エレキバンド・その11・初演奏

woodstock四畳半に3人の男と楽器。この圧迫感にゾクゾクッときた。

「へっへっへっへっ…」

ドラムをセットしながらIが意味不明な笑いを漏らしている。
いつものことだが、気色の悪い奴だ。
傍ではゴメスが慣れない手つきでベースのチューニングを始めた。
アンプは一台しかないので、ゴメスの隣に私のシールドを差し込む。アンプに近付くと独特な真空管臭さが漂い、ムードはとてもエレキ。
アコースティックで健全な雰囲気のフォークバンドとはここが異なる。

「なんでもいいから、やろっ」

Iが急かす。
彼は“待てない男”なのだ。

「とりあえず、グリーン・オニオンでいくか」

グリーン・オニオンはブッカーTのInstrumental ヒット曲。多くのバンドやプレイヤー達がカバーしていて、非常にシンプルな3コード進行はアドリブの練習にも最適。
ダンダダダーダー、ダンダダダーダー、ダンダダダーダー、を延々と繰り返すだけだが、ピーター・グリーンやマイク・ブルームフィールドを耳にタコができるくらい聴き続けてきた自分には、この3コードが耳に入ると、ぎこちないがそれに合わせて自然に指が動くようになっていた。
やはり聴くことは何よりも大事なレッスンだ。
色々なフレーズを頭にたたき込んでおくと、いつか必ず自分が奏でるアドリブのデータベースとなって生きてくる。
音楽理論に疎く譜面も読めない私には、音楽をパターンとして覚える手段しかなかった。

ゴメスに単純この上ないベースラインを教えていく。彼は少々ギターをかんでいるので、すぐに覚え、慣れてくると抑揚まで付け始めた。コードはAだ。

「ちょっと合わせてみよう」

ついに生まれて初となるエレキ演奏が始まった。
近所への迷惑を考え、ずいぶんと音量は絞っていたが、それでもアンプで増幅したギターとベース、そして生のドラムが混ざり合った瞬間、言いようのない快感が駆け巡り、鳥肌までが立ってきた。
アンプは増幅器だが、単に生音を大きくするだけではなく、エレキ独特の音へと変化させる機能にポイントがある。後日Iが調達してきたエフェクター、“ファズ”と“ワウワウ”は、ストレートなギター音をロック風に変える優れもので、これをきっかけに独自の音作りにも意識が向くようになる。
ファズを使った演奏を楽しんでいると、何気にロック音楽の某が分かったような気分になるから不思議だ。

ー これだよ、これがエレキバンドなんだ!

これまで指の皮が厚くなるほどチョーキングの練習を続けてきたが、生音だとイマイチその効果を実感することができなかった。ところがこうしてアンプを通すと、伸びやかな音がはっきりと出てその変化に酔いしれる。
エレキギターとアンプの組み合わせは想像を超えるインパクトだった。ここを機とし、練習はできる限りアンプを使うようになっていく。
ギターばかりに現を抜かす馬鹿息子を前に、両親は辟易と心配の繰り返しだったことだろう。

「ボリューム下げなさい!!」
「分かった分かった」

中学校3年生、夏のことだ。

santana woodstockちょうどこの頃アメリカでは、伝説のロックフェスティバルとして今日に語り継がれている、“Woodstock Music and Art Festival”が開催され、何と40万人の観客を動員した。正にアメリカ音楽史に残る歴史的なイベントと言えよう。
デビュー版を一度聴いただけで大ファンとなった“サンタナ”も参加しており、当時のロックミュージック界の盛り上がりを実感した。
そして時代はロック黄金期の70年代へと突入する。
様々な個性を持ったバンドが続出、また素晴らしい内容を持った新譜もマシンガンの如く発表され、高校受験という人生の大関門を眼前にして、厳しい気持ちの切り替えに喘ぐ、悩ましい毎日の繰り返しだった。

この年、日本の歌謡界では、内山田洋とクール・ファイブがデビュー曲“長崎は今日も雨だった”をひっさげて登場し大きな話題となった。
今でもカラオケに行くと必ず歌う大好きな曲だ。

「おいっ、最高だったな!」
「いいね、またやろう」

充実感と驚き。3人の紅潮する頬をふと思い出した。


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