若い頃・デニーズ時代 13

デニーズ

初めて体験する新店オープン。辞令が出た時は期待と不安で胸苦しささえ覚えたものだが、実際に動き出してみれば目眩がするほどの忙しさに翻弄され、そんな感覚は瞬く間にどこかへ消え去ってしまった。

新店舗の引き渡し後、真っ先にやらなければならないことは掃除と磨き上げだ。フロントにはクリーニング業者が入って絨毯クリーニングと窓ガラスの清掃を行い、それが完了すると新人MD達がひとつひとつのテーブルにワックスを掛けていく。そしてケミカルの匂いが充満したフロントの3番ステーションでは、本部からやってきたオープニングスタッフが、4~5名のMDを相手に接客トレーニングの真っ最中である。

「いらっしゃいませデニーズへようこそ!」
「はい、もう一度」

新店だから当然アルバイトスタッフ達は皆新人。キラキラと眼を輝かせながら一生懸命トレーニングに励んでいる姿は実に生き生きとしていて、微笑ましくもあり頼もしい。ウエイトレスステーションのルーバー越しにお辞儀の練習が見えたとき、俺も頑張らねば!と気合がった。

そしてキッチン。
プレート棚、シンク周りの拭き掃除を行うと、次は大小多数のインサートをディッシュウォッシャーマシーンで洗い、所定の場所へセットしていく。新品のすのこも油がコーティイングされているので、磨き上げは念入りに行わなければならない。

「グリル板って、最初はこうなってるんだ!」

使っては磨きを繰り返していた小金井北のそれと較べると、これは単なる鉄板だ。このままではまともなパンケーキなど焼けるはずがない。

「びっくりしただろう。 それ、俺と交代で磨こう」
「ました。でも、結構しんどそうですね」
「いい汗かけるよ」

グリルストーンで円を書くように白絞油を伸ばし、その後は縦横交互にムラなく磨いていくのだが、ざらついた表面が平らになるまでには相当な腕力と時間が必要だ。
それでも表面が一枚剥けてきれいな地金が見え始めると、無性に嬉しくなる。

「次は火を入れるよ」

ここからだ、灼熱地獄は。
点火して徐々に熱が入ると、磨き上げた表面が黒っぽく変化していくので、それをまた擦り取るようにグリルストーンをかける。瞬く間に額が汗ばんできた。

「いや~、しんど」

いつの間にか外でスノコ磨きをやっていた下地が汗だくになって戻ってきた。
彼は村尾と同じく同期入社で、見た目こそ華奢だが、よく動き回る快活な男だ。もともと埼玉が地元で、ここへ来る前は上福岡店で勤務していたそうだ。

「マネージャーが休憩入れろってさ」
「OK、休もう休もう」

その時、タイミングよくMDの西峰さんがウェイトレスステーションに入ってきた。彼女は専門学校へ通う19歳。くりっとした大きな目にショートヘアーがよく似合う実にキュートな女の子だ。人気者になることは間違いないだろう。

「西峰さん、コーラ4つ、1番テーブルへお願いします」
「は~い」

しかし、こんなかわいい子と仕事ができるなんて、なんてGooな職場なんだ。思わず頬が緩んでしまう。
前掛けを外して手を洗い、下地と一緒に1番ステーションへ向かうと、井上UM、西條さん、そして初めて見かける小柄な男性がテーブルで向かい合い、何やら雑談の最中だった。

「おお、座れ」

飛び出してしまうのではと心配になるほどのギョロ目が特徴である井上UM。恐ろしいことに笑う時でもその目は大きいままだ。

「皆に紹介する。昨年入社のクック小田君だ。オープンメンバーの一員として今日から一緒にやることになった」

小柄でやや小太り、一見目線は優しく感じた。しかし実際はどんな人だろう。

「神奈川の上大岡から来ました小田です。よろしくお願いします」
「ました!お願いします!」

今日はたまたま村尾は休みだが、これでリードクックの西條さん、担当クックに今季入社組の3名と小田さんが加わり、総勢5名の社員クック体制となったわけだ。キッチンヘルプもデイシフトに既に1名入る予定があるらしく、小金井北と比べれば随分とゴージャスな布陣である。
これならどんなに凄まじいオープン景気が起きたって何の心配もない筈だ。
新店オープンは大変だとずいぶん周りから脅かされてきたから、なんだか少々気が抜ける思いである。メンバーの顔つきを見回せば、皆同様な安堵感に浸っているのだとすぐに分かる。
ところがだ、、、
この万全と思えた体制に、少しづつだが段階的にひびが入っていこうとは、当然ながら誰も予想だにしなかった。

黄昏のひと時

ピーナッツ

私は無類の酒好きである。
高校生の頃からやり始めた晩酌習慣によるものか、アルコールのない晩飯はちょっと考えられず、一日の終わりにはほろ酔いがもたらす微睡みがあって当たり前という認識さえ持っている。
アルコールなら何でもウェルカムだが、一番は日本酒、その次は焼酎か。以前はウィスキーを好んだが、この頃では飲み心地がきつく感じるようになり遠ざかっている。
安月給も多少は関係しているが、何故か昔より高価な酒には興味が沸かず、専ら庶民レベルを探しては試し飲みというのが好きなやり方だ。一升1,000円前後で好みを見つけたときなど、単純に嬉しくなり、大概5~6回は続けて買ってしまう。焼酎も甲類にポッカレモンを垂らしただけのシンプルな飲み方が好きで、彼此10年以上は続けている。本格焼酎なら“いいちこ”が良い。

休みの日。夕刊が届くとキッチンでつまみを漁る。
豆好きなので、皮付きピーナッツ、ミックスナッツ、柿ピーは常時欠かさない。この頃では甘くて香ばしくて止まらなくなる、ストライクイーグルの“ハニーローストピーナッツ”もよく仲間入りする。
適量を小皿に盛ったら、小さなグラスに氷を一個、それに焼酎を注げば、あとは限りなく寛げる黄昏のひと時を待つのみ。
夕刊のページをめくっては、ポリッ、そしてチビッ。
これをゆっくりとゆっくりと繰り返す。
そのうちに何とも言えない幸せが体中に満ちてくるのだ。

まだまだ寒い

rikkyou-

用事のない休日、夕方が近づくと無性にカメラを持って出掛けたくなる。
特にきれいな夕焼け空が望めそうなら尚更だ。武蔵境の緑道を歩けば陽光が斜に入り、木々の枝を茜色に染め、そこから作り出される立体感がレンズを誘う。
そう、この頃の楽しみは、“お散歩スナップ”。
見慣れた地元の町並みも、天候、光、季節等の条件が加われば、時として新たな形として生まれ変わり、その行程は興味深い。
先達て、定番の撮影ポイントである三鷹の陸橋へ行ってみたら、階段を上がったところに人集りができていた。近付いてみるとどうやら沈む夕陽の見物らしい。
空気が澄んだ日、この陸橋からは富士山を臨むことができ、時として太陽はその背後へと沈む。そう、チャンスと撮影テクニックさえあれば“ダイヤモンド富士”をゲットできる場所なのだ。
陸橋の北端では60歳代中程と思しき男性が、望遠レンズを装着したNikonのフィルム一眼レフカメラを三脚へ乗せ、不動の姿勢で沈み行く夕陽を見つめている。光輝く一瞬を狙っているのだろう。一応、私もカメラを向けてみたが、お散歩スナップ用の10-30㎜では到底その様子は捉えようがない。
夕陽の赤みが更に増してくると、一点を見つめている見物人達の顔が光り出した。空かさず彼らのサイドへ回り込み、2枚、3枚と撮っていく。
それにしてもなんて平和な一時なのだろう。ここでこうしてカメラを操作していることに感謝しなければとしみじみ思ってしまう。
んっ?!
いきなり鼻水が垂れてきた。
気が付けば結構気温が下がっている。日中は穏やかでも日が落ちればさすがに2月だ。油断をすれば風邪をひいてしまうだろう。そろそろ退散のタイミングである。
そう、一風呂浴びたら冷酒でもやりましょうか。

写真好きな中年男の独り言