初めて体験する新店オープン。辞令が出た時は期待と不安で胸苦しささえ覚えたものだが、実際に動き出してみれば目眩がするほどの忙しさに翻弄され、そんな感覚は瞬く間にどこかへ消え去ってしまった。
新店舗の引き渡し後、真っ先にやらなければならないことは掃除と磨き上げだ。フロントにはクリーニング業者が入って絨毯クリーニングと窓ガラスの清掃を行い、それが完了すると新人MD達がひとつひとつのテーブルにワックスを掛けていく。そしてケミカルの匂いが充満したフロントの3番ステーションでは、本部からやってきたオープニングスタッフが、4~5名のMDを相手に接客トレーニングの真っ最中である。
「いらっしゃいませデニーズへようこそ!」
「はい、もう一度」
新店だから当然アルバイトスタッフ達は皆新人。キラキラと眼を輝かせながら一生懸命トレーニングに励んでいる姿は実に生き生きとしていて、微笑ましくもあり頼もしい。ウエイトレスステーションのルーバー越しにお辞儀の練習が見えたとき、俺も頑張らねば!と気合がった。
そしてキッチン。
プレート棚、シンク周りの拭き掃除を行うと、次は大小多数のインサートをディッシュウォッシャーマシーンで洗い、所定の場所へセットしていく。新品のすのこも油がコーティイングされているので、磨き上げは念入りに行わなければならない。
「グリル板って、最初はこうなってるんだ!」
使っては磨きを繰り返していた小金井北のそれと較べると、これは単なる鉄板だ。このままではまともなパンケーキなど焼けるはずがない。
「びっくりしただろう。 それ、俺と交代で磨こう」
「ました。でも、結構しんどそうですね」
「いい汗かけるよ」
グリルストーンで円を書くように白絞油を伸ばし、その後は縦横交互にムラなく磨いていくのだが、ざらついた表面が平らになるまでには相当な腕力と時間が必要だ。
それでも表面が一枚剥けてきれいな地金が見え始めると、無性に嬉しくなる。
「次は火を入れるよ」
ここからだ、灼熱地獄は。
点火して徐々に熱が入ると、磨き上げた表面が黒っぽく変化していくので、それをまた擦り取るようにグリルストーンをかける。瞬く間に額が汗ばんできた。
「いや~、しんど」
いつの間にか外でスノコ磨きをやっていた下地が汗だくになって戻ってきた。
彼は村尾と同じく同期入社で、見た目こそ華奢だが、よく動き回る快活な男だ。もともと埼玉が地元で、ここへ来る前は上福岡店で勤務していたそうだ。
「マネージャーが休憩入れろってさ」
「OK、休もう休もう」
その時、タイミングよくMDの西峰さんがウェイトレスステーションに入ってきた。彼女は専門学校へ通う19歳。くりっとした大きな目にショートヘアーがよく似合う実にキュートな女の子だ。人気者になることは間違いないだろう。
「西峰さん、コーラ4つ、1番テーブルへお願いします」
「は~い」
しかし、こんなかわいい子と仕事ができるなんて、なんてGooな職場なんだ。思わず頬が緩んでしまう。
前掛けを外して手を洗い、下地と一緒に1番ステーションへ向かうと、井上UM、西條さん、そして初めて見かける小柄な男性がテーブルで向かい合い、何やら雑談の最中だった。
「おお、座れ」
飛び出してしまうのではと心配になるほどのギョロ目が特徴である井上UM。恐ろしいことに笑う時でもその目は大きいままだ。
「皆に紹介する。昨年入社のクック小田君だ。オープンメンバーの一員として今日から一緒にやることになった」
小柄でやや小太り、一見目線は優しく感じた。しかし実際はどんな人だろう。
「神奈川の上大岡から来ました小田です。よろしくお願いします」
「ました!お願いします!」
今日はたまたま村尾は休みだが、これでリードクックの西條さん、担当クックに今季入社組の3名と小田さんが加わり、総勢5名の社員クック体制となったわけだ。キッチンヘルプもデイシフトに既に1名入る予定があるらしく、小金井北と比べれば随分とゴージャスな布陣である。
これならどんなに凄まじいオープン景気が起きたって何の心配もない筈だ。
新店オープンは大変だとずいぶん周りから脅かされてきたから、なんだか少々気が抜ける思いである。メンバーの顔つきを見回せば、皆同様な安堵感に浸っているのだとすぐに分かる。
ところがだ、、、
この万全と思えた体制に、少しづつだが段階的にひびが入っていこうとは、当然ながら誰も予想だにしなかった。