耐用年数

二カ月間近く咳が止まらず、しかも治る気配も見えてこないので、これは一度医者に診てもらう必要があると判断した。
思い起こせばちょうど2年前。夜も眠れないほどの連続する咳に苦しみ、掛かり付けの“じょういち医院”へ駆けつけると、即座に“喘息”と診断され大ショック。目の下にクマをつくってゼイゼイヒューヒュー、そして発作が起こらないように常時吸入剤を携行するというのが喘息持ちの印象であり、いくら強い咳が連発したにせよ、その喘息とは根本的に違うのではと先生に言い寄ってみたが、“これも喘息!”と一蹴された。
その時と較べれば咳自体は軽く重篤な感じはしないが、忘れかけた頃にぶり返すという、やたらとしつこく慢性的な症状には辛いものがあり、一日でも早く治さなければと只今格闘中だ。
処方された薬は咳止めに【フスコデ配合錠】、そして喘息のことも考慮したか、気管支拡張剤の【テオフィリン徐放U錠】の二種類である。以前にも服用したことのある馴染みの薬だが、今回はやたらと副作用が出て、四六時中ボーッとするのがいただけない。症状に対しては良く効いているので文句はないが、仕事や車の運転には結構気を遣うレベルなのが気にかかる。
私の場合、こうして何かしらの体調不良が始まると、決まって後からひとつふたつとトラブルが重なっていく。
今回のもう一つは重い“寝ちがい”だ。若い頃だったら精々3~4日もすれば快方へ向かったものだが、最近では加齢のせいか、2週間経ってもスッキリと治らないことが多く、おまけに痛みは首だけに留まらず頭痛まで起こってくるから憂鬱だ。
こうした悪い展開は、恐らく老化による体各部の強度低下が少なからず影響しているのではないかと思う。
昨年年末にやられた酷い腰痛が未だにすっきりしないのも、また、左膝の鈍痛が日常化してしまったのも、部品としての耐用年数が近づきつつある証拠に他ならない。
冒険心は忘れたくないが、これからは無理のない行動計画が全てに対してのポイントになるのだ。

若い頃・デニーズ時代 17

オープン以降、浦和太田窪店は順調な客入りを示し、売り上げも概ね目標に沿って推移していた。ギョロ目で強面な井上UMの表情も至って明るく、客目線で見れば店の雰囲気は上々に映っていたはずだ。
新人MDの教育は順調に進み、フロントには早くも太田窪店ならではの活気が満ち溢れ、モーニング帯では既に数人の常連客もでき始めていた。
ところが一方、キッチンは先々に不安を残す問題が未解決のままになっていた。
それはKHの絶対数不足という深刻なもので、現状は早番の西さんただ一人の登録しかなく、募集広告を出しても応募があるのは同じく早番のみで、ディナータイムをカバーするためには最低でも2名のKHが必要なのに、その時間帯への希望者は今だ皆無であった。
応援スタッフの期限もそろそろ終りに近き、不安は膨らむ一方だ。

「うわっ!!!、やばいよ!!!」

突然の大声にびっくりして目をやれば、さっきからハムスライサーでサラミをカットしていた下地がその場にうずくまって苦しそうにしている。よく見るとダスターで右手を押さえているのだが、本来白いはずのダスターが真っ赤に染まっているではないか。
脇では顔面蒼白となった村尾が立ちすくんでいた。

「下地のやつ、スライサーで指やっちゃったみたいです…」
「いいから救急車呼んで!!」

指最悪なことが起きてしまった。
スライサーの回転歯に右手人差し指を当ててしまい、指先から第一関節へ至る直線部を落としてしまうという重傷を負ったのである。
当分の間、仕事に就けないレベルであることは容易に想像できたが、下地にとってこの一件は、周囲が思う以上に心に受けたダメージは大きく、結果的には就労意欲までも無くすことになったのだ。
事件後一週間経ったある日、下地は出勤すると同時に井上UMへ退職願を提出した。

「ごめんな。色々考えたんだよ」
「寂しくなるけど、しょうがないね」

同期入社でしかも新店オープンを汗水たらしながら一緒にやってきた仲間の退職は本当に寂しいものである。特に彼とは太田窪店の遅番を二人で創意工夫してきただけに、喪失感を覚えずにはいられない。
うつむき加減で裏口から出て行く彼の背中は、余りにも小さくかぼそかった。

「木代さんも気をつけてくださいね」
「え、うん、ああ、、、」

最近よく話しをするようになっていた西峰かおるが、私の落ち込んだ表情を見かねて何度か励ましてくれていた。
― コックさんは大変だね~、コックさんは凄いよね~、コックさんは、やっぱり偉いよ!
これは彼女の口癖であるが、下地の事件以降、酷く気になるようになった。鬱陶しくなるというか、なんだかとても複雑な気分に墜ちいてしまうのだ。
入社以来初めて覚える弱気に不安は脹らみ、この頃から就労に対しての自問自答がポツリポツリと出るようになった。

― あれだけ大変なことになった下地に対して会社はあまりに素っ気ない、、、

「どうせよそ見しながらやってたんだろう。自業自得だ」
「しかしあれだけの怪我を負ったんだから、気の毒だな…」
「本人の責任だ!」
「そう言いきるのは考えものですね」

プリパレの途中、ちょっとした気配を感じたので何気に耳をこらすと、人影のないエンプロイから井上UMと西條さんがやりあう声が入ってきた。

「こんな大事なときに、下地のやつ、、、クックの補充なんて絶対有り得ないんだから、後の管理、しっかりやってくれよ」
「やっぱり小田さん、異動ですか?」
「十中八九ね」
「そーかぁ、この頃心配なんですよ、村尾さんが、、、」
「おいおい、まだあるのかい?! 勘弁してくれよ」

凄いことを聞いてしまった。
これから先、うちのキッチンは一体どうなるんだろう。KHの補充もままならないのに、下地退職、小田さん異動、そしてさらに村尾が?!
当時の出店ペースには凄まじいものがあり、新卒入社で僅か実戦半年のひよっこ達の殆どが、新店オープンの必要メンバーとして駆り出されていたのだ。
風の噂では、同期入社組にかなりな離職が起きているようで、その確かな原因は定かでないとしても、人員不足の各店キッチンを考えれば、シフトをカバーするだけの目的で過酷な長時間労働を強いられているのは容易に想像できた。代々木の合宿で集った仲間達は今頃どうしているだろうかと気になってくる。
ところで、村尾に何があったのか…
オープン以来、勤務シフトが正反対だったので、ゆっくりと話をする機会もなかったし、それと互いに気の合う相手ではなかった。
しかし、こんな話題を聞けば思い当たる節もある。
先日、KHの西さんが、不安な表情を隠さずに言い寄ってきた。

「ねえねえ、何だか村尾さん疲れてるみたいよ」
「えっ、どうして?」
「オープンの頃と較べると、口数が少なくなって、いつも黙々って感じなのよ」
「まあ、疲れてるって言ったら、僕だってそうですよ」
「そうね、みんな頑張ってるもんね」

そうだ、あいつから直接聞いてみよう。
その時、切実にそう思った。

D600 in 奥多摩むかし道

どうしても一度使ってみたかったニコンのフルサイズ。
だが、手にして若しもイマイチだったら相当手厳しい出費となるので、先ずは中古からと、以前から内容の良いものを物色していたのだ。
想像どおりの画が得られれば、改めて最新式購入計画を立てればいいことだし、とにかくあーだこーだと考えてるだけでは精神的に健全とは言い難かったので、この際、後先は考えないことにした。
手に入れたのはコンパクトフルサイズの草分け的モデル“D600”。
D750が発売されたことで二世代前モデルとなり、中古市場では良品を8万円前後で見つけられるようになった。
フルサイズの性能を小さなボディーに詰め込んだD600は、発売当初より購入意欲をそそるものだったし、操作性に関しては、これまでずっとニコンを使ってきたので違和感を覚えることはなく、むしろ高感度撮影や数々の便利機能は撮影の楽しさを増幅させ、第一印象は至極好ましいものだ。

5月3日(火)。数少ないFXレンズである【24-120mm/3.5-5.6G VR】を装着し、初夏の奥多摩・むかし道へと出掛けた。
ゴールデンウィーク中とあって渋滞を心配したが、国道411号は奥多摩湖へ至るまで至ってスムーズに流れ、平日のそれとほぼ同じ所要時間で水根駐車場へと到着。但、いつもと違ったのはとにかくバイクと自転車が目立ったこと。正直、あまりの数にびっくりポン!

奥多摩の森は新緑が加速し、木々を抜けるそよ風は夏の高原を彷彿とする。その気持の良さは例えようもなく、只々深呼吸を繰り返すだけで、笑みが止むことはない。
普段は静かなむかし道だが、さすがにゴールデンウィーク中とあって多くのハイカーを見かけた。単独行、中年夫婦、若い家族連れ、カップル、女性グループと様々。
それにしても、デジイチを持っている人の多いこと。

早速試し撮りを初めると、すぐに気になることが、、、
何故かAFロックが効かないのだ。
取扱説明書に目を通した際、D600のAFモードにはAF-Aなる設定があり、説明によれば「被写体が静止している時にはAF-S、動いているときはAF-Cに自動的に切り替わります」とのことだったので、単純にこれは便利ではと使ってみたが、被写体へフォーカスロックした後、求めるアングルへすかさずカメラを向けると、たちまちフォーカスポイントが変わってしまうのだ。恐らくこのアクションをカメラ側は勝手に動体追従と判断してしまうのだろう。
便利なようで便利でない?このモードは、私の撮影方法にはどうやら不向きらしい。
AFモードを使い慣れたAF-Sへ戻すと、これまでどおりのリズム感ある快適な撮影ができるようになり、ひと安心。
それと基本的なことだが、大きくて明るいファインダーは、それだけで撮影自体を楽しくさせるものだとつくづく感じてしまった。
普段は殆どNikon1 V2を使っているので、その差は歴然。良くなったとはいえ、EVFではもう一歩画作りの感覚が湧き難い。
被写体を捕捉し、じっくりとアングルを考え、息を止めてシャッターを下ろす時の快感はまさに写真好き冥利に尽きるもので、これを味わう度、飽きずに続けてきて良かったと思うのだ。

歩くだけならゴールのJR奥多摩駅まで5時間弱程で到着するが、今回はD600の試し撮りがメインだったこと、そして中山集落で出会ったミシガン州出身のアメリカ人、タッド・ウィルキンソンとの雑談が盛り上がったこと等で、時計を見ればなんと6時間強もかかってしまった。それに161枚はじっくりと操作を味わったうえでの撮影枚数だから、これだけでも随分と時間を食ってしまったのだろう。

フルサイズならではの綺麗なボケは、立体感と空気感というこれまでにない恩恵をもたらしてくれた。
そこでふと考えた。
この“撮る楽しさの再来”は、実は画素数や便利機能などのスペックによるものではなく、長い写真の歴史が作り上げた、35ミリというフォーマットに委ねる安心感が及ぼしているものではなかろうかと。

さて、次はどこで楽しもうか。

写真好きな中年男の独り言