晩酌ばんざ~い♪

晩酌無くして一日は終わらない。
どんなにへたりきっても、帰宅して風呂を浴び、ちょいと肴をつまんで焼酎のお湯割りをくくっとやれば、身も心も完全復活。
そう、私は自他共に認めるアルコール好き。自慢にはならないが休肝日は存在しない。

中学生の頃、うちは大家族だった。爺さん、婆さん、叔父さん二人に叔母さん、そして、おやじ、おふくろ、弟と、時として総勢9人が夕飯を囲んだものだ。そんなある日、上の伯父さんが、「もう大人なんだからビールでもやれや」と真っ赤な顔をしてグラスを差し出すのだった。

「ダメじゃない中学生なんだから!」
「まあまあ義姉さん、一杯くらいいいだろ」

と言いながら、既に注ぎ始めている。おやじの方へ振り向くと、ニヤニヤしているだけだ。
そうだ、たかが一杯なのだ。
躊躇なく口へ運ぶと、ほろ苦さの中にも甘さがあることに気付く。
こいつ、、、案外うまいかも。

「おっ、いけるくちだな」
「もうダメだからね!」

いきなり酔いが回りはじめ、叔父さんとおふくろのやり取りもうわのそらである。
あ~いい気分、、、
この頃からか、アルコールが気に掛かるようになったのは。

晩酌の中心は焼酎だ。冬はお湯割りでぽっかぽか、汗かく季節が来れば、きりりと冷たいレモンハイで楽しんでいる。ビールはそれほど好んで飲まないが、肉系で濃い味のつまみが手に入ったときは350mlを一本だけやる。ジューシーな鳥カラを流すときなど、やはりビールはいい仕事をするものだ。
さて、好みなアルコールブランドを羅列してみよう。
麦なら“いいちこ”、イモは“さつま白波”、日本酒は“澤ノ井”、ウィスキーなら“ニッカ”、そして泡盛だったら“久米仙”ってところか。この他、バーボンも時々やるが、イチオシは“JWダント”だ。
但し、ここまで書いても晩酌でよく飲むのは焼酎甲類である。お湯割りでも炭酸割りでも、味付けにはレモン汁を使い、先ずはこれでスタートする。長らく続いている私流だ。
そもそも甲類は財布にやさしいし、バリエーションを楽しめるから毎日飲んでも飽きがこない。
甲類については、樹氷、純、大五郎、キンミヤ等々といろいろ試してきたが、ここにきて落ち着いたのが“イオン・トップバリュー焼酎甲類25度”だ。癖がなく、まろやかな口当たりで、甲類にありがちなアルコール臭が小さいところがGooである。
これに加えてつい最近、好きなレモン汁に新しいバージョンを発見。これにより割のグレードがぐっと上昇した。
晩酌でいちいちフレッシュを使うのは面倒なので、これまではもっぱらポッカレモン100を愛用してきたが、ある日いなげやの棚で目に付いたのが“ポッカレモン有機”。健康的なキャッチに誘われて買い物かごへ入れたのだが、これが大正解。フレッシュに近い酸味はコクを作り、のど越しの際もしっかりとレモンの風味を放つのだ。もちろんお湯割りでも炭酸割りでも効果は同じなので、レモン好きの諸兄には、ぜひ一度試していただきたい。
桜が終わり、初夏の空気に包まれ出したら、炭酸をケースで仕入れてこなければ、、、

若い頃・デニーズ時代・番外編

<デニーズ>1号店20日で閉店 4世代で通う客「寂しい」
ー 毎日新聞 3/18(土) 9:32配信 ー

意味深長なニュースである。
デニーズ1号店である上大岡店のオープンは1974年。既に43年の月日が流れたわけだ。そして久々に聞く上大岡店の名は、アメリカンムード満点だった頃のデニーズを思い出すきっかけになった。
記事内には当時のメニュー写真も載っていて、その懐かしさに暫し釘付けである。

パンケーキを筒状に丸めて3本。これは“ピッグインナブランケット”という一品。
丸めた中身はスパイシーなポークリンクソーセージ。パンケーキのことをブランケット、つまり毛布と称したいかにもアメリカらしい雰囲気を感じるメニューだ。
ソーセージが入っているのにメープルシロップで食べるの?!と、当初は首を傾げたものだが、いざ賞味すれば、これが意外にいけた。アメリカンテイストからアメリカ文化を感じた一瞬だ。
その手前は“和風オムレツ”。人気メニューの代表格で、スタッフうけも抜群。二個の卵にカットしたポークリンクソーセージ、長ネギ、ほうれん草、そして醤油を少々たらし、軽く合わせてから、バターで焼き上げる風味豊かな一品。ご飯のおかずにも最高である。
和風オムレツの隣は定番中の定番“フレンチトースト”。普通の食パンを使いながらも、焼き上がりにホイップバターとメープルシロップを絡めれば抜群の味わいへと変貌。個人的に大好きなメニューだ。
そしてコーヒーの隣は“ストロベリーパンケーキ”。
アメリカ直輸入のストロベリーソースがたっぷりとかかった素材自慢の一品。甘さ控えめのソースはパンケーキとの馴染みが良く、飽きのこない味わいがナイス。
そもそもデニーズのパンケーキはクオリティーが高く、当時日本国内にも展開していたアメリカのパンケーキ&ワッフルのチェーン店「アイホップ・IHOP」の看板商品と較べても、勝るとも劣らないテイストがあった。ふわふわで風味高いのはアイホップのパンケーキ。これに対し、焼き面の香ばしさと食感の良さから、ホームメイドを強く感じさせたのがデニーズのパンケーキだ。
そんなデニーズの個性的なメニューも、競合各社との熾烈な競争からか、「全てのニーズへ対応しよう!」とばかりに、ラーメンや和食のモーニング等々、ポリシーから外れた商品であっても積極的に取り入れ続け、気が付けば看板商品と独自性は消え失せ、挙げ句の果てには、何ら他社と変らぬ平凡なメニュー構成へとすり替わっていたのである。
正直なところ、「麺・丼・膳」はデニーズに必用だろうか?!
レストランでは目の前に置かれた料理を単に食する行為だけでなく、その店の雰囲気も味わいつつが利用客の一般的心情。アメリカンチックなレストランで、クラブハウスサンドやフレンチトーストを賞味するすぐ隣のテーブルで、辛み味噌の香りを強烈に放った担々麺をずるずるっとやられたら、どの様な気分に陥るだろう。
昨今では海外旅行も一般的になってきて、一度くらいならハワイやグアム辺りを訪れたことのある方は多いと思う。その旅先で馴染みのDenn’yロゴを見かけ、本場のデニーズを体験したなら、日本へ戻って近所のデニーズへ入ったとき、誰しも微妙な違和感を覚えてしまうだろう。
昔懐かしの“デパート食堂”ならまだしも、デニーズはアメリカからやってきたレストランシステムなのだ。

若い頃・デニーズ時代 26

「おはようございます! 今度お世話になります、立川店の木代です」
「あっ、こんにちは。それじゃ事務所へどうぞ、マネージャーいますよ」

デニーズ田無店は新青梅街道の上り線沿いに位置する、小金井北店と同様の106型店舗である。
このタイプの特徴は何と言ってもオープンキッチンにある。キッチンメンバーの動きを客席から眺めることができ、そのビジュアル効果は普通のレストランにはない躍動感を作り上げるのだ。しかも当時主流となっていた149型と違って、ウェイトレスステーションがないので、店内は明るく開放感に溢れている。但、クックにとっては、調理をしている眼前に、常連客が並ぶカウンター席がこちらを向いているのだから、ディッシュアップに時間が掛かったときなどは、お客さんから発する厳しい目線をもろに受けなければならない。

今日は休日だったが、異動前の挨拶で田無店を訪れてみたのだ。
迷惑にならぬようアイドルタイムを狙ってきたが、窓ふきをするBHや、テーブルにワックス掛けをするMD達を目にすると、田無店の教育状況が分かるというもの。それぞれやるべきことをやるべき時間帯にやっている。マネージャーの努力が実を結んでいる証拠である。
しかしバックへと案内してくれたMDの髪の毛の色は、ちょっと、、、
せっかく感じがいいのに、まんま水商売と思しき茶髪では、デニーズのイメージにそぐわない。
ディッシュの脇をとおると、UMだろうか、黄ジャケを着た人がエンプロイテーブルでカレーを食していた。

「おはようございます!」
「おっ、木代か?!」
「はい。ご挨拶に伺いました」
「そうか、今飯食ってるから、5番でコーヒーでも飲んでろ」
「ました」
「今日は橋田もいるから、話しでもしてな」

これまで一緒にやってきた何れのマネージャーとも異なる強い個性を放っている。上西UMの第一印象はそれほどインパクトのあるものだった。
とにかく顔が怖い。パンチを当ててるし、目つきも“その筋”って感じだ。
バンカラ?!、子供大人?!、ヤンキー?!
どれともつかない特異な雰囲気だが、何れにしても、IYグループのイメージからは完璧に逸脱している。

「木代君? 橋田です」
「はじめまして。よろしくお願いします」

がっちりとした体つきの男性が、いつの間にか傍に立っていた。
私が田無店に異動すると同時にAMへと昇格する現UMITの橋田さんだ。上西UMとは180度違う第一印象が素直に笑える。彼らがペアを組んで田無店のオペレーションに励んでるなど、どの角度からみても想像がつかない。

「一緒に頑張ろう」
「ありがとうございます」
「だけど最初は“通し”だから大変だぞ」
「はい。覚悟しています」

そう、新米UMITには通しという洗礼が待っている。
デニーズの基本営業時間は7時から23時までの16時間だが、基本的にその16時間を早番(6時30分~15時30分)と遅番(14時30分~23時30分)の2シフトでカバーしている。ところがマネージャー職に成り立ての頃は、その業務をいち早く身につけようと、6時30分~23時30分、拘束17時間というを超長時間労働を、約1週間立て続けに行なうことが暗黙の習わしとなっていた。体力的にも精神的にもハードなことは言うまでもないが、皆、マネージャーヘ昇格した直後の気合を持っていたので、これも未来への布石と言わんばかりに取り組んだのだ。
昨今ではブラック企業なるものが大きくクローズアップされ、劣悪な労働環境が日本の社会に深く浸透している現況が明らかになってきたが、当時は「猛烈サラリーマン」なる言葉のニュアンスが多少なりともまかり通る傾向が残っていて、デニーズ社内でも、仕事は絶えずプライベートの上にあり、先ずは仕事ができなければ!の精神が当たり前のように通っていた。前述した早番、遅番も実は名ばかりで、早番の退社はディナーの準備を整え、且つ遅番の食事を済ませた後になるから、大体17時から18時。遅番も然りで、出社はランチピークのフォローと称して12時なのだ。よって各シフトは名目上拘束9時間実働8時間だが、実際は拘束12時間が毎日続いていた。
但、恐ろしいこポイントは、それがあたかも常態のように捉えられているところだ。
どんなにガッツのある者でも長時間労働が続けば、本人も気づかぬうちにやる気は減退していく。

ペーパーナプキンで口を拭きながら上西UMがバックから出てきた。

「いつからだっけ」
「3月1日からです」
「そうか、じゃまず1週間の通しから始めるか」
「ました。よろしくお願いします」
「家が近いから多少は楽かもな」

帰宅したら速攻で風呂へ入り寝るようだ。そうすればなんとか4~5時間は睡眠時間を確保できるだろう。

「橋田」
「はい」
「一日だけ、通し、付き合ってやれや」
「ました」
「すみません、よろしくお願いします」

この後、田無店へ届いている赤ジャケのサイズ確認をし、出勤しているアルバイトひとりひとりへ挨拶してから 失礼したが、これまでの異動とは明らかに異なる雰囲気に身は引き締まり、これからの仕事の大きさと責任の重さを反芻するのであった。
しかしそれは脇に置いても、茶髪のMD、まんまヤンキーのKH、そして上西UMから発するオーラが気になってしょうがない。
胸の内には不思議な印象が張り付いて、最初は小さかった不安の粒が、徐々に大きくなっていくのだった。

写真好きな中年男の独り言