若い頃・デニーズ時代 76

関西出張が迫ってきた。目的は現地の下見と新居の契約だ。いよいよ始まるという現実感と共に、過去の異動では感じたことのない不安が圧し掛かかる。
不安の種は土地勘がまったくないことに尽きた。
現地での生活が始まり、担当DMやエリアのUM達と切磋琢磨していけば、自然に解消していくことだと思うが、辞令発令以来、「どあほ!なにやってんねん!」てなフレーズにはやたらと敏感になってるし、私にとって名古屋から先は未踏の地なので、現時点で関西を知る術は情報のみ。そして情報というものは、良い意味でも悪い意味でも想像が勝手に突っ走るもので、頭の中は混乱の嵐である。
生まれも育ちも関東圏の人だったら、関西という土地に対して特別感を抱いている方は恐らく多い筈。関西弁が醸し出すイメージは、時に荒っぽく、時にひょうきん、そして人間味に溢れ、その何れも打ち出し感が妙に強いと言ったところだろう。
まだ見ぬ未知の人々に対して戦々恐々となってしまい、心情的にはまるで外国へでも赴任するような騒ぎになっていた。

三島駅の駐車場へ車を入れ、いざ新幹線に乗り込むと、吹っ切れたのか、旅行気分のリラックスムード。買い込んできたビールとつまみをシートの背面テーブルへ並べ、雑誌を広げる。普段、列車は殆ど利用しないので、車窓を流れる景色はとても新鮮に映る。ついつい目が釘付けだ。新神戸まで大凡2時間半。あっという間の旅である。

新神戸の駅前に立つと、予想もしていなかった美しい街並みの出向かいに、暫し立ち尽くす。
駅舎も眼前に広がるビル群も近代的で美しく、海へ向かって下る坂と、背後の六甲山系の緑がそれを際立たせ、東京のどこの町にもない、洗練された景観を作り上げていたのだ。
今宵の宿は関西事務局が新神戸駅に程近いビジネスホテルを確保してくれていたので、先ずはそこへ行ってみることにした。実はビジネスホテルなるもの、今回が初体験なのでちょっとワクワク。
チェックインを済ませ、部屋でひとまず一服。備え付けのコーヒーを飲みながら、資料を広げて不動産屋を確認する。場所は西宮北口から歩いて2~3分とのことだ。ホテルからは先ず三宮まで歩いていき、そこから阪急電鉄に乗れば間違いなく行きつける筈。やはり新居は一番気にかかることだから、納得のいく物件を早いとこ決めて安心したいもの。

「こんな感じの間取りですが、南向きで、何より武庫川の広くてきれいな河川敷がすぐ脇にありますからね」

総戸数6のこじんまりした賃貸マンションで、間取りはオーソドックスな2DK。2階の真ん中の部屋である。
最寄りの駅は阪神電鉄の武庫川駅で、歩いて1~2分と便も良さそうだ。
不動産屋の車に乗り込み、早速現地へ赴く。
築年数はやや古いが、がっしりとした造りなので、子供の夜泣きに対してもそれほど気にしないで大丈夫とのことだ。見回せば静かそうなところだし、不動産屋が言っていた武庫川の河川敷は本当によく整備されていて、ベビーカーを引いての散歩には絶好だろう。
資料に記載されていた駐車場込みの家賃もこのレベルなら納得である。それに当時の関西では当たり前だった、“敷金礼金半年分”などという甚だしい内容ではなかったので、事務所へ戻って即契約とした。

15時。新しい上司となる春本DMが、西宮北口の駅前まで車で迎えに来てくれることになっていた。
先にオープンしていたデニーズ神戸住吉店の見学と、その後は江坂にある関西事務所まで行って基本的なスケジュールの確認、その後は夕食を奢ってくれるとのことだ。
殆どジャストタイムにグレーのセダンがハザードを点滅させながら駅前通路に入ってきた。同時にウィンドウが下がり、

「おはよう。木代くん?」
「おはようございます。よろしくお願いします」

こうして車に乗り込むと、神戸住吉店へと向かった。

「住まいはどうだった?」
「いいところだったんで決めてきました」
「そりゃよかった。あとは引っ越しだな」
「明日戻ったら、すぐにとりかかろうと思ってます。それより右も左も分からないんで、よろしくお願いします」
「確か錦町でオープンは経験済みだろ?」
「ですけど、東京と関西じゃ、何かと違うと思って」
「いやいや、同じ、同じだよ。逆にうちのエリアは新しいから、他のUM達とも歩調が合うんじゃないかな」
「そうですか、ちょっと安心しました」

目が細く垂れている戎さん顔の春本DMは、どことなく坂下さんに雰囲気が似ていて、初対面でも話し辛いことはまったくなかった。それより私の不安や疑問を真剣に聞いてくれる姿勢がありありと分かり、この人の下だったらオープンもスムーズにやれるのではと直感した。

「いらっしゃいませ、デニーズへようこそ!」

関西入りして最初に耳に入ったグリーティング。場所は異なれど、グリーティングは全国共通。ここもデニーズなんだとほっとした。

「おはようございます、谷田です。よろしくお願いします」
「木代です、こちらこそよろしく!」

谷田UMは、四角い顔に健康そうな真っ白い歯が印象的。優しい笑顔は人に好かれそうだ。
国道2号線沿いにある店舗は、商業施設へのインストアなので、どこにもないここだけのスタイル。窓の数の問題で全体的にフロントは薄暗く、それに合わせて高級感を狙ったのだろうか。しかし作業同線もやや狭くなっていて、圧迫感さえ覚えた。これは同じインストアの沼津店や高田馬場店とは異質な感覚だ。広く明るい独立店舗とはまさに正反対のイメージである。
そしてこの高級感を作り出しているのは内装や照明だけではないことが分かった。その時三人いたMDの誰もがなかなかの美人で、健康的だがしっかりとした大人の色香を漂わせていたのだ。彼女達、恐らく年齢は二十歳以上で、平均生活レベル以上を持つ主婦か、名の知れた大学の女子学生だろう。
そんな私の視線をキャッチされたか、

「いい子が揃っているでしょ」

谷田さんが胸を張った。

「あの二人は武庫川女子の2年生と3年生です」
「へ~、お嬢さん学校なんですか」
「そこまでじゃないけど、まじめで清楚な子が多いですかね」

するとそのうちの一人がコーヒーをもって我々の座るテーブルに近づいてきた。

「マネージャー、ブレーク入りますが、、、」
「どうぞ」

あれ? きれいな標準語だ。

「彼女、関西弁じゃないですね」

春本DMがニヤッとした。

「ここのスタッフの殆どは、仕事上の会話は標準語を使うんだ。だけど大阪の店はどこへ行っても、いっさい関西弁だよ」
「へー、そうなんだ」
「木代さん、大阪の店でお客さんがMDを呼ぶときは、“ちょっとねーちゃん”って感じですけど、神戸では東京と同じで“すみません”なんですよ」

同じ関西でも地区によって文化的色合いが違うってことか。
神戸は上品、大阪はコテコテ?!
おっと、これじゃ大阪の人に怒られそうだ。
約3~40分、DMと谷田さんから関西エリアの近況報告を聞いた後、再び車に乗り込むと、今度は関西事務所へと向かった。
街は既にトワイライトタイム。窓を流れる景色は色とりどりの照明が主役である。
これは東京も神戸も同じなんだなと、妙に納得してしまった。


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