若い頃・デニーズ時代 39

デニーズは順調な出店ペースを持続していた。
この大躍進の源は、もちろん全店舗スタッフによる尽力に他ならない。きびしい人員配置の中、何とかシフトを死守しようと奮闘する姿は健気であり、ほんと、カッコ良かった。しかし、彼らの日々を支える緊張の糸は、突如として切れてしまうことがある。
原因は人それぞれだが、恐らく最たるものは頻度の高い“異動”だろう。
異動や転勤には様々なドラマが付きまとう。特に引っ越しを伴うものは、体力的にも精神的にもしんどいことこの上ない。
特に担当職は借り上げ住宅を基本とした寮住まいになることが多いので、プライベートで発生するストレスも考慮しなくてはならない。
住まいを共とする寮生との間に問題が起これば、仕事のそれと重なり、窮地に至ることもありうる。
実際、私が浦和太田窪で勤務していたころ、早番だった同期の村尾が、<よく眠れない>とぼやいていたことを思い出す。
遅番から戻ってきた同じく同期の下地が、シャワーを浴びたり夕飯を取ったり、はたまたテレビを観たりと、その生活音が眠りの邪魔をしていたのだ。完全に独立した部屋ならこんな悩みもなかったろうが、何と部屋と部屋との仕切りは、襖一枚だったのだ。キッチン、トイレ、風呂場は完備されていたが、もちろん共同で、そこから発する生活音はいとも簡単にそれぞれの部屋へと侵入してしてしまう。夜昼逆さまのシフトを任されている二人が住むには到底具合が悪い。
もちろんこれが全ての原因ではないが、結局二人とも退職してしまった。
私も最初は寮へ入るつもりでいて、一旦は身の回り品と寝具を抱えて寮へ持ち込んでみたが、間取りを目の当たりにした瞬間、そのまま引き返した。何故なら、直観的に“休めない”と感じたからだ。
デニーズの独身寮がどこも同じ状況だとは言わないが、出店ペースの速さはやっつけ仕事を常態化させ、緻密な養生ができていないことは明らかだった。

「マネージャー、これ」
「ん?」

君澤が届いたばかりのメール便の中から一通の書類を差し出した。
見れば「全店店長会議」の通達である。半年に一度、本部の大会議室で行われるもので、業績不振に該当する面々には胃が痛くなる恒例行事だ。私はもちろん初参加になるので、緊張よりも楽しみの方が大きい。

当時の株式会社デニーズジャパンは、イトーヨーカ堂を筆頭とするIYグループ各社と共に、東京タワーの隣にある森ビル(現在のメソニック38MTビル)に移り入っていた。東京の中心地という立派な場所にある立派なビルだけに、ここへ出勤することは大きな楽しみであった。
入社した頃の本部は、確か九段下駅の近くにあったように記憶している。

「幹部たちと先輩UMだらけじゃ緊張しますね」
「まあね。でもどんな内容か見てみたいよ」

そして初となる全店店長会議。これが意外や興味深かった。
入社式以来1年半ぶりに聞く池澤本部長の講話。小寺RMによる外食産業界の現況報告。そして営業管理部より発表された具体的な数値等々、どれも知識、情報として濃い内容であり、仕事をする上で大きな指針になったことは言うまでもない。
但、休憩時間では新米UMの初参加ということで、色々な方々にずいぶんと茶化された。

「おっ、木代か、なんでここにいるんだ?」
「誰かと思ったよ」
「いつUMになったの?」

等々だが、歓迎の意と解釈すれば、これもまた愉快である。
それにしても、いい時代だった。
会議が終わり、浜松町駅へと歩く道すがら、この会社で頑張れば、間違いなくレストラン界の王道を胸張って歩けると、すばらしく高揚した気分に包まれたものだ。

全店店長会議から休む暇もなく、年末年始の準備に取り掛かる。
当時の飲食店で年末年始も休むことなく営業を行うのはファミリーレストランしかなかった。ということは必然的に来店客は増え、特に帰省先の地方店では通常週末の倍近くまで売り上げを伸ばす例もある。よって売り上げ予測を始めとした準備は非常に大事な仕事になる。
最も留意しなければならないのは人員確保。数か月前からアルバイト一人一人に根回しをしておかないと、いきなり正月休みの直前に出てきてくれと頼んでも通用しない。当然彼らにもプライベートがあり、旅行、スキー、帰省等々、楽しみな計画は満載だろう。
私の場合は、各シフトごとに小ミーティングを1~2度行い、<年末年始は一日でもいいから出勤してもらいたい>との店側趣旨を述べ、協力ムードを盛り上げていった。中でも大晦日から三が日が大きな勝負となるので、9月以降の新規応募者には面接時にその旨を伝え、必須採用条件とした。
こうして東久留米店での年末年始は、思ったより楽に仕事が運び、おかげで何の問題もなく新年を迎えることができたのだ。
ところがこの後、都心部の店舗展開に更なる弾みがつき、思いもよらない方向へと突き進んでいくのだった。


「若い頃・デニーズ時代 39」への2件のフィードバック

  1. 名古屋地区新店舗出店の時は、3LDKのライオンズマンションに、5名で同居生活でした。
    本社森ビルには、一度行ったことがありますけど、皆さんが優秀な社員に見えて緊張しました。

    1. 一番いい頃ですね。
      本部が天下の森ビルに入っていたという事実が、そこにいる従業員を輝かせました。
      まさにステータスです☆

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