若い頃・デニーズ時代 24

人事部・本田さんによる面接試験を経て、めでたくマネージャー昇格試験を通過した私は、あまりの浮かれ気分に、槇のことなど、もうどうでもよくなっていた。
そんな中、やっこさん、場の雰囲気を察して、近い将来同じ職位に追いつかれるとでも思ったのだろう、私への態度が急に素っ気なくなってきた。
何かにつけて「俺とお前が組んだら…」と始まる、あの嫌みったらしい馬鹿話しが、手の平を返すように出なくなり、話しかけてくる内容も事務的なものばかりへと変わった。

ー まっ、その内お前を使ってやるさ。

UMITへの目処が立つと、仕事への目線は益々マネージャー寄りに動いた。
UM(ユニットマネージャー・店長)にとって売り上げ目標の達成は当然の使命だが、店独自の広告宣伝や他業種とのタイアップ等々は当然ながら全て御法度である。
では売上はどの様に管理していくのか?
それは新入社員研修で勉強した【チェーンストア理論】の中に答えがあった。
列記すると、
< 事業戦略、商品開発、調達、人事・財務・管理などの中枢的機能を本部へ集中させ、店舗現場はオペレーションに専念することで最大の運営効率を挙げ、同時にコストダウンを可能とする考え方である。これを可能ならしめているのは3Sの手法である。3Sとは、標準化(standardization), 単純化(simplification),専門化又は分業化(specialization)の3つのSを指す。>
となる。
3Sのひとつ標準化はマニュアル化を意味し、デニーズに於る全ての作業を分かり易く明文化してある。また、食材原価の要であるポーションコントロールに必要な盛り付け量は、付け合わせに使うほうれん草ソテーやフレンチフライドポテトに至るまで数値化がなされている。

「卵料理にはカットバターを使うんだよ」
「あ、はい、わかりました」

新人のキッチンヘルプが、フライパンへ溶かしバターを入れようとしている。
溶かしバターはトースト用、調理にはカットバターを用いなければならない。
ハンバーグを例に挙げれば、解凍時間、片面焼き時間、調理器具チャーブロイラーの温度、マイクロウェーブオーブン(略して“マイクロ” ⇒ 電子レンジ)の加熱時間、そして最後にかけるソースの量等々、誰が調理しても同じ味が出せるようにマニュアル化されている。
もちろんフロント業務にも徹底した“決まり”がある。
お客様が来店したら「いらっしゃいませデニーズへようこそ」とお迎えし、お帰りになるときは「ありがとうございました。またお越し下さい」と言わなければならない。この他にも「はい、かしこまりました」、「少々お待ち下さい」と挨拶(グリーティング)も統一されている。単純な「いらっしゃいませ」、「ありがとうございました」や、「わかりました」、「ちょっとお待ち下さい」などの既定外は全てNGだ。
こうしたありとあらゆる行為に対する手引きがマニュアル化されていて、これを順守することにより、デニーズのブランドを訴求することができ、必然的に売上が上がっていくというわけだ。

「木代さ~ん」

んっ、岡田久美子か。

「はいはい、今行くよ」
「検品お願いしま~す」

八百屋がレタスを持ってきたのだろう。
午前の納品時、検品してみるとレタスが痩せてスカスカだったのだ。同じ段ボール1ケースでも、使える部分に大きな差が出てしまい、これがフードコスト(食材原価)に跳ね返る。酷いときには品切れが起きることさえあるのだ。

「どうもすんませんね」

新たな箱を開けると、ずっしりと重くみずみずしいレタスがぎっしりと詰まっている。

「最初からこのレベルを持ってきてくれなきゃ」
「へへっ、今、露地物に頼っちゃってんで難しいんですよ」

検品の他、フードコストコントロールに必要なのがトラッシュカン(ゴミ箱)チェックだ。
安全期間を過ぎて破棄した食材、オーダーミス、野菜カットの状況等々、クック達が出している無駄のレベルを常時観察することにより、個々の仕事へのアドバイスが進み、同時に正常なコストへ持っていくことができるのだ。

全てのマネージャーは常に実務を勉強し続け、それを全てのスタッフへ伝え、正確に実行させるために尽力しなければならない。
デニーズジャパンが嘱望するマネージメントレベルとは、“多くの優れたスタッフを育てられる者”に尽きるのだ。

2016年・年末撮影会

千本浜で沈む夕日を見ていると、ふと一年の経過が脳裏に蘇ってきた。
古今東西、老若男女問わず、誰だって365日も時を刻めば様々な出来事が蓄積するはず。私にとっても2016年は、とりわけ心の揺れる出来事にやられ続けてきたように感じる。
そんなせいか、良い意味でも悪い意味でもちょっと心が疲れていたのは自覚していたのだが、この二日間で雄大な富士山、湧水の街並み、そして陽光降り注ぐ伊豆の海や山にレンズを向けてきたら、不思議なほどに気持ちが軽くなってきたのだ。
これがリフレッシュというものだろう、普段の生活に足りないものが朧気ながらも分かったような気がしてきた。


2016年12月30日(金)。
車から出ると、早朝の山中湖は風が無いせいか、思いのほか寒さは感じられない。
湖畔の撮影ポイントには既に5~6人の写真好きが撮影に熱中している。

「この鳥たち、ずいぶん人慣れしてるね」

Tくんがカメラを抱え、白鳥へ接近中だ。
見回すと白鳥はざっと20羽ほどはいるだろうか、しきりに湖水へ頭部を押し入れている。恐らく餌をついばんでいるのだろう。
ここで越冬し、再び大陸へと戻っていくのだ。
富士山だけでも十二分な画になるが、やはり脇役がいればそのアピール度は倍になるというもの。来年は酉年。白くシルエットの華麗な白鳥は、この場面で最も相応しい。

年末撮影会はいつも伊豆箱根で行っている。東京から近く、海、山、川等々がコンパクトなエリアに凝縮しており、また、忘年会としての意味合いもあるので、ナイスな温泉郷が点在するのも好都合だ。
よって10年以上続けていても撮影場所に困ったことはなく、今回も初となる“水の都・三島”にトライしてみた。
著名な柿田川湧水は幾度か訪れたことがあるが、三島駅前の楽寿園を中心とする町中の清流は以前から気になっていた。今回もウォーキングMAPを手に入れて下調べを行い、夏は蛍も舞うという源兵衛川をメインとしたコースを巡ることにした。

「あれ?、楽寿園、開いてないよ」
「ほんとだ。せっかく来たのに残念だな」

楽寿園からスタートと考えていたのに、年末27日から年明け2日までは休園とのことである。ここはきっぱり諦めて、通りを渡った東側にある白滝公園で撮影を開始した。
町のど真ん中にこれほど水量溢れる公園があるとは、なんとも羨ましい限りである。
今後のルートに期待が膨らんだ。
そして源兵衛川。やはりMAPにもあった“川の中を歩ける遊歩道”が光っていた。わき見をすれば川へ転落ともなりかねないが、その分川の隅々までが観察できる。被写体探しは子供の頃に戻ったような気分に浸れ、堪らなく楽しかった。但しそんな水辺にも、過去には高度成長期に大量の湧水を必要とした工場の乱立で、楽寿園の小浜池やここ源兵衛川も完全な渇水状態にまで追いやられた歴史があったとのこと。しかしこの美しい眺めからは中々想像できないものだ。
季節外れにつき、その白く可憐な花を見ることはできないが、流れの中で揺れるバイカモの群生が永遠にここで育まれるよう願いたい。
桜の頃、緑が芽吹く頃、そして紅葉の頃に、再び時間をかけてトライである!

「あそこ、随分と人がいるな」
「ああ、あれね、鰻の老舗だよ」

三島と言えば鰻。そして三島の鰻と言えば『桜屋』である。

「せっかく三島に来たんだから食べたいよな」
「でもあの人の列を見たら駄目でしょ」

ちなみに、三島を離れる際に同じ老舗の『うなよし』の前を通ったが、ここも10人近くのウェイティングがあった。
空きっ腹には逆らえないので、白滝公園の向かいにある中華料理屋で昼食を取り、城ケ崎目指して出発した。

Tくんの愛車“スズキ・ジムニー”は、エンジンを唸らせながらも快走した。どんな路面どんな細い道でも躊躇なく入って行ける機動性には感嘆するが、その唸るエンジン音は以前より幾分大きくなったような気がする。660ccというオートバイ並みかそれ以下の排気量で、軽自動車としては重たい車体とドでかいホイール4本を回すわけだから負担も大きいのだろう。昨今ではリッターあたり30Km近く走る軽自動車もある中、このジムニーは10Km行くか行かないかだ。

それまで順調だった車の流れが、大仁辺りから徐々に渋ってきた。渋滞とまではいかないが、高速道路も含め、全体的に例年と比べて車の数は多い。近場の伊豆辺りで年末年始を過ごそうとする傾向なのか、宿の予約段階でも、一泊二食付き10,000円前後のプランは昨年よりだいぶ減っていて、見つけるのは一苦労だ。
冷川から遠笠道路を経てR135へ出るとついに渋滞が始まった。

「チェックインしてると城ケ崎へ行けないかも」
「それじゃ先に行っちゃおうか」

陽が短いので、辺りは既に夕暮れの雰囲気が漂っている。城ケ崎海岸は東側なので直接落ちる夕日は見られないが、天気が良ければ切り立った磯が赤みを帯びて、なかなかの被写体へと変貌する。
“秋の日は釣瓶落とし”
急がないと真っ暗だ!!

慌てて回った城ケ崎。三島でも随分と歩いたので、少々疲れが出てきた。集中できなければ撮影は楽しくないので、2~3枚撮った後、きっぱりと電源スイッチをOFFにした。
年末撮影会は二日間に渡ってシャッターを切りまくり、その撮影枚数は連写もしないのに500枚近くに及ぶことがある。まあ、イベント的要素が強いのでこれはこれでOKだし楽しいものだが、集中できるのは一日に精々2時間がいいところ。よってこの辺を計算の上、撮影に臨まなければならない。

今宵の宿【ローズマリー】は初となるペンション。伊豆高原に位置するが、R135沿いにあるので便は悪くない。いつもは海の幸溢れる船宿を探すのだが、今年はなぜか空きを見つけることができなかった。
夕食は刺身にチキンのソテー、朝食はパン食で、スクランブルエッグとサラダ、そして豊富な果物が並んだ。しかし、ペンションにありがちなメニューはやや食傷気味。やはり夜は船盛、朝はあら汁でいきたいものだ。

「もう歳でね、、、動きが鈍いんですよ」

と、つぶやいたのは、御年79歳、伊東四朗にそっくりなオーナーである。
ー まだまだ頑張て下さい!
ローズマリーはオープン30年目を迎える、伊豆高原きっての老舗ペンションなのだ。

翌朝はゆっくりと9時に出発。伊豆を横断する形で西海岸を目指したが、途中で湯ヶ島温泉の“湯道”を一回りしようとの意見が出て、急遽寄り道をすることにした。
湯道は数年前の同撮影会で湯ヶ島温泉・千勝閣に泊まった際、たまたま見つけた遊歩道である。この時は時間的制約でほんの一部しか回れなかったが、しっかりと渓流の美しさが記憶に残っていた。
車はリブマックス・リゾート天城湯ヶ島(旧国民宿舎・木太刀荘)のすぐ傍にある無料駐車場へ入れ、そこを起点として反時計回りで散策をスタートさせた。
歩き始めてすぐに気が付くのが、温泉郷全体の衰退だ。何より廃墟となった旅館の多さに目を見張ってしまう。
団体旅行がピークにあったバブル時代には、相当な賑やかさを誇っていたのだろうが、今は見る影もない。
一部有名どころの温泉旅館は未だ健在のようだが、その経営内容は如何なものだろう。そう、白壁荘の従業員に聞いた話では、前述した千勝閣も、あの“元気女将”が10年ほど前に亡くなってからは、衰退の一途だったという。時代は流れるとは正にこのことだ。
朽ちた黄金期を見て回ることとなった湯道。ちょっぴり後味の悪い印象が残ってしまった。

鬱蒼とした山間から下りきると、戸田漁港を手前に大海原が広がった。

「腹減ったね」
「歩いたもんな。中華が続くけど、例の店へ行こうよ」

戸田で中華と言ったら『海苑』。おっちゃんとおばちゃん二人でやっている家庭的な店だ。
伊豆で観光すれば、どうしても海鮮ものに目が行くだろう。況して旅館に泊まれば、夕食にこれでもかと言う程の魚介類が出てくるのは常だ。確かに美味いが、続けばどんなものでも飽きてくる。そんな時、不思議と中華が欲しくなるのは私だけではないだろう。

「ラーメンとチャーハンください」
「俺は野菜炒め定食」

どちらも定番。
油、チキン出汁、焦げ味等々、中華は単純に食欲をそそるのだ。
腹が一杯になった後は、井田でちょっとだけ下見を行ない、今年最後の夕陽を見るために沼津の千本浜へと向かった。

毎度述べてしまうが、この二日間はあっという間に過ぎ去る。回を重ねるごとに“年の締め括り”としての意味合いが強くなり、そのお祭り的な高揚感に二人共々浸りきっているからだと思う。
写真を楽しむのに形などない。それぞれが思うままにシャッターを切って、ちょっとだけニヤリとできる1枚が撮れればそれでいい。
来年末も再び伊豆箱根で盛り上がっているだろう。

■2016年・年末撮影会ギャラリーへ

復活! 庄や 飛田給店

な、何と、、、
つい先だって、閉店の告知を出した「庄や 飛田給店」が、突如としてその閉店を撤回した。
もちろん真意は定かでないが、馴染みの店が復活したことは嬉しい限りである。
以下は、店内に掲示された、再開店のお知らせポスターの文面だ。

再開店にあたって!!
一度は、庄や飛田給店を今月28日にて閉店と決めましたが、お客様、近隣の皆様からの辞めないで下さいとの声が大変多く、寂しすぎますのお言葉をこの数週間の間、毎日のように頂きました。
これ程までに庄や飛田給店が皆様から愛され愛着を持たれていたお店だと思い知らされました。皆様の暖かい励ましに、大変な感動を覚え、もう一度皆様方と一緒にという思いが強く成り、再開を決心したものです。

何卒、今後共、よろしくお願い致します。

ややリップサービス臭いが、先日のランチ中、年輩の常連客が板前さん相手に「残念だ」、「寂しいね~」、「お世話になりましたよ」等々と、真剣な眼差しで話しかけているのを目の当たりにした。
繁盛ぶりからしても、常連客にとっては地元の大事な憩いの場だったに違いない。
何れにしても、力強く蘇る“庄や 飛田給店”は大歓迎だ!

冒頭の写真は、復帰後第1弾の販売促進『満満券』!!
但し、ランチライムは使えないとのこと。ご注意ください☆

写真好きな中年男の独り言