梅雨

ダンスパーティー

我が家のダンスパーティーが色づき始め、同じくして玉川上水の紫陽花も一斉に開花が始まった。
今年も梅雨の季節がやってきたのだ。
梅雨と聞くと、世間一般ではジメジメして鬱陶しいと、あまりウェルカムでない印象を受けるが、慢性鼻炎持ちの私にとって、ぐっと湿度の上がるこの季節は、鼻に優しい入浴中の環境に近くなり、鼻腔内のカサカサ感に端を発する、ムズムズ、くしゃみが多少なりとも緩和される。
例年だと今頃から秋口までがそれにあたるが、我が愚鼻、今年は何故かずっと敏感なままで、ほとほと弱っている。
新たな原因物質が浮遊し始めたのか、さもなければ、これまで微小で反応しなかった物質が増加傾向にあるのか、何れも定かでないが、これでは一年中ティッシュのお世話にならざるを得ず、不快不便極まりない。
そう、職場のスタッフの中にも同じ傾向を訴える者がいて、<杉花粉が終わったのに何でムズムズするんだろう>と、嘆いていた。
それでも副作用の出る薬を常用するのは基本的に避けたいので、取り合えず乳酸菌の効用を信じて、アレルギー症状を起こさない体づくりに励みたいと思っている。

P.S
ダンスパーティーに勢いがない。咲きっぷりが悪いのだ。隣に植えてあるモッコウバラも今年は開花しなかったから、もしかすると肥料が足りないのかもしれない。これは要研究だ。

若い頃・デニーズ時代 28

通しを始めて一週間。さすがに疲れが溜まってきた。
ランチピークが終わり、アイドルタイムに入って一息つくと、猛烈な眠気が襲いかかり辛かった。
レジ金のカウントにもミスが連発し、一度目に合計が合わずとも、再度数えたらぴったりという、明らかに集中力が低下している兆候が出ていた。
昨今、労働環境の改善が大きくクローズアップされて久しいが、やはり疲弊した体や精神では絶対に良い仕事はできないし、それどころか生産性は確実に落ち、しまいには慢性化してしまう危険もあるのだ。

田無の従業員にもひととおり面通しができ、個性溢れる面々には歯ごたえを感じるところだったが、ひとりだけこの店特有の雰囲気を持たない、やや風変わりなバスヘルがいて、彼の仕事ぶりには何かにつけて目に留まった。
彼の名は堀之内 勝。田無店に限らず、バスヘルの殆どは大学生か高校生の男子と相場が決まっていたが、彼は私より2歳上の26歳だった。恐らく大学卒業後、何らかの理由で就職をせずにアルバイトだけで凌いでいるのだろう。
働きぶりはまじめを絵に描いたようで、他の従業員と無駄話をすることもなく、就業時間中は黙々と動き回り、ひとつひとつの作業を丁寧にこなしていく姿は、これまでどこの店のバスヘルにも見られなかったものだ。例えば、カウンターテーブルの下はバスタブ置き場になっているが、ここを通る時も、下げた食器が溜まっていないか、わざわざ指差し確認まで行っている。
ピーク時のフットワークも軽い。お客さんの動きを見ているから、バッシングがスムーズで、回転率の向上にも一役買っていた。
そんなある日、

「木代さん、聞いていいですか」
「なんです?」

いつも真面目そうな顔つきの堀之内さんが、更に神妙さを重ねている。

「外食産業は、これからどうでしょうか」

いきなりである。しかもアルバイトからの話題としては幾分硬い。

「堀之内さんは外食産業に興味があるんだ」
「そうなんですよ」
「デニーズに入りたいとか?」
「いや、他を考えてます」

詳しく話を聞けば、彼は外食産業に就職したいが為に、デニーズでアルバイトをしながら様子を窺っていたのだ。当時の外食産業はバブル景気に押されて、デニーズのようなファミリーレストランだけではなく、ファーストフードや居酒屋系なども恐ろしいほどの躍進を遂げ、特に東京近郊を車で流せば、ガソリンスタンドの数を超えるであろう飲食店の乱立に、誰もが眼を見張ったものだ。

「それじゃ立ち位置は変わるけど、お互い同業で頑張るってわけだね」
「いろいろとアドバイスをお願いします」
「いやいや、俺だって新米だぜ」

これから先、外食産業に身を置き切磋琢磨していきたいという熱い情熱が互いの共通点となってからは、マネージャーとアルバイトの関係が、いつしか同志へと変わっていった。
結局、堀之内さんは、3カ月後にデニーズを辞めると、大手清涼飲料水メーカー系のレストランチェーンへめでたく就職し、なんと約40年経った今でも交流が続いている。
人生の友とは、ひょんなきっかけから生まれるものだ。

堀之内さんがデニーズを去る頃、上西UMは他店へ異動していき、橋田AMがそのまま田無店UMへと昇格した。その間、アルバイトの入れ替わりも頻繁に発生、日を追うごとに鼻についていた田無店臭さが薄れていき、仕事の慣れも手伝って、毎日は充実した。
特に目に見えて変わったフロントの雰囲気は、新人DLの採用が大きく影響した。
まだ高校3年生だったが、笑顔には品があり、スタッフの誰とでも協調できる柔軟性を持ち合わせた逸材で、彼女がレジ脇に立つだけで店内はパッと明るくなった。
水沢慶子は決して美人というタイプではないが、愛くるしさと健康的な第一印象が多くの者達から視線を引き込んだ。

「20番テーブル2名様お願いします」

このグリーティングひとつでフロントには爽やかな空気が流れるのだ。

「いい子が入ったね」

カウンター席の常連さんが、笑みを浮かべながら彼女の動線を追う。

「彼女のおかげで店の雰囲気が明るくなりました」
「昔からさ、美人は得なんだよ」

美人が得かどうかはさておいても、実際、笑顔と容姿のいい女性スタッフがいれば、それだけで店が活気づき、常連さんの表情も穏やかになる。
容姿の善し悪しで女性の価値を量れば、それは差別発言となってしまうだろうが、一昔前のスチュワーデスやコンパニオン、そしてキャンギャル等々を思い起こしてもらえれば、その場の付加価値を上げる最良の要因になっていることは理解いただけるであろう。国際線の機内に美人スチュワーデスが3人もいれば、たとえそれが長旅であろうと、一服の清涼剤となって疲れや苛立ちを緩和してくれるのだ。
かわいい女性スタッフの効能はまだある。
それはお客さんの満足だけではなく、男子スタッフの働きぶりにも多大な影響を及ぼす。
ある日のエンプロイテーブルでは、

「水沢さんが来てからさ、店が明るくなったような気がするよ」
「だよな、俺もそう思う」
「仕事やってても、なんか楽しいじゃん」
「おっ、気があんの?」
「俺なんか相手にされないよ」

大学生のKHとバスヘルが、目をらんらんとさせながら語りあっている。
そこへブレークだろうか、LCの豊田さんが乱入してきた。

「お前たち何馬鹿言ってんだよ」

いつもの大げさでまじめくさった口調である。

「女性は気立てだよ」
「なんすか、それ?」
「気立てもわからないの、しょうがないな」

実におっさん臭い。

「気持ちの優しい性格のいい人のことだよ」
「へ~~、さすがっすね!」
「でも俺なんか、やっぱかわいくないとグッとこないかな」
「まっ、それは男だからわからないでもないけど、、、」

なんだなんだ。いつも偉ぶってるLCが、大学生にやられているではないか。

季節は初夏を迎え、交通量の多い新青梅街道沿いとは言っても、気持ちのいい空気感がしっかりと店全体を覆っていた。
エアコンをきかせた店内より駐車場へ出た方が清々しく、久々に植木への散水と駐車場の清掃に精をだしてみた。
店の前を行き来するおびただしい車から発せられる走行音。ところがその走行音の中に割って入ってきた野太いエキゾーストノート。瞬間的に振り向くと、真っ赤でグラマラスな車が目前に現れ、その威嚇的ともいえるフォルムに目線はくぎ付けになってしまった。

崩落

5月4日(木)。冨田君のジムニーは約束の6時前に到着していた。
そう、年末以来となる撮影会を奥多摩でやるのだ。
今年のGWはおおむね好天が続くと予想され、芽吹きの森では初夏の空気を目いっぱい吸い込むことができると期待は膨らんだ。もちろん前夜に入念な機材チェックを行ったのは言うまでもない。但、GW中なので、唯一交通の流れを心配したが、朝の新青梅街道は頗る順調な流れを見せ、先ずはひと安心。
1時間半ほどで二俣尾のセブンイレブンへと到着。食料と水を調達した。

「あっ、ストーブ忘れた」
「えっ、カップ麺持ってきたのに~」

新緑に包まれながら熱々のコーヒーを飲んだらさぞかし美味しいだろうと話していたのに、またもやポカミスをやってしまった。先回の“登山靴”よりはまだましだが、この頃、物忘れの悪さに拍車が掛かってきたように思うことが屡々だ。尤も子供の頃からこの傾向は出ていて、小学生の時などは、自転車に乗って買い物へ行ったのに、帰りは徒歩で戻ってきてしまい、慌てて<自転車がない!>と騒ぎ立てた挙句、はっと思い出しては赤面するといった感じだ。

R411は川井交差点を右折。大丹波川沿いをひたすら上っていく。
進むほどに道は細くなり、木々の密度は濃くなっていった。山中に分け入った実感を覚えると、いつだって心が躍る。車窓から流れ込む空気は冷え冷えとして、うっすらとかいていた汗が一気に引いていった。
そして、渓流沿いのキャンプ場を過ぎると、遂に走っている車は我々だけとなった。
さらに3Kmほど行くと道はダートになり、ジムニーの本領発揮となった。

「ご機嫌だね。岩をどかさなくても付き進めるよ」

このルートへ初めて踏み込んだ時、乗っていったのはBMWのE36だった。フロンフェンダーやボディー下に岩がヒットするのではと、冷や汗をかきながら、徐行以下のスピードで上がっていったのだ。
それでも微妙な大きさの岩が現れると、その都度下車して取り除き、冷や汗と作業による汗で辟易としたものだ。
その点ジムニーはダート用に設計してある車なので、車高が高く、このレベルの悪路などはものともしない。
しばらくすると左カーブが差し掛かり、左右に車数台が停められるスペースが見え始めた。そこには1台の青いオフロードバイクが駐車していて、どうやら主は女性のようだ。車種はヤマハのランツァ。今では珍しくなった2サイクル車である。

「この先、行き止まりのようですよ」

徐に車のウィンドーへ顔を寄せると、彼女はそう告げた。
一瞬不安が走ったが、とにかく車から降りて辺りの様子を確認しなければならない。
20mほど歩くと、なるほど【この先通行禁止】の看板が置かれていて、思わず冨田君と顔を見合わせてしまう。

「弱ったな」
「とにかくこの先、見に行かなきゃ」

気が付くとランツァの彼女は、先行してずいぶん先を歩いていた。
一旦車に戻り、カメラやら三脚などを降ろして、徒歩で撮影場所まで行く準備を始めた。

立て看板から300mほど行くと道は極端に荒れ始め、コブのようなところを上り詰めると、待っていたのは唖然とする光景だった。

「やばいっすよこれ」

横幅30m以上もある大崩落が、完全に林道を飲み込んでいたのだ。それでも落石と脆い足場に注意しながら慎重に歩を進め、崩落のてっぺんまでくると、何とそこには更に凄い光景が控えていた。
足元の崩落の先にもう一つの大きな崩落が発生していて、そちらは土砂というより殆ど土だけのもので、おまけにトラバースするには相当な危険を覚悟しなければない急斜面を作っていたのだ。
足を滑らしたら、谷底まで止まらないだろう。

「駄目だこりゃ、諦めよう」

悔しいことに、目指す撮影ポイントはまさに目と鼻の先だった。
2つ目の崩落の先が林道の終点であり、そこから山道に入って沢へ下れば、他ではなかなかお目に掛かれない見事な清流の光景が広がっている筈なのだ。
数年前にやはり冨田君と撮影したことがあり、二人ともこの上ない好印象として脳裏に刻まれていた。
出鼻をくじかれたとは正にこんな感じだろう。意気消沈しながらも、<手ぶらじゃ帰れない!>と、大丹波川沿いを下りながら、撮影ポイントを見繕っては被写体を探し続けたのである。
それでも不完全燃焼のままの我々は、多摩川の渓谷を歩いたらどうだろうかと、鳩ノ巣無料駐車場へ行ってみれば、寸分の隙もない完璧な満車状態。しょうがないので白丸駐車場へ移動すると、何とか2台分空いていたので、さっそく車を入れて渓谷遊歩道へ降りたのだが、ダム湖に沿って伸びる道からは、これぞという被写体は一つも見つからない。それじゃ、日原方面へでも行ってみるかと車を回したのが、鍾乳洞手前から渋滞が始まり、あっさり諦めUターン。

「こんなについてないことは今までなかったよね」
「じゃさ、どうせ帰り道だから、愛宕神社へでも寄るか」
「ダメもとですね」

つつじで有名な同神社は、よく歩く御岳山~日の出山ルートの終着点にあたり、馴染みの場所と言えるところだ。地元武蔵野市のつつじは既に時期が終わっているので、こちらはどうかと恐る恐る境内を覗き込めば、遠目だが鮮やかに咲き誇っているではないか。

「ラスト、ここでやっていこう」

半日ずっと振り回され、気分的にはシャッターを下ろすのも億劫になっていたが、それより、あまりに少ない収穫のままでは帰路に就くのも虚しかったので、店の引っ越しで痛めた腰がやや愚図ってはいたが、つつじ散策をスタートさせたのだ。

(あとがき)
それにしても、あの崩落現場は凄かった。
事前に奥多摩ルート情報をチェックしておけばよかったと自省もしたが、帰宅してすぐに奥多摩ビジターセンタのHPを開き川苔山周辺を調べてみたら、
① 踊平から獅子口小屋跡(通行止・土砂崩落)
② 大ダワから足毛岩(通行止・登山道崩落)
以上2点の掲載しかなく、同HPのルート情報はあくまでも登山道対象であり、例え付近であっても“林道”の状況までは網羅してないのだ。
振り返れば、先回あの清流へ訪れてから既に数年の月日が流れている。刻々と変わる山の状況を考えれば、やや思慮に欠けたかと反省している。
GWが終われば本格的な夏山シーズンがやってくる。山歩きに於て安全最優先は言うまでもなく、登山はこうした事前情報の収集から既に始まっているのだ。

写真好きな中年男の独り言