若い頃・デニーズ時代 89

「やっぱり転職するよ」

デニーズを辞めたがっていることは、麻美もとうの昔に気がついていたと思う。ここ1カ月、帰宅すれば決まって職場の愚痴を聞いてもらっていたし、何かと見えない将来を力説したりして、情けないが彼女には不安な思いをさせていた。

「パパのことだから任せるけど、家族のことはちゃんと考えてよ」

転職という選択肢は、日に日に大きく、そして輝く未来をつかめる最高の手段とまで思えるようになってきた。
情報収集や準備を考えると、いてもたってもいられなくなり、とりあえず書店で2~3冊ほどの求人誌を買い込むと、すぐに家へ持ち帰って1ページ1ページくまなく目を通していった。
当然だが転職先に同じ業界は選ばない。他のレストランへ行くくらいだったら、このままデニーズにいた方がましだ。それより転職を心機一転のチャンスだと捉え、「0」からトライできるところでやりたいのだ。先月で33歳となり、年齢的にはまさにラストチャンスを迎えていた。

調べて行くにつれ、世の中にはよくぞこれだけの職種業態があるものだと感心する。希望職種があれば絞り込むのも容易だが、東京の実家から通えて、転居を伴う転勤がないことだけが条件だと、対象はそれこそ星の数ほどあった。ところが調べ進んでいくうちに、条件に“未経験者可”を加味すると、そのほとんどが営業職または運転手、はたまた飲食業になってしまう。できれば飲食業と運転関連は避けたいので、残るは営業職。しかし、営業と聞くとすぐに“ノルマ”という言葉が浮かんできて、うまくやれるかと構えてしまう。とは言っても家族を養うのは男の勤め。この際甘い考えは捨てなければ。
そんな中、第3Qtrの全店店長会議が開催された。
今回は東京へ出たついでに実家へ立ち寄った。考えてみれば結婚以来足が遠のいていたので、たまには親に顔を見せなければ小言が出るというもの。
しかしこれあくまでもうわべの要件。本来の目的は就活。会議の翌日を有給をとし、既に面接のアポまでとっていた。アポ先は某食品問屋。デニーズジャパンとも取引のあるところで、業界ではそこそこのシェアを持つ中堅企業である。

青梅線の某駅を下車し、線路に沿って10分少々歩くと、食品問屋の社屋が見えてきた。
10年ぶりにデニーズ以外の空間に身をおくとさすがに緊張が走る。人事部の方へここに至るまでのあらましや、要望、条件等々を一気に述べると、あとはまな板の鯉。自分を出し切ったから、気分は吹っ切れた。

「どうだった兄貴」

家電販売店に勤める弟だが、どうやら今日は休みのようだ。

「まあまあかな」
「それよりさ、知ってる? 隣のバイク屋」
「なに、知ってるって」
「求人広告出してるよ」
「へぇ~~」

自宅の隣の隣に、小さい店だが全メーカーを扱うバイク屋が何年か前に開業していた。
彼の話によると、週末には常連と思しき客が大勢集まってきて、結構賑わっているとのこと。バイクは趣味といって憚らないほど大好きだが、単純にそれを職業にしていいものかは微妙なところ。ただ、仕事とはいえ、好きなものに囲まれる日々にはちょっと憧れる。
一度訪ねて雇用条件を聞いてみてもいいかもしれない。若し採用となって実際に働き始めても、こりゃ駄目かなと思ったらやめればいい。今のご時世、その気になれば職は見つかる。
とりあえず善は急げということで、さっそく電話で面接希望を伝えると、明日の午前中OKとの返事をいただけた。もともと明日は西宮へ戻る移動日だったので、仕事はOFFにしていた。だから午前中に面接が終わってくれれば、帰宅はそれほど遅くはならないはず。
それにしてもバイク業界の将来性等々、全く未知な分野なので不安は大きい。絢子はまだ1歳にもなっていない。これから最低20年は稼いで養わなければならないし、大学進学を希望すれば相当な資金だって必要になってくる。
ところが外から見るとバイク業界は沸きに沸いていた。
バイクレースの頂点であるWGP500では、毎回すさまじいトップ争いをくり広げ、特に王者ケニー・ロバーツと天才フレディー・スペンサーの手に汗握るバトルは、世界中のバイクファンを熱狂させていた。
彼らの駆るワークスマシンの設計ノウハウを惜しみなく投入した、公道走行可能なレーサーレプリカは、当然ながら大人気を博した。何せ、奥多摩、箱根、伊豆、どこへ行ってもレーサーレプリカだらけなのだ。
ワークスマシンがシーズンごとに進化していくと同時に、レーサーレプリカもそれに合わせるように毎年進化を遂げ、ホンダ・NSR250Rは、250ccという小排気量にもかかわらず、世界初の市販車実速200kmオーバーを達成したのである。

「いつから来られます」
「そうですね、今の仕事は年末年始が最大の山場になるので、年明け1月末までは動けないと思います」
「そうか、、、ちょっと先になっちゃうな」

まだ11月である。この時点で2月入社希望というのはちょっと虫が良すぎたか。
何れにしても、話を聞きに来たつもりが流れはいきなり採用の方向へ向かいかかっているし、面接中に不謹慎とは思ったが、ショールームの最新モデルに目が行ってしまい、頭の中は錯乱状態に陥ていた。

「わかりました。それじゃ検討して、明日ないし明後日には連絡します」
「ご無理いってすみません。よろしくお願いします」

社長の大津賀さんはいかにも起業家といったバイタリティーあふれる印象だ。デニーズにはまずいないタイプである。
この会社、バイクの販売だけだと思っていたら、更にもう一つのビジネスとしてスクーバダイビングショップをつい最近吉祥寺に開店させたとのことだ。
ダイビング業界はここ数年非常に伸びているそうで、なんと海の本場沖縄にも2号店を展開するとのこと。既にプレジャーボートも購入済みだという。儲かりそうなものには一気に手を付けていく大胆さが凄い。
マニュアルで縛られた職務から、自由な発想をバネに展開するビジネス。同じ仕事でも志はだいぶ違うのだろう。
翌日。事務所の電話を取ると、大津賀さんだった。
2月からのスタートでOKとのこと。もちろん即快諾。社会人生活10年目にして大きな転換を迎えようとしていた。


「若い頃・デニーズ時代 89」への4件のフィードバック

  1. 木代様、以前こちらにコメントを残させていただいた長崎と申します。毎回読ませていただいておりましたがついに転職ですね!それにしてもすぐに次の仕事を決めたのはびっくりしました。何かピンとくるものがあったのでしょうね。

    1. 長崎様
      いつも読んでいただきありがとうございます。
      最後の勤務店となった西宮中前田店は、やはり思い出深く、2014年10月に閉店となってしまったのは残念然りです。
      但、閉店のちょうど1年前に六甲山を歩く機会があり、そのついでに立ち寄ったのです。店舗はリニューアルされていたし、もちろん当時の従業員もいませんが、何しろ新店オープンからやりましたので、その地に立つだけで様々なことが思い出されました。

      転職については、とにかく家族持ちの重圧を強く感じていました。よってデニーズをやめたら間を入れずに働きたかったので、就活は早めにスタートさせました。ところが、やはり縁ですかね。ポット出てきたバイク屋の情報に乗っかってしまい、あれよあれよと33年です。“バイクは飯より好き”というのがきっかけでしたが、この転職は大正解。今から思えばラッキー以外の何物でもありません。

  2. 更新されるのを楽しみに待ってます。
    ご承知かとは思いますがデニーズは今不採算店舗の閉店が続いてます。コロナの影響とはいえ非常に寂しさを感じます。
    先日も自分の店舗が閉店しました。20年以上前に新入社員に毛が生えた頃に在籍し、昨年より店長として勤務した店です。思い入れがある店を自分の代で閉店する悔しさを経験することになってしまいました。

    1. いつも読んでいただきありがとうございます。
      やはり閉店は心にぐさりときますね。私の場合、新店オープンは担当時代を含めると3度の経験があるのですが、浦和太田窪店(クック)、立川錦町店(UM)、西宮中前田店(UM)の何れも閉店となりました。手塩にかけ、そして切磋琢磨の思い出がある店が消滅すると、残るのは喪失感だけです。
      一生懸命にやった仕事が形として残せないのは寂しい限りです。

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