人生確かに一度きり

4月4日から放映がスタートした、NHK連続テレビ小説『とと姉ちゃん』。ここでは早くも父親の竹蔵さんが放つ数々の名言が話題となっている。
中でも、

「当たり前にある毎日でも、それはとっても大切な一瞬の積み重ねだと思っています。そしてそれは、いつ失うことになるか分からない。明日かも知れないし、一年後かも知れない。」

胸にジーンとくる台詞である。
ひと昔前だったら恐らく何も感じない一節だろうが、昨今では、「今日の後に今日はなし」、「歳月人を待たず」、「光陰矢の如し」等々の意味合いに対し、妙に過敏になる自分がいるのだ。
治る気配のない右手甲の打撲痛。年始から引きずる腰痛。右目の違和感。軽い筋トレにも喘ぐ体。不調の続く鼻…
緊急を要する怪我や疾病はないものの、加齢による体全体のへたりは明らかに進行しており、昨年歩き回った山々を思い出しては、今年も同様に楽しめるのか?!などと、しょうもない不安に駆られることもあり、
情けないが、これまでの人生には存在しなかった“初の変化”に対し、真摯な姿勢で対峙する時がきたと感じている。

【人生一度】
祖父の放った一言だ。
初孫だった所為か、とても可愛がられていたので、晩年になっても二人で良く会話を楽しんだものだが、その中で彼は「人生は一度しかないから、好きなようにやった方がいい」と幾たびも語っていたことを思い出す。
但、若い頃はそんな重みのある言葉も右から左で、心に留まるようなことはなく、寧ろ老人の回顧に浸るつぶやき程度にしか感じなかった。ところが若かった私も歳を重ね、こうして体力の衰えがはっきりと自覚できる年齢になると、何の抵抗もなくその意味合いが体に入ってくるのだ。

ー そう、人生確かに一度きり。

と。
今時の還暦はまだまだ若造。何にだってトライできるし、必要最低限の体力も残されている。しかし人生のピリオドが現実味を持って視野に入ってくるのもこの頃なのだ。

謎多し

空自機不明

4月6日(水)午後2時半頃。鹿児島で航空自衛隊の小型ジェット機が行方不明になった。
この事件はYaHooニュースにも、そして読売新聞4月7日(木)朝刊の一面にもでかでかと載っているのだが、記事を読み進めていくと、何やら次々と謎が出てきて、この先の動向が無性に気になってくる。

操縦桿を握っていた機長は40歳代の3佐。Topの空将から数えて5番目に位置する幹部であり、どう考えても相当な操縦経験と技術がある筈だ。おまけに副操縦士も乗っていたとのこと。
この他にも、機上で整備や無線を担当する専門の隊員までが乗り込んでいて布陣としては完璧だ。

消息を絶った小型ジェット機は、40年間も製造改良を続けているベストセラー機で、航空自衛隊では飛行点検機(航法施設検査機)として運用されており、これは航空航法設備などの動作点検を行うことが目的らしく、自動飛行点検装置なるものも搭載している。

当時の気象状況は山に一部雲がかかる程度で、視界は悪くなかったという。もちろん雨や風に関する注意報や警報は出ていなかった。

とにかく、隊員全員の無事を祈るだけだ。

大瀬崎

大瀬崎

小学生の頃、「きれいな海で泳ぎたいね」と、家族四人で西伊豆の大瀬崎へ出かけたことがある。
当時は静岡県の沼津に住んでいたので、海なら歩いて数分のところに千本浜と呼ばれる海水浴場があったのだが、ここは恐ろしく急深であること、そしてイマイチ水質が良くない等々で、地元民も含めて泳ぐ人は少なかった。

我が家には自家用車がなかったので、大瀬崎へ行くには沼津港と西伊豆を結ぶ龍宮丸という小型客船を利用した。
当時の西伊豆は道路事情もそれ程良くなく、まともな道が延びていたのは恐らく静浦あたりまでだと思われる。何れにしても、船に乗ってきれいな海へ行くというSituationには心が踊った。
海風をいっぱいに受けて疾走する小船。時々波頭に乗って上下動する様は、最初ちょっぴり怖かったが、慣れてくれば寧ろその揺れ自体が楽しくなり、船旅の爽快さに時を忘れたのだった。

大瀬崎の桟橋へ到着すると、待っていたのはびっくりするほど透明感のある海と、そこで群れなすコバルトスズメだ。
そして船から下りてじっくりと周囲を見回せば、別天地と言う言葉が最も相応しい景観に暫し見とれてしまう。
こんな大瀬崎との出会いから今日まで、既に数え切れないほど足を運んできたが、群生するビャクシンと富士山の織りなす景色、神秘の神池、美しく穏やかなビーチと荒々しい外海とのコントラスト、そして何より大好きな西伊豆に位置していること…
これらの要素に魅せられて、少なくとも年に一度はカメラを担いで立ち寄っている。

大瀬崎はスクーバダイビングのメッカでもある。空気タンクがずらりと並ぶビーチ側は、通年に渡って人の動きが見られ賑やかだ。対照的に外海側は見渡す限りごろごろとした岩ばかり。特に灯台の周辺は、いつ訪れても人影が少なく寂しいことこの上ない。
ところがだ。この外海が作り出す空間には一種独特な空気感が存在し、沖を眺めながら佇んでいれば、不思議と懐かしい40年代へ戻っていくような気分に包まれる。
子供の頃の記憶にある静浦の海がそうさせるのか、はたまた草むらに見つける古めかしい漂流物や投棄物に対してノスタルジックを覚えてしまうのか…

沖を行き来する漁船、そしてその背後には大きく優しい姿を見せる富士山。東京という現実から遠く離れたこの地に立つ度に心は和み、見る見るうちに緊張感がほぐれていく。

写真好きな中年男の独り言