、二度ほど子宝祈願をしていたのだ。そのかいあったか、今年の九月にめでたく初孫が誕生、ぜひお礼に行かねばと、今回の三山巡りの最後にやっと参拝を果すことができた。

ローカットシューズと刈寄山

 十一月十七日(水)。先回刈寄山を歩いたのは今年の四月だから、大凡半年ぶりになる。往復四時間弱という気軽な行程と、自宅から最も近い利便性で、年に数回、コンスタントに歩いている馴染みの山だが、今年は新たな山域ばかりへ目が向いて、ご無沙汰していたのだ。
つい最近、登山靴を新調した。SALEWAのローカットタイプで、これまでホーキンス、コロンビア、モンベルと全てハイカットだったから、トレランなどでよく見かけるローカットを一度は試してみたいと思っていた。ただ、ローカットについては、足首を痛めやすく初心者向きではないとの情報が多くを占め、愛用中のモンベル・ツオロミーブーツに特段の文句もなかったので、購入まではなかなか踏ん切りがつかなかった。ところが夏からの山歩きで、ローカットを履いているハイカーをちょくちょく目にするようになり、興味が急上昇。通販だが低価格だったし、ユーザー評価もまあまあであるメーカーの商品を見つけたので、会わなかったら普段履きにでもすりゃいいと、衝動買いした。
到着した商品をチェックすると、案の定、値段なりである。普通のスニーカーとどこが違うのか……
これまでのトレッキングシューズは全てサイズ26.5cmだったので、今回も同じサイズを選んだが、厚手のソックスで履いてみても若干大きい。まあ、大きいといっても、シューレースをきちっと縛れば不安定になることもなく、フィット感の第一印象は及第点スレスレといったところか。

 今回の刈寄山はこのローカットシューズのテストも兼ねていた。
歩き出して感じるのは“軽さ”。ローカットで且つソールが薄いので、足の開放感は抜群である。こう感じるだけで鳥居から最初の展望地まではあっという間だった。なんだか体力脚力共々アップしたように感じてしまう。もっとも、今年は例年に増して山へ入っているので、多少脚力はついてきていると思うが、それ以上にこの快適さには軽いことが大きく寄与しているのではなかろうか。
それともうひとつは、足首が自由自在に動いて絶えず接地面を大きく取れることだ。しっかりと路面を捉えるから、スリップはハイカットより起きにくいと感じた。ただ、ソールが薄いので、テン泊のような重装備には不向きだろう。

 ローカットの威力を借りて、いつになく気持ちのいい山歩きである。第一展望地はスルー、第二展望地で上着を脱いだ。歩き出しは寒いくらいだったが、歩き出せばいつのも通り、すぐに汗をかく。
コース外だが、途中にちょっとした小山があるのだが、これまで一度だって足を向けようと思ったことはなかったのに、今回は気分がやたらと前向きで、有無をいわず登ってみた。眺望こそないものの、新たな刈寄山を知ったようで心は弾む。それと例の登山道を塞ぐ巨大な倒木の根も、この半年の間に処理されていて、山道はずいぶんと雰囲気が変わっていた。
巻き道を使わず一気に頂上へ。撮影をしながらでも、腕時計を見れば所要時間は普段より十数分ほど短かった。
頂上のベンチを陣取り、お湯を沸かして好物のチキンラーメンをいただく。カップヌードルを始め、その他星の数ほどあるカップ麺だが、今でもチキンラーメンの右に出るものはない。今回はこれにセブンの“ワサビめし”という最強タッグだ。いつになく空腹感を覚え、一気に胃へ落とした。
低山といえども、スカイツリーより標高のある山頂は、さすがに肌寒い。これも最近購入したモンベルのウィンドブレーカーを取り出し羽織ってみた。生地にそれほどの厚みはなく、とても軽量なのだが、これが意外や暖かい。この季節、ザックに忍ばせれば重宝間違いなし。

 負担の大きい下りも快適に歩を進める。足首の自由度がはっきりと効力として体感できたのは、この下りである。軽く足が出てしっかりと路面をキャッチ、フィーリング的にもこれはいい。ツオロミーブーツの出番は当分なくなりそうな雲行きだ。
今熊神社を通過し、そろそろ駐車場が見えるところまで降りてきた時、一眼レフを肩から下げた年配男性が上がってきた。よく見るとカメラはキヤノンの5D。フルサイズの高級機である。更にベルボンの三脚まで持っているということは、腰を据えて写真を撮ろうとしている証。私のように歩いてはパチ、また歩いてはパチとは勝手が違う。
「こんにちは。いいカメラですね」
「いやいや、もう古いですよ。それにしてもこの辺りは、紅葉、全然ですね」
「この先行っても、紅葉する樹木が少ないかもしれません」
ご主人は八王子在住のYさん。御年七十歳とのこと。目がキラキラしていて若々しい。写真は山岳関係の雑誌で賞を取ったことがあるという。写真を中心に話が弾んだ。
「私はホームページを開設していて、写真はコメントと共にそれに載せるのが楽しみなんです」
「ほ~、教えてください、そのホームページ」
「では“西久保日記”で検索してください」

 なぜか刈寄山では、こうして初対面の方々と挨拶から始まって、簡単なやり取りまで発展することが屡々ある。頂上手前の展望地で、草花のことをいろいろと教えていただいた若い男性。以前はバイク乗りだったが、今では山歩きに嵌っているという七十代男性コンビ。二度会ったことのある、元建築業のご主人。脊柱管狭窄症のリハビリを兼ねて、駐車場~今熊神社間のピストンに励む年配男性等々、皆さん達者にしているだろうか。

笠取山・水源の森

 十月二十日(水)。紅葉の季節に合わせて、奥秩父は笠取山を歩いてきた。
 登山口は作場平口といって、中央道・勝沼ICを降りてから更に40km近くも走った山奥にある。大菩薩ラインを左へ折れると道は急に細く荒れてくるのだが、何とここから7kmも走らなければならない。対向車が来たら一体どれほどバックすればいいのかと、ハラハラドキドキの連続である。
 無事駐車場へ到着すると、意外や山奥の割には広く、きちっと整備されていた。ただ、車はPOLOを含めて5台しか見当たらないので、ずいぶんと余裕をもって駐車することができた。webで下調べをした際、<シーズンの土日などは、入りきれない車が路肩に列をなす>と記されていたので、これは意外だった。

 目の前にある登山口を通過すると、山道は驚くほどきれいに整備されていた。登山というイメージはなく、どこか公園の中にいるような環境が延々と続くのだ。そして、さすがに水源の森とあって、暫くは渓流に沿って歩く。せせらぎの音とマイナスイオンに包まれれば、足取りだって軽くなる。
 三十分もすると最初の分岐が現れた。一応、上りは一休坂経由、下りはヤブ沢経由と決めていたので、迷うことなく右手へ折れた。
 ややスリッピーな坂を超えると、広々としたミズナラの森に入った。紅葉がそろそろ始まったとはいえ、瑞々しい緑のシャワーは格別だ。これが初夏だったら感動ものだろう。
 大きなジグザクの道を過ぎると、新たなせせらぎと木の橋が現れる。美しい水の流れと原生林、そして青空に浮かんだ雲は否応なしに写欲をそそり、暫し立ち止まってはレンズを向けた。

 笠取小屋へ到着。スタートから二時間弱といったところか。
 広い前庭にはテーブルが配置され、南側も開けて眺めがいい。ただ、人影は少なく、しきりに動き回っている管理人と思しきおやじさんと、ハイカーはテーブルの脇に佇んでいる若い男性が一人だけのようだ。上着、パンツ、靴、そしてザックと、全て黒ずくめといういでたちのこの男性、まもなくすると、やはり真っ黒な一眼レフを肩に下げ、笠取山方面へ向かって歩き出していった。
 先回の北八ヶ岳から、食料はカロリー豊富な行動食のみにしていたので、小さなあんぱんを一つだけ口に入れ、体が冷える前に私も出発することにした。

 小屋の脇から始まる道を暫く行くと、その内視界が明け、西方面の山々が見えてくる。正面にちょっとした丘のようなものがあり、その頂上に先ほどの若い男性の姿があった。
 坂を上がるほどに、高原ともいうべき清々しい景色が広がっていく。思いっきり伸びをして大きく空気を吸い込んだら、たちまち体が軽くなってきた。
 丘には小さな石碑が立っていて、説明書きによると、ここから山梨市側に降った雨は笛吹川へ、秩父市側に降った雨は荒川へ、甲州市側では多摩川へと別れていくという。悠久の時の流れを感じる、なんともロマンチックな場所ではないか。

 更に進んで行くと、次第に笠取山の山容が明らかになってきた。そして頂上へ至る山道が真正面にはっきり見えてくると、“心臓破りの急坂”が大袈裟ではないことが分かる。特に頂上直下は垂直に近いのではと、ちょっと不安を覚えるほどだ。目を凝らすと、既に中腹辺りまで到達している若い男性の後ろ姿がはっきりと見えた。
 登り始めまできて頂上を仰ぐと、ややげんなりしたが、この好天の下だったらどれだけ素晴らしい眺めが待っているかと、期待感が膨らんだのも正直なところである。

 張り切って歩み出したものの、やはり残り1/3辺りまで来ると、立ち休みの連続となった。単に息が切れるだけではなく、上がっていくほど斜面がきつくなるので、場所によっては三点支持を強く意識する必要があった。それこそここで足を踏み外したら恐ろしい結果は避けられない。一歩一歩、慎重に、慎重に、、、である。
 頂上が目と鼻の先になると、空のデカさに圧倒され、覆いかぶさるような青の広がりに身震いする。

「いやぁ~、しんどかった!」
「お疲れさん」

 初めて男性に声をかけた。頂上に立つ者同士だから分かり合える自然な会話の始まりである。

「しかしすごい眺めですね!」
「僕はここ四回目ですが、これ、最高じゃないかな」
「ほんと、富士山がきれいすぎですよ」
「ですね。大菩薩嶺から南アルプスまではっきり見えますね」

 重なり合う山々の先に浮かぶ富士山には一つの遮蔽物もかからず、深い緑のグラデーションは富士山の美しい姿をこれでもかと持ち上げていた。暫しカメラを出すことも忘れ、俯瞰に没頭した。
 八月から六連荘で初めての山域にトライしているが、全てが違うし全てに頷けるものがあると、いまさらながら感心してしまう。同じ山でも季節を違えれば全く印象が変わるので、楽しみではあるが、やはり初というもの、冒険心を満たしてくれるし、良くも悪くもサプライズがあって、気持ちを前向きにしてくれる。
 百聞は一見に如かずとはよくいった。webから得られる情報は本当に有り難く、全ての計画の元となっているが、いざ行動を起こし、実際に五感で味わってみると、思いがけない発見が次から次へと現れて、その楽しさは計り知れない。

「山へはよく行かれるんですか」
「山は遅咲きなんです。十年ちょっと前から奥多摩を中心にちょくちょくかな」
「僕はとにかく歩くのが好きで、テントを背負って北から南へと、アルプスはほとんど歩き回ったし、瑞牆山から奥多摩駅まで何泊かかけて縦走したこともあるんですよ」
「へ~、そりゃ凄いな。じゃ、学生さん?」
「いえいえ、気が済むまで山を歩きたくなって、一度会社を辞めました」
「それって大事な決断だったと思うな。私のように年を取ってからじゃやれることも限られてくるから」
「年って、おいくつです?」
「六十七」

 一見登山者とは思えないいで立ちだったので、話を聞いてびっくりである。もう十年早く山の魅力に気がついていたら、これまでの何十倍ほどの感動を得られたかもしれない。若い気持ちと溢れる体力が羨ましく感じてしまった。

「それじゃ、僕はそろそろ」
「気をつけて」

 負けちゃいられない。
 今の私だって、やりようによってはこれからも様々な発見に出会えるかもしれないのだから。

 ヤブ沢と書くように、下山路はゴールまで沢に沿って伸びていた。ただ、渓谷は台風の影響か、そこらじゅう大小の倒木だらけで痛々しい眺めだったが、古い倒木にはびっしりと苔がむしていて、先日歩いた北八ヶ岳の苔の森を彷彿とさせた。
 日本は水の豊かな国であり、その水は世界一美味という。今回歩き回ったこの辺り一帯を“水源の森”と呼ぶが、まさに森は雨水を蓄え、きれいな水を作るのだ。