若い頃・デニーズ時代 18

「クソ暑いから大変だな」

早番のスノコ磨きは、夏の午後、最も気温が上がる時間帯に行なうことが殆どだ。
はた目以上に力を使う作業なので、炎天下では大汗が吹き出し、しんどいことこの上ない。薄い半袖シャツは瞬く間に透けてピッタリと体に吸着してしまう。

「寮の冷蔵庫にぎんぎんに冷えたビールが入ってるから、この後、ぐびっとやるさ」
「そりゃいい」

裏の大樹から発する壮大なセミ時雨が酷暑を増幅させた。

「ところで村尾、この頃元気がないってみんな言ってるぞ」
「そうかい」
「俺もそう感じる」

デッキブラシを持つ手を休めると、急に真顔になり、

「今の仕事、選択ミスのような気がしてさ、、、ついこの間、何気に西條さんへ話してみたんだ」
「そうなんだ」
「全然ゆとりないし、いつまで続くかって思うし。それと下地は気の毒だったけど、あいつ、あの怪我でやめたじゃんか、、、なんだかそれが羨ましく感じるんだよ」

この後、村尾は淡々と話し始めた。
こなすだけのシフトと長時間労働。まったく予定の立たない休日。考えていたものと異なる仕事内容。そして何よりもっと落ち着いて将来を考えたいこと等、止めどなく出てきたのである。
話の内容に頷ける部分は多々あった。しかし、節々には既に退職の決意が込められた言い回しが感じられ、終いにはこっちまで暗澹な気分に堕ちいていくのであった。
このやり取りから二週間後。村尾は退職願いを提出し、実家のある名古屋へと帰っていった。
これで太田窪のキッチンメンバーは西條、小田、KH西、そして私の四名になってしまったが、幸か不幸か相変わらず入客状態は良かったので、ひとりひとりの負担はピークに近づき、いつしかキッチンからの笑い声は消え去った。
そしてとどめは予定通り行われた小田さんの異動。
これを機に休日を取ることもままならない最悪な状況へと進んでいったのである。

「木代さん、いいから上がりなよ!」

早番固定となっていた私は、西さんとタッグを組んで太田窪のモーニングとランチを何とか切り盛りしていた。
一方、基本的にディナータイムは西條さん一人の戦いが続いていた。適時井上UMや神谷UMITがフォローに入るものの、週末になれば大挙をなす来店客があり、落ち着き始める21時頃まではキッチンから離れることは到底不可能になる。よって土日は6時出勤21時退出の15時間拘束が当たり前のようになっていた。もちろん遅番の西條さんもランチのことを考慮して出勤は昼前だったから、彼も13時間以上の労働を強いられていたわけだ。
但、忙しい時は辛いとか大変だとか感じている余裕すらなく、ひたすらディッシュアップし続けるだけだったが、本当にしんどいと思えたのはウィークデーに上がる時だった。
平日でも団体客が入ることはちょくちょくあり、そうなれば一人でキッチンを動かすのは容易ではない。遅くなったディッシュアップでクレームが出ることも屡々なのだ。
よって、上がる際は毎度後ろ髪を引かれる思いだったが、平日までもディナーに付き合っていたらそれこそ体がもたなくなり、自滅することは必至。西條さんを一人残して帰るしかなかった。
体力的、そして精神的な疲労が蓄積していったのだろう、いつしか仕事の楽しさは完全に消え失せていた。

「木代さんまでもってこと、ないよね」
「どうかな」

一日一回、西峰 かおるは心配そうな顔をして聞いてきた。
ちょっと前までだったら、“何言ってんの”の一言で終わったところだが、この頃では問いかけられるたびに考え込む自分がいた。
切羽詰まっていることは自覚していたし、このままでは駄目になるとも感じていたから、ここは思い切って西條さんへ相談することにした。
入社して半年でこんな状況下に置かれるとは夢にも思わなかったし、一人で判断するには余りにも社会生活の経験が少なかった。

「俺はさ、好きなんだよね、この仕事」

私の話を一通り聞いた後、西條さんの開口一番だ。

「木代さんはどうなの? 今の仕事」
「さっきも言いましたけど、こんな環境じゃ好きなものも好きになれないですね」
「そうだよね、しんど過ぎるかもしれない」
「西條さんは辛くないですか?」
「この状況がいつまでも続くとは思ってないよ。このエリアは今、山なんだと思う。俺ね、この店を軌道へ乗せたらマネージャー職の試験を受けるんだ」
「推薦もらったんですね!おめでとうございます」
「ははっ、ありがとう。それでね、受かったらUMITやって、そしていつかUMになった時、このままやるかどうかを考えるつもりなんだ。とにかくそこまではやるつもりさ」
「目標ができてるんですね」

それまでうつむき加減だった西條さんは、徐に顔を上げ、

「まっ、話は分かった。何れにしてもこの後マネージャーに相談しなきゃ」
「分かりました。そうします」

ギョロ目がさらにギョロ目になった井上UM。
怒りたいのか、呆れたいのか、さもなければ叫びたいのか。何れともとれる微妙な表情が数秒続いた。

「どいつもこいつも、、、」
「すみません」
「RMに連絡して来てもらうから、思いっきり話しなよ」
「RMですか、、、分かりました」

RMとはリージョナルマネージャーの略で、広い範囲を受け持つエリアマネージャーのことだ。営業本部長直下の立ち位置であり、その下には数名のDM(ディストリクトマネージャー)が配置されていた。
つまり平社員の私から見れば、組織の大物であって、普段は個別に話をすることもままならない。
これはあくまでも推測だが、普通に考えて、一社員の離職相談にRMが駆り出されることは考えづらい。ということはこの埼玉エリアに予測を超える離職騒動が勃発しているのではなかろうか?!
今、太田窪店に起きている惨状は、恐らく近隣の新店でも同様なのだ。
ここは井上UMのいうとおり、真摯な気持ちを包み隠さず思いっきり吐き出した方がよさそうだ。
理解されなければ辞めちまえばいい!

耐用年数

二カ月間近く咳が止まらず、しかも治る気配も見えてこないので、これは一度医者に診てもらう必要があると判断した。
思い起こせばちょうど2年前。夜も眠れないほどの連続する咳に苦しみ、掛かり付けの“じょういち医院”へ駆けつけると、即座に“喘息”と診断され大ショック。目の下にクマをつくってゼイゼイヒューヒュー、そして発作が起こらないように常時吸入剤を携行するというのが喘息持ちの印象であり、いくら強い咳が連発したにせよ、その喘息とは根本的に違うのではと先生に言い寄ってみたが、“これも喘息!”と一蹴された。
その時と較べれば咳自体は軽く重篤な感じはしないが、忘れかけた頃にぶり返すという、やたらとしつこく慢性的な症状には辛いものがあり、一日でも早く治さなければと只今格闘中だ。
処方された薬は咳止めに【フスコデ配合錠】、そして喘息のことも考慮したか、気管支拡張剤の【テオフィリン徐放U錠】の二種類である。以前にも服用したことのある馴染みの薬だが、今回はやたらと副作用が出て、四六時中ボーッとするのがいただけない。症状に対しては良く効いているので文句はないが、仕事や車の運転には結構気を遣うレベルなのが気にかかる。
私の場合、こうして何かしらの体調不良が始まると、決まって後からひとつふたつとトラブルが重なっていく。
今回のもう一つは重い“寝ちがい”だ。若い頃だったら精々3~4日もすれば快方へ向かったものだが、最近では加齢のせいか、2週間経ってもスッキリと治らないことが多く、おまけに痛みは首だけに留まらず頭痛まで起こってくるから憂鬱だ。
こうした悪い展開は、恐らく老化による体各部の強度低下が少なからず影響しているのではないかと思う。
昨年年末にやられた酷い腰痛が未だにすっきりしないのも、また、左膝の鈍痛が日常化してしまったのも、部品としての耐用年数が近づきつつある証拠に他ならない。
冒険心は忘れたくないが、これからは無理のない行動計画が全てに対してのポイントになるのだ。

若い頃・デニーズ時代 17

オープン以降、浦和太田窪店は順調な客入りを示し、売り上げも概ね目標に沿って推移していた。ギョロ目で強面な井上UMの表情も至って明るく、客目線で見れば店の雰囲気は上々に映っていたはずだ。
新人MDの教育は順調に進み、フロントには早くも太田窪店ならではの活気が満ち溢れ、モーニング帯では既に数人の常連客もでき始めていた。
ところが一方、キッチンは先々に不安を残す問題が未解決のままになっていた。
それはKHの絶対数不足という深刻なもので、現状は早番の西さんただ一人の登録しかなく、募集広告を出しても応募があるのは同じく早番のみで、ディナータイムをカバーするためには最低でも2名のKHが必要なのに、その時間帯への希望者は今だ皆無であった。
応援スタッフの期限もそろそろ終りに近き、不安は膨らむ一方だ。

「うわっ!!!、やばいよ!!!」

突然の大声にびっくりして目をやれば、さっきからハムスライサーでサラミをカットしていた下地がその場にうずくまって苦しそうにしている。よく見るとダスターで右手を押さえているのだが、本来白いはずのダスターが真っ赤に染まっているではないか。
脇では顔面蒼白となった村尾が立ちすくんでいた。

「下地のやつ、スライサーで指やっちゃったみたいです…」
「いいから救急車呼んで!!」

指最悪なことが起きてしまった。
スライサーの回転歯に右手人差し指を当ててしまい、指先から第一関節へ至る直線部を落としてしまうという重傷を負ったのである。
当分の間、仕事に就けないレベルであることは容易に想像できたが、下地にとってこの一件は、周囲が思う以上に心に受けたダメージは大きく、結果的には就労意欲までも無くすことになったのだ。
事件後一週間経ったある日、下地は出勤すると同時に井上UMへ退職願を提出した。

「ごめんな。色々考えたんだよ」
「寂しくなるけど、しょうがないね」

同期入社でしかも新店オープンを汗水たらしながら一緒にやってきた仲間の退職は本当に寂しいものである。特に彼とは太田窪店の遅番を二人で創意工夫してきただけに、喪失感を覚えずにはいられない。
うつむき加減で裏口から出て行く彼の背中は、余りにも小さくかぼそかった。

「木代さんも気をつけてくださいね」
「え、うん、ああ、、、」

最近よく話しをするようになっていた西峰かおるが、私の落ち込んだ表情を見かねて何度か励ましてくれていた。
― コックさんは大変だね~、コックさんは凄いよね~、コックさんは、やっぱり偉いよ!
これは彼女の口癖であるが、下地の事件以降、酷く気になるようになった。鬱陶しくなるというか、なんだかとても複雑な気分に墜ちいてしまうのだ。
入社以来初めて覚える弱気に不安は脹らみ、この頃から就労に対しての自問自答がポツリポツリと出るようになった。

― あれだけ大変なことになった下地に対して会社はあまりに素っ気ない、、、

「どうせよそ見しながらやってたんだろう。自業自得だ」
「しかしあれだけの怪我を負ったんだから、気の毒だな…」
「本人の責任だ!」
「そう言いきるのは考えものですね」

プリパレの途中、ちょっとした気配を感じたので何気に耳をこらすと、人影のないエンプロイから井上UMと西條さんがやりあう声が入ってきた。

「こんな大事なときに、下地のやつ、、、クックの補充なんて絶対有り得ないんだから、後の管理、しっかりやってくれよ」
「やっぱり小田さん、異動ですか?」
「十中八九ね」
「そーかぁ、この頃心配なんですよ、村尾さんが、、、」
「おいおい、まだあるのかい?! 勘弁してくれよ」

凄いことを聞いてしまった。
これから先、うちのキッチンは一体どうなるんだろう。KHの補充もままならないのに、下地退職、小田さん異動、そしてさらに村尾が?!
当時の出店ペースには凄まじいものがあり、新卒入社で僅か実戦半年のひよっこ達の殆どが、新店オープンの必要メンバーとして駆り出されていたのだ。
風の噂では、同期入社組にかなりな離職が起きているようで、その確かな原因は定かでないとしても、人員不足の各店キッチンを考えれば、シフトをカバーするだけの目的で過酷な長時間労働を強いられているのは容易に想像できた。代々木の合宿で集った仲間達は今頃どうしているだろうかと気になってくる。
ところで、村尾に何があったのか…
オープン以来、勤務シフトが正反対だったので、ゆっくりと話をする機会もなかったし、それと互いに気の合う相手ではなかった。
しかし、こんな話題を聞けば思い当たる節もある。
先日、KHの西さんが、不安な表情を隠さずに言い寄ってきた。

「ねえねえ、何だか村尾さん疲れてるみたいよ」
「えっ、どうして?」
「オープンの頃と較べると、口数が少なくなって、いつも黙々って感じなのよ」
「まあ、疲れてるって言ったら、僕だってそうですよ」
「そうね、みんな頑張ってるもんね」

そうだ、あいつから直接聞いてみよう。
その時、切実にそう思った。

写真好きな中年男の独り言