若い頃・デニーズ時代 3

当時私はトヨタのセリカ1600GTVという車を所有していた。高校生の頃から憧れていた車で、いつか必ず手に入れようと、いつまでたっても貯まらない貯金箱を眺めながら溜息ばかりをついていた。
そんな中、厳格な祖父が警察官だったことが影響してか、私の実家では、“車は危ない、人を怪我させる”という考え方が深く浸透していて、家族の中に運転免許証を持っている者は誰一人いなかった。この環境下、“免許を取らせてくれ”、“車を買ってくれ”は、なかなか言出せない台詞になる。
しょうがないので、日給制のバイトを続けながら、教習券を1枚買っては1回乗りを根気よく続け、やっとの思いで運転免許証を手に入れたのだ。
この後は更にバイトを頑張り、ポンコツでも何でもいいからとにかく車を手に入れようと考えた。
しかし稼いだバイト料は全て麻雀と飲み代に化けていき、車取得の夢は日に日に遠ざかっていった。
そんなある日、親父に呼ばれた。

「なに?」
「車、買ってやるよ」
「ほんと?!」
「お爺さんがああなっちゃな、、、」

若い頃の怪我が影響したか、祖父は脚の調子が年々悪化していき、ついには寝たきりとなっていた。ところが吉祥寺にある泌尿器科へ定期的に通院させなければならない事情があり、その際は致し方なく毎度タクシーを使っていたのだ。しかし先々の費用や手間を考えれば、我が家にお爺さん用のトランスポータを備えるべであることは言うまでもなかった。

「週に一度ね、お爺さんを病院へ連れて行くなら買ってやる」
「もちろんOKだよ」

二つ返事である。
小さい頃から可愛がってくれたお爺さんの手助けをすることに問題があるはずもない。
しかもそれでマイカーが手に入るのだから、断る方が不自然だ。

「車はさ、俺が選んでもいいだろ」
「いいけど中古だぞ」
「OKOK♪」

セリカこうして手に入れたオリーブドラブの1600GTVは、正に私の青春と共に突っ走る良き相棒として我が家に招かれたのである。

通勤は基本的にマイカーを使うデニーズ。初出勤の日はもちろん相棒と共にだ。
自宅を出て10分ほどで到着。母屋の裏手にある駐車場へ車を置くと、先ずは深呼吸して高鳴る胸を押さえ、正面入口からレストラン内へと入っていった。

「いらっしゃいませ、デニーズへようこそ!」

ご案内役のデニーズレディーが満面の笑顔で迎えてくれる。

ー おっ、これが生のグリーティングか。

デニーズでは、“いらっしゃいませ”、“ただいまうかがいます”等々の接客用語を総称してグリーティングと呼ぶ。

「あの~、初出勤の者ですが」
「はい、お待ちしておりました。脇から奥へどうぞ」

小金井北店は客席からキッチンが見える店舗タイプで、私に気が付いたのか、白い帽子を被ったコックがこちらの様子を窺っている。ドキッとしたが目線があったので会釈をした。

「マネージャー、新入社員の方です」

スイングドアの向こう側に入ると洗い場があった。

「おうっ、木代君か?!」
「おはようございます!よろしくおねがいします」

イトーヨーカ堂グループ、社員間の挨拶は朝でも昼でも夜でも、“おはようございます”である。

「店長の加瀬です。こちらこそよろしく」

眼光が鋭く、一見神経質っぽい。
手厳しくやられそうな予感がする。

「ねえ、鈴木さん、彼を3番テーブルへ案内して」

洗い場でナイフやフォークを磨いていた、一見主婦と分かる年頃のミスデニーズに案内され、再び客席の方へと戻された。

「いらっしゃいませ、デニーズへようこそ」

グリーティングにつられて入口に目をやると、そこには懐かしい顔が二つ。同じ小金井北店へ配属された山口と春日だ。

「おはよう!俺も今きたばかりだよ」
「ついこの前なのに懐かしいね」

山口は実家がレストランを営んでいて、ゆくゆくは家業を継ぐらしいが、その前に大手の組織管理を学びたいという理由で入社した、見るからに育ちの良さそうなボンボンである。一方、春日は栃木訛りが印象的で静かな男。合宿では一番気が合い色々なことを話し合った。
しかし、<同期生=ライバル>。
仲間意識の裏側にはしっかりとしたライバル意識も芽生え始めていた。
この様に捉える自分にびっくりしたと同時に、学生時代の二の舞には絶対にならないという並々ならぬ決意がこみ上げてきたのだった。


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