八丁池・伊豆天城

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11月13日(木)。紅葉狙いで伊豆は天城の八丁池を歩いてきた。
結果から言ってしまうと紅葉のピークは既に過ぎ、山道の殆どは落葉の絨毯と化していて、天城は早くも初冬の様相を見せていた。
例年この時期の伊豆紅葉撮りは、滑沢渓谷(標高500m)または伊東の一碧湖(標高185m)が撮影ポイントだったので、標高1,125mと奥多摩の山々に近いレベルに位置する八丁池だと、これまでより幾分手前にタイミングを持ってこなければ旬は捉えられないということだ。
参考までだが、伊豆半島最高峰は天城連峰の万三郎岳(1,406m)である。

「二週間、いや、あと十日ほど早く来ればきれいだったよ」

なるほど。山で会った地元の方の話である。

自宅を5時過ぎに出発。この時期の日の出はまだ1時間も先なので、辺りは早朝というより夜である。
先週車検を終えたばかりのE46は快調に東名を走った。
裾野IC~裾野バイパス~三島駅~R136といつものルートを進む。
大仁のマックには7:30に到着、大好物のホットケーキセットを注文した。

― へ~、変ったんだ…

テーブル、椅子、壁紙が明るい感じのものに入れ替わり、ルーバーなどの間仕切りが殆ど取り払われたから、店内は広々として清潔感溢れる印象になった。
なるほどね、、、
これはこれでいいのかもしれないが、ここマック大仁店は店内が全体的に薄暗く、地方によくある“喫茶店”風な佇まいに魅力を感じていたので、私としてはちょっとがっかりである。
しかも、これまでいつ来ても女性スタッフが中心となって店を仕切っていたのに、何とカウンターにも厨房にも居るのは男性だけで、しかも暗い。明るくなった客席とはとても対照的だ。
次回は是非若い女の子に注文を取っていただきたいものだ。

水生地下駐車場には9時過ぎに到着。早速登山準備を始める。
web等で八丁池を調べると、そのルートに関してとかく“ハイキングコース”と称していることが多いが、今回のように往路を“上り御幸歩道”、復路で“下り御幸歩道”を使えば、アップダウンの中、全行程10kmの道程となり、家族で気軽にというレベルではない。因みに出発点からの標高差は450m近くある。
駐車場には私の車を含めて6台の乗用車が駐車している。先回も同様だったので、やはり天城は人気エリアなのだ。
最後に入ってきた白いワンボックスから40歳代と思しき女性ハイカーが降りてきた。連れはいないようだ。さっさと準備を済ますと、颯爽とした足取りで天城の旧道へと消えていった。
一応登山者同士なので視線を投げてはみたのだが、完全に無視された。
ピストンでなければ私と逆コースになる。

準備万端、私も出発だ。
道路を渡って100mほど歩くと天城峠バス停があり、その脇に見える急勾配な石段が登山口だ。
旧道の天城トンネルまで続くこの階段、歩き出しにはかなり手強い。登山はこれからだというのに、既に息が上がっている。
しかしお楽しみはここからである。旧道から先は本格的な山道となり、天城最大の魅力、原生林の森に抱かれるのだ。奥多摩のような杉の植林ではなく、ブナやヒメシャラが織りなす森の雰囲気はここならではのもの。登り始めから期待感が膨らんだ。

ー 凄い風だ。しかも冷たい。

マックを出発した頃から気になっていたが、周囲一帯、物凄い風が吹き荒れている。車を運転しながら前方の山の稜線に目をやると、樹木が強風で煽られあたかも山が揺れているように見える。山道に入ってからも静まることはなく、寧ろ木々を揺らす凄まじい音は途絶えることがなかった。特に西側の斜面が開けるともろに冷たい風が体全体にヒットし、急速に体温を奪った。

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ワサビ畑を過ぎる頃から体の暖機が完了し、足取りも幾分軽くなる。風の冷たさもそれほど気にならなくなり、冬枯れの森を楽しむゆとりも出てきた。
天城の森はこれまで歩いてきたどこの森よりも広々とした開放感に溢れているが、どうやら木々の生え方にゆとりがあるので陽光が降りやすく、それが周囲を明るく照らし出す要因になっているようだ。
まあ、これが見たくて遙々やってきたわけだが、今回も全く裏切られることはない。

もうそろそろ到着という頃、途中で私を抜いていった年輩のご主人が休憩しているのが目に入った。
近付いて挨拶をすると、

「今日、初めて水を飲みましたよ」
「そういえば、私も飲んでなかったですね」

風が冷たく気温も下がっているので、いくら歩いても汗をかかないのだ。よって喉も渇かない。

「天城はよく来られるのですか」
「自宅が沼津なので、この辺は年に何回か来ます」

沼津の人と聞いて急に親近感がわいてきた。
二言三言の後、八丁池は目と鼻の先なので、そこまでご一緒することにした。
見た感じは60歳後半から70歳ほどだが、足取りはしっかりしていてしかも軽快である。うかうかしているとおいて行かれそうだ。日本百名山踏破まで残すところ9座という猛者だけある。

「展望台へ行きましょう」

あそこはいい。周囲360度の眺望がある。

「富士山ですよ、よく見えます」
「おお、きれいですね」

八丁池のはるか後方に、山頂に雪を被せた富士山が、青空をバックにきりりとその姿を見せているではないか。これは絶景だ。
但、展望台は遮蔽物がないので、強風の餌食になる。トレポは転がっていくし、帽子は何度も飛ばされそうになった。

「こりゃ寒い」
「降りましょう」

展望台入口から池までは下り坂となる。ご主人、ここも歩きが速い。
しかもあれだけ良く喋りながら、一歩一歩は慎重で軽やかなのだ。
到着するとご主人は池ふちに陣取り、私は東屋へとそれぞれ違ったところで昼食タイムとした。
ソロで山歩きをする人は、往々にして一人だけの時間を大切にする。食事は個々で楽しむのだ。

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周囲を見回すと4名の若者グループと2組の年輩夫婦がそれぞれ休憩を取っていた。
ラッキーなことにあれだけ酷い風の中を歩いてきたのに、池に降りたら嘘のように風は弱まり、お湯を沸かそうとストーブに火を入れても吹かれて消えることはなかった。風がない分たっぷりな陽光を感じることができ、日だまりでじっとしていれば思わずウトウトとしてしまう。

山は腹が減る。セブンのおにぎり二つはあっという間に胃に落ちた。今回は焼きおにぎりと昆布である。
カップ麺もすぐに食べたかったが、気温が低い為にお湯が沸くまで時間がかかる。
こんなことでも腹が減っていると少々いらつく。
やっと沸いても3分間待たねばならない。

ー よっしゃ、OK。

熱々のカレーヌードルは冷えた体を温めてくれた。

ー う、うまい!うますぎる、、、

寒い時、暖かい食べ物のありがたさはひとしおだ。これがアウトドアなら尚一層である。
腹がふくれると、いい感じで疲れが出てきて眠気を誘う。
薄く目をつむり、日だまりで暫しのまったりタイムを味わった。
来るたびに思う。山はいい。

気が付くとご主人が出発の準備をしている。
おもわず近付いて挨拶した。

「お気をつけて」
「あなたはどちらから」
「下り御幸歩道で戻ります。水生地に車を置いてあるんで」

車を使った登山唯一の欠点は、駐車場所に戻らなければならないことだ。

「時間も早いし、この池をひとまわりしたらどうですか」
「それは面白そうですね」

なるほど、一考かもしれない。

「道はないですが、距離も短いですし」
「ありがとうございます、またどこかでお会いすることがあるかもしれませんね」

満面の笑顔を残し、踵を返したご主人は颯爽と歩き始めた。
山の楽しみはこうした出逢いもある。同好の士、話は合うし情報も得られるのだ。

後片付けを終え、ザックを背負おって辺りを見ると、誰もいない。
いつの間にか皆出発していたのだ。
人のいない山中の池は静かすぎる。風の音はしても、それを越える静寂がここにはある。
そんな中、やはり池のぐるりを歩いてみることにした。
確かに道はないが、ぬかるみもなく歩くことに難はなかった。
まもなくすると人工物が目に入る。テントである。黄色で一人用だ。幕場以外での野営は基本的にタブーだが、ここなら一度張ってみたいと思うのも無理はない。もちろん水場はないが、展望台入口にはトイレもあり、天気が良ければ満天の星空を拝められそうだ。
八丁池は天城縦走路のちょうど中間地点にあるために、ここで野営するケースが少なくないことをwebで知っていた。

ー なんだ、あれ?

池の縁になにやら“像”らしものが立っているではないか。
散策路もないところにどうしてだろう。
やや不気味な感じもしたが、帰宅して調べてみると、なんと弁才天で八丁池の水神だそうだ。
いいことありますように。
まもなくすると登山道が見えてきた。そこへ出る際、張ったロープがあるところから、以前ここが池へ下っていく入口であったことが想像できた。恐らくだが、昔は池の周囲に散策路があったのだろう。人の入らぬ場所に弁才天をまつることなどない。

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下山路の下り御幸歩道は実に快適だった。何とこの道では一切風を感じなかったからだ。
斜面の関係だろうが、そよ風レベルで駐車場まで戻れたことはとてもラッキーであった。

二度目の八丁池は、天城の山々をもっと歩いてみたいという気持ちを駆り立てた。
もともと伊豆の好きは私は、生粋の伊豆びいきでもあるが、なぜならこの地には私の人生に沿った思い出や感慨に満ち溢れていて、他にも、山、海、温泉、食べ物、歴史等が見事なバランスでアピールしてくるところが心惹かれてやまないのだ。
写真仲間で毎年末訪れるのも伊豆、呆れるほどバイクで峠を攻めまくったのも伊豆、家族で海水浴へ行くのも伊豆、大好きな干物やわさび漬けを買うのも伊豆だが、近年の新たな伊豆遊びは、そう、山なのだ。
長九郎山、天城山、八丁池ときて、さて、次はどこを楽しもうか。

エレキバンド・その8・A Hard Road

hardroad中学3年へ進級すると、それまで都内の中学校へ通っていたカズちゃんが武蔵野五中へ転校してきた。
しかもクラスがいっしょになった。
友達同士、青春を謳歌するには最高のお膳立てだ。
学校で、家で、ところかまわずのお喋りの花。これは楽しい。
ましてクラスメイトの女子話とくれば、ぎんぎんに盛り上がる。はっきり言って止まらない。
今思い出しても、よくあれだけ話題が出てきたと不思議に思う。
但、私もカズちゃんも中学生までは恋の全てが片思い。イマジネーションを越えることのない恋心は、制限なく膨らみ続け、憶測だけの一喜一憂は切ないばかりのエンドレスストーリーを生み出すのだ。

「好きな子いる?」
「自分から言えよ」

こんなやりとりだけで脈拍は上がり、顔が火照る。
あの頃は真剣そのものだったが、今となれば懐かしい思い出だ。

さて、譜面はもとより、ブルースのブの字も知らなかった私は、ひたすらレコードを聴いて耳を馴染ませていった。フレーズを頭にたたき込まなければアドリブの練習は始まらない。
そんなある日、3コード進行に沿って指を動かしてみると、たどたどしくも即興演奏風に聞こえるようになってきた。やっとの前進に嬉しさ爆発である。
覚えたフレーズを適当につなぎ合わせ、それに若干のアレンジを加えていくというものだが、内容はさておき、“自分なり”を少しでも加味できたことは自信に繋がった。
特にチョーキングとビブラートを適所に使えば、更に“らしく”なることを練習の過程で身につけた。
当時巷で流行っていたブルースとは、俗に言うブルースロック、ブリティッシュブルースというカテゴリーで、本場アメリカ南部の“こてこてブルース”とは、基本こそ同じであっても、方向性や演奏方法は異なった。アコースティックギターで渋く弦をはじき、かれた声で語るように歌うより、ハイパワーアンプでディストーションを効かせ、シャウトで迫るスタイルの方が単純にリスナーを歓喜させられるし、何よりステージ映えがする。
ブルースロックに明るくなければ、現代音楽を語れないほどのブームが到来し、クリームやジミ・ヘンドリックス等々はいつしか神格化されるまでになった。
私はブリティッシュブルースの雄、ジョン・メイオール&ブルースブレーカーズに所属する歴代のギタリストに興味を覚えた。
中でも、後にフリートウッドマックを結成することになる、ピーター・グリーンの渋く重いフレーズはピカイチに惹かれた。彼がプレイしたアルバム『A Hard Road』は、それこそすり切れるほど聴いたものだ。彼のギタースタイルがよく分かる“The Stumble”は、エリック・クラプトンの“Crossroads”と並んで、ギター小僧達の必須練習曲である。もちろんブルースブレーカーズ時代のエリック・クラプトンも素晴らしかったが、ここはやはり好みの差だ。

西一町会・日帰りバス旅行

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11月7日(金)。町会(西一町会)が企画する日帰りバス旅行に参加した。
年に二度ほど開催されるこのバス旅行は、ご近所さんとの親睦を目的とする肩の凝らないイベントで、参加費も毎回2,000円/一名と非常にリーズナブルとなっている。
今回の概要だが、先ずは有明にある“東京臨海広域防災公園・そなエリア東京”にて、首都直下型地震の発生から避難までの一連を体験、昼食は両国のちゃんこ鍋“巴潟”で味噌仕立ての熱々をいただき、最後は“江戸東京博物館”で東京の歴史をじっくりと辿るというものだ。

いなげや武蔵野西久保店の駐車場には、いつものように大型の貸切りバスが駐車していた。

「おはようございます」
「はいこれ、二人分」

女房と私、参加費4,000円を払ってバスに乗り込む。
車内を見回すと、先回と較べてずいぶんと空席が目立つ。
それでも出発時刻の8時前になると、大凡7分ほどの席が埋まることになった。
参加者は男女半々ほど。しかしその平均年齢は見るからに高い。ただでさえ老人の目立つ武蔵野市だが、その中でも我が町内は群を抜いているような気がする。
ロックの散歩で町内はくまなく歩き回っているが、若者を見かけるのは朝夕の通勤通学時だけで、それも僅かな人数だ。
西久保一丁目と二丁目のちょうど中間に位置する“いなげや武蔵野西久保店”は、自宅から最も近いスーパーで、三日に上げず利用しているが、ここも夜遅い時間帯でない限り、利用客には非常に多くのお年寄りが目に付く。

「あといくらお渡しすればいいの」
「4円ですね」
「そう、はいはい」
「・・・・・・」

財布から4円出すのに10秒以上はかかっている。
しかしこの様なレジ渋滞を気にするようでは、これからの世の中に於て精神衛生は保てない。
高齢化の波は地元のみならず日本全体の傾向にあるが、昨今ではニュースなどで報道される数値だけではなく、しっかりと肌で感じる社会現象になりつつあると思う。

皆を乗せた貸切りバスは順調に井の頭通り~環八~首都高と進んでいった。
最初の目的地“そなエリア東京”は、10時の予約時刻前に到着してもバスの中で待機しなければならないとのことで、時間調整として急遽“代々木PA”に立ち寄った。
利用するタイミングを得られないこのPAは、今回初体験である。
施設の2階へ上がってみると、なかなかどうして魅力的な景観が広がっていた。“代々木コーナー”と神宮の森を遮蔽物なしに見渡せるラウンジは、一服場所としてはナイス。都心に入る直前のPAなので、今後立ち寄ることはないと思うが、まだの方は一度下り立ってみたらいかがだろう。

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レインボーブリッジを渡り、お台場ICで降りると、有明方面へ進んだ。
ベイエリアは素晴らしい青空に包まれていた。

「それでは避難体験の説明を行ないます」

首都圏直下型地震に見舞われた時、どの様に避難をすればいいのか、注意点は、必要なものは等々、とても効率的に学習できたというのが感想だ。
先ずは個々に専用端末を持たされて地震シミュレーションルームへと案内される。薄暗いエリアには倒壊した建物、折れた電柱、潰れた車、火災が発生した店舗などが配置され、音響と共にやや緊迫したムードが漂う。
端末に指示が入り、クイズ形式でそれに答えていくと、何が良いのか悪いのかを流れの中で教えてくれる。
避難エリアまでたどり着くと、今度は指導員の方から備蓄すべき食糧や備品の説明を受けた。
そして最後、直下型地震が東京を襲い、その時たまたまお台場で遊んでいた子供達が周りの人達に助けられながらも、何とか成城の自宅までたどり着くというアニメ映画を観て終了となる。
うちもそうだが、近い将来首都直下型地震が起こりえる可能性を認識しつつも、具体的な対策を立てている家庭は少ないのではないだろうか。

バスは清澄通りに入り、門前仲町を経て両国に向かった。お楽しみの昼食タイムである。
両国といえば、そう、“ちゃんこ鍋”。今回は老舗ちゃんこ鍋店『巴潟』で熱々をいただく。

「生ビール3つと、冷酒3つ」

我々のテーブル、メンバー皆やる気だ。
もっともこのSituationでアルコール断ちは酷である。
うまい食い物は酒と合わすことにより、その味わいを倍増させるのだ。
味噌仕立ての汁が野菜や豆腐にしみ込みいい風味を出す。鮭の切り身はしょぼかったが鰯のつくねはGoo。やや濃い味を冷たいビールで流せば幸せほっこり。
スタートはビールだったが、目の前に陣取る前町会長と現町会長がやけにうまそうに冷酒を飲むので、ついつい、

「冷酒一本ください」

箍が外れた。
鍋を突き、歓談しながらの酒は進む。体の中心からぽかぽかと暖まり、既に背中は汗でぐっしょりだ。

ー 鍋、、、”Simple” is “best”の典型だな。

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ほろ酔い気分で向かったのが、“江戸東京博物館”。
両国駅前にそびえる7階建てのBIGな建物は、今では新たな町のシンボルになっているようだ。
5階と6階が常設展示場となっていて、順路の入口は6階にある。
エレベーターのドアが開き、前へ進んでいくとビジュアルを意識した巨大な空間が広がる。
この瞬間、酔いはどこかに飛んでいった。
豊富な資料と復元模型は歴史を分かり易く説明してくれ、ついつい時間は忘れがちになるが、江戸が東京へ至るまでの流れを綿密に見ていくとしたら、とてもではないが一日掛けても回れない。
この中、印象に残ったのは昭和の生活とB29による本土大空襲。
ここに再現されている昭和は、子供の頃の記憶を呼び起こし、懐かしい思いは安堵となり、現代に足りないものが朧気ながらも分かってくるような気分に陥いた。
反面、絨毯爆撃の記録写真と説明は気分を暗澹とさせた。
既に勝敗の行方が分かっている太平洋戦争末期に、一般市民へ対しこれだけの攻撃を行なう意図とその精神はいかなるものだろう。戦争は人を狂わすと言うが、世界で最も残虐な行為を平気で行なってきたのは紛れもなくアメリカの軍部であり、指導者であることは歴史が明白としている。

今回も大いに楽しめた町会日帰りバス旅行。
ご近所さんとの親睦はもちろんだが、普段ではなかなか機会の得られない“勉強”ができるのも魅力のひとつだろう。
次回は来年の3月頃とのこと。内容次第では是非参加したい。

写真好きな中年男の独り言