価値観の変化

平均を少し上回る年収、洒落た住まい、マイカー、ブランド腕時計にゴルフを少々、そして年に一度は海外旅行。
社会人になった当初、少なからず憧れていた“生活基準”である。
宝くじでも当たらない限り、一介のサラリーマンが金持ちになれる可能性は少ないが、なにしろ当時は若さがあったので、頑張ってこのレベルの生活を手に入れようと無心になって働いた。
ちょっぴり贅沢な生活は、想像するだけで幸せな気分になれるし、反面、欲しいものや、やりたいことがあっても、金がなくて諦めるのは本当に寂しいものだ。

そう、最初に徹底したことは、財布に常時2万円程を潜めておくこと。

「飲みにいこうぜ!」

こんなお呼びは忘れかけた頃にかかるもの。それとか、気にかけている女の子を食事に誘うチャンスなんてものは、突然舞い降りてくるのが常。
しかし一日1,000円生活レベルの収入では、財布にゆとりを持たせることは難しい。現代ならデートの最中にそっとコンビニで金を下ろすこともできるが、当時は銀行の営業時間帯に限った。

「えっ、いいんですか! それじゃ僕の知っている中目黒のイタリアンレストランへいきましょう☆」
「おねがいします❤」

そしてマイカーも豊かな生活を演出するには欠かせないアイテムだ。
それこそ彼女とのデートでは、この上なく強い味方になる。

「映画見て、銀ブラしない?!」

も、一時期は流行ったが、

「湘南をドライブしたら、鎌倉あたりで美味い魚でも食べようよ」
「楽しそう❤」

必殺である。

「わっー、かっこいい車ですね~」
「セリカXXって言うんだ」

もちろんゴルフをやるなら車は必須。

今でも海外旅行は、豊かな生活を印象付けるイベントの代表格と言って良い。
旅行先は星の数ほどあるが、やはり最低ラインでハワイは押さえたい。

「ハワイには大きなショッピングセンターがあるんだろ」
「たぶんホノルルのアラモアナセンターだよ。でも、一回行ったらもういいかな」
「へー、良く知ってるね」

と、こんな感じ。

「オワフは日本人ばっかりだけど、その点ハワイ島はいいよ~、大自然の宝庫だからね」

ここまで来れば、ひとつ上を行く豊かさを味わってるなと、自他ともに認めるレベルとなる。
ささやかな優越感を楽しむことこそ小市民の醍醐味であり、これを維持することは何より況して重要な事だと考えていた。

ところがだ。
延々と時が流れ、ある時ふと予想もつかなかった価値観の変化に気づくのである。
・加齢
・娘が嫁ぎ、夫婦二人きりになった
・ロックが天国へ行った
・還暦を過ぎ、収入が減った
こんな要素が影響してくるのだろうか。
あれほど徹底していた“財布の中身”がまったく気にならなくなったし、海外旅行に至っては行きたいとも思わなくなった。さすがにマイカーだけは所有し続けているが、これは唯一の趣味“写真撮影”の大事な足ということが大きい。そう、交友関係は地元の旧友2名と写真友達だけと至ってシンプル。
いつの間にか“ささやかな優越感”は消え去り、他人の環境を気にとめることもなくなった。
夫婦が健康であること。好きな写真を思う存分楽しむこと。そして西久保日記をUPし続けること。
これさえ叶えられればもう大満足なのだ。

沼津で

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9月10日(土)。甥っ子の結婚式に呼ばれ、沼津へ行ってきた。
式場は三島大社からほど近い【みしまプラザホテル / ザ・モーリス】。東名高速・沼津ICを降りれば十分少々で到着する。
チャペル風の会場で行われた挙式は、神父のいない“人前式”。これまでお目にかかったことのない形式だ。しかし、開放的な演出には新鮮味が感じられ、ストレートに新郎新婦の喜びが伝わってくる。
披露宴会場へ移ると、招待客90名のひといきれに圧倒された。昨今では盛大な規模である。親族や主賓テーブルを除けば殆どが新郎新婦と同じ若者達なので、アルコールがまわれば、その盛り上がりも半端ではない。
次から次へとビール片手に友人達が高砂席を取り巻き、気勢を上げての記念撮影が続く。更には、これに便乗するように各テーブルから威勢のいい声が掛かかり続け、会場は若いエネルギーのるつぼと化した。
若者たちの表情には、難しいことなしに新郎新婦を祝福し、晴れの日を皆で大いに盛り上げてやろうとの心情が滲み出ていて、なんだかこちらまでも気分が高揚してくるのだ。
実は数年前まで、これを馬鹿騒ぎだと思っていた。

ー 何もそこまで奇声を発することもあるまい
ー もうちょっと静かに祝ってあげればいいのに
ー おいおい、いくら何でも飲み過ぎだぜ

ところがそんな馬鹿騒ぎが、最近になってやたらと眩しく感じるようになってきた。
周りを気にすることもなく思うままにアピールする姿。同じ世代同士、すぐに意気投合する積極性と柔軟性。二次会なんてまだまだ! ノリだけで三次会へ突入するドでかいパワー。
私も大昔はそうだったかもしれない。しかし今では「大人げない」「回りが気になる」「疲れそうだ」等々の思惑が瞬時にガードを張りめぐらし、決して羽目を外すことはない。
尤も還暦をとうに超えた初老ならば、ごく当たり前のことだが、精神的にも体力的にも問題や欠陥がないのにもかかわらず、良識の枠から飛び出すことをしない自分に対し、心の片隅で幾ばくかの葛藤が生じていることは確かのようだ。
人はこうして丸くなっていき、行動範囲を狭め、挑戦のたぐいが苦痛となり、挙げ句の果てには体力も衰え、いよいよ己の終焉が見え隠れしてくるのだろう。
最近は被写体探しも壁にぶつかっていて、せっかく手に入れたD600もカメラケースに入れっぱなしである。実体の分からない不安と不満がブレーキとなり、正直なところ、仕事もプライベートも方向性が定まらないのだ。

披露宴の後は、沼津港へと足をのばした。

「沼津港って行ったことないんですけど、そこにある深海水族館は興味ありますね」

こう放ったのは娘婿。

「へー、そりゃ面白そうだ」

相変わらず観光客が大挙押し寄せる賑やかな沼津港は、駐車場探しも楽ではない。
ところがちょうどいいタイミングで沼津魚市場食堂の無料駐車場に一台空きが出た。早速車を入れて水族館へと向かうが、その前に新鮮館へ立ち寄り、冷たい緑茶をいただいた。
披露宴で飲み過ぎたせいか、喉がからからである。

水族館に到着すると【入場料 大人一名:1,600円】の料金表に一瞬怯む。ところが興味につられた4人は躊躇なく全員入館。ここまできたら!という気持ちも後押しをしたのだろう。
薄暗くヒヤッとする水族館独特の空気感は、残暑厳しく汗ばんだ体を優しく癒してくれた。
それにしても、予想を超える繁盛ぶりにはびっくりだ。ここは結構な人気スポットなのかもしれない。
先ずは順路に従い、端の水槽から眺めていく。
ある程度予想はしていたが、深海魚と言っても水槽を泳いでいたのは水深200mそこそこに生息する小型の魚たちで、残念ながらリュウグウノツカイに代表される大型で奇っ怪な類はいなかった。
しかし、気が付けば普通の水族館では見られない珍しい魚や生物たちの形や動きに釘付けとなり、特に二階に展示されている冷凍保存のシーラカンスを目の当たりにしたときは正直度肝を抜かれた。恐らくここでしかお目にかかれない代物だろう。
一般の大型魚と一線を画くその姿は、太古を連想させると同時に、なぜこのシーラカンスは進化の歩みを止めたのかと、深い疑問が湧き出し興味は尽きない。
ここは一見の価値あり!

◆沼津港深海水族館

若い頃・デニーズ時代 21・入社後10ヶ月目

日を追うごとに身につくフロント業務。お客さんからオーダーを取ってキッチンへ依頼するところまでは誰でも同じだが、その後の段取りには奥深さがあり、個人差が大きく反映される。要点を押さえ、それにスピードが加味できれば、駆けずり回ること必至の週末ディナーピークだって怖くない。
・ドリンクは食前か食後か
・速攻第一のビール、スープ、サラダ
・必須!テーブルチェック ~ コーヒーサービスと中バスでお客さんの様子伺い
・デザート作りのタイミング等々
この辺のポイントが分かってくると、接客レベルを保ったまま受け持ちステーションの回転を向上させ、その結果チェックの枚数が増えて売り上げUPにつながっていく。
もちろんノウハウを蓄積していけば、MDに対して生産性の高い教育ができるし、強いリーダーシップもとれる。更にこの勢いでチームワークも良くなれば言うことなしだ。

「ビールは真っ先に持っていくんだよ。FFやOリングの注文があれば、それはおつまみだから、キッチンに言って早めに出してもらうんだ」

この辺のニュアンスは、お酒を飲まない女子学生には分からない。

「21番のJランチ、そろそろ終わりだろ?! このタイミングでデザートのアイスをお持ちしていいか訊いてくるんだ。子供は待てないよ!」
「カウンター2番、中バス! 新聞広げるのに邪魔そうだろ」
「18番、そろそろ終りだから、中バスお願いね」

“中バス”とは中間バッシングの略称で、お客さんがいるテーブルへ行き、空いたプレートや器を下げてくることである。
帰った後のバッシングが容易になるし、人によっては席を立つきっかけになることもあるのだ。

ブレークを取りにエンプロイテーブルへ行くと、BHの山江君が出勤していた。彼は東京経済大学の2年生。明るい性格で、自他とも認めるバイク好きだ。つい先日、スズキの“マメタン”を手に入れ、かなりご機嫌。

「木代さん、なんか最近、ミスターの方が似合うようになりましたね」
「微妙なこと言うな」
「いやいやまじめにバッチリっすよ」

眼がやたらと細くて、笑うと本当に筋のみだ。

「今度マメタン貸してくれよ」
「おっ、いいっすよ」
「冗談冗談。こかしたら殺されそうだもんな」

立川店は職種問わず大学生のアルバイトが揃っている。反面、高校生はMDが一名のみと珍しい。恐らくこれが立川店独特の落ち着いた雰囲気を作り出しているのだろう。

「そう言えば、稲毛さんも新しいバイクを買ったらしいですよ」
「へぇ~、彼もバイク好きなんだ」
「買ったのホンダの400ccですよ!」
「本格的だな。俺も買っちゃおうかな」
「えっ~、木代さんはかっこいいダルマを持っているじゃないですか」
「あはは、まあね」

稲毛さんは唯一の社員クックで、且つリードクックも任されている。すらっとしたイケメンで、笑った時に出る真っ白な八重歯がなんとも爽やかだ。唯一の高校生MDである水谷智子は彼の大ファンで、はたから見てもメロメロは隠せない。
その彼女が出勤してきた。

「山江さん、おはようございます」
「おっ、智ちゃん。今の話聞いてた?」
「稲毛さん、新しいバイクが来たら、私を真っ先に乗せてくれるって言ってました」
「やったじゃん!」

どこの店へ行っても、バックヤードではこの手の話が花盛り。若い男女がこれだけ集まっているのだから当然と言えば当然だ。
水谷智子は小柄でスレンダー。しかも顔が小さく均整がとれているので、大概の男なら振り向いてしまうだろう。幼い顔立ちとのアンバランスも魅力的だ。

「その前にさ、俺の後ろに乗ってみてよぉ」
「けっこうで~す」

山江君、もしかすると水谷智子にほの字かもしれない。しかしライバルが稲毛さんではきつそうだ。
その時、バックヤードの通用口脇にあるマネージャールームのドアが開いて、添田UMが誰かを捜すように顔を突き出した。

「おっ、木代いた」
「なんですか?」
「もうすぐ人事の本田さんが来るんで、3ステ開けとくように」
「ました」

人事の本田さんとは、新入社員研修の際に一度話をしたことがある。とても快活な方で、つまらない質問に対しても、はっきりとした話し方で丁寧に教えてくれるところが印象に残っている。
それにしても人事部が来店とは何事だろう。恐らく異動絡みと思うが、私は数ヶ月前にここへ来たばかりだし、稲毛さんに至ってはまだ1ヶ月少々。よく考えればUMの添田さんだって赴任して半年である。では、立川店で在籍が一番長い社員といえば、、、
そうだ、UMITの常川さんだ。AM昇格は既に確定しているから、近々にどこかの店へ異動してイエロージャケットを羽織るのだろう。
この流れが正しければ、常川さんの後釜について添田UMへ何らかの通達があるのかもしれない。但、マネージャーが替われば店のムードやスタッフの結束にも影響してくるので、ちょっと不安だ。
しかし、いくら東京地区の出店ペースが他県と較べて低いと言っても、関東全体でこれだけ店が増えているのだから、エリアの枠を越えて人事異動が行なわれるのは誰にだって分かる。

本田さんと添田UMは、笑顔も交えながら既に30分近く話し合っていたが、コーヒーのおかわりでテーブルへ近づくと、

「木代、どうだフロント業務は」
「もう殆どOKですし、MDの指導も徐々に慣れてきました」
「そうか。今、添田さんとも話していたが、来月辺りにUMITの試験を受けてみないか」
「えっ!? いいんですか?」
「マネージャーになりたくないの?」
「とんでもない!」

大感激である。今でも良く覚えているが、実際にUMITへ昇格したときよりも、この一言を受けたときの方が何倍も心が躍った。同期生の中でも、二人、三人と昇格試験を受けたというニュースを耳にしていたので、正直なところ少々の焦りを感じていたのだ。
普段の働きようが評価を受け、本部人事まで伝わっていたのだ。

「添田UM、本田さん、本当にありがとうございます!」
「良かったじゃない」

この春、新しい展開が始まりそうである。

写真好きな中年男の独り言