わかる歳・秋はもうすぐ

日中は辛うじて30℃を超えるが、やはり9月に入れば猛暑にも陰りが見え始め、ここ1週間は就寝時にエアコンが要らなくなっていた。
こうなるとよく眠れて心身共々軽くなり、あそこへ行きたい、あそこを撮りたいが、日に日に膨らんでいく。
Tenki.jpとGoogle Mapのチェックは欠かすことのないルーティンとなっている。

2年前の市道山ピストン以来、どうも右膝の調子が芳しくない。歩行に支障をきたすことはないが、階段を上る時に僅かだが痛みを感じ、ちょっと不安。ところがこれにかぶせるように、今度は深くしゃがむと、右膝から“ぎしっ”と嫌な感じの音が出るようになった。音だけで痛みはないが、近くにいれば聞こえるほどの音量なので気味が悪い。そのうち消えるだろうと高をくくっていたが、2週間経っても治る気配は全くない。
やはりこの状況は一度医者に診せるべきと、武蔵境にある整形外科を訪ねてみた。

「でますね音。でも関節は良く曲がるな。とにかくレントゲンを撮ってみましょう」

3方向から撮った写真にこれといった問題は見られなかった。
ちょっと安心して、山歩きが好きなので、行っても大丈夫かと聞いてみると、

「この状態なら問題ないです。痛みが出たらサポーターでも試してみてください」

薬の処方もなくあっけなく終了。
ところがそれから3週間経った今も依然と音が出る。しかし医者に大丈夫だと太鼓判を押されれば、控えていた山歩きを再開したいと思うのは人情である。

「どこまで行くんですか」
「刈寄です」

隣に入ってきた白いワンボックスから、体格のいいご主人が降りてきた。ウェアは既に山用を身に着けていて、ザックを背負うと、珍しい木の杖を取り出し、早くも出発のようだ。
あまりに手慣れた感じなので、ここへはよく登るのかと聞いてみると、

「地元が八王子なんで、ちょくちょくね。それじゃ」

聞けば山歩きは定年退職後に始めたようだ。やってみると案外楽しく、特に山の景色に魅了されたとのこと。
それにしてもご主人、とても御年70歳には見えない。腹は出ているが全体的にがっしりとした体躯で、老人にありがちな見た目の衰えが殆ど感じられないのだ。
男も65を過ぎて70を迎えるころになると、悲しいかな、老人と思える特徴が急に目立ち始める。心もとない歩き方、猫背気味で力量感に乏しい後ろ姿、そして体隅々に及ぶたるみや皺である。避けたいのはやまやまでだが、こればっかりはすべての人類に当てはまることなので、諦めるしかない。

この日は残暑が厳しかった。登り始めた直後から体を包むじっとりした熱気で多量の汗が噴き出していた。
用意した水は1.5リッター。のどの渇きに合わせてがぶ飲みすれば、この量だとあっという間に空になる。どうも見当を間違えてしまったようだ。
11年前の夏。伊豆の長九郎山へ登った際、甘く見た登山計画によって、脱水症状寸前にまで陥った苦い経験を思い出す。水は絶えず十二分な余分を考慮する必要がある。ザックの重量が嵩むなどは、理由にもならない。

「おうっ、お疲れさん」

途中にある展望台のベンチでご主人が休憩中だ。

「お疲れさん、失礼して先に行きます」

この時点での休憩はタイミング的に早すぎる。せっかく温まってきた筋肉が冷えてしまうからだ。私の場合、体が馴染んでくるのはスタートから大凡30分から1時間後。刈寄山コースだったら、今熊神社を過ぎる辺りから本調子になる。それにしても久しぶりの山なのにやたらと歩が軽く感じられる。今のところ膝にも違和感は出ていない。

夏の終わりの艶のない森を抜け、南方面が見渡せる尾根に出た時だ、斜面一帯がススキで覆われ、風でゆれる穂が黄金色に輝いている絶景が広がっていた。山にはすぐそこまで秋が迫っていたのだ。
こんな景色が拝めるのも山ならでは。単純な私は、「山に来てよかった」と、ほくそ笑む。

「追いついた!」

その声に振り返ると、下り坂を降り始めたところに、木の杖を高々と掲げたご主人の姿があった。写真を撮ってはまた歩いてを繰り返しているうちに、追いつかれたようだ。

「いや~~、ススキがいいね」

暫し二人並んでこの絶景を眺める。

「こんなの見ちゃうと疲れが飛ぶね」

全くその通り。これがあるから山歩きはやめられない。なんでもそうだが、日常にないものってのは単純に感動する。海なんかはいい例だ。好きな城ヶ島は、訪れるたびに異なる美しさを見せてくれるし、沼津の千本浜になれば、堤防に立って大海原を眺めるだけで、日頃のもやもやが全て消え去るほどのエネルギーをもらえるのだ。

ススキの見渡せるところから刈寄山の頂上は目と鼻の先。到着するとちょうど正午を回るところだった。
標高687mでも下界と較べればかなり涼しい。一般的に標高が100m増すと気温は0.6℃下がると言われているので、単純に計算すれば自宅周辺より4℃近く低くなっているはず。
互いに水と食料をザックから取り出し、ランチを始める。
ご主人、現役時代は一貫して建築業に従事していたとのこと。しかも2年前までバイクに乗っていたらしい。私の職業を説明すると、

「今でも地元の友達二人がハーレーに乗ってますよ。木代さんのこと教えたら一度は店に行くだろうな」

大歓迎である。山で知り合った人とバイクの話ができるなんて初めてのこと。この後結構盛り上がったのはいうまでもない。

「もうちょっと前に会っていたら、CB750に乗って木代さんとこ行けたのにな」

このホンダCB750は現在息子さんの所有になっているとのことので、ちょっと借りて乗ってくればいいじゃないですかと押してみると、

「もう重く感じるんだよね。これからは山で老化防止ですよ」

わかる、よくわかる。わかる歳になった。

「いっしょに下山しましょう!」

おじさん二人がおじさんのペースで、たいそう盛り上がりながら駐車場を目指した。


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