奥多摩むかし道・2021年

 新しいカメラを手に入れるとなぜか歩きたくなる“奥多摩むかし道”。先回訪れたのは五年前、ニコンD600の試写だった。そして今回はSONYα6000+ツアイス。森と自然、多摩川とその支流、高所に点在する集落、そして祠と石仏の数々と、被写体に事欠かないむかし道だからこそ、試写と考えればすぐに頭に浮かんでくるのだ。

 七月十六日(金)。梅雨明け直後の強烈な紫外線のもと、山は完全な夏に入っていた。むかし道のスタートは水根バス停前。ゴールの奥多摩駅までは約10kmの道のりがあり、全行程走破となれば、ハイキングコースといえども気楽とはいいがたい。

 歩き出しは上りが続くので、瞬く間に汗が噴き出し始めた。五月に酷い腰痛をやってからというもの、山から遠ざかっていたので、やはり脚力と心肺機能は低下しているようだ。ただ、この程度の負荷で顎が出ると、情けないをとおり越して不安を感じてしまう。やはり加齢には抗えないのかと。

 青目立不動尊の脇を抜けると、小さな渓流へ向かって下っていく。川の音が大きくなるにつれ、目の前の景色に違和感を覚え始めた。

「あれ、あの小屋、どこいった」
先回までは確かにあった、荒れ朽ちた小屋が跡形もなく消えている。わずかな形跡は認められるものの、その殆どが見事に森に飲み込まれている。ちょっとしたコースのポイントだったから、なんだかキツネにつままれたような感覚だ。

 この先から崩落個所もある荒れた道が続いた。今回はハイキングだろうと軽く考え、スニーカーを履いてきたから歩きにくくてしょうがない。水たまりや泥を避けながら慎重に歩を進めていくと、ふと視野に動くものを捉えた。

 道端にあったその動くものに近づいてみると、摩訶不思議、細い枝が動いているではないか。驚いて目を凝らすと、それは生き物。間違いなく“ナナフシ”という擬態する昆虫だ。珍しいのでさっそくカメラを向けたが、α6000のフォーカス能力をもっても体が細すぎるためか、なかピントが合わず手こずる。

 下りに入り、西久保の切り返しを過ぎると最初のベンチとトイレが見えてきた。四十~五十代と思しき女性二人組が目に入ったが、ちょうど私と入れ違いで出発するところらしい。それにしてもアスファルトの照り返しが強烈。再び汗が噴き出してきた。

 ザックからミネラルウォーターとおにぎりを出し、時間的にちょっと早かったが、やたらと腹が減ってきたのでランチにした。二俣尾のセブンイレブンで購入した“わさびめし”と称するおにぎり、封を開けると爽やかなワサビの香りが広がった。食してみるとこれがなかなかいける。わさびを使ったおにぎりはこれまで二~三種類ほど試したことがあるが、今回のわさびめしが一番好みかも。

 牛頭観音は案内板がなければ見落としてしまうほどひっそりと佇む。そしてこの案内板を読むごとに、当時の厳しい峠の往来へ思いを馳せる。斜面に作られた狭く険しい道は進むだけでも困難を極め、悲しいかな、荷を背負わせた多くの馬や牛が深い谷へと転落したそうだ。牛頭観音はこの馬や牛たちの息災を祈るために造立したものである。

 馬の水飲み場、縁結び地蔵尊を過ぎると多摩川にかかる二つ目の吊橋“しだくら吊橋”がある。橋を渡り対岸へ出ると、そこは多摩川にそそぐ支流があり、合流点にはマイナスイオンが渦巻き、涼しいことこの上ない。佇んでいるだけでたちまち汗が引いていく。

 そんな場所とあって、ここを目的地としている人たちも少なくないのだろう、吊橋の脇にはレンタサイクルが四台置かれ、周りを見回しても5~6名の人たちがそれぞれ散らばって寛いでいる。

 私は左手の山道を下り、合流点を迂回して小さな滝の真ん前に陣取った。滝の雰囲気も良かったし何より涼しくて気持ちがいい。好きな写真撮影に適度な運動とうまい空気。これだけでむかし道を歩く価値は十分ある。

 中盤を過ぎるとそれまで下り一辺倒だった道がわずかに上り始める。登山道のよくある上り返しのような急こう配ではないので、体力的にはつらくないが、同時にこの辺から徐々に生活臭が漂い始め、ハイキングも終わりに近づいてきたことがわかる。

 先回ここを歩いたのは五年前。かなりの月日が流れたわけだが、始めて訪れたころは沿道の住居にも人の気配が多々感じられ、傾斜の強い畑で草むしりをしているおばあさんや、柵の修理をしているおじいさんらと、
「ずっと昔から住んでんだよ」とか、
「そこの芋、よかったら持ってきな」とか、
立ち話を交わしたことが幾度かあった。それと玄関の前に太い鎖でつながれた大きな犬も強い印象として残っていたが、それが今回、犬はおろか人の気配が全く感じられないのだ。

 ただ、僅かだが手が入った畑がまだあるということは、今でも若干数の方々が住んでいるのだろう。いずれにしても住民の高齢化は確実に進んでいるし、ここでの生活の後を継ぐ人は殆ど「0」に近い筈。
訪れるたびに寂しさを増していく奥多摩むかし道。たしかに適度な運動とうまい空気を吸えることは満たしてくれるが、被写体としての面白味は年々萎んでいくように思う。


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